最後の心臓
金曜日の夕方の事だった。私は森の入り口に捨てられたバラバラ死体を発見した。
「これは…女の死体?」
魔女である私は喜々としてそれをじっくり観察した。人の不幸は大好きだ。だが転がった頭部を見て、はっとした。
「あ、この三つ編みは」
月のように白い頬に、伏せられた漆黒の睫、血がこびり付いて固まった三つ編み。栄養不足なのか、体はどの部位も小さ目だ。見覚えがある。この子は、少し前に私のもとを訪ねてきた娘だ。
「薬を下さい、どうしてもあの人と思いを遂げたいのです」と。
この誰もが恐れる森に入って、私を見つけ出して薬をせがむとは大した小娘だ。だけど、彼女のいう事を聞いてやる義理もない。人間は嫌いだ。ことに幸せそうな人間は。私はローブで隠した顔の下であくびをした。
「ふうん、それであんたは、私に何をくれるんだ?」
彼女はまっすぐな目で私を見た。
「なんでも。私が差しだせるものなら」
「ふぅん…」
私はしばし考えた。
若い娘の身体は、貴重な材料になるものが多い。血、髪、内臓…。
「じゃ、心臓をもらおうか」
私がそういうと、娘は青くなった。
「全部とは言わない。半分でいい。それで3色スミレの露より強い恋薬をあんたにやるよ」
そういうわけで、彼女は半分の心臓と引き換えに私の薬を得て、頬を赤くして帰っていったのだ。
「それが、なんでこんな事になっちまったんだろう?ふふふ」
私は目を閉じた彼女の首を眺めて首をかしげた。答える人はいないのだが、長年一人でいるせいで、自分に話しかけるのが習慣になっていた。その時、良い事を思いついた。
「そうだ、心臓が半分あるんだ。もしかしたら…この人間を作り直せるかも」
その好奇心から、私は彼女を拾い集めて、重たいのを我慢して家へ持って帰った。
死肉をつなげて、再び命を宿らせるのは大変な仕事だった。失われた部分は他の墓場から失敬し、血は薬と魔力で補った。心臓を全部使うのはもったいなかったので、半分をさらに半分にして埋め込み、一応の完成をみた。
「よし、さぁ…起きな、人形」
私が息を吹きかけると、2つの瞼がパチリと開いた。そうそう、たしか目は青色だった。
「お前、名前は?」
「…ラ…ラ…」
コマドリのような澄んだ声だった。
「ララ、誰がお前を殺したんだ?」
しかし、彼女は首を傾げただけだった。何を話しかけてもそうだった。彼女は、自分の名前しかものを言えないようだった。私はがっかりして不機嫌になった。
(なんだ、これじゃ失敗作じゃないか…せっかくいい材料をつかったのに…)
すっかり興味を失った私は、徹夜で痛む頭をさすりながら一人寝室へ向かった。
起きたら、夕方だった。また何の益もない一日がはじまる。はぁとため息をついて私は身を起こした。顔のローブが落ちていたので、乱暴にそれを引き下げた。たとえ一人きりでも、顔を隠さないと安心できない。
「あ…あ…」
その時ドアの横から声がして、私はびくっと肩をふるわせた。案山子のように、ララとやらが棒立ちしていたのだ。
「…勝手に私の部屋に入るな!ったく…」
無表情なのに、彼女のその目は何かを訴えかけてくるかのようにこちらを見ていた。私は胸のうちがざわざわするのを感じた。もしかして、顔を見られたかもしれない。私はちらりと人形を見たが、何も変わりなかった。
「あ…あ」
「お前、やっぱりそれしか言えないのか」
私が寝室を出ると、彼女もついてきた。工房を見て、私はあっと声を上げた。
机の上は綺麗に拭き清められ、物は整理整頓されている。暖炉の中には、いい匂いのする鍋がかけられてコトコトと音がする。
「これ…お前がやったのか」
うんうんと彼女はうなずいた。
「ふん、余計な事を…」
