DESPEDIA-3
鏡に神様が宿るなら。私の願いを叶えて頂戴。
鏡に悪霊が宿るなら。私の願いを叶えて頂戴。
何時も何時も貴方を覗く、私の姉さんを×して頂戴。
何時も何時も貴方に映る、私の姉さんを×して頂戴。
いいじゃない、どうせ姉さんは病気なの。
いいじゃない、どうせ姉さんは治らない。
ずいぶんと埃っぽい空気だ。何年掃除をしなかったら、これほど埃がたまるのだろうか。
「姉は血を吐き涙を流す、
ひとり地獄に落ちゆく姉よ、
地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くは妹か、
鞭の朱総が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、
無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、
金の羊に、鶯に」
近くで声が聞こえる。渚の声によく似ているが、金属質のような、冷たい音がノイズのように混じっている。
「皮の嚢にやいくらほど入れよ、
無間地獄の旅支度。
春が来て候林に谿に、
暗い地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、
可愛い姉の眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に
妹恋しと声かぎり。
啼けば反響が地獄にひびき、
狐牡丹の花がさく」
何とも物騒な歌だ。立ち上がろうと腕に力を入れると、鈍く痛みが走った。
「地獄七山七谿めぐる、
可愛い姉のひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、
針の御山の留針を。
赤い留針だてにはささぬ、
可愛い姉のめじるしに」
歌は続く。俺は痛みを押し切り、立ち上がった。
「あら、起きたの」
半分残骸のような椅子に座ってこちらを見ていたのは渚だった。けれども、普段の渚とは違い、冷たい眼と、暗い雰囲気を持っていた。
あたりは、さっきまで居たごく普通の教室ではなく、廃墟だと確信を持って言えるほど、ぼろぼろで、埃っぽくて、机や椅子の残骸、砕けたガラスや植木鉢、腐った床板、朽ちた土、カビだらけの壁、極め付けに、窓の内側に無数に打ち付けられた板と御札。
紛れもなく廃墟だった。
割れた黒板や、作りから察するに、学校だったかもしれない。
「いちのたに、ゆうなぎ。でいいのから。わたしもこんなことは初めてでね」
渚(?)はゆらりと立ち上がった。
紺の制服は着ておらず、代わりに鮮やかな朱色の着物を着ていた。
この、暗く汚れた廃墟で、朱色の着物は異様なまでに眼に入る。一種誘蛾灯のようだった。
「渚?」
俺は訝しげに彼女を呼んだ。今の状況と相まって、俺の頭は混乱し切っている様だった。
「違うわ。わたしは上月よ。渚じゃないわ、ゆうなぎ」
「こうづき?渚じゃない、のか。ここはどこだ?何なんだ?お前は誰だ?」
上月と名乗った女性は、どう見ても渚にしか見えなかったが、目つきや雰囲気、声の質は違っていた。
まるで、何者かが乗り移っているようだ。
「ふふふ、混乱しているわね、ゆうなぎ。これは夢よ。一時のまどろみに現れる泡沫の世界。何も心配はないわ。落ち着きなさい」
上月と名乗った渚はくすくすと笑いながら言った。
このリアルさは夢とは思えないが、ひとまず俺は上月の言うことに従うことにする。
本当に、わけが分からない。目の前だけを見つめよう。
上月を信じるなら、これは夢なのだから。
「とりあえず、ここから出たらどうかしら。ここから出る頃には、あなたの夢も終わるんじゃないかしら」
「言われなくても、こんな廃墟からは、一刻も早く出たい」
上月は相変わらず、くすくす笑いながら「そうね」と同意した。
とりあえず、この部屋を出る。
元はスライド式の木の扉は、腐食して半分に割れ、半ば床にめり込んでいた。
廊下も大体教室と同じような感じだった。やっぱり窓の内側に板が打ち付けられ、外は見えない。おまけに御札が何枚も、乱雑に貼り付けてあった。不気味だ。
「何かをここに封印でもしているのか?」
御札を一枚はがして見てみると、達筆な字で「急々如律令」と書いてあった。なんと読むのだろう。俺の知識にはなかった。
「さあ?」
上月は気のない声で答えた。
一番端の部屋から出てきたので、廊下が続く方に歩く。
途中の部屋も覗いて行ったが、特にこれと言って変わったことはない。どこも変わらずぼろぼろだった。
時折砕ける床板に気をつけながら探索していく。なかなか長い廊下だ。目測三十メートルは歩いたが、まだ先二十メートルほどある。
「長いな」
「そう?」
上月は、意味のない会話には乗ってこないようだった。なんとも淡白な女だ。
結果、ぎしぎしと床板がきしむ音だけが響く。
こういう無機質な音でも、場の雰囲気と合わせると、なんとなく怖くなってくる。それを会話で紛らわせようとしたのだが、上月が乗ってこなければそれも出来ない。一人でべらべら喋るマネは出来ないし、馬鹿みたいだ。
「やっと端ね」
端まで来たが、突き当たりに部屋があるくらいで、特に何もない。俺は御札をはがして、紙飛行機にして飛ばして気を紛らわせた。
「この部屋、理科室みたいよ」
上月が指差した入口上部に木の札がある。朽ちかけているが、墨で書かれた字は読めた。
「入る?」
上月が楽しそうな声で俺に聞く。こいつは本当、なに考えているのかさっぱりだ。
目線で答えて、俺と上月は理科室に入る。
理科室は、他と比べるとまだ原形を保っていた。それでも、アルコールランプや、人体模型の破片が散らばっている。
「気をつけろよ」
思わず声が出た。上月はぽかんとした後、不自然なほどにこやかに笑った。
「ありがとう、ゆうなぎくん」
「嫌がらせか、上月」
渚そっくりだった。こいつは性格が悪すぎる。見た目は渚なので、精神に大ダメージだ。
思わずくらりときた。こうかはばつぐんだ!と言ったところ。
「嫌がらせだなんて、ゆうなぎくんひどい」
「お前のほうがひどいわ」
急激に疲れを感じて、俺は幾分マシな状態を保っている机に座り、ため息をついた。
「疲れたの?」
「誰かのせいでね」
上月はごそごそと物音を立てながら、理科室中を漁っていた。
俺はその様子をただなんとなく眺めていた。
「何もないわ」
「何があるって言うんだ」
確かに、何を求めて理科室に入ったのだろう。
理科室を出る。
「階段も、梯子も降りるための物は何もわね」
「降りようがないな。」
廃墟から出るとはいったものの、もう壁にぶち当たってしまった。やりきれない。
「とりあえず、隈なく探してみたら?」
「何も変わらないだろ」
上月はむっと顔を歪め、次の瞬間にさっきと同じ嫌な笑みを浮かべた。
「お願い、ゆうなぎくん。もう一回しっかり探してみようよ」
渚そっくり。
上月はこういうやつだった。
それで動く俺も俺だった