101粒目
余所者である故、一応村長に山に入る許可を取ってくるよと、朝食の後に男が出て行き。
「自分のお部屋はどうだったの?」
と満腹満腹と前足で腹を撫でていた狸擬きに訊ねると、
『初めての体験、良いものです』
おや、少し久々に声を聞いた。
「山も、お主のものだったろうの?」
『主なだけであり、数えきれない程の生き物たちと同居のようなのです』
まぁ確かに。
水場にあるコンロには、苺の入った鍋が火に掛けられている。
「お主も我も、人間の生活を満喫、そして模倣しておるの」
頬杖を付いて小さな窓の外に目をやるも、厚手の曇りガラスは何も映さない。
『模倣ですか』
「我等は人ではないからの」
男が我を人と認めてくれている事とは、やはりまた別。
「でも、またそれも楽しいの」
『えぇ、とても楽しいです』
「今日のアイスクリームはなんであろうの」
『楽しみです』
狸擬きがフンフン鼻を鳴らす。
開きっぱなしの寝室の窓から、風がそよそよと吹いてくる。
小鳥の鳴き声、牛のあくび混じりの鳴き声が遠くから聞こえ、草木の擦れる音。
狸擬きと共に、今まで食べたアイクリームの種類を書き出していると、
「山への許可は降りたよ」
男はあっさり戻ってきた。
「の」
男は水場へ向かうと、鍋の苺の火を止め、ジャムを匙で掬い、フーフーと吹いてから、我の口に運んでくれる。
「あーむぬ」
果物を煮詰めた魅惑のソース。
甘味と酸味がとろりと舌に纏わり付き、
「ぬふん、……美味の♪」
もう少しの、と口を開くと、
「んん?仕方ないな」
「ぬー♪」
口に運ばれ、むぐむぐと堪能していると、
「フーン」
狸擬きが、自分も欲しい、と口を開いている。
煮詰めているとは言え果物なのに。
「珍しいの」
「フーン」
主様があまりに美味しそうに食べているのでと、男からの匙を咥えると、
「フーン♪」
甘いですねと頭を左右に振る。
山に登る前に、村で少し買い物をしていると、茶鳥が、
『おはようございます』
とやってきた。
「おはようの」
男が背負い鞄、ザックを肩に掛け、馬舎へ行く。
山へ向かいながら、茶鳥は山に着いたら先に上まで飛んで、花を確かめつつ待っていると言う。
馬舎に向かうと、長く一緒にいるためか、馬たちも何となくこちらの言葉を理解している。
男が、
「山へ行くがどちらかに乗せて欲しい」
と頼むと、2頭とも、どちらも山へ行きたいとフハフハと興奮気味になるため、馬舎の主人に頼み、2頭に鞍と鐙を付けて貰い、そのまま馬を引き連れて狼舎へ向かうと、狼2頭と、姉が待っていた。
男が2頭をお借りしますと、姉に見送られつつ、山に向かう。
山の手前で狸擬きの背中に乗ると、男も馬に乗り、山の中へ入って行く。
賑やかな春の山へ。
狼たちが先導してくれるけれど、徒歩ではないため、早い早い。
「梅雨に入れば、山は泥濘んで厄介の?」
『梅雨と言うものは、こちらではあまり聞きませんね』
「のの?」
そうなのか。
『多少は降りますが、梅雨よりも、春嵐や秋嵐の方が厄介に思われてます』
少年狼も楽しげに話してくれる。
「ほほぅの。色々違うものの」
迂回いしつつもあっという間に、
『村人は来てもここまでです』
と中腹辺りの少しだけ開けた場所から、村が見下ろせる。
狼たちの案内で上へ上へ向かうも、狼たちは勿論、馬も息の1つも切らずに楽しそうに山を上がって行く。
狸擬きも、もうとうに見知った景色を、それでもキョロキョロと辺りを眺めながら、スタスタ上がり、たまに背に乗る我を振り返る。
空から、少しばかり低い鳥の鳴き声がした。
茶鳥の鳴き声。
特に問題はなさそうだ。
「これから先、花の国との交流などが増えたら、人間ももう少し山の上にも来るのかの?」
『どうでしょうか、少なくとも我らの村の人間は、空は、神と鳥の領域と考えている節が強くあります』
「の?神がいるのの」
『いるみたいです、見たことはありませんが』
「我もないの」
山の神擬きなら、今も我を背に乗せているけれど。
そもそも山にはあまり頼っていない、山は、村を荒らす獣たちの領域でもあり、せいぜい旬の果実や木の実を採る程度なために、例え他の国との交流が増えても、あまり問題はないと青年狼。
「ふぬん」
途中胡桃などを採り、でこぼこした山の天辺に到着し、奥へ向かうと。
『早いですね』
「のっ?」
木の枝と同化していた茶鳥がパタパタ降りてきた。
全く気付かなかった。