私は彼女を不気味に思った。なんで部屋の片づけなんか?料理なんか?無視して作業台に向かったが、後ろの視線が気になる。
「…なんでずっと突っ立ってるんだ」
「あ…あ」
何かを言いたそうだった。だけど声がかすれてよく聞き取れない。その様は哀れで面白かった。
「ふふ、何か言いたいのか?」
そういえば、殺された原因を知らない。あんなに頬を真っ赤にして、抑えきれない笑みを浮かべながら出て言った彼女が、なんでバラバラ死体に変貌を遂げたのか。きっと何か不幸な事があったにちがいない。ぜひともそれが聞きたいと思った私は、彼女の顎をくいと持ち上げて喉をよく見た。
「声帯をつなぐのが上手くいかなかったか…どれ」
私はがさごそ棚探しをして、一本の薬瓶を彼女に渡した。
「飲んで。上手くすりゃ、声が出るかも」
彼女はなんのためらいもなく、それを飲み干した。魔法で繋いだ跡がはっきり残る青白い喉が、こくこくと上下した。
「…あ、あ、ありがとう…魔女様」
飲んで一番に、彼女はそう言った。
「か、らだ…治して、いただいて」
私は顔をしかめた。何て能天気な娘だ。
「治したわけじゃない。お前の死体で遊んだだけだ」
「そ…れでも、嬉しい、です」
「ふぅん…お前、なんであんなバラバラにされてたんだ?」
彼女は首をかしげて目をつぶった。考えているようだった。
「ええ…と…あの方のお部屋に行って…その後…うーん…思い出せないです…」
「なんだ、つまらない…」
私は肩をすくめた。だがこの人形はしゃべれるようになった。もっと性能を調べてみたいと興味が沸いた。
「お前、なんで部屋の掃除なんか?」
「私…前はお城で働いていたんです。お料理もお掃除も、お仕事でした」
「ふぅん…じゃ、恋薬を飲ませた相手は、おおかたそこのボンボンってとこか」
私がそういうと、彼女は恥ずかしそうに黙り込んだ。青白い頬が若干色づいている。なんだか面白くない。
「はっ、馬鹿な娘だ。それで殺されてるんだから世話ない」
不機嫌になった私を見て、彼女はおろおろしだした。
「ご、ごめんな…さい」
「ふん。そこ、掃除しておけ」
苛立ちのまま命ずると、彼女はほっとした顔になり、くるくると働き始めた。頭は悪くとも、仕事の腕はそこそこのようだった。
まぁ、女中を手に入れた、と思えば上等か。
そして、私と人形の生活が始まった。掃除に洗濯、それに料理。人形がせっせと毎日働くおかげで、小屋は見違えて綺麗になった。人形があちこち片付けるせいで、ものの場所を彼女に聞かなければならない。自然と会話は増えた。そのうちに彼女の口数は増え、いろいろな事を話すようになった。私は聞き役だった。というか無視してもピィピィしゃべり続けている。
「思い出しました、私みなしごだったんです」
「そうかい」
「はい。それでお城の下働きに拾われて、仕事を覚えたんです」
「運がいいことだ」
私がそういうと、人形は寂しそうに笑った。
「…そうでも、ありません。いっぱい叩かれて、いじめられました。だから私、前は右耳が聞こえませんでした」
「…今は?」
彼女はぱっと笑った。
「それが、聞こえるんです!嬉しいです。魔女様のおかげです」
「…そうかい」
「魔女様は、どこから来たんですか?家族も、すごい魔法使いなんですか?」
それを聞いて、私は首を振った。私の生い立ちもほとんど彼女と同じような物だった。だが私の顔には生まれつき醜い痣があった。だから戯れに顔を切りつけられて、森に捨てられた。ちょうど最初彼女を見つけた時のように。死ななかったのは、森番に拾われたからだ。ひどい男だった。目が合えば殴られた。すっかり人を信じられなくなったある日、流れ者の男が気まぐれに、私に一冊の本を渡した。君みたいな非力な子どもでも、これで人を殺す力が持てるよ。そう言われた私は、死に物狂いで読み書きと、その本に書いてあった技術を習得した。
