家と女子(おなご)~其の拾~
息子を二人戦争で失った幸助と花絵。
涙にくれる花絵の身体に病魔が忍び寄りました。
長女の明子は嫁ぎ、子宝にも恵まれて横浜で暮らしています。
幸太郎も結婚し、今や一児の父です。
明子も幸太郎も幸助が決めた人との結婚でした。
花絵は後の子ども達には恋愛結婚をしてもらいたいと思うようになっていました。
好きな人と一緒になることの方がきっと後悔しないのではないかと思い始めたからです。
幸助が好きな人を妻に迎えていたなら、きっと妾を何人も求めなかったのではないかと思うようになったからです。
幸助は今も若い妾を以前たきが暮らしていた隣町の別宅に住まわせています。
まだ子宝には恵まれていませんが、近いうちに恵まれると花絵は感じています。
嫁いだたきは後妻として先妻が残した子ども達を育てながら、2人の子に恵まれて暮らしていると幸助が雇っている弁護士から花絵は聞きました。
花絵はたきがどのように暮らしているのか気にかけていて、弁護士に聞いたのです。
たきのこと、明子のこと、幸太郎のこと…
つつがなく暮らしていることは花絵の心を癒していました。
そんな穏やかな日々に幸助と花絵は二度の戦争により治男と四郎、二人の息子を亡くしたのです。
戦死とはどういうものなのか…を二人の息子の死をもって知った幸助でした。
勝利を祝う提灯行列も空しく映りました。
死に目にも会えない。
どんな状況で命の最期を迎えたのかも分からない。
元気で行った息子が遺骨すらなく帰ってきたのです。
与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」という歌が痛む胸に響きました。
「覚悟など出来ていなかった…。
手柄を!と言って送り出したけれど…。
僕は分かってなかった。」
「旦那様…。」
幸助は仕事にのめり込みました。
仕事をしている時に一瞬気持ちが戦死した息子たちから離れられたのです。
涙しか出なくて一日を何とか過ごしていた花絵は長男・幸太郎の嫁に「お姑様」と声を掛けられるまで、ぼんやりと庭を眺めていました。
子ども達は両親を気遣ってくれました。
「心優しい嫁で良かった。」と思う花絵でした。
同じ屋敷に住んでいる嫁は戦死のほうが届いてから何かと気を紛らわせることが出来るように声を掛けてくれました。
咳が続き、食も細くなり、痩せてしまった花絵でしたが、周囲も花絵も治男と四郎を失ったことによる気落ちだと思っていました。
血を吐くまで…。
花絵は自分の手の中の血を見て、「もう残された時間は短い。」と思いました。
誰にも何も告げずに病院へ行き診察を受けました。
肺結核だという診断でした。
「労咳と呼ばれていた病魔に罹ったのだから…
もう長くないですね…。」
花絵が自らの病気を知った日、幸助が台湾に行くことを家族に告げました。
「ときえを連れて行く。」ということも告げたのです。
「ときえ」は隣町の別宅に今住んでいる幸助の妾でした。
齢17歳の娘です。
周囲の驚きを遠くで起きているように感じながら、花絵は「いってらっしゃいませ。」と言い、幸助を見送ったのです。
その後の花絵は幸太郎だけ自室に呼びました。
「幸太郎さん、私はもう長くありません。
肺結核に罹ってしまいました。」
「…本当ですか?
どこの病院で診てもらったのですか?
もう一度…
お母さん、もう一度診てもらいましょう。
…うん、それがいい。」
「幸太郎さん、もう診ていただかずとも診断は変わりませんよ。」
「いいえ、お母さん。
もう一度、僕と一緒に診察を受けてください。
お願いします。」
「幸太郎さん、これから私が言うことは必ず守っていただきたいのです。
遺言です。
必ず守って…。」
「あ母さん…。」
「私はこれから別荘で暮らします。
誰も来てはいけません。
幸太郎さん、誰にもうつしたくないのです。
分かりましたね。」
「……。」
「私の部屋の品ですが、全て処分してください。
肺結核の患者の品ですから、焼却処分が妥当でしょう。」
「……。」
「私の身体のことは誰にも知らせないでください。
勿論、お父様にもですよ。」
「……。」
「私が死んだ後のことですけれども、弁護士の片桐さんに全てお任せしています。
葬儀はなく荼毘にふすだけにしてもらいたいことも片桐さんにはつたえています。」
「……お母さん。」
「お父様にはお帰りになってから伝えてください。
その頃には、もう私はこの世にいないでしょうから…。」
「……お…母さん…。」
「すべては片桐さんに任せて、貴方達は家と仕事を大切にしてくださいね。
何よりも身体を大切にしてくださいね。」
「お母さん、僕は…。」
「幸太郎さん、貴方はこの家の嫡男です。
後のことは頼みました。
あすの朝、出て行きます。」
「お母さん、お見送りさせてください。
お願いします。」
「駄目ですよ。今この場でお別れします。
育てさせてくださって本当にありがとう。
さようなら。」
「……お母さん…。」
花絵は子ども達の出勤、登校を見送ってから、誰にも何も言わずに16歳で嫁いでから長い年月住んだ屋敷を後にしました。
振り返らずに…。
その双眸は前を見ていました。