先は唐突に崖になっており、思ったより遥かに崖の幅がある。
下は確かに深く、木々で覆われているものの、落ちたら一溜りもない。
「では、任せて良いのかの?」
『勿論、お礼ですから』
足でカゴの持ち手を掴むと、ふわりと飛んでいく。
崖の方は木が生えておらず、短い草花がふわふわしているだけ。
男が大きめの敷物を取り出して敷くと、
「俺も見るのは初めてだから楽しみだよ」
と、瓶やボールも、ザックから取り出す。
狼たちは、興味深げに鼻を近づけてくるのに、狸擬きだけは桃色の蝶々を追ってふらふらしている。
馬たちは、少しウロウロして天敵がいないか様子を見ていたけれど、やがて仲良く散歩へ出掛けた。
「潰すのは、手で良いのかの?」
「すりこぎは一応持ってきたけれど」
ふぬ。
山の生き物の気配は多く、ただ、我らを遠巻きに見ている。
「よい天気の」
狼たちに祭りの話を聞くと、狼たちにも御馳走が振る舞われ、山向こうから、わざわざ小さな曲芸団が来ると言う。
(曲芸団)
ノッポの男を思い出す。
ほんの僅かな時間なのに、妙に印象に残っている。
『とても楽しい出し物なのですよ』
少年狼は好きらしく、今もそわそわ尻尾を振って、
『あれも人の魔法なのでしょうか?』
曲芸団が来るのを楽しみにしているらしい。
少し気にし過ぎなのだろけれど、あまり近づきたくはない。
『子供の誕生日も祭りで一斉に祝います』
「のの?」
それは合理的である。
この村の子供の誕生日は10歳まで。
祭りのためにやって来る行商人からプレゼントを選び買ってもらうのが、お決まりだと。
「ふぬふぬ」
楽しく話を聞いていると、茶鳥が風に乗り、ふわりと戻ってきた。
カゴにいっぱいの白い花は、1つ1つは大降りな薔薇の大きさ、形はジャスミンに近く花弁は肉厚、茎はとても細くその緑は濃く、余計な葉がない。
茶鳥は、もう数回行きますので、中身を出してくださいと、男の手で花が敷物の上に置かれると、茶鳥はまたふわりと飛んでいく。
蝶々に飽きたのか逃げられたのか、狸擬きがトコトコ戻ってきたけれど。
「……?……フーンッ!」
ない眉を寄せ短い足で、ザッと後退った。
狼たちも気付けば敷物から遠退いている。
「の?」
『匂いが……』
『あまり好みません』
「フゥン……」
確かに香りは薄荷のような匂い。
とりあえず千切りつつ花をむしると、ボールに落としていく。
男も千切るのは手伝ってくれるが、
「混ぜるのは君がいい気がする」
「の」
我ながら小さな手で花弁を掴むと、
「ぬぬ?」
あっという間に溶けてとろりと液体になっていく。
「???」
また籠に花を詰めて戻ってきた茶鳥曰く、そのまま足して大丈夫だと言うため、男に千切ってもらいモニュモニュしていると、鳥の3往復目でボールがいっぱいになってきた。
「簡単の」
とろりと粘液性のある白っぽい液体。
『花自体に凄く力があるので、余計な加工は必用ないのですよ』
液体を3つの瓶に移して、蓋をする。
『できましたか?』
「出来たの」
遠巻きに見ていた2頭と1匹が敷物に戻ってきた。
ただ、疑うわけではないけれど。
「試す機会がないの」
『私が怪我をした時に、旅人が危険を承知で花を摘み、この足に塗りつけてくれたので、効果は保証します』
よく見せてもらうと、足の一部が少しだけ色が白い。
その旅人も、残りは小瓶に詰めていたと言う。
「交渉のネタにはできるかの?」
『存在を知っている者ならば、相手はどんな条件でも飲むでしょう、寿命の半分ですら、差し出してくるかと』
それはいいものを手に入れた。
季節は問わず、気儘に、稀に雪の中にも咲いていると。
けれど、人が現れる様になると途端に枯れる。
なんと、一夜にして枯れると言う。
「摩可不思議な花の」
『えぇ、とても』
謎は多いけれど、今は確かに我等の元にある。
「お茶でも淹れようか」
「の」
男がコンロを出し、
「狼たち、お主らはクッキーよりも、おにぎりが良いの?」
握ってきたおにぎりと、買ってきたクッキーを広げる。
『はい、私はその、おにぎり、を頂けたら』
『僕も』
「鳥、そなたはどうする?」
『おにぎり?が気になります』
「甘くないが良いかの?」
『えぇ。……これは、本来は食事として頂くものでしょうか?』
「そうの、パンの立ち位置の」
隣でぺたりと座り込む狸擬きは、真剣にどちらにするか悩んでいるため、
「お主は我とクッキーを噛っておけの」
前足に持たせてやると、案外おとなしく噛っている。