森番を呪い殺した後、私は人が入りにくいように森に呪術を施した。これで武器を持った人間は入ってこれない。誰にも怯えずに、ここにこもって一生を過ごし、やがて死んで森に還る。
…だが、そんな来歴を人形に話す気はない。
「さぁ、忘れたな」
「そうなんですかぁ…」
人形は残念そうにそう言った。
「でも、すごい人なのは、間違いないですね!私を生き返らせたんですから。もっと大きな街に行って、看板を出してお仕事すれば、きっと王様みたいに暮らせますよ」
「そんなものに興味はない」
「魔女様は、無欲なんですね」
「…お前は欲張りなのか」
彼女はくしゃっと笑った。
「そうかも、しれません」
答えは薄々わかっていたが、私は聞いた。
「何が欲しかったんだ」
「…もう、何も欲しくありません。生き返って、満足です。でもあの、一つだけ…」
「なんだ」
「人形じゃなくて、名前で呼んでほしいです」
その甘っちょろい頼みに、私は露骨に嫌な顔をした。
「いやだ」
「でも最初、呼んでくれたじゃないですか」
「あれは目覚めの確認のためだ」
面倒だったので、私は彼女を追い払った。
しようと思えば、あの口を閉じる事は可能だ。うるさいおしゃべりを聞かなくてすむ。だけれど、面倒を理由に私はその考えを頭の外においやった。
いくつか季節が過ぎて、人形はいっそう人間らしくなってきた。顔の継ぎ目も目立たなくなってきて、もう表情もしゃべり方も普通の娘だ。
(ちょうどいい、追い出そう。この村でなければ、死人だともばれないだろう)
だが、そう思うのに、人形にそれを切り出せなかった。理由は考えたくない。私は無理やり自分を納得させるためにこう考えた。
(…おしゃべりを別にすれば、こいつはなかなか便利だ…あとしばらくは、働かせよう)
暖かい季節になったある日、人形はカーテンや敷物を外へ出し、まとめて洗濯をした。
「そのローブも洗いますよ。かしてください」
「これはいい」
「でも、ずっと着てるじゃないですか、洗った方がいいですよ」
彼女がこちらに手を伸ばしたので、私は思わずその手をつかんで払った。
―顔の傷がバレてしまう。
「きゃっ…」
人形は尻もちをついた。その時強い春風が吹いた。動揺していた私は、風がローブをはぎ取るのを阻止できなかった。
「あっ…」
彼女は私の顔を見て驚いたようだった。私は血の気が引いた。
しかし驚いた事に、人形は目じりをさげて、うっとりしたように言った。
「…隠すから何かと思ったら…こんな綺麗な人だったなんて」
私はあっけにとられた。
「は?何を言って…」
「そのお顔…お城に掛かっていた、聖女様の絵のようです」
私は首をふって、元通りローブを頭からかぶった。
「目がおかしいんじゃないのか。この傷が見えないのか」
何が嬉しいのか、人形は微笑んだ。
「そこだけは、私とおそろいですね」
ほとんど消えた自分の顔の継ぎ目の傷を、彼女は指さした。
その後、私は一人でこっそり小川に向かった。捨てられて長い間、自分の顔など見たことがなかった。なにしろ醜いと言われ続けてきたのだ。わざわざ見たいなどと思えない。
小川の水面から恐々と自分を見つめ返していたのは、長い赤毛を無造作に垂らした女。尖った鼻と顎、悪い目つき。だが気にしていた痣と傷は、うっすらとその頬を走っているだけだった。
(これが…私か?)
人相は良いとは言えない。しかし、思ったほど傷は大きくなかった。普通の人間と大差ないほどだ。私はそのことにショックを受けたと同時に、何か心の底が沸き立つような、不思議な気持ちを感じていた。
(私は…そう醜くなかった、という事か…?)
