102粒目
旅人。
大した挑戦者である。
我と言う子供を連れたこの男が抜けられたのだから、とでも思っているのか。
無謀、とまでは言わぬけれど。
あの飄々とした姿からは思いもよらぬ、まさかの行き先。
「花の国に近い草原に、大爪鳥の休憩所、組合を建てることを頼みに行く交渉も兼ねた仕事だ」
我等の石運びなどより遥かに、
「大仕事の」
「だな」
気軽な独り身だし、そろそろ新しい場所へ行ってみたかったと、旅人自らの提案だったらしい。
「の」
「ん?」
「草原への組合や休憩所の設置は、組合だけでなく、国も絡んでくるのの?」
「どうだろうな。多分今までならば、なかったと思う」
「ぬ」
「でも今は、あの猟師が、自国の姫の直属の遣いとして動いている。組合でも馬車などを借りているから、どちらにも跨がっている状態だ。それをきっかけに、国が組合への干渉を始める可能性は高い」
「……ふぬん」
色々と、考え過ぎなのは承知の上。
それでも。
「あの旅人には、花の国へ行っても、我のこと、我等がこの村にいたこと、我等の存在の口止めを頼んでおきたいの」
我の言葉に、男が煙草を咥える手を止め。
男は、何か言いたそうに唇を微かに揺らしたけれど、我の瞳をじっと見つめると。
「そうだな。……今は大きな口止め料もある」
そう。
白い花の塗り薬。
いっぱしの旅人ならば、存在も、その価値も知っているはず。
「あれを小瓶に移し代えたいの」
「あぁ、そうしよう」
雑貨屋に寄り、我の手の平サイズの小瓶を多めに買うと、使い終わって戻してくれたら3割は硬貨を戻してくれると言う。
我等が村に馴染んでいる証拠だ。
小瓶は返せないけれども。
特に小瓶が多く売れているのは、お祭り用に子供たち向けの菓子などを詰めるかららしい。
姉の実家に戻ると、狸擬きが、自分が小瓶に移し代える作業をしたいと訴えてきた。
まぁこやつは器用だから大丈夫だろうと、居間、リビングの方で作業を頼む。
そう、液体になったら薄荷のような匂いは不思議と減ったのだ。
こちらは台所のテーブルで、採ってきた胡桃を広げ、殻を手で砕くと、茶鳥が、
「ピッ!?」
高い鳴き声を上げて飛び上がった。
「の?……あぁ」
手の力に驚いたらしい。
男は苦笑いしながら、ペンチのような金属の器具で胡桃を割っている。
旅人がノックと共に勝手に入ってきた。
両腕には、頼んでいた買い物の袋を抱えている。
リビングへ続くドアはしっかり閉めてある。
男が礼を伝えながらも、さりげなく、多分、旅の話を振っている。
袋からバターを取り出し、昨日から大活躍のボールに落とす。
横目で旅人の様子を窺っていると、男の方が煙草を取り出したため、
「バターや粉に匂いが付くから外に出るの」
寝室の方から裏手の庭へ追い出した。
バターと砂糖を捏ねていると、茶鳥に聞かれた。
『あなた様は、どれくらい遠くからいらしたのですか?』
と。
「青のミルラーマの」
そう答えてみるけれど。
『ううん、あいにく聞いたことが御座いません』
そうだろう。
「遠い遠い山の」
『名の通り青いのですか?』
「山は青くないの。青い熊がいたの」
『熊、ですか』
「大きくての、沢山いたの」
文字通り過去形だけれど。
『それは、とても野性味溢れる山なのですね』
言葉を選ばれた。
詰め終えたのか狸擬きが出てきたけれど、頭に1つ、小瓶を乗せている。
「おや、バランス感覚があるの」
「♪」
男たちの話が聞こえているのだろう。
トトトと寝室へ向かうと、ドアの隙間から中へ入り、開きっぱなしの外へ出て行き、耳を澄ませると。
「……」
狸擬きが、
「なぜ、そこまで警戒する?」
「いや、あの国で、俺が人攫いの疑惑を掛けられている様なんです」
