100粒目
鳥の依頼に応えるために、まずは色々用意しなければならない。
暇なので、と茶鳥も付いてくる。
まずは姉のいる狼舎へ向かったけれど。
(ぬ、言葉が通じないのだったの)
鳥と流暢に話せるため、一瞬忘れていた。
描いて見せるかとも思うけれど、我の拙い画力だと、あの泡立て器も、虫でも描いたのか、とでも思われそうだ。
狼舎の掃除をしていた姉は、こちらに気付き柵の外にやって来ると、多分、
「どうしたの?」
と訊ねてくれながら、屈んで視線を合わせてくれたけれど。
「何でもないの」
とかぶりを振って手を振って、茶鳥と、道具がありそうなアイクリーム屋へ向かう。
すると、
「のっ!」
アイスクリーム屋の娘の父親、店主が客と話しながら、ボールに、生クリームと思われるものを入れて泡立て器で掻き回していた。
「のの、それの、それはどこで売ってる、手に入れたのの?」
と指を差して声を掛けるも、店主は、
「?」
と我を見て、うーんと首を傾げた後。
小さなスプーンで生クリームを掬うと、
「ぬ?」
我の口に運んでくれた。
「あむぬ」
(……ぬふん♪)
口の中に広がる甘いふわふわの雲。
大変に美味で、頬に両手を当てると、店主もニカッも笑うけれど、違う。
そうではない。
「……どうした?」
不意に、背後から耳に心地よい、今は少し怪訝を含んだ男の声。
「のの」
言葉が通じる。
それは、ただ1人。
「の、良いところに来たの」
男は我を迎えに行く途中、店先にいる、我の小さな後ろ姿が見えたと。
とりあえず茶鳥を交えて、アイスクリーム屋のテーブルに腰を落ち着けると、男はチーズケーキ、我はアイスクリーム。
茶鳥は、あまり食べないチーズケーキがいいという。
カフェオレを3つ。
我の分はミルク多め。
男に話をすると、
「そうだな、確かに道具集めからだな」
男も、似たようなものは食べたことはあるかもしれないけれど、少なくとも村では売っていない。
今は祭りの前で行商人が多いから、道具ならもしかしたら、誰かしらが運んできているかもしれないとも。
「ふぬふぬ」
気は逸れど、まずはティータイムから。
アイスクリームは今日は、鈍い緑色に黒い粒々、キウイのソースがかかっている。
昨日のブルーベリーといい、これらは隣の国から運ばれてきたものを、ジャムにして保存していたものだと、男伝に教えてもらう。
「ぬー♪」
(甘酸っぱさがまた美味の)
『チーズの菓子は新鮮です』
茶鳥も嬉しそうに食べている。
苦手ではないらしい。
「すり鉢は売っているのの?」
「安くはないけれど職人が作っているよ。ただ、行商人が持ってきてるかはどうかな……」
確かに、外れも外れの辺鄙な村で、買う者がいるかは定かではないし、わざわざ運んで来ているかは賭けでしかない。
こん棒で転がして、押し潰した方が早いのか。
けれど、すり鉢は他にも使えそうで、そういう意味でも手に入れたい。
店を出て男に片腕で抱っこされると、反対側の男の肩に茶鳥が留まる。
すれ違う村人に、男が多分、今度は鳥使いにでもなったのかと、からかわれている様子。
男が馬車に乗る行商人に声を掛けては、首を振られ馬車は通りすぎて行き、それでもたまに馬車は停まり、小麦粉や茶色い砂糖、なんとアーモンドも売っていたため、全て買わせて貰う。
泡立て器などは、どうにも運良くちょうど金物屋が来ており、必要なものを買い揃えられ、一度姉の実家へ戻る。
バターはアイスクリーム屋で分けて貰えた。