人形が、それを教えてくれた。彼女がああ言わなければ、私は一生それに気が付かなかったにちがいない。
暖かい春風が森を抜けて、私のすぐ上の梢までも揺らしていた。小川のほとりには柔らかい色の花が咲き乱れている。初めて見るような気持ちで、私は足元のその花を見た。目に染みる黄緑の絨毯の上に、青いニオイスミレが群生している。蝶々のような形のその花を見ていると、ふいに人形の事が思い浮かんだ。
「お帰りなさい、魔女様…えっ、これは…?」
人形は、首をかしげながら花束を受け取った。そして一拍おくれて、ランプが光るようにぱっと笑った。
「私に?!嬉しい、ありがとうございます…!」
人形はいそいそと瓶を取り出し、その花を生けた。どこに飾ろうか、ああでもないこうでもないと言いながらうろうろ歩きまわっている。たかが雑草なのに。…あんまり喜びすぎるので、私はかえってバツが悪かった。でも、彼女がそうしているのを見るのは、悪くなかった。胸のあたりがふわふわと温かくなるような心地だった。人形が喜ぶと、なぜだか自分もいい気分になるのだ。自然と私は、人形が喜ぶようなふるまいをするようになってしまっていた。気が付いたら、私たちは森を出て、とある都市の街角で薬屋を営むようになっていた。人形が森を出たがったからだ。
自分が作り出した人形に、こんな力があったとは。暴力も呪術も使わず、人を言いなりにしてしまうとは、恐ろしい力だ。そう思いつつも、もはや私は彼女を手放せなかった。せめてもの抵抗で、名前を呼ぶことだけはしなかった。居場所が代わっても、人形は変わらずくるくるとよく働き、私に対して笑顔を絶やさなかった。前よりも食べ物や着る物も良くなり、彼女はどこからどう見ても年頃の美しい娘となった。
こんがり焼けた麦パンに、バター。数種類の野菜とベーコンが溶け込んだスープ。森にいたときより数段豪華になった朝食の席に、すっと縞猫が飛び乗って皿に手を伸ばした。
「こらっ、ダメよピーター。お前のはこっち。」
猫は、裏路地で死にかけていたのをいつだったか人形が拾ってきたのだった。床にミルクの皿を置く彼女の後ろ姿に、私は言った。
「今日は仕入れに、市まで出てくる。お前は何か必要なものはあるか」
私が言うと、人形は首を傾げた。
「うーんと、厨房のみがき粉があとちょびっとでなくなっちゃいます。食料は十分です」
「お前のものは」
「私のものは、いいんですよう。それより魔女様…じゃなかった、お姉さまの物を新しくしてください!」
魔女は一般的に忌み嫌われる対象だ。不当な裁判が行われているという話も耳に新しい。だから街では薬師とその妹という事にして暮らしていた。
「そうか。…わかった。もう出る」
私をドアまで見送りながら、人形はほがらかに言った。
「そういえば、今日はカークさんがお薬を受け取りにくる予定です」
あの大柄な若い騎士か。私は眉をひそめた。彼と人形を二人きりにするのは気が進まない。だが今更予定をふいにするわけにもいかった。
「もうできている。いつもの場所だ」
「はい、わかりましたぁ」
もやもやした気持ちをかかえながら、私は街の中心の広場へ向かった。今日は市の日だ。たくさんの店が出て、人でごった返している。お目当ての薬草を手に入れた後は、つい装飾品や布の店に目がいってしまう。
(…おや、これなんてどうだろう)
冬の夕方のような、深い紅色の天鵞絨に私の目は留まった。この色あいは、青い目に黒髪の人形によく似合うだろう。
私はそれを買って帰った。いつか自分の事を欲張りといった人形だったが、彼女はほとんど物を欲しがらない。…では、彼女が本当に欲しかった物とは、何だったのだろう。
(…そんなの決まっている。最初にあの子が心臓と引き換えにしたもの)
すべて思い出した時、あの時の顛末を人形はこう語っていた。薬を使って好いた男と思いを遂げたはいいが、その現場を男の婚約者の姫に見つかってしまった。婚約者がいると知らなかった人形は謝ったが、許してもらえず…。結局、男の目の前で逆上した姫に刺し殺された。身よりもない人形は、誰にも悲しまれることなく、男の命令で運びやすいよう体を分割されて森の前に捨てられた。
人の不幸が好きなはずだったが、人形の不幸にはちっとも笑えなかった。ひどい事だと私は憤慨したが、人形は悲し気に笑った。
「あたりまえです。知らなかったとはいえ、私のような卑しい者が彼に…。でも誓って、妻になりたいなんて思ってはいませんでした。ただ一晩、夢を見たかっただけなんです」
今は魔女様に拾われて幸せ、という彼女に、私は何も言えなかった。
そう、だから今も何も言えない。
自分の店の前で、人形に向かってひざまづく騎士と、驚いて頬をそめる彼女を目の当たりにしても。
「あっ…お姉さま、お帰りなさいませ」
人形が慌ててこちらを見たので、騎士も立ち上がってこちらに向かって礼をした。
