百十八話 加護と撤退
叫びが聞こえたのは喚問の魔族だけじゃない。ゼノビアもリンもウルも動けないテスタにも聞こえていた。
「リルさん、お願いします! 戻ってください! マヤさんが!」
「駄目だ。あれがあの者の覚悟であるなら我はその役目を果たす。戻ることはあの者に泥を塗ることと理解せよ」
フェンリルのリルは摩耶を尊重して苦渋の表情をしたリンと振り返って摩耶をじっと見つめるゼノビアを乗せてテスタに向かって走る。
「くっ。……マヤ、すぐに戻ります」
摩耶はそんなリンたちを背中で感じ、笑って見送る。
「さて、私はどうするかなぁ」
目の前の巨大な脅威から生き残る手段を探す。
「まずはお前から潰すのデスネ。虫の息になったお前の目の前であれらを惨たらしく潰してあげるのデスネ」
「はっ、よく言ったよ、それでこそ私が倒したくなる。そんなこと絶対私がさせない」
怒鳴るでもなく、意気込むでもなく、真っ直ぐ喚問の魔族を見つめる。静かにそれを口にして例え死に瀕そうとも倒すと覚悟を決める。
『いいね。いいね。さすがは創造神様。こんな良い冒険を持っているなんて。力? やっぱり欲しい? 欲しちゃう? あげちゃっても良いよね。良いよね。あれ? もうプロスがお手付き? 早いね。二番目は好きじゃないな。あれれ、もう一人勇者いる? こっちも二番目? 嫌だなぁ。面白くないなぁ。でもー、あげちゃおう。そうしよう。君のこれからに波乱と混乱に満ち溢れているように』
「何、これ?」
身体に纏わりつく新たな力に困惑する摩耶。
「ちっ、ここで介入してくるのデスネ!! 神!」
忌々しそうに上を見上げ、眼を鋭くする。
今ならできなかったことでも出来そう。なんというご都合主義。
でも、そのご都合主義、大いに結構!
『さぁ、楽しもうよ。死を恐れる者に冒険は務まらない』
「最高にいい気分だね。やってやる。行くよ、中ボス」
授かった力は冒険神の加護。
その力は、冒険とは無謀に立ち向かってこそ、格上特攻。困難は時に質よりも数に差をつけて襲ってくる、多勢特攻+範囲拡大。そして、冒険に大切な未知を探すための探知。
すでに持っていた探知と統合されて【スキル 探知】のスキルレベルが増す。俯瞰視の空間魔術と探知で読み取った中ボスの動きを先に回避する。
ワンテンポ摩耶が速まったことで攻撃のチャンスが生まれ始める。
「ぐぅぅ、面倒デスネ。キリがないデスネ。なら、面で攻めるのデスネ」
召喚魔術で呼ばれたのはゴブリンなどの雑魚。それもレベルが一桁の。
だが、その量が異常だ。
「魔物の波に押しつぶされるのデスネ」
「こんなのもあるのね。こっちこそ面倒よ」
文句を吐き捨てる摩耶だが、それなりに余裕はない。回避は上へ空間魔術でできるが、ここで何もしなければこの波が後ろのリンたちに向かうだろう。いや、する。この中ボスなら私の嫌がりそうなことをしてくる。
幸い魔物のレベルは私より格段に低い。範囲の広い魔術でこれを捌く。
「◆ ◆◆【火魔術 炎嵐】」
わからないけど、予想外に魔術が広がった感じがした。ほんとに私に都合がいいのね。もっと早くしてほしかった本音もあるけど。
地魔術で斜めに展開して私に迫るための入り口を小さくさせる。
それでもすべては倒せずに魔物が魔術と私の間に潜り込む。
私の剣を身体に押し付けて、脇にできた道を後ろの大群が進む。剣で押し返そうとも雑魚の後ろにも雑魚がいるため振り切れるだけの間合いが確保できない。
辛うじてすぐ近くにいる雑魚は倒せるのだが、圧倒的に数が多い。
「進ませてたまるかぁ!」