再び広い通りに出ると、先刻の金物屋の行商人が男に声を掛けて来た。
今、村に入ってきた行商人が、皿などの食器を売っているから、もしかしたら、すり鉢などもあるかもしれないと。
その行商人は大変に細身、しかし骨だけは妙に太そうなお爺だった。
男、我と男の肩に乗る茶鳥を見てニカリと笑うと、馬車を停め。
「珍しいものを抱えておるな」
とでも言っているらしい。
男は苦笑いで返し、すり鉢などの有無を訊ねている。
お爺は考える顔をして、何やら交渉しているらしいけれど、何を言っているのか分からない。
『あなたは、この人間の男の言葉だけは通じるのですね』
鳥にそうに問われる。
「そうの」
『不思議ですね』
「不思議の」
「すり鉢はあるそうだよ、すりこぎも一緒に」
お爺が馬車から身軽に降りる。
「条件はなんの?」
「質のいいナイフが、岩の街のナイフが欲しいと」
「ふぬ」
妥当だろう。
男は我のものに対して、出し惜しみなどはしない。
端から見た時に、その対価が全く釣り合っていなくとも。
お爺は今日からしばらくここに泊まると言う。
しかしあの宿ではなく、いつも世話になっている村の人間の家に泊まると。
お爺の馬車に乗せて貰い姉の実家へ向かうと、馬車を停めてお爺が荷台へ向かう。
男が我を下ろしてから、鎮座している我等の荷台へ向かい、柵の下げられたお爺の荷台を覗くと、木の器や皿が多く、匙も纏められている。
陶器は当然頑丈に梱包されており、お目当てのすり鉢は陶器で出来ており、小柄で形はころりと丸く。
「のの、愛らしくて良いの」
とても気に入った。
男が、鞘に収められた小振りなナイフを持ってきた。
お爺がためつすがめつ眺め、うんうんと頷き、男に握手を求めている。
お爺にすり鉢で何をするのかと聞かれているらしく、男が話すと、お爺が、
「作ることに参加はしないけれど、作るものに興味がある」
と部屋に付いてきた。
広い水場のテーブルで、さっそく砂糖を細かい粉状にし、アーモンドも粗めに細かくする。
男にオーブンの火を点けて貰うけれど、やはりあの万能石を上下に入れて火を点けるタイプ。
すでに柔らかいバターに砂糖を混ぜ、小麦粉に細かくしたアーモンドなどを入れて生地をまとめ上げ。
(ほうほう、ここまでは案外あっさりの)
そして。
「お主らも丸めるのを手伝うの」
茶鳥には頼まないけれど。
バターを塗った鉄板に並べ、初めて使うオーブンに滑らせ、3人と1羽で狭い隙間から中を覗き込めば。
徐々に、小麦と砂糖にバターの焼ける匂いが部屋に広まり。
「のの……」
オーブンは、焼き上がりの音や時間の設定など何も出来ず。
「そろそろかの」
適当に扉を開いて、分厚い鍋掴みで取り出してみれば。
「ぬ……?」
思ったより丸っこくなく、半円形に近くなってしまったけれど。
『これです、この形です』
どうやら、間違ってはいないらしい。
網の上で冷まし、ボウルに入った少し荒い粉砂糖でまぶせば。
『凄いです、これです!』
その場でホバリングする茶鳥。
「君は玄人なのか?」
男にも、驚かれたかれど。
「きっとあれの、びぎなーずらっく、初心者に与えられる幸運の」
そしてお爺が手を伸ばしてきたけれど。
「これはこの鳥のものの」
シッシッと手を振って払い、皿に盛り鳥の目の前に置くと。
鳥は嘴で器用に摘み、鳥の癖にもぐもぐと咀嚼?をし飲み込み。
『そうです、これなんです!』
何なら以前のより美味しいです!