「い、今しがた、ララさんに…!」
ガチガチに緊張したその声を、私はさえぎった。
「ああ、わかったよ。これも年頃だ。嫁にするというならさっさと連れていってくれ」
彼女が驚いたように私を見た。
「えっ!?でも…でも、お姉さまは」
「お前がいてもなくても私には関係ない。さっさと…出て行け」
私は精一杯の虚勢を張ってそう言った。後ろ髪をひかれるような顔をしながらも、幸せいっぱいに人形は騎士につれられて出ていった。
(これで…よかったんだ)
幸せそうな人間を見るのは、大嫌いだった。虫唾が走って、その幸せをぶち壊してやりたくなる。だから目の前から消えてくれて清々した。
(ああ、そうだとも、清々したよ)
そう思いながら、私は椅子にどっかりと座った。彼女が磨き上げたテーブル、欠かさずに飾っていた花。居心地のよい二人の住処だったこの部屋が、急に寒々しく感じられた。一人で虚勢を張るのが空しくなり、私は自分を偽るのをやめた。
(嘘だ。本当は…止めたかった…)
だが、人形はとても嬉しそうに笑っていた。私が最初にスミレをあげた時と同じくらい、いやそれ以上に。きっとあの騎士は、人形が本当に欲しかったものを与えてくれるだろう。
私は、人形の喜ぶ顔を見るのが好きだった。だから、彼女がもっと喜ぶなら…
(仕方ない…いいんだ、私は一人でも)
しかし、空しい気持ちが私を襲った。力が出ない。立つのも億劫なほどだった。ぼんやりと椅子に座りつづける私の膝に、猫が飛び乗った。
「そうか…お前がいたか。お前と一緒に、森へ帰ろうか」
もともと人形のために出てきたのだ。都会に未練はない。この冬を越したら出ていこう。私は店仕舞いの準備を始めることにした。
「あらっ、薬屋さん、お久しぶりだねぇ。てっきり雲隠れしたかと思ったよ」
旅装を整えるため久々に市へ出た私は、布屋のおかみにそう声をかけられた。いつも人形の服をここで買っていたので、顔を覚えられていたようだ。私はぎこちない笑いをうかべた。
「…その通り。近々店を閉めるつもりで」
おかみは周囲をちらっと見て、私の方に顔を寄せた。
「その方がいいよ。最近妙な弁護士がこの街にやってきたからね」
「弁護士?」
「ペテン師みたいな奴だよ。政府に魔女退治を任されてるっていいふらしてる」
私は慎重に聞き返した。
「仕事で魔女を告発すると?」
「そうだよ。何人も処刑させたってさ。でも魔女なんていやしないよ。金儲けのためにでっち上げてるのさ。独身の女は狙われやすいって。妹も片付いたんなら、あんたもどっかに隠れておいた方がいいよ」
私は礼を言って、足早に店に戻った。火あぶりは御免だ。出発を早めよう。だが、人形の事が頭をよぎった。
(…魔女だと疑われれば、本当に不利なのは私よりもあれだ…)
疑いの目で隅々まで見れば、その継ぎ目や魔法の跡がばれてしまうだろう。心臓も、四分の一しかない。なにより、生前の彼女を知っている者が見れば…。しかし。
(彼女は今や、騎士の奥方だ。万が一疑われても、夫が守ってくれるだろう)
だが、荷造りをしていると、バタンバタンと裏口から誰かが入ってくる音がした。私は誰かと思って身を固くした。
「お…お姉さまっ」
走ってきたのか、息を弾ませた人形がそこに立っていた。最後に持たせたあの紅色の布のドレスを着て、髪をシニヨンにまとめ、すっかり奥様然としている。
「…今すぐ隠れてくださいっ、あの、あの弁護士が、お姉さまを告発するとっ…」
必死の形相で人形は訴えた。彼女をなだめるように、私は肩に手を置いた。
「大丈夫、今出ていこうとしていた所だ」
しかし彼女は首をふって、私の手をひっぱった。
「間に合いません…!もうそこまで…どうか地下室に、隠れて…」
彼女は殺気だった様相で私を地下室に押し込めた。
「ちょっ、待っ…!」
抵抗する間もなくドアが閉まり、がちゃんと鍵が閉められた。私はあっけにとられてドアを叩いたが、外がにわかに騒がしくなり、ガチャガチャという武器の音、そして男たちの争う声が聞こえた。
「邪魔をするな!ここに魔女がいるのはわかっている!」
「お姉さまは、故郷に帰りましたわ。もうここにはいません!」
「お姉さまだと?魔女を庇う気か?!」
「お引き取り下さい!もうここには…きゃっ」
「そういうお前が魔女じゃないのか?」
「こいつ、目の色が薄い!怪しいですよ先生」
「猫がいる!こやつの使い魔に違いありません」
「ならばこの女を調べよう。連れていけっ」
私は蒼白になって、ドアをどんどん叩いた。
「待てっ、私はここだっ、彼女を連れていくなっ…!!」
だが、声高に言い争っている彼らには届かない。彼らは騒々しく部屋を出て行き、あたりはしいんと静かになった。
(どうしよう…彼女が)
なんとかドアを破らなければ。そう算段するうちに、物が焼ける匂いがドアの隙間からただよってきた。
(あいつら…店に火をかけたのか!)