『弾力があるというか、ねちねちしていますね』
首を傾げながら咀嚼する鳥は、不味いとは言わずに、
『ううん、豆も慣れない味ですね』
と、最後まで首を傾げていたけれど、一粒残らず食べている。
お茶を出し、カップとカフェオレボウルに注いでから、我は煙草を吸う男の膝に収まる。
『あなた方は旅を続けるのですか?』
茶鳥に聞かれた。
「そうの、村の祭りが終わったらの、山を越えたお主のいる街の方へ行こうと思っているの」
『それはいい、大きく栄えてますよ』
『人も明るいです、いいところかと』
狼たちも行ったことがあるらしい。
男に伝えると、男もそうかと楽しそうに頷いてくれる。
「ふぬ。では、向こうには、甘いものはどんなものがあ……」
る、と聞き掛けるも。
1羽と2頭が、残り1つになったおにぎりを見て、それぞれ遠慮し、手を出したいけれど出せないでいるらしく、多くの視線がおにぎりに向いている。
「鳥、帰ったらまたポルボローネを作ろうの」
季節外れの胡桃が少し落ちていた。
拾って帰ればいい。
『胡桃ですか、楽しみです』
「だからそれは狼等で分けるの。……狸擬き、お主にも帰ったらまた握るから今は我慢の」
爪先を咥えて眺めているため止めると、男の身体が小さく揺れ、
「の?」
「君はとても立派なお姉さんだな」
二つに結った髪をするりと掬われる。
「そうの♪」
しばしまったりしてると、馬たちが戻ってきた。
「馬用の水は用意出来ていない、戻ろうか」
「の」
男は下りは登りでは跨がらなかった馬に乗り、 また狼たちが先導してくれ、ゆっくり山を降りていく。
降りる時、胡桃を拾いつつ、耳の短い兎などがちらほら視界に入ったけれど、基本食べ物が賄えている季節は、無駄に狩ったりはしないと言う。
ポーンポーンと我を乗せ、跳ねるように山を降りる狸擬きはとても楽しそうだ。
「フーン♪」
自分だけでも楽しいし、主様といても、仲間がいても楽しいと言う。
降りた麓の湧き水から馬が水を飲み、村へ戻り馬を馬舎へ、狼たちは狼舎へ向かい、我等は村の中心へ向かうと、村長が男を待っていた。
村の中心は祭りの飾り付けが始まり、男がアイスクリーム屋を指差し、村長は頷き、男に抱っこされた我を見て、すまないとでも言うように、頭に手を当てて苦笑いする。
男をまた拘束するからだろう。
席に腰を下ろすと、鳥は、
『チーズケーキが好きです』
とテーブルに座る。
狸擬きと我はアイスクリーム。
今日は山苺が混ぜられて、ほんのり桃色が見た目にも愛らしい。
アイスクリーム屋の娘は、ニコニコと男に話しかけている。
けれど。
(こう、なんと言うのだろうの……)
確かに好意は見える。
のだけれど。
(あれの、ここに飛ばされる前に聞いた言葉、拾った雑誌で知った言葉の)
「推し」
と言う言葉が近い気がする。
(隣に立ちたいのではなく、見上げていたい、といえばいいのだろうか)
狸擬きが毎夜眺めている折り紙の存在と、若干似ている様な。
(……いや、似てないような)
狸擬きは元姉の自室の棚に折り紙を並べている。
あれも偶像の一種。
我は、崇めるものはなかった。
我を作ってくれた何者かの存在のことは、たまに考えることはあったけれど、別に崇める対象ではない。
そんなことよりも。
(ふぬ、今日もアイスクリームは大変に美味の♪)
男が村長と話ながら、我の口にチーズケーキを運んでくる。
「あむぬ」
チーズケーキも、美味。
外を歩いていた旅人がこちらに気付き、手を振りつつ店に入ってきた。
男が話を中断すると、胸ポケットからメモを取り出して何か書き、旅人に渡している。
(何の……?)
旅人は、自分の胸を指差し苦笑いし、メモを指先に挟み出て行く。
「?」
男は、また村長と話を続けながら、残りのチーズケーキを我の口に運んでくる。
茶鳥は食べ終わるとテーブルから椅子に降りて、椅子の上で嘴で丁寧に毛繕いを始め、狸擬きは空になった器をじっと眺め、男と村長もほどなくして話は終わり、村長は、また村人に呼ばれ席を立つ。
「あの旅人に買い物を頼んだよ」
男はさらりと笑う。
「……お主は案外人を使うの」
「暇そうだったからな」
そうの。
「旅人、あれは何をしておる?」
国の方に戻るのではなかったのか。
「あぁ。戻るのはやめて、祭りに便乗してやってくる行商人から旅の道具を買って、花の国まで行く気らしい」
ぬぬ?
「花の国の?」
さすがに驚いた。