金木犀の香り~その6~
特攻で戦死した人のご遺族からの手紙で、夫婦は俺達夫婦や兄夫婦、そして、かっちゃん夫婦のような夫婦だけではないと知った。
かっちゃんの残したたった一つの命。
その子を俺たち夫婦は育て始めた。
幼子の名前は厚子さんが付けた。
その名前は克矩から一字取った克幸だ。
『幸あれ』と願った厚子さんの心を俺は感じた。
それを言うと、まさは「『幸多かれ』でしょう。」と言った。
克幸は知らない人に知らない所へ連れて行かれたこと……。
何よりも母親が居ないこと……。
母を恋しがって泣いてばかりいた。
そんな克幸にとって、兄の子ども達の存在が一番大きかった。
それは、克幸のこれから先も大きな存在になるのだろう。
兄の子ども達と仲良くしている時間は見ていて微笑ましかった。
泣いている克幸の傍で一緒に泣いてしまった兄の下の子……。
初めはそんな様子だったのが、日にちが経つにつれて遊ぶようになったことは本当に嬉しかった。
兄の上の子は一番年長らしく遊んでやったり、泣き止むように宥めたり抱きしめてくれていた。
その姿は俺にとって優しかった兄の姿だった。
あれからの兄は日常を穏やかに暮らしながらも、戦場の悪夢からは逃れられなかった。
そんな兄の苦しみを一番近くで見続けた兄嫁の辛さは一言では言い表せない。
国の戦争は終わっても、兄にとっても俺にとっても終わっていないのだ。
夫婦で初めての子育てに躍起になっていた頃、手紙を貰った。
手紙の主は、特攻で戦死した人のお母さんだった。
前に最後の姿を伝えたくて訪問させていただいた一軒だった。
訪問した時に、俺は線香を上げさせていただけて申し訳なさと共に感謝を抱いたのだ。
どのご遺族も「最後の様子を聞けて嬉しかった。」と仰ってくださった。
この方も同じだった。
だが……。
手紙の内容は、息子の妻が家を出たことを記されていた。
まさに行くことを伝え、返信の手紙には「伺ってお話をお聞かせいただきたい旨」を記し送った。
伺う日を決め、まさに話すと「一緒に行かなくても良いのか?」と聞いた。
俺は克幸の面倒を見る人が居ないと困るから「家に居て欲しい。」と頼んだ。
取り合えず伺うことが先決だと思った。
母と兄に手紙を見せると、「早く話を聞いた方が良い。」と「家のこと、田畑のことは一日二日お前が居なくても良い。」と言ってもらえて、俺はその方の家に向かった。
俺の母と同じ年恰好のお母さんだ。
どんなに息子の帰りを待ちわびたのだろう…と思うと、また涙が自ずと流れた。
隣には妹さんが居て、その両の腕に特攻隊員が残した一粒種の幼い女の子が包まれていた。
話すお母さんの声は涙で終始震えていた。
「この子が息子が残した『文子』です。
嫁が東京で仕事をすると言って……
この子を置いて出て行って……
それから、音信不通だったのですけれど……
手紙が届いて……
アメリカさんと結婚してアメリカに行くと……
この子を連れて行けないと……
そっちで育てて欲しいと……
会いにも来ないと……
……この子は…父親を亡くして……
母親に捨てられて……
親が……もう…のうなった…のです。
嫁が出て行ってから……娘が…息子から見たら妹ですけど……
娘が育てていたのですけれど……
この子にやっと縁談が来た…のです…。
けれども、『文子がいるから嫁がない。』って言うんです。」
「当たり前でしょう。
お母さん、体の具合がずっと前から悪いから…」
そうお母さんに向かって言った妹さんは俺に向き直して言った。
「私しか居ないから…当たり前です。」
お母さんの話によると、「親族の誰が説得しても嫁がないという気持ちは揺らがなかった。」そうだ。
お母さんは戦争前から弱く、「今まで生きてこられたのが不思議なくらいだ。」ということも伺った。
自分の老い先が短く、孫を成人まで育てるのは困難だと思うが、娘に委ねるのは娘の人生を潰してしまうと恐ろしく思うことも話された。
妹さんは「兄が兵隊に志願してくれたことで貧しかった私たちの家が人並みに暮らせることが出来たから、兄の恩に報いたい。」という気持ちも伺った。
お母さんが俺に手紙を書いたのは、俺がかっちゃんの息子を育てていることを俺が手紙で知らせたからだ。
お母さんは、俺なら「誰か孫を育ててくれる家族を紹介してくれるのではないか…。」という期待をしたのだということだった。
妹さんは大反対のようだったが……。
俺は家族に相談するために一旦辞した。
家に帰り、先ずはまさに話すと、まさは「育てたい。」と言ってくれた。
母と兄、そして兄嫁にも話して、「駄目。」だと言われたら…と不安の方が大きかったが話さないと先に進めないのだ。
母は「何を言ってる。克幸が来たことで食い扶持が増えたのに、また増やすのか。」と反対した。
兄はそんな母を諫めるように「子ども一人増えたからと言って、そんな大食漢じゃないですよ。母さん。まささんが育てると言ってくれているのに水を差したら駄目ですよ。」と言ってくれた。
兄嫁も「まささんの気持ちが一番です。」と言ってくれた。
母一人の反対だったこと、何よりも今の戸主である兄が賛成してくれたことで、文子を引き取って育てることが決定した。
文子を引き取って育てる…。
その日、俺はまさと一緒に迎えに行った。
まさが克幸から離れるのは初めてで、家を出る直前、克幸は泣きだしてしまった。
まさの膝あたりに抱き着いて離れようとしなかった。
そんな克幸を見て、まさは涙を流して言った。
「待っててね。必ず帰ってくるから……。」
泣きじゃくる克幸を兄嫁がまさから引き離して抱きしめた。
「『行ってらっしゃい。』って……ね…。」
克幸が小さな声で言った。
「…行ってらっしゃい…。」
「行ってきます。」
今度の「行ってきます。」は、あの時と違うのだ。
戦地に赴く時の「行ってきます。」とは…。
戦争が終わってから何度か家族に言った「行ってきます。」…。
その「行ってきます。」の度に、あの時とは違うのだと思う。
戦後生まれた子ども達には俺や兄、かっちゃん、そして戦死した戦友達が家族に言った「行ってきます。」を言わなくても良い国にしなければと改めて俺は思った。