本や乾燥させた薬草など、上には燃えやすいものばかりだ。
あっという間にめらめらと炎が広がっていくのが扉越しに感じられた。
(どうしよう…これでは出れない…!)
だけれど早く出なければ人形が。私は半狂乱になってドアに体当たりを繰り返した。肩がみしっと嫌な音を立て、扉がやっと開いた。
「くっ…!」
部屋はすでに火の海だった。私は大鍋にためていた水を頭からかぶって、入り口まで突っ走った。熱い。痛い。煙を吸い込んで頭が朦朧とする。
(まずい…窒息、する…!)
なんとか玄関にたどりついたものの、私はドアの前でずるずるとへたりこみ、そのまま意識を手放した。
目覚めたのは、数日後だった。隣の家のベッドだった。
「あんた…目が覚めたのかい?」
錠前屋を営む老人が、私を覗き込んでいた。
「よかったねぇ、あんただけでも助かって…ひどい火事だったよ」
人形はどうなったのだ。猫は。私は礼も言わずに外へ出た。助けなければ。火傷は痛いが、私はよろよろとした足取りで、市の出る広場へ向かった。彼女の新居はその先だ。
広場の真ん中には、彫刻が施された柱が立っている。この街の守護聖人をかたどったものらしい。普段は素通りするこの柱に、私の目はくぎ付けになった。
「あ…あ…」
柱には、変わり果てた姿になった人形と猫が括り付けられていた。傍らには「高潔な騎士を誑かした淫売の魔女、及びその使い魔」の張り紙。
耳がきぃんと痛くなり、ものの音が聞こえなくなった。心臓が痛いほどに脈打つ。私はよろよろと彼女に近づき、垂れ下がった手に触れた。周囲の人々がこちらを見ているのがわかったが、どうでもよかった。
「なんで…なんで」
彼女がもっと喜ぶから。私と居るより幸せになれると思ったから。だから結婚を許したのに。なのに。彼女の冷たい手を握りながら、私の頬に涙が伝った。
「返せ…返せ!私の、ララを、返せぇぇ…!!」
なんで連れていったのだ。こんなことになるなら、あの騎士はなぜララに求婚したのだ。
「お前らこそ悪魔だ…!」
私の大事な人形。あの騎士が簡単に切り捨てたララは、私にとっては掛け替えのない大事な存在だったのに。それをあいつは。
後悔が私を襲った。ああ、あそこで結婚を止めていれば。そもそも森を出なければよかった。ずっとあそこで暮らしていれば。
時が戻せる呪術が、あればいいのに。
突っ伏して涙を流す私は、その時ある事を思い出した。
(心臓…!もう半分)
そうだ、残っているのだ。あと四分の一が。また作り直せるかもしれない。私の中にさあっと光がさした。
(待ってて…また、治してやるから)
森に帰って、彼女をまた作り直す。そして…そして?私ははたと気が付いた。
生きている時の彼女は、恋をしたせいで死んだ。そして二度目の今も、恋によって死んだ。二度あることは三度ある、という。
また、同じことになるのかもしれない。これが最後の心臓だ。そうなったらもう、やりなおしがきかない。
(また…また同じ思いをするのか?彼女を、こんな形で失う…)
すべて無駄な事だ。愚かの極みだ。私は自分で自分を呪った。
だけれど、手は止まらなかった。どんな目にあったとしても、またララに会いたい。
私は涙と鼻水を流しながら、最初の時のように彼女の死体を集めて麻袋へつめこんだ。最初と違った事は、その重みが愛おしい事だった。