「人攫い?……あぁ、あの娘か」
「向こうだと結構厳しいみたいで。逆にこいつは人攫いだと言い張って勝手に子供と引き離したりも、その、ないとは言えず」
「なるほど……。それは穏やかでないな」
男2人の会話を通訳してくれる。
ありがたく話を聞かせてもらいながら、アーモンドの代わりに砕いた胡桃を入れて混ぜ、
(のの、オーブンの予熱を頼むのを忘れたの)
マッチは消耗品。
無駄に消費したくない。
「まぁ、あのお嬢ちゃんは明らかにこの辺では見ないタイプの子だしな」
君とも全く共通点がない、と旅人は笑う。
煙草を消した男たちが戻ってきた。
男に火を点けて欲しいと頼み、旅人は、
「しかし口止め料でこれね。……よっぽどなんだな」
瓶を眺めながら、空いた椅子に腰掛ける。
「直接飲めば、少しは餓えも凌げるらしいので」
そうなのか。
「ははぁ。……こんなものまで持ってるとはねぇ」
旅人が、瓶を窓からの光に当てる。
「あっさり信じますね」
「あの砕けたとはいえ、でかい大岩を、たった1人、正確にはお嬢ちゃんと2人っきりで運んで草原に置いてきた実績もある。口止めの重さと比例して、本物の信憑性は高い」
「岩も適当な場所に放って来たかもしれないですよ」
「川の岩を牽引荷台に乗せていたろ、それでまず信じられる」
あの早朝、我等が村を通り過ぎる時に見ていたらしい。
(油断ならぬの)
男と旅人に丸めるのを手伝わせ、予熱したオーブンで焼く。
「今日は丸い形が頑張ってる保っておるの」
バターが昨日より固めだったせいかもしれない。
(もしくは我の手際が良くなったか)
小さな手をにぎにぎしていると、
「な、この花は、君達が通ってきた道のどこかに咲いていたのか?」
「それは秘密です」
男はにやりと笑う。
(まぁ「ここ」で採れたとは言えまい)
だよな、とあっさり引く旅人。
「の、の」
男の袖を引っ張る。
「ん?」
「この旅人は花の国へ行った先では、組合だけでなく女王様などにも会うのかの?」
男に訊ねると、
「んん?どうだろうな。そこまではないと思う……」
ふぬ。
「いや、離れた村からの大事な使者でもあるから、組合を通して、もしかしたらあるかもしれない」
ほほぅ。
ならば。
「旅人に、向こうは善意かもしれないけれど、せいぜい国からの『お粉』に気を付けるように伝えてくれぬかの」
我からの餞別である。
「……」
男はちらと眉を寄せ、けれど旅人に口伝てしてくれる。
「……?」
旅人が、瓶から我に視線を向けてくるため、せいぜい幼子らしく微笑んでやれば、けれども、なぜかひきつった笑顔を返される。
「のの」
小麦粉や砂糖、それにバターが焼ける良い匂いがしてきた。
「やはりアーモンドとは少しばかり違うの」
『とてもいい香りです』
「フーン♪」
軽く冷ましてから、砂糖を細かくしたものをまぶし、茶鳥に与えると、
『んん!?』
何故か酷く驚かれる。
「の?なんの?」
『私が食べたのは、こっちだった気がします!』
と。
「そ、それは何よりの」
旅人が手を伸ばして来たため、茶鳥と共にジト目をして見せると、何か両手でジェスチャーしながら弁明のようなことを伝えてくる。
「?」
「『買い出したをしたからその取り分』だと言ってるよ」
仕方ない。
我も口に放り込むと、
「ぬん♪」
胡桃は胡桃でまた風味が違い、美味である。
アーモンドより実は少し柔らかいから、砕きやすくもある。
男が美味しそうに食べている姿を見るのは、やはり満更でもなく。
ふと、外の何かに先に反応したのは狸擬きで、ポルボローネに前足を伸ばしていたけれど、耳をピクリと跳ねさせる。
「の?」
村人が、男に用らしく、外から声が掛かる。
何となく付いていくと、祭りの事らしく、黙って男と手を繋いで、通じない言葉を聞いていると。
「キィィー……ッ!」
「……!?……!?」
茶鳥の甲高い鳴き声と旅人の何か喚くような声に、何事かと部屋に戻ると、茶鳥が旅人の麦わら帽子越しに、頭をつついている。
「な、なんの?」
「……フーン」
呆れた顔の狸擬き曰く、旅人が物珍しさもあるのか、美味しい美味しいとポロポーネをパクパク口に放り込んだため、茶鳥が、
「これは小さき獣が私に作ったものだ」
と怒ったと。
「の、のぅ……」
戻ってきた男も仕方なさそうに笑い、旅人は茶鳥に追い回される様に我らの横をすり抜け、逃げるように家から出ていった。
「さ、騒がしいの……」
怒りの収まらない茶鳥が、ドアに向かいキィィと威嚇し。
「我はやかましいのは苦手の……」
思わず吐いた溜め息に、
『す、すみません、私もつい我を忘れて……』
茶鳥も床をトントンと跳ねながらやってきた。
なんとなしに、でもなく、この真面目そうな茶鳥と、あのちゃらんぽらんな旅人の相性が悪いのは解る。
「大丈夫の。あぁ、作り方はメモに残すし、作り方の絵は男に頼むの。それを向こうの国の人間に見せればいいの」
誰かしらが作るなり、見つけて買ってきてくれるだろう。
『何から何までありがとうございます』
「白い花にはそれだけの価値もあるしの」
狸擬きは、何も考えていない顔でご機嫌に尻尾を振り、すでに二度目に焼かれるポルボローネを期待している。
鳥に乞われ、華やかな花の国の話をしながら、菓子を焼く、村の午後。
翌日。
姉が、お祭りで「ポルボローネ」を作って出したいのだけれど、許可を貰えないかと男伝に頼んできた。
卵なしの木の実入りの焼き菓子、といたく簡単なものだし、我の考えたものでもない。
勿論と承諾して、一度姉の部屋で一緒に作ることにしたが。
「君をとられてしまう」
また真顔で何を言っているのだこの男は。
「ほんの数刻の」
男も村長に、花の国や組合の話をもう少し詳しく聞かせて欲しいと頼まれているくせに。
姉の部屋まで送って貰うと、男に呆れていた狸擬きも付いてくる。
「山へは遊びに行かなくて良いのの?」
「フーン」
これから作るポルボローネ目当てらしい。
あれだけ食べても飽きないのか。
材料は揃っていると言うため、小さいけれど使い勝手はいい台所で、姉と2人でポルボローネを作る。
狸擬きはテーブルの端でお絵描きをし、バターや砂糖を乗せた量りの数字を、姉がメモしている。
ポルボローネを作りながら、姉の独り言に近い言葉を、狸擬きが教えてくれる。
「急ぎではない手紙や、鳥便を使えない人たちは、時間は掛かるけれど、手紙を運ぶ仕事を副業にしている旅人さんに手紙を託すの」
「家族からは、一度だけ手紙が届いたの。全然知らない名前の街にいたわ。
村の人たちはおろか、届けてくれた人も知らない街の名前だった」
「あまりに遠いと、旅人さんも場所が分からなくて、その旅人さんたちの寄り合い所みたいな所、組合?だったかしら、そこに宛先が見えるように壁に貼られて、場所を知っている人が、善意で届けてくれたりするんですって」
確かに、組合にも壁に古いもの新しいもの、壁に紙などが所狭しと貼られていたけれど。
なるほど、以前寄った組合にも、そういうものも混じっていたのかもしれない。
姉が小棚の引戸から、積まれた万能石を取り出し、オーブンの上下に置いて指先で火を点け、鉄板に生地を並べて焼いていると、外から声がした。
女が返事をしながらドアへ向かうと、ドアの向こうに立っていたのは村人の男だったけれど、少し興奮気味で、女も何か少し驚いた声を出している。
「……」
狸擬きが、
「姉の家族からの、手紙が届いたらしい」
と教えてくれた。