と、まぁ何とも大袈裟とも思える嬉しい感想をくれる。
どこぞの食い意地張な狸と違い、大人な茶鳥は、
『皆様にも』
とアーモンドボールを勧めてくれ、お爺が手を伸ばし、紅茶を淹れていると、お爺が何か男に訊ねている。
いつもの、あの娘は会話はできない、獣たちとは、ほんの少しの意志疎通ができる、のやりとりだろう。
匂いにつられたのか、いや狸擬きでもないため、たまたまであろう姉が顔を覗かせ、お爺の姿に驚きつつ、挨拶している。
小さな村、やはり顔見知りらしい。
姉もポルボローネと言う、あまり馴染みのない菓子に目をパチパチさせながらも、
「とても美味しい」
と食べてくれ、なんと言う名前か男に訊ねている模様。
そして、珍しく、食い意地の権化改め狸擬きが姿を現さぬのと思いつつ、鉄板を冷まし、
「もう一度焼こうの」
と、バターを量っていると。
「フーン?」
『甘い香りですね』
『バターの香りもする』
山から戻ったらしい2頭と1匹の声。
しかし姉に順に足を拭かれ、部屋に入ってきた狸擬きの首から下げる風呂敷はパンパンのまま。
「ぬ?どうしたのの?」
腹でも壊したかと風呂敷を外すと、
「のっ?」
そこにあるのはおにぎりではなく、赤い苺がたんまり。
春苺が山に生えていたからお土産として採ってきたと。
大変に嬉しいけれど。
「山は村の管轄のものではないのの?」
『この苺は山の上の方に生えていました。人間は上の方までは行かないので、全く問題ありません』
と青年狼。
それならば。
「ありがたく頂くの」
狸擬きは、すでにテーブルの椅子に座り、スンスンとポルボローネに鼻を寄せている。
ついでに短い前足も、そろそろと伸ばしている。
「すまぬ、二度目を焼くから、少し狸擬きにも分けてやって欲しいの」
『えぇ、えぇ、勿論』
狸擬きは、茶鳥の許可を得たため、ぬーと前足を伸ばし、爪で取ると口に運び、ソクソクと小気味良い咀嚼音を立て。
「フーン♪」
後ろ足をパタパタ動かし喜んでいる。
美味しいらしい。
狸擬きと鳥が何やら話だし、姉が狼たちにポケットに忍ばせていた干し肉を与え、なんだか賑やかである。
今度は狸擬きに姉も加わり、生地を丸め、二度目を焼き終えると。
お爺が、
「祭りまではいるから、またゆっくり品物を見に来てくれ」
と帰っていく。
ちゃっかり、くしゃくしゃの紙にポルボローネをいくつか包んでから。
「鳥の、お主はどうするのの?」
『大爪鳥の鳥舎に小鳥たちの鳥舎があるので、今夜はお邪魔させて貰います』
「では、これは土産の分の」
布に包むと、残り少なくなったポルボローネの皿を狸擬きがじーっと眺めている。
『本当にありがとうございます、山への案内は必ず』
「の、また明日の」
姉も帰ろうと立ち上がったものの、狼たちは床にぺたりと寝そべりのんびりしているため、小さく笑いながら、狼たちをお願いしますと、1人で隣に帰っていく。
勿論、その姉にも土産のポルボローネを持たせ。
そして荒い粉の砂糖だけが残る空になった皿を見て、狸擬きが前足をテーブルに投げ出し、突っ伏している。
(おっと、そうの)
そうだ、肝心な事を男に伝え忘れていたと、茶鳥の礼の花の事を男に話せば。
「山か」
「の、行きたいの」
「俺も行く」
まぁ予想はしていたけれど。
「徒歩の?」
「馬で上がれる」
確かに低い山ではあるし、男の乗馬の技術はある。
白い花の話は、やはり男も知っていたけれど。
「花も、加工品も見たことはない」
らしい。
話しながらも、同じテーブルで狸擬きが、
「とても悲しい、もっと食べたい」
と前足をタンタンとテーブルに叩き付けては、鼻をスンスン鳴らしてくる。
うるさくて仕方ない。
「仕方ないの」
三度目のポルボローネ作りで、さすがに材料は空っぽになったけれど、狸擬きは、目の前のポルボローネに、黒いお目目をキラキラさせている。
