DESPEDIA-6
文明開放からしばらくして、政府はいまだ過去の風習・文化を維持する地方にも洋風文化を普及させることを決定。
他国に自国の発展度を見せるために行われた政策だが、それが元でとある地方では暴動が起きたという。
なんとか下に降りることは出来たが、どうやら俺たちの他に別の人間がいることが分かった。しかし、同じ階にいたのに、どうして最初見つけられなかったのだろうか。
疑問は尽きず、解決策はない。
「渚の笑顔でも見たいなぁ」
渚。ああ渚。いつまでも、どこまでも一緒にいたい。
「そう、一緒にいたい。いつでも、どこでも。でも、勘違いはなしだ。何も裏はない。誓ってない。本当だ。嘘じゃあない。渚に嘘をついたことが一度でもあった?いいや、ないはずだ。当然だな。誠実。それは心の奥底の奥底、魂の根本の根本から、好きで、好きで、愛して、愛して、愛しすぎている人に対するとき、必然的に身につくものだ。その人の前で誠実じゃないのだとしたらその愛は偽り。または裏があるに決まっている。しかし!俺はどうだ?ラヴ・マックス。もちろん俺は渚を愛している。愛する渚に嘘はつけない。俺が君に言う言葉は全て真実だ。ああ渚、片時も離れたくないのに、今の状況はどうだ!渚さえいればこんな状況でも、どんな状況でも絶対平気なのに」
「ゆうなぎ、気が狂うのはせめてここから出た後にしましょ」
上月が呆れたように言った。
俺はそんな上月を、正面からじっと見つめる。
「な、なあに?」
上月は照れたように、着物の袖で顔を隠した。
「ふっ。やっぱり、見た目が渚でも心が違えば魅力はガタ落ちだな。何故ならば、そう!俺は渚の心と体の両方を等分に愛しているから。俗な愛じゃない。真実の愛。ラヴなのだから」
「現実逃避もそこそこにしなさい」
上月はぺしんと俺をはたいた。仕方がなく、ギアを変える。
「また、降りるための道を探さないといけないわね」
降りてすぐの場所にも階段があったが、途中で煉瓦の壁が出来ていた。壊そうとするまでもなく、無理だと判断した。
この階の廊下も、上の階とほとんど同じ。けれども、上の階に理科室があったことから、同じ場所に特別教室があるかと思ったのだが、正真正銘の壁しかなかった。変わった作りだ。
さっきと同じように探索していく。部屋……いや、学校だったことは明白だ、教室内は、上の階より荒れていた。
この調子だと、下はもっと酷そうだ。
「ゆうなぎ、ゆうなぎ」
上月が廊下から俺を呼ぶ。教室内で砕け散った黒板を眺めていた俺は、上月の所へ行く。
「足跡があるわ。わたしたち、まだ、あっちには行っていないのに」
見ると、積もった埃に足跡が浮かんでいる。確かに、誰かが歩いて行ったようだ。
「ゆうなぎが見た人ね、きっと」
上月は楽しそうに言った。
「追ってみよう」
教室の探索を打ち切って、足跡を追う。教室には入らず、直線で続いていく。
俺が見た人影と足跡がイコールなら、どうやって下に降りたのか。同じルートを使ったにしても、まったく音がしないのはおかしい。
俺たちだって、カーテンをロープ代わりにしたが、それなりの音を立てた。
そろそろ真ん中、という所で足跡はぷっつり途切れた。
「そんな、バカな」
どこかに上る場所もない。そして、この先にはなんら変わった所はなく、灰色の埃の絨毯が広がっているのみ。
「そうだ、始まりは、どこからだ」
慌てて今来た廊下を引き返す。
足跡の始まりは、俺たちが追い始めた教室前から唐突に始まっていた。
「そんな、バカな」
足跡どおりなら、ここにいきなり現れて、さっきの場所でいきなり消えたことになる。
そんなわけがない。そんな芸当が、できるわけがない。
「上月、どういうことだ?」
「わからないわ」
上月は人事のような反応を返した。全く、おちょくっているのだろうか。
「埒が明かない。足跡の先に行こう。教室の探索は後回しだ」
また、戻る。足跡を追っていった廊下。行きと戻りで、四つの足跡が埃の上に刻まれている。
四つ?
「おい、あの足跡が消えてるぞ」
初めに追っていた足跡は、綺麗さっぱり消えていた。
唇をかむ。
どうなっている。
頭がどうにかなりそうだった。
「とりあえず、向こうの端まで行く」
上月は無言。けれども顔は笑っている。
ため息をついて、歩みを再開。
やっぱり何者かの足跡は消えており、俺と上月の足跡のみ残っていた。
「ここは、窓ガラスが生きているな」
「本当ね。板も、外側に打ってあるわ」
足を止めて、二人で窓を見る。窓の向こうから、俺と上月がこちらを見ていた。
「鏡みたいね」
「そうだな」
窓の向こうの俺は苦々しい顔をしていた。反面、窓の向こうの上月は穏やかな表情だ。
「行こう」
また、歩き始める。
半分までくる。今度は、さっきまでは埃が一面に積もっていた廊下の真ん中に、足跡が出来ていた。
不可能だ。戻るときも、時折後ろを振り返った。誰も、何も見ていない。どうなっているんだよ、本当に。
「帰ったら、渚に思いっきり甘えよう。そのぐらいしないと、ここでの不幸と釣り合わない」
「ふふふ、わたしに甘えてもいいわよ?」
「浮気はしない」
真ん中より、向こうに足を踏み出す。
得体の知れないものが歩き回っているこの階。
こういう恐怖には、慣れない。
無言で廊下を進む。窓の方を見ると、向こうの俺もこちらを見る。やっぱり、苦い顔。
足跡は、向こう端と真ん中の中間あたりでまた途切れた。
もう、本当に考えるだけ無駄だ。
「ドラキュラでもいるのか?足だけ出して、他は闇に」
「フラド・ツペシュ?いるわけないわ、彼は外国人よ」
俺のぼやきに、上月が反応する。
「誰だ、それ」
「フラド三世。1431年から、1476年。通称、ドラキュラ公または串刺し公。ツペシュとは、串刺しの意味。1460年頃から、串刺し公と呼ばれ始める。ドラキュラの元となった人よ」
上月は得意そうに話した。
「詳しいな」
「帝都一の外国学者はわたしよ、ゆうなぎ」
よく分からないが、上月は誇らしげに言った。
ドラキュラ談義をしていると、端が見えてきた。
この階の特別教室は、図書室。
中は、酷い有様だった。両方の壁は大きくガラス張りで、生きてはいたが外から板を打ちつけられていた。本棚はひっくり返ってなお壊され、本は床板が見えないくらいに散らばっている。唯一まともに立っているのは、扉のガラスが全て砕けた棚ぐらいだった。後は、全て倒壊。
強い地震の後でも、こうはならないだろう。
気が引けるが、本を踏みながら中央あたりまで進む。そこより奥は倒壊した本棚の森だった。
「酷い有様だな・・・」
上を見ると、天井にも穴が開いていて、上の階の床板?が見えた。
今まで見た中で、紛れもなく一番の崩壊っぷりだった。
「ゆうなぎっ!後ろ!」
上月が鋭い声を出す。それと同時に物音。慌てて振り返ると、狂気の形相の、着物を着た女が本を蹴散らし俺に向かってきていた。
「うわぁっ!」
女は俺の顔に手を伸ばす。
それを反射で動いた腕で受け止める。それでも女は速度を緩めず、ぶつかる様に俺と密着する。
「顔!顔!お前の、顔を、私に、寄越せぇ!」
大きく見開いた、血走った眼と、ガチガチと鳴らす歯。
女性とは思えない剛力に、受け止めた腕に食い込む女の爪。
女というより、鬼だ!
「顔だ!顔だ!お前の顔がほしい!」
叫びながら、いっそう増す力。
こちらも全力を出すが、足元にも及ばない。
「上月、助けてくれ!」
鬼の背後にいるはずの上月に、助けを求める。ヒヒ、ヒヒとヤバげな笑いをしながら、鬼は俺を追い詰めていく。
「ゆうなぎ、あたっても怨まないでね」
場違いなほど落ち着いた声で、上月は言った。
意味を考えるまでもなく、理解した。
「ぐげっ」
醜い声とともに鬼は俺を突き飛ばして顔を覆う。
上月が投げた辞書が顔に当たったのだ。
「助かった、上月」
俺は慌てて上月と合流する。
「どういたしまして。今のうちよ、ゆうなぎも投げて」
言いつつ、上月は二冊目を投げる。鬼の足に命中。
確かに、気絶くらいはさせておかないと、危ないかもしれない。俺は足元の辞書を拾い、投げた。
「ごっ!」
ちょうど、鬼が顔を上げたところに命中。
同時に、何かが崩れるような音がした。
床板か?
「ああ、ああ!顔、私の、顔!」
こちらを睨み付ける鬼の顔は、酷かった。
左半分、ほとんどない。
壊れた人形のようにも思えた。なんてアンバランス。
鬼の足元には、義顔とでもいうのか、顔を形作っていたものが壊れて転がってた。
「かぁあぁあぁおぉおぉ!」
咆哮。あまりの迫力に、全てを忘れる。正に、野獣の咆哮。
「ゆうなぎ!」
上月の声を聞くのと同時に、背中に衝撃。
「がぁっ!」
唯一無事に立っていた、あの棚に押し付けられたということは、一瞬遅れて理解した。
「顔、寄越せぇ・・・」
半顔で俺に迫る鬼。さっきとはまる違う、強大な力。押し付けてなお、棚を倒す勢いで俺を押してくる。
「くそ、う・・・」
悪あがき。思いっきり、鬼の足を蹴り飛ばす。
それは悪あがきに収まらず、有効打撃になった。鬼は再度ひるみ、俺を解放する。
俺は距離を取ろうと、入口に逃げるが、鬼は逃がさす、また組み付いて、押してくる。
「あがっ!」
鬼の力にあがらいきれるはずもなく、今度は壁に押し付けられる。頭がガラスにぶつかり、意識にノイズが走る。
「顔、貰ったぁぁぁ!」
がばっ、と鬼が顔を上げ、俺の顔を直視。そして、腕を伸ばす。
しかし、その腕は顔ではなく、ガラスを叩いた。なんとか顔を逸らしてよけたのだ。
「あ、あ、あ、鏡、鏡!」
突然鬼が怯えだす。なんだ?
せっかく捕まえた俺を、鬼は放り出し、無茶苦茶に暴れ始める。
「ゆうなぎ、一旦逃げましょ」
上月は駆け寄ってくるとそう言い、手を引いて図書館から俺を連れ出した。
「あああああああああ!」
廊下の、真ん中あたりまで下がったが、いまだ鬼の咆哮と、暴れまわる音が響く。
情緒不安定すぎだろう。痛む腕をさすりながら思った。
「竜胆」
ぽそ、と上月がつぶやく。
「りんどう?」
「え?聞こえたの?」
上月はこちらを見た。いまだ鬼の暴れる音が響く。
「あの、女の着物の柄よ。竜胆だった」
上月は図書館の方を向いて言った。
その顔は、暗い笑みをたたえていた。