ポケットの中の想い
明治時代の子爵・三島彌太郎と妻・信子のエピソードを後妻・加根子の心の中の言葉で描きました。
有名なエピソードで、徳富蘆花が小説『不如帰』のモデルです。
部屋のドアが開き執事が入ってきて「奥様、旦那様が…。」と聞いてから、夫の亡骸を見てからも、私の時間は止まったままでした。
時間が動いたのは夫の上着の内側のポケットの中を見たときでした。
「やはり…。
これで、やっと貴方はあの方のもとへ行くことが出来たのですね。
離縁されてからも、亡くなってからも想いを寄せ続けられた貴方…。
私はそんな貴方だからこそお慕いしていました。」
夫は二度の結婚をしました。
華族である夫も、私も、最初の妻である信子様も…
皆、家が決めた結婚でした。
信子様とはたった2年ほどの結婚生活だったと聞いています。
きっと信子様との婚儀の後も、私との婚儀の後と同じように貴方は仰ったのでしょうね。
「縁あって貴女は私のもとに嫁いでくれました。
妻になってくれた貴女を、私は大切にいたします。」
その言葉通りに側女を設けることが当たり前の華族にあって、貴方は妻だけで過ごしてくださいました。
本当に大切にしてくださいました。
でも、時々思ったのです。
「もし、信子様が肺結核などに罹らなかったら離縁されてなくて…
私とは縁がなく、私は他の方のもとへ嫁いでいたのでしょうね。
私は信子様にも貴方にも…悪いですが…。
信子様が肺結核を理由に離縁されて…
その後妻に私が選ばれたことを幸せだと思っております。」
貴方は肺結核に罹った信子様との「離縁をしたくない。」と仰ったのですね。
そう聞きました。
貴方は信子様の最期の日まで夫婦でいたいと思われていたのですよね。
信子様と別れたくなかった貴方は周囲の説得を拒み続けていらっしゃった。
でも、子を授かっていなかった信子様を離縁し、子を授かるために再婚をするように繰り返し説得する周囲の言葉を受け入れざるを得なかったのですよね。
信子様も、貴方も別れたくなかったのに別れさせられたと聞きました。
どんなにお辛かったか…。
そんなお辛い気持ちを押し殺して、貴方は私を迎えてくださいました。
そして、私を大切にしてくださいました。
子ども達を心から愛してくださいました。
でも、貴方の心の中には信子様がいらっしゃいました。
私との婚儀の後に貴方は「大切にする。」と仰った時に、もう一つ仰いましたね。
「私は貴女と夫婦になる前に信子という女性を妻に迎えていました。」
「はい。存じ上げています。」
「信子との結婚も離縁も家によって決められたことでしたが…
私は信子との離縁を承諾できないまま離縁し、
そして、貴女を迎えました。
貴女のことは心から私のもとに来てくださったことを感謝しています。
感謝し大切にすると約束します。
ただ、信子の身を案じていますので、信子を見舞うことを
お許しいただきたい。
決して貴女をないがしろにするつもりはありません。」
「分かりました。どうぞお見舞いください。」
「ありがとうございます。
感謝します。」
貴方は離縁した信子様のお見舞いに一月に一度行かれましたね。
でも、その回数は増えませんでしたね。
信子様は離縁後1年経った頃に天に召されましたから…
貴方はお見舞いに行くことが叶わなくなってしまった…。
「お願いがあります。」
「はい。何でしょうか?」
「信子の墓へ詣でることを許していただきたいのです。」
「貴方のお気持ちは存じています。
どうかお気兼ねなく詣でてください。」
「ありがとう。感謝します。」
信子様が離縁後に亡くなられた後に、貴方は一月に一度信子様に会いに行かれましたね。
信子様のお墓の前で貴方はどういうお気持ちでいらっしゃたのか…。
その想いは私には分かりません。
貴方の上着の内ポケットに信子様のお写真が入っていることに気づいたのは、私が嫁いで間もなくだったのですよ。
ご存じでしたか。
貴方は離縁した後、信子様のお写真を肌身離さずお持ちだった…。
そんな貴方だからこそ私は貴方をお慕い続けたのです。
お慕いしていました。
今も…。
いつの日か…
私もそちらに参ります。
どうか私のことをほんの少しで良いのです。
覚えていてくださいまし。
お傍に参った時には私の名前を呼んでくださいまし。
貴方、心からお慕いしていました。
このお話はこれで終わりです。
次からは昭和の夫婦を描きます。




