家と女子(おなご)~其の玖~
花絵は夫・幸助の妾達が産んだ子どもを全て育てました。
幸助の子どもを身籠ることは叶わなかった花絵でしたが、雪絵が産んだ子どもとたきが産んだ子どもを育てています。
雪絵は三度目に出産の後、産後の肥立ちが悪く寝付く日が続き命の灯が儚く消えたのです。
最期に雪絵が残した子ども二人を初めて雪絵の部屋に花絵は連れて行きました。
舅も姑も最期の時まで「雪絵が母だと話さないように!」と言いましたが、花絵はその言葉に従いませんでした。
「雪絵さん、幸太郎さんと治男さんです。
大きくなったでしょう。
とても元気ですよ。」
「幸太郎さん、治男さん。
貴方達を産んでくださったお母様ですよ。
お母様にお顔が良く見えるように
もっと近くで…。」
雪絵は言葉も出ずに、ただ涙が頬を伝っていました。
幸太郎と治男は混乱して泣きながら同じ言葉を繰り返しました。
「お母さんじゃない。」
雪絵を傷つけて、幸太郎と治男をも傷つけたのだと花絵は思いました。
子ども達にはもっと大きくなってから話したほうが良かったのだと思いましたが、雪絵の最期が近いと思った時に「会わせたい。」という気持ちが沸き上がり、その想いが「真実を話してしまった。」のです。
この後しばらくの間、幸太郎と治男は花絵の傍から離れたくないようで、花絵に抱き着いたり、花絵の膝に座ったりして甘える日が続きました。
たきはその後3人子どもを産みました。
たきが産んだ子どもは1男3女でした。
その内、女子1人が1歳になってから間もなく風邪をこじらせて短すぎる一生を終えたのです。
たきが産んだ子ども達全てを花絵が育てたました。
幸助は隣町へ足が向かなくなった頃、姑が血を吐いて倒れました。
末期の胃がんでした。
身体が瘦せ細って、食べることが出来なくなっていたのです。
姑に胃がんに良いと言われて温泉水を飲ませたりしましたが、倒れてから2か月ほどで姑は亡くなりました。
姑が亡くなってから2年後に舅が倒れました。
脳卒中でした。
妻を亡くしてからの舅はいつも物思いにふけって煙草で畳を焦がしたりしていました。
まるで妻の後を追うように、倒れた後そのまま舅が息を引き取ったのです。
舅も姑も長患いではなかったので、嫁としての花絵の看病の日々は短く終わりました。
舅と姑の夫婦の距離は近かったのだと花絵は思いました。
「夫婦の体温」を舅と姑の最期の姿を見て花絵は感じました。
たきへの幸助の気持ちが薄れた頃に、幸助はたき以外に妾を囲うようになったのです。
たきが住んでいた隣町の別宅以外に新しく家を幸助は購入したようでした。
そこに住んだ新しい妾は茶屋の女中で、名前はまさです。
まさも子どもを2人産みました。
その子どもも花絵が育てたのです。
幸助の気持ちが離れてしまって数年経ってから、たきは小さな店を持つ商人の後妻にと嫁いでいきました。
「旦那様、たきさんの嫁ぎ先は旦那様のお仕事に関わる方だと聞きました。
旦那様からのお言葉で嫁ぐことになったのでしょうか?」
「…そうだが…。」
「まささんをお迎えしたからでしょうか?」
「たきにはその方が良いと思ったからだ。
花絵は気にかけずとも良い。」
「…分かりました。
嫁がれる前に子どもたちを連れて、たきさんに所に行って参ります。」
「わざわざ行かなくても良い。
子ども達にまた言うのか?
たきが実母だと…。」
「はい。」
「子ども達に可哀想なことをしたのではないかと悩んでいたのは誰だった?
花絵、君じゃないか!」
「はい。思い悩んでおりましたが、それでも良かったのではないかとも…。」
「…子ども達のことは君に任せているが、実母を教えて何になる?
子ども達は君を母だと信じて疑っていないんだよ。」
「私の我儘です。どうかお許しください。
最後に会ってもらいたいのです。
もう二度と会うことはないでしょうから…。
子ども達は幼くて、たきさんに会ったことさえ忘れてしまうかもしれません。
『お母さん。』ということを受け入れられなくて泣いて…。
しばらくの間、私の傍から離れるのを怖がると思います。
幸太郎さん、治男さんの時のようにしっかり支えます。
産んだのは雪絵でしたが、母として育てているのは私です。
しっかり抱きしめて私の『あなたたちが大切』という気持ちを…
分かってもらえるように努めますから…
お許しください。」
「…もう何を言っても駄目だよね。
君は穏やかで控えめな妻だけど、このことに対しては折れないね。
…好きにしなさい。」
花絵は「ありがとうございます。」と頭を下げました。
たきが隣町の家を出る2日前に花絵はたきが産んだ子ども達を連れて行きました。
たきは花絵の「この方がお母さんですよ。」という言葉に驚きながらも感謝していました。
それでも、はっきり言ったのです。
「お坊ちゃま方のお母様は私ではありません。
奥様がお母様です。」
花絵が子ども達を連れて家を出る姿を…
その後姿を…
見えなくなるまで、たきは見ていました。
泪で袖を濡らしながら…。
明治時代の二つの戦争、日清戦争、日露戦争を経て、大恐慌が日本を襲うまでは幸助の会社は拡大し続けていました。
ただ、日清戦争、日露戦争では男子を2人失ったのです。
3男・治男とたきが産んだ4男・四郎が戦死したのです。
治男の出征の時も、四郎の出征の時も、花絵は実母の写真を渡して送り出しました。
そんな花絵に治男も四郎も言ったのです。
「僕の母親は、お母さんただ一人です。
お母さんの写真を持って行かせてください。」




