生還
エドワードが出立して二週間。
アレクサンダー侯爵家屋敷の執務室では、ドレスを身にまとい、指や首を宝石で着飾った女性が勝ち誇ったように嫌味を口にしている。
女性はクレイグの正妻である『ロージー』。
「突然『冒険に行きたい』だなんて言って、野垂れ死ぬなんて、本当に頭の悪いガキだったわね。まあ、目障りなのがいなくなって、せいせいするけど。そうでしょ、あなた?」
「……そうだな」
クレイグは適当に相槌を打ちながら、一見淡々と業務を遂行していた。
しかしよく見れば、ペンを持つ手が小刻みに震えている。
クレイグの座る机の前には、涙目のアリスが俯いていた。気分が暗く、落ち込んでいるのか、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「でもまあ、さすがは『穢れた血筋』と言ったところかしら。勝手に町から遠い森で迷子になって、そのまま行方不明になっちゃうなんて。教養深い貴族と違って、やっぱり愚かな平民生まれは無知なのね」
「……」
ロージーは鼻で笑う。
もちろんクレイグの動揺には気が付いており、エドワードがいなくなって気が良いのと同時に、クレイグのその態度が気に食わないでいた。
(ふんっ、そんなにあのガキが心残りなのかしら。たかが娼婦の子でしょうに。そんなにあの女が忘れられないの? 体しか価値のない平民の女はこれだから……)
だから、エドワードは目障りな存在だった。
娼婦との子ができたということだけでも気に入らないというのに、クレイグの強行によって生かされているというのも気に食わない。
もちろん家族の一員として扱うことなど決してしないが、事実としてエドワードはクレイグの息子である。それはロージーとエドワードが親族関係にあるということであり、貴族こそを史上とし、平民は愚物であるとする思想を持つロージーにとっては許しがたいことだった。
ましてや、卑しき娼婦の子であれば猶更である。
そんな中で、エドワードが外出するという話が耳に入ってきたのは嬉しい知らせだった。
結果としてエドワードは人里から遠く離れた森で遭難し、今も音沙汰はない。
クレイグの目を誤魔化すのに苦労し、様々な人物に根回しを行った甲斐があったというものだ。
(それに、わざわざ自分から遭難しに行ってくれるなんて、随分都合がよかったわね。死にたがっていたのかしら)
人づてに話を聞いたところ、森に行くことはエドワードの希望だったらしい。
相当に頭が悪かったのか、自ら死にたがっていたのか。
いずれにしてもロージーには都合がよかった。
(まあ、子供の足じゃ脱出できない程度には森深くに捨てたみたいだし、疲れて野垂れ死んだか魔物に食い殺されたんでしょう)
ロージーは一先ず思考を切り替える。
……次はあのガキの世話をしていたメイド見習いを虐め倒してやろうか。どうせ平民の生まれであるし、クレイグがエドワードを気遣って宛がったメイドというだけでも虫唾が走る。
「まあ、あなたも内心せいせいしているでしょう? あんな碌でもない生まれのガキがいなくなって。いくら従者と言っても、仕える相手くらいは選びたいわよねえ」
ロージーは表面上は優しい笑顔を浮かべてアリスの顔をのぞき込んだが、内心ほくそ笑んでいた。
十と少しの少女だ。
少し嫌味を言えばすぐに泣きだすかと思っていたが、存外、アリスの目は据わっていた。
「いえ。主人の生まれがどうであれ、私はただその方につくすだけ。ましてや、エドワード様は常にきん勉で思りょ深く、私はそんなあの方がほこりでした」
「……」
望んだ答えが得られなかったことに苛立ったのか、ロージーは口元を歪める。
さらに何か嫌味を言おうとしたのか口を開いたが、クレイグが手を挙げてそれを制した。
「……さて、アリス君、だったか。エドワードの専属メイドとしての仕事をやり遂げたこと、実にご苦労だった」
「……」
アリスは深く会釈をする。
「早速だが、君の新しい配属先を……」
そう言ってクレイグが資料を取り出したとき。
部屋の外から慌ただしい声が聞こえた。
クレイグ直属である壮年の騎士がドアを素早く開ける。
「なんです。ノックもしないで。それがアレクサンダー侯爵家に仕える騎士の礼儀ですか?」
ロージーが目障りそうに注意する。
「いったいどうしたのだ?」
クレイグが事情を問いただすと、騎士が口を開いた。
「それが―――」
◇
俺がベッドで目を覚ますと、くしゃりとした泣き顔のアリスが抱き着いてきた。
「うわっ!?」
「良かった……目を覚ましてくれた……このまま起きなかったら、どうしようかと……」
締め付けられながら首を回して周囲を確認すると、木製の壁。
どうやら無事に家に帰れたみたいだ、とひとまず安心する。
「悪い。心配をかけてしまった……あと、ちょっと苦しいから離してくれると嬉しいんだけど……」
「……イヤです」
ぎゅっ、とアリスは俺を抱く力を強める。
少し大げさな気もするが、なんだかんだアリスは専属メイドとして俺と七年もの間一緒に暮らしてくれている。母を亡くし、父と普段関わることのない俺にとって、彼女はもう家族みたいなものだ。
俺だってアリスがどこかに失踪してしまったら相当心配するだろう。
あの時付いてこようとしたアリスを家に置いて行った後ろめたさと、人に抱きしめられて少し安心したのもあって、俺はしばらくそのままにしておくことにした。
少し経って、アリスは体を離す。
俺が起き上がると、体の節々に焼けるような痛みが走った。
「いてっ」
自分の体を見ると、至る所に包帯がまかれている。
あれだけ激しい戦いのあとなら当たり前か。
「……それにしても、一日いなくなったくらいで大げさだな」
苦笑いを浮かべると、アリスは頭の上に疑問符を浮かべた。
「一日? 何の話です? エドワード様、家から出ていったっきり二週間もの間いなかったんですよ?」
「二週間!?」
思わず聞き返した。
体感的にはどう考えても一日経っているかどうかだったはずだ。
アリスは涙を拭いながら俺がいない間の出来事を話す。
「森林地帯を探索しに行ってそのまま行方不明になったって……捜索隊も組まれず、人里からも遠い森だったからどこかで死んだんじゃないかって言われてて……」
「ああ……」
なるほど、分かってはいたが俺の行き先が伝わっているあたり、やっぱり俺を置いて行ったのは俺を排斥したい屋敷側の人間だったらしい。
とはいえ、これは俺の失態でもある。父にダンジョンに行くと言っていたのに、嘘をついて人気のない森林地帯に行っていたのだ。
屋敷側の人間からしたら実に好都合な話だっただろう。
「私も探しに行こうとしたんですが、エドワード様が行方不明になって間もなく屋敷に召集されまして……」
「まあ、あそこに来てたらアリスにも危険が及んでたし、結果的にはお屋敷に感謝かもな……」
「むッ、人の気も知らずに……」
「ごめんごめん」
俺が家に戻って気を失った時、騎士たちが家から家具を外に運び出している最中だったらしい。おそらく俺は死んだことにして、アリスには新しい就職先でも話していたんだろう。
今思えば、あの騎士たちは俺の死を望んでいる勢力ではなかったのか、もしくは俺が生きていると思っていなかったのか、きちんと気を失った俺をこうやって生かしてくれたが、俺が生きていたことを屋敷に報告せずそのまま殺されていた可能性もあったわけか。
そう考えると、運が良かったのかもしれない。
「というか、結局アリスの勤め先はどうなるんだ?」
「そうですね。何はともあれこうやってエドワード様は無事だったので、変わらず奉仕させていただくことになるかと」
「いいのか? その……俺はよく思われてないから、お前の評判にも関わってるだろ? 俺のとこで働くよりお屋敷で働いた方が、出世も早いんじゃ……」
アリスは頬を膨らまして抗議の意を示す。
「……それ、長年仕えた従者に言います?」
「……ごめん。でも、ちょっと気になっちゃって」
アリスは顔を逸らし、深くため息をついた。
「……いいですか? 確かに、最初は嫌でしたよ。立派なお屋敷に勤めることができると期待していたのに、当主様直々に割り当ててくださったお仕事は暗い男の子のお世話。しかも、一年間口も聞いてくれないので、心が折れそうになりました」
「それはすまん……」
正直、小さいころのあれはただの八つ当たりに近かったから、いつ聞いても申し訳なく感じる。
「でも、こうやって話せる関係になって、とても嬉しいんです。その、私が一方的に思ってるだけかもしれないですけど……」
アリスは顔を赤らめて、一言。
「友達、ですから」
「……」
友達。その一言に一瞬言葉を失って、
「……ぷっ、は、はは……!」
「なっ……! 笑うって酷くないです!? こっちは勇気を出していったのに……!」
アリスは頬を膨らませて反論する。
「仕方ないでしょ……! こっちは五歳のころからお勤めしてて、同年代の友達なんていなかったんですっ!」
「いや、違うんだ。俺はアリスにいっつもお世話されてて、迷惑をかけてばかりだから、友達なんて言われるとも思ってなくて……! ……友達って言われて、嬉しいんだ。俺も、同年代の友達なんて一人もいないし」
そうして、俺はアリスに精一杯の笑顔を向けた。
「いつもありがとう。アリス」
アリスはボッ、と火の付きそうな勢いで赤面する。
「ま、まあそれで良しとしてあげます」
アリスは何やらもじもじとした様子だったが、すぐに落ち着いた雰囲気に戻った。
「とにかく目が覚めてよかったです、エドワード様。―――どうかゆっくりお休みください」
そう言って、アリスは部屋から出ていった。
アリスの言う通り、傷もまだ痛むことだし、しばらくは休んでいた方がよさそうだ。
ところで。
「―――さて、悪いが説明してもらっても? こっちはあんまり理解が追い付いてないんだ」
俺はテーブルの方に目を向ける。
―――そこには、ニヤニヤとした表情を浮かべた黒髪の少女が行儀よく座っていた。




