百二十九話 帰還と開戦
俺が学園都市に出発する当日の朝。
供回りはメネアのみ。
居場所を作ったことでエルや摩耶たちはここに置いていく。
エルの場合は身体を放棄すればいつでも俺の中に戻れるが。
転移門ではなく馬車の移動だ。転移門は越後屋の極秘扱い。見つかったら面倒になるに決まっている。だから、見つからなければ何も問題はない。
途中の領地や村で人の眼に映らないだけで不信に思われ、転移門の疑いのきっかけになる。
ともかく出発を促そうとした時、シオンの出発を見つけた住民の女性が土下座して懇願する。
「どうかこの地を離れないで下さいませ。何か至らない点がございましたか」
「え。学園都市に行くだけでいつかは帰ってくるぞ」
「あれ? 私たちを見放すのでは無いのですね」
頷く。
「そうでしたね。シオン様は学生でいらっしゃいますものね。すみません、早とちりを」
「シオン様、私たちはまだできます。なんでもしますからどうかお願いします」
女性の叫びを聞いた住民の男性が土下座で現れる。
「はいはい。見放さないから。この人の勘違い。後ろの人たちにもそう伝えて」
出発するだけでこの騒ぎよう。すぐ涙や土下座の姿勢はなんとかならんもんかね。
やっと出発になり、シオンは集まった領民たちの涙と旗に囲まれて男爵領を出る。
『マスター。帝国軍が動きました』
どうやらまだ行けないようだ。
馬車はUターンして男爵領に戻る。
戻ったら戻ったで解散気味だった領民が再度集まって旗を振り、帰還を歓迎している。
さっきの今で気まずい。
そんなことより城に戻って帝国の侵攻具合を確認する。
会議室。
机を囲んで宙に浮かぶ帝国軍を視る。
「ほんと、便利ですよね」
摩耶の言うようにシオンはマップ探査で現状位置を知り、空間魔術で見ている景色を幻術で投影している。
少し視線をずらすと幻術の景色もずれる。
帝国軍約一万二千人が王国ノヴァウラヌス男爵領に接近。王国と帝国の間を結ぶように存在する峡谷に向かって侵攻中。おそらくは先行部隊と思われる。
「到着は五日後かな」
シオンの推測にピリピリし出す会議室。一同口角は下がり、いつでも行けるという臨戦態勢をシオンに示す。
「その戦を望むお前たちの姿勢は良いが、まずは準備だ」
作戦はすぐに決まった。
場所は峡谷。開戦場がここの近くになるのは避けたい。
峡谷の周囲は山。中には多くの魔物が住む。気配に敏感な鳥獣系の魔物の巣もある。
隊列を組んだ軍隊として通るのならば横幅も広い渓谷下の道を使った方が遥かに安全で楽で当然なのだ。渓谷の下は岩盤で馬には少し走りにくいというだけがデメリットだ。
俺たちはそんな大峡谷の中央部に到着した。
「よーし、休憩だ。昼飯はまだだろう」
「やっふー、私ソースカツ丼」
「無い、と言いたいところだが今日は戦争だ。特別になんでも作ってやろうではないか」
各自で好きなものを俺に注文する。戦争を間近に控えているのにこの対応、摩耶たちはもう慣れてしまった。
「メネア、昼食の準備だ。調理器具に問題ないな。人数分の別々の料理だ。忙しくなるぞ」
「万全です。一式揃っております」
しかし、これも経験と自主的に連れてこられた新入りの警備隊や訓練に混ざっている領民は動揺激しく、すぐには席につけない。
「主様と私が昼食を作るので一班は周辺の巡回をしてきなさい」
一班は摩耶、ゼノビアとライドウに連れてこられた警備隊の数名。
「食事を終えたら作業だ」
ちょうど料理ができた頃に警戒に当たっていた摩耶たちが帰ってきた。
荒い魔物は一先ず討伐し、戦場の邪魔になりそうなのは排除できたようだ。ついでに帝国軍の情報も摩耶たちは手に入れてきた。先行部隊から仕入れてきたようだ。
数は変わらず約4000人ずつで構成された三個連隊。足は歩と馬と竜。武装は先頭に槍と盾。あとは剣や弓、杖も。
偉そうなのはその後ろ。切り札である英雄と呼ばれる者に該当しそうなのは二人程度。一人は偉そうなのと一緒に参謀部。もう一人は前線にいる。いずれも警護が固そうだ。
食べ終わり、メネアに指揮を任せてシオンは作業に入る。
帝国の侵攻を防ぐ為、大峡谷の道を塞ぐようにして作り上げた城塞が聳え立つ。
城だけじゃなく峡谷に無数の壁がバラバラに立ち並ぶ。
馬やワイバーンの騎乗兵に楽をさせない壁である。峡谷側面には壁ではなく岩製の棘を敷いている。
城はそれ以上の高度で飛ぶ敵に対策したものでもある。
どんな戦争になるのか楽しみだ。
「正直、驚愕だ。これだけの地魔術に城まで数分で作っちまう事。これだけのことを単純作業と言えてしまう事……」
ライドウは城で仕えていた分、外壁の修繕なんかの書類も見てきた。修復作業の現場も見ていたが、こんな簡単なものじゃなく一大業務だった。
「やっぱりこんなの常人には無理なんだね、ライドウさん」
「私たちすっかり鈍っていましたわね、摩耶。見てごらんなさい、新しい人たちは完全に引いて戦慄してしまっていますもの」
「ここで料理って聞いた時からこんなじゃなかった? 一夜城はこれみたいのじゃないと良いな」
「あの一団はゴーレムか。何をしているのだろうな」
「あれならバンドゴーレムだね。さっき聞いたら後ろで音楽を奏でるんだって」
「シオン様は戦を祭りか何かと思っているのかしら?」
「そんなこと……ありそうだな。風呂まであったり。もうなんでもありだ」
それから三日後、王都から帝国侵攻とシオンへの命令が送られてきた。
書状の内容は、本来ならば学園都市に戻る予定だったが、帝国の侵攻がまた来る。王都の騎士団は帝国と対する時には間に合わないらしい。そこで近隣の領地から派兵を求め、俺になんとかしろとのこと。
俺が何もしていなかったら、残りたった二日で友軍を借りてまとめ上げ、時間を稼げということだろう。
王国全体の防衛もぬるくなったとため息をつくシオン。
どこかの貴族の嫌がらせか。この領地の元の状況も知っていて俺たちに帝国を抑えろと。
おそらく王国はあそこにいた龍の存在を知らないだろう。ならば、このまま黙っていて一つの手札にしておこうか。襲わせるのでは芸がない。
空挺部隊か、それとも敵領地の測量と観測か。
誰も龍を手懐けていると知らなければ、上空を龍種が飛んでいるだけと認識させられる。
「さて、そろそろ配置に着こうか」
そのためにも情報の洩れは抑えたい。ここで帝国兵を皆殺しにしてしまっても構うまいて。
帝国軍がもう間もなくまで近づいて大峡谷到着は残り三時間後と予測される。
摩耶は城付近で新兵と前線から漏れた敵の排除。ゼノビアは新兵と城の最上階で観測と対空砲。ライドウは前線でメネアとシオンと一緒。ゴーレムはサイドと前線に配る。リンは城で回復係。ウルもテスタも参加したいと希望を出してウルはメイドたちと攪乱、テスタは摩耶のお手伝い。
城の中はそれなりに装飾がつけられて住んでる感が出ている。
「……ゼノビア様から報告です。竜騎兵がおよそ…3000。その内訳の地上の地竜2500に空のワイバーン500。うちワイバーンが成竜を四頭。先頭を飛んでいるようです」
俺からゼノビアに遠距離で言葉を渡すことが出来てもその逆はできない。ゼノビアが伝令を走らせてきた。
走って疲れたのか息を荒くして意を決した覚悟でゼノビアの観測を伝えてくれた。馬や歩兵はまだ小さくて見えないらしい。
ワイバーンの残り496はまだ幼竜か。速度を同じにするならまだ掛かるだろう。
「幼竜はなるべく殺すな、と伝えてくれ。メネア、竜は迷宮と空輸で使う。生かしておいてくれ」
「承りました」
帝国の戦力が意外に多いことがわかった。ベルセリオンがいたから帝国軍の足と戦力の主に当たる竜と馬が機能せずに王国侵攻を止めていたのだな。
「あの」
まだゼノビアの伝令が残っている。
「怖くは無いのですか」
逃げ出したい・死にたくない。そんな思いが詰まった問いだ。
俺が敵を知り、慄いて撤退を選ぶものと思っていたのだろう。メネアを下がらせておいてよかった。
彼は訓練したとしてもまだまだ新兵の領民。敵の数に不安なのだろう。
彼だけじゃない。執事やメイドは落ち着いているが、それ以外は俺と彼の会話に注目している。
「俺には愚問だが……。ふむ。お前たちは怖いのだな。ならば、逃げだしても構わない」
「え」
「いつもそうして来たのだろう。だから、ここに来た」
「だが、それを繰り返せば、居場所さえも見失うぞ」
「ならばどうする。勝ち取るしかないのだよ、どこでも」
そのチャンスは目の前にあるぞ。
「なに。『特攻』なんて考え無しはしない。鍛錬してきたのだろう。それを俺に見せてみろ。危なくなったら逃げてでも生を勝ち取れ。最後にはお前が勝っていれば良いのだ」
それだけを言ってシオンはメネアとライドウのいる最前線の配置に着く。
その背中に静寂から一拍置いて雄叫びを受ける。
気合を入れる良い咆哮だ。
帝国軍が見えてきた。
なのに、メネアがいない。
ライドウは知らないと言う。
「あなたたちは弱い。よく自分たちでわかっていることですね。ですが、主様はそんなあなたたちでも傷つくことを嫌います。回復薬は持ちましたね。負傷を見つけたら援護。助け合いなさい。無理をしないこと。後退は構いません。良いですね。この戦いを主様に捧げなさい」
シオンが配置に着いた頃、メネアは先ほどの伝令も含めて控える全部隊に号令をかけていた。