「食べ過ぎに気を付けるの」
「フーン♪」
気付けば、外はもう真っ暗になっていた。
青年狼がピクリと耳を立て、
「?」
客人かと思ったら、姉が、
「食事の用意が出来たかので良ければ」
と、なんと食事を作ってくれていた。
この姉のような気遣いは、我がこの先もどんなに長く生き永らえようが、一切持ち得ないもので、感心を越えて尊敬の念を持つ。
村長を始め、男が放っておくわけがないのに1人でいるのは、姉自身が語っていた通り、1人でいることが好きなのだろう。
姉には、この2頭をはじめとし、
(狼という、立派な騎士たちもいるしの)
案外、姉と我は、似ている部分もあるのかもしれない。
夜。
以前、岩の街で、家のような宿に泊まったけれど、ここは本当に余所様の家。
寝るにはどうかと思ったけれど、住人の物がないせいか、特に何も感じず。
「姉が朝から仕込んでいたと言う骨付き肉の煮込みが美味だったの」
「美味しかったな」
我たちの眠る寝室に、狸擬きはいない。
狸擬きは、元姉の部屋のベッドで眠っている。
早々と、
「自分だけの個室」
に、鼻高々と向かって行ったのだ。
「君は凄いな」
「の?」
「お菓子まで作れる」
「あれは、とても優しい初心者向けのお菓子だったの」
「それでもだよ」
「美味の?」
「俺のためだけに作って欲しい」
「ぬぬん、お主は甘味より煙草が好きなはずの」
「君の作るものは別格だ」
なら。
「煙草を作ればもっとの?」
「葉の収穫からしなければならないな?」
顔を見合せて笑い、足先をシーツに擦り付けると、胸に抱かれる。
額を頬を擦り付けると、髪を指先で梳かれ。
「君は魅力的だ」
「の……?」
唐突であるの。
「行商人の子供も、君に見惚れていた」
なんの話の。
「昨夜の食事中だ、君は所作も綺麗だから」
「ののん。あの王子や、姫を見ていたからの」
面倒に感じる事もあったけれど、細々とした利点もあった。
「わけありのお嬢様やお姫様と思われているかもしれない」
「のの……?」
どこぞの里ともしれない、親も何もいない、まさに、
「どこの馬の骨とも知れない」
を地で行く妖怪、半獣なのにの。
大変な皮肉の、と眉を寄せてくくっと笑うと、
「……君が」
「……?」
「君が自分に何を思おうとも、俺にはお姫様だ」
笑いもせずに顔を覗き込まれ。
「……ぬ、の」
「……」
灰色の瞳でじっと見つめられれば。
(ふぬ……)
そうの。
そうだった。
(我は人で)
更に、お姫様でもあるらしい。
「ではお主は、我の従順な従者であり、騎士でもあるの」
肩書きが多い。
「あぁ」
外から、少し離れた川の音が聞こえ、小豆を洗えていないと思う。
そんな意識を別に向ける我に、男は大きく息を吐き出し、一拍置くと。
「君の血は、唾液は、俺の身体に全身に巡っている」
「の」
「でも、心には干渉してこない」
「の……」
「俺は俺のままで、君をずっと愛しいと思っている」
頭のてっぺんに男の唇が触れた。
「ぬ、ぬぅ」
「……思っているよ」
声が降ってくる。
「そ、そんな事は」
と、とうに知っているのと、顔を上げ、唇を尖らせてみたけれど。
男は、ちらと目を開くと、
「そうか」
と柔らかく笑い、目を細めている。
「ふぬ」
さもそれっぽく頷いてみたけれど。
しかし、本当は。
(そ、そうだったとは……)
全く、
(知らなかったの……)
「……」
半分くらいは、吸血鬼で言う、眷属的なものもあると、正直思っていた。
でも。
男から否定された。
(ぬぬ……)
それは何とも、とても面映ゆく、けれど決して悪くはない、こそばゆさ。
それを小さな小さな胸に抱えたまま、そっと目を閉じると、額に唇を触れられ。
(ふぬ……)
おやすみの合図だと解る。
部屋が暗くなり、男に髪を梳かれるままに力を抜くと、睡魔が今日もやんわりを我を覆い飲み込み、今日も村で過ごす1日が終わる。