DESPEDIA-1
鏡は見た物を正確に映す。どんなに醜くても、どんなに美しくても。区別なく、正確に。
見たものの姿、行動を違わず映す。差異なく完全に。だったら、誰も見ていない鏡にはなにが映ってるんだろうね?」
リーダーって言うものは基本的には厄介な役職だ。重要な仕事しか回ってこないし、失敗すれば必然、ひどく叩かれる。
だから、そんな役職をやるのは運のない奴か、よっぽどのお人よしか、どっちかだろう。少なくとも、自分からやる奴なんていないと思っていたのだが。
数日前の出来事を思い出す。文化祭のクラスリーダーだけが決まらず、ぐだぐだとした雰囲気が流れて澱んでいた教室。そんな中、くうくうと寝息を立てていた彼女は、ふと覚醒すると、今の状況を隣の席の奴に聞き、何事か言葉を交わして頷いていた。
そして、他にやることもないのでその様子を眺めていた俺に、大輪の花と見間違うほどに可愛い笑顔を向けてから、シュビッ、と勢いよく挙手をして声も高らかに宣言したのだ。
「私と、夕凪くんでリーダーやります!」
正直、彼女がリーダーに立候補するであろうことは笑顔の時点で確信していたのは間違いないのだが、そこにまさか俺が含まれるとは、皆目見当すらつかなかった。
夕凪……一ノ谷夕凪とは、間違える余地が猫の額ほどもなく俺であった。
さて、この宣言に教室内の鬱屈とした空気はなかったかのように雲散霧消、わざわざしてくれた立候補、自分じゃなければ誰でもよしと言わんばかりに、とばっちりの俺に確認をとることもなく、俺と彼女がクラスリーダーの職を得ることになったのだった。
君子危うきに近寄らず、という言葉があるが、彼女はそれの対極を歩み、危うきあれば突撃せよの精神なのであった。
その精神を彼女は遺憾なく発揮して、俺達は学校全体のリーダーの職までゲットしてしまっている。今やってる仕事も、全体の仕事であり、手が抜けない。
「しかし、九月だと言うのにもう真っ暗とはこれ如何に」
各クラスの出店票を整理しながら俺は呟いた。まだ六時半だと言うのに、四階の我がクラスの窓から見える景色は漆黒だった。
秋の日はつるべ落とし、というがこの日の落ちっぷりは半端ではない。
こう暗くてはもう帰りたいのだが、整理中の出店表がそれを許さない。これを読んで、大まかに教室配置だけはしておかないと、全ての作業が大幅に滞ることになる。この仕事の担当は俺ではなく彼女なのだが、ご本人は俺の膝でくうくう寝息を立てている。
彼女。ごく普通の女性を呼ぶときの人物代名詞。または付き合っている女性のこと。俺の発言の意味を言えば後者になる。彼女をフルネームで言うならば禅樹渚。奇特な苗字だが、割と古い家だかららしい。渚の見た目は、もう、すっごく可愛い。素晴らしい。優しげな瞳とか、ちょっとたれ目な綺麗な目。小さくて整った耳。つやつやの唇。ほんの少し赤っぽい柔らかいほっぺた。髪は肩にかかるくらいの長さで、薄い茶色。最高級の絹のような、いや、それ以上にサラサラで、金糸の様。もうべたぼれなのだ。
そんなわけで、渚の言うことならば、ほいほい従ってしまうのである。
うにうにとか、意味もない声を上げて寝ている渚の頭を撫でながら、黙々と出店表整理に精を出す。割と重要な位置にある出店表だが、裏に落書きがされていたりしている。重要と言う認識が足りていない。大丈夫なのか?
そんな事を思いながら、整理完了。
「終了ッ!コングラッチュレーション!」
「れいしょん〜」
終了の叫びは、二人でだった。
渚は何もしてないでしょ?
「おはよう、夕凪くん」
ぴょこん、と彼女は跳ね起きて、ポケットから漆塗りの黒い鏡を取り出して、寝癖チェックを始めた。
「おはよう。いい鏡持ってるな」
「このまえ蔵で見つけたの。なんか、高級そうな箱と紙に包まれてた」
「ふーん。まあそれは置いといて。暗くなったし帰るよ」
わかったよ、と渚は後ろのロッカーに荷物を取りに行った。軽くなった膝が少し寂しい。とは言ってももう七時。外は漆黒。
流石に校内に残っているのは宿直の先生くらいだろうか?
見つかると厄介だな。
そんな取りとめもないことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。渚か。
「準備でき……」
言葉を発することが出来たのはそこまでだった。強制的に、何者かに体の支配権を奪われたように、声が出ない。いや、声が出せない。
意識が濁る。精神が揺らぐ。
混濁する俺の目に映っていたのは、意識が落ちる前に何とか俺が見たのは、白い、シロイ、紅い、アカイ、黒い少女。