摩耶は叫び、剣で目の前を振り払う。即座に雑魚は倒れ、大群の先頭にまで走る。けれど、先頭までに並走していた魔物が摩耶の邪魔をする。
「邪魔よ!」
幾重にも阻む魔物に焦る。
「大丈夫。マヤ、任せて」
ウルが先頭に陰から強襲。いきなり現れたウルの怒涛のラッシュに対応できず先端の魔物は為すすべなく倒れる。
視界に広がる無数の敵を前にしてもウルは止まらない。
次々に連打で拳を叩きこんでいく。
「【神聖魔術 治癒】【神聖魔術 リジェネイト】」
目に見えているすべての傷は小さなものも癒される。
「リンちゃん!」
「マヤは下がって! 私、回復させる」
さっきのはあくまでHPを少しでも回復させてスイッチの隙を狙われた場合の応急処置。
前線はテスタとウルが摩耶と入れ替わり、大群を蹴散らす。
ウルの拳のラッシュは止まらない。大群に一筋の直進道を作って中心部まで到達する。
「【影魔術 陰沼】」
ウルの陰が急速に広がり、魔物たちの足元を影で埋め尽くす。影の範囲内にある魔物は影に沈み、水で溺れるように手を空に伸ばして影を掻く。
「元通り」
これで喚問の魔族一に摩耶たち五の最初の構図になった。
ウルは突き進み、喚問の魔族の立ち位置まで届く。
が、魔物の集団のせいで出てくる場所が知られてしまう。先に拳が当たるのはウルではなく喚問の魔族だった。
そんなピンチの瞬間、喚問の魔族の腕が斬れる。
斬った先を見る。何が起きたか足を止める魔物たちの中に一本の道が出来ていた。
その先にはテスタが剣を振り下ろした状態で立っていた。
「テスタ」
一瞬の逡巡を振り払い、魔族の拳を躱す。テスタが斬ってくれたお陰でスペースが生まれて回避することが出来た。
ウルは喚問の魔族の内側に入り込み、腹にどデカい一発を入れる。あまりの拳の強打に魔族が上体を後ろに反らされる。
斬られた手とは反対の手で薙ぎ払われるが、ウルは影に潜って摩耶のところまで避難する。
闇魔術の降霊ももう効果が切れて元の腕に戻っている。
これはまずいデスネ。もう降霊をさせるだけの時間もくれなさそうデスネ。召喚はほとんど効果なし、使っても無駄デスネ。あの勇者、耐性も上がってるみたいデスネ。これじゃ、闇魔術のデバフが意味をなさないのデスネ。やっぱり召喚直後でまだ魔力も力も十分じゃないデスネ。
じゃあ、体術はどうデスネ? 吹き飛ばしのあれは対策が練られていそうなのデスネ。あの回復術師があれを警戒しているのが見て取れるのデスネ。
喚問の魔族は自問自答で敵と自分の状況を読む。
勇者は全快とはいかないまでもある程度回復しているんデスネ。
強烈という程ではないにしろ我々への攻撃力上昇が効いてくるのデスネ。
狙撃手は属性付与のされた攻撃が来るが、問題なし。でも、意識を割かなくちゃならない敵デスネ。
黒装束は魔術らしきものと魔道具、隠形で攪乱・隙を作る役目。
回復術師、あの回復力は面倒デスネ。魔力回復ポーションもまだ飲めるようデスネ。倒すなら最優先デスネ。
あのエルフにはもうあんな動き出来ないはずデスネ。可能性としてはそれでも捨てきれない。注意は残しておくデスネ。
ここは盗作の隻眼と合流デスネ。このまま闘っても七割の勝率はありそうデスネ。けど、――。
喚問の魔族は残りの三割に警戒する。
摩耶たちも喚問の魔族も見つめ合い、互いの間に緊張が走る。
「【闇魔術 黒繭】!!」
真っ黒な幕が上級魔族を包む。
「警戒!」
摩耶は見知らぬ魔術に防御の姿勢を優先させた。
繭は張られた後は何も起きず、警戒を解いて近づく。繭は降ろされ、中は空になっていた。
「逃げられちゃった……か」
あーあ、私はシオン様に拾わてからというものスローワイフを楽しもうとしてたんだけどなