105粒目
妹は、こちらに気づいた姉に男を紹介され、更に姉の紹介で我を見て、初めて男に抱っこされている我に気付き、びっくりしている。
(どれだけ男しか見ていないのの……)
いっそ清々しい。
狼たちがハッハッと道を走り、村人の間をすり抜けて来た。
妹はやっと狼たちに視線を移し笑顔を浮かべるも、狼達の中に当然のように混じる狸擬きの姿に、
「???」
戸惑いを隠さず、姉が笑いながらこちらに手の平を向け、我等の連れだと告げている。
狸擬きはこちらにテコテコ歩いてくると、我を見上げてきた。
狼たちと違って、息の1つも切らさず澄ましている。
そんな狸擬きに、
「の、アイスを駄目だと断られたの」
唇を尖らせて狸擬きに愚痴ってみると、
「フーン……」
狸擬きもスン、と頭と尻尾を下げる。
妹は狼たちを撫でながらも、苦笑いする男の顔をじっと見上げている。
「……フーン?」
目を細めた我に、狸擬きが小首を傾げ、馬車が動きだし。
姉に促された妹は、それでも何か言いたそうに立ち上がると、チラチラとこちらを振り返りながら、狼たちと共に歩き出す。
「の、我はお腹が減ったの」
「もうか?」
「アイクリーム分の」
「フーン♪」
狸擬きからの加勢に仕方なさそうに笑い、
「今日は特別だ」
やはり我にはとことん甘い男である。
「ぬふー♪」
「……♪」
テーンテーンと跳ねるように率先して先を歩き出す狸擬き。
「……?」
視線を感じて振り返ると、建物の角を曲がる直前の妹と、しっかりと目が合った。
「今日は駄目の」
「ダメ?どうして?」
「村長の家の」
落ち着かぬ。
「まだ村長は帰って来ていない」
「お主の、我の唾液への執着も、なかなかであるの」
姉の実家も他人の住み処だったけれど、姉の実家は、少なくとも住人はいなかった。
「当然だ」
夜。
狸擬きはもう、とうに客間へと向かい、男に髪を乾かしてもらい、梳かしてもらった後。
外は、まだ人のざわめき。
ベッドの上。
男と向き合っていたけれど。
男に額に額を当てられ、当然だと言い切られたけれど。
「開き直るでないの」
クスクス笑い合っていると、玄関の扉が開く音。
村長は多分、いつも通り帰ってきたけれど、客人の存在を思い出したのだろう。
ついでに幼子もいることも思い出したのか、途端に静かになり、足音を忍ばせて、風呂場の方へ向かう気配。
家主に気を遣われているのだから。
「もう寝るの」
男も、お預けかとぼやきながらも、
「おやすみ」
と額に唇を触れてくる。
(ふぬん……)
同じ家の中に他人がいる、宿とはまた違った空気。
男の胸に耳を当て鼓動を感じ、やがて一定の呼吸になる頃、我も睡魔に意識を預けると、睡魔すら、慣れない人の家にそわそわとした空気を出しながら、我を包み込んできた。
村の祭りは当日の朝。
男に頭の左右でお団子頭にされ、
「これはよいのか?」
耳の上で丸めた髪の束から、少量の一束が団子の中から垂れている。
「お祭りだしな。堅くなりすぎなくて可愛い」
流れた髪をさらり掬われる。
「ぬふん、ありがとうの♪」
「どういたしまして」
いつの間にかお団子のアレンジまで覚えているのだから恐れ入る。
狸擬きが珍しく一番最後に起き、のこのこやってくると、
「フーン」
挨拶と空腹を訴えてくる。
村長もとうに居らず、
「我等も、結構寝ていたの」
外はもう、昨日の比ではないほど賑やかなのが伝わってくる。
持ち込んだ箱の中身を確かめるものの。
「食材が少し心許ないの」
「外に行こうか」
「ふぬ」
「フーン」
狸擬きが、おにぎりおにぎりと訴えてくる。
小豆を落とし、炊飯器のスイッチを押してから外に出た。
天気は快晴。
風向きで、稀に堆肥の匂いがするのはご愛嬌。
祭りの朝に合わせて行商人が現れ、山は越えていたものの、どうやら村には入らずに、あの流れた岩の辺りで一夜を過ごしていたりもするらしい。
その乗って来た馬車の荷台の幌を外し、そのまま店にする業者も少なくない。
「のの?」
小型の馬車の前に小さなテーブルと向かい合う様に椅子が2脚。
隣には画架、イーゼルとやらが並べられ、絵が掛けられている。
(絵描きの、こんな所にも来るのの……)
絵描き2人かと思ったら、小さなテーブルに腰掛けてやってきた村人と話ながら、テーブルに黒い布を掛け、
「……?」
手に持ってきた箱からカードの束を取り出すと、慣れた様子でカードを切っている。
あれは。
(易者の……)
絵描きと易者の2人での旅路らしい。
どちらも女性。
後で少し話くらいは聞いてみたいと思いつつ通り過ぎ、もう道の端に並び、店を開き始めた屋台たちを眺める。
村人の屋台も、そうでない屋台も混じり、
「何を買って帰ろうか」
「ぬぬ」
「フーン♪」
狸擬きが、あれがいい、と前足を一本先に向ける。
「の?」
近付いてみる。
どこも、器は後で返してくれればいいと、木の器を盆に乗せられ、気になるものを一通り買って村長の家へ戻ると、見慣れぬ料理がテーブルいっぱいに並ぶ。
狸擬きが選んだのは、何か贓物が煮込まれた濁ったスープ。
テーブルに前足を乗せ覗き込みながら、小首を傾げて鼻をひくつかせている。
「フーン?」
「それは内蔵を煮込んだものだそうだ」
そのままであるの。
あとは、分厚いベーコンを一口大に切って揚げたもの、ただ芋を蒸かしたものに、とろけたチーズがかけられたもの。
角切りにされた野菜を揚げて酢漬けにしたものなど。
「なかなかのご馳走の」
おにぎりを握り。
「頂こうか」
「フーン♪」
どれも美味しかったけれど、げてもの枠の、もつ煮込み的なものと思われるスープが、
「新鮮な味の」
見た目より癖はなく美味しい。
「フンフーン」
「冬によさそうだ」
確かに、身体が温まる。
そうだ。
「こやつはともかく、お主、今日は外で酒は断るの禁止の」
祭りなのだ。
「う……」
男がぐっと詰まる。
ほどほどに酒を嗜めることは、とうに知っている。
「我といるからの?」
幼子がいる身で、そう呑気に酔えないと。
「いや、あまり好きではないけだよ」
ふぬ。
酒を断るのはあまり良しとされない空気なのは、この世界でも同じ。
(ふぬ)
娯楽が少ない故、酒は貴重な楽しみの1つ。
祭りの日ならば、なおのこと断るのは無粋であると言うもの。
「ならば、少し口を付けたら後は狸擬きに飲ませればいいの」
「フーン♪」
任せろと言わんばかりに狸擬きが、左右の前足を上げる。
「頼むよ」
男が諦めたように頷き、狸擬きはご機嫌で朝食が終わった。
村長から聞いた話だと、今年も主に顔馴染みの行商人や旅人、知らない顔がいても、大抵は誰かの知り合いだったりするため、悪さをする人間はいないだろうと、男抜き、狸擬きの付き添いありきで1人の外出を許可された。
男は割りと何でも器用にこなすせいで、人手が足りないと、色々と頼まれ事をされることが多く、それはあの旅人も同じ。
珍しく咥え煙草で、集会所から荷物やら何やらを持って出ていく姿を見掛けた。
男は早速呼び出され、我は木の器などを洗い、屋台へ返しに行く。
最後に返しに行ったのは村人の男1人でやってる屋台で、明らかに人手が足りない贓物スープの屋台。
食べた礼も含め、タライで溜まっていた洗い物を手伝い、子供達にポルボローネを売る姉の小さな店も、人気でてんてこ舞いになっているため、袋詰めを手伝ったり。
劇団一座の舞台はすっかり整い、あとは始まるのを待つだけ。
舞台の前には、木のベンチがズラリと並んでいるけれど、今は屋台のものを食べる者たちの腰掛けとして使われている。
すれ違った男に、お使いを頼まれ、村人に届け物をしたりしていると、徐々に舞台の前のベンチに人が集まり始めた。
昼間は「子供向き」と宣言されているせいか、子供たちが前列に座り、我も顔見知りになった村人に、前列のベンチを指差されたけれど、かぶりを振って男を探す。
するとちょうど男も、我を探しながら駆けてくるのが見えた。
「抱っこの」
「おいで」
ベンチのない後方で、男に抱かれる我はともかく、狸擬きはまったく見えない。
「前に行くの、お主なら邪魔にならぬだろうの」
「フーン♪」
狸擬きが人とベンチの間をするすると擦り抜け、最前列のベンチとベンチの間にぺたりと座り込んでいる。
「君はいいのか?」
「お主と一緒がいいの」
男は何も言わない代わりに、我を抱く手に力を込めてくれる。
笛が鳴り、まずは舞台を借りた村長が真ん中に立ち、何やら挨拶をしている。
「草原に岩を置いた功績者として、舞台に上げられそうになったんだけど、なんとか辞退させてもらった」
男がこそりと囁く。
「どうやったのの?」
「祭りの前に村から出ていくと脅した」
「くくっ」
そんなことをしたら村長は、ただでさえ人のいい村人たちから総スカンを食らうだろう。
小さく笑ってしまうと、拍手が沸き。
「今は村長が、草原に組合を作る人間を募集しているよ」
(あぁ、外から来た行商人や旅人へ向けての話の)
興味深そうな行商人たちの顔。
話が終わると、村長がそそくさと舞台から降りて行き、また笛が鳴る。
ボォォォ……と法螺貝の様な特徴的な音。
劇は、姫と従者の冒険活劇と思われた。
「……ほほぅ」
(こう、生まれながらにして持つ「華やかさ」と言うのは、やはり別格の……)
そこにいるだけで、パッと花が咲いたような目を惹く麗しさ。
舞台に映える化粧にドレスを身に纏い、大きな身振り手振りに、ここまで届く、可憐で尚、凛々しい声。
従者の男も、あの小麦の国の王子のような、春の陽射しにきらめく金髪で、後から舞台に立つ姫の実の弟と知って驚いた。
本物と見紛える剣と、剣さばき。
舞台を踏み締める足音と迫力。
「ののぉ……」
(本の世界が、目の前に現れておるの……)
姫も守られるだけでなく、勇ましくも華麗に戦い、気付けば夢中になって観てしまった。
そう。
我は演劇など生身で観るのは生まれて初めての体験。
それは、
「ふぬぅ……」
(感無量、であるの)
演者たちが並び頭を下げ、観客の拍手でハッと夢から覚めた様な心地。
我も、男の分も含めパチパチ拍手をすると、距離は随分と離れているのに、あの姫と目が合い、にこりと微笑んで手を振ってくれた。
「どうだった?」
「とても面白かったのっ」
「大きな街に行けば劇場があるはずだ、今度行ってみようか」
「それは楽しみの♪」
「よっと」
男が我を抱える腕を変えようとしたため、さすがに疲れたろうと、
「少し歩くの」
「そうか?」
降ろしてもらい。
けれど。
「……ぬー、やっぱりもう少し抱っこの」
男にしがみつくと男のシャツが引っ張られ、
「んん?」
どうしたどうした?
と不思議そうな顔で聞かれて、抱き上げられる。
「……」
ぎゅむりと両手を伸ばして男の首にしがみつくと、すぐに男が呼ばれる声と共に、あの姉の妹が、笑顔で駆け寄ってきた。
そして、男におずおずと何か話しかけているけれど、やはり何を言っているのかは、さっぱり解らぬまま。
しかし、男を見上げる妹の頬はほわりと赤らみ、瞳は艶やかに輝き、サラサラした髪は、緩やかな風に靡き。
あの舞台の上で満開に咲き誇った姫とはまた違う、こちらは今にも咲きそうな、可憐な花の蕾。
男の短い返答にも、妹は大きな反応をする。
きっと、その相手が我の男でなければ、
「おや、愛らしいの」
と微笑ましくすら思えるのだけれど。
通訳の狸擬きは、舞台の前で子供たちに囲まれ、役に立たない。
妹の真っ直ぐな好意を向けられた男は、怯むことなく、愛想よく笑っている。
「……」
その妹が、少しだけ戸惑いを交えながら、何か、我のことを訊ねてきたのは解る。
「……」
我は妹にはそう必要以上の関心はなく、目を伏せ、我の顎先をくすぐる様に触れる男の指先に意識を向けていると。
「もう勘弁してくれっ」
と言わんばかりに、狸擬きがこちらに、ベンチの隙間をスタコラ駆けて来た。
それを楽しそうに追い駆けてくる子供たちに囲まれ。
「!?」
妹が驚き飛び上がってる。
「の、我は甘いのが食べたいの」
「あぁ行こうか」
「フーン♪」
男がじゃあと妹に手を振り、妹は引き留めるような仕草を見せたけれど、子供たちは、久々に会った妹に、遊べ遊べとターゲットを変えている。
狸擬きがホッとした様に、ご機嫌にまた先を歩き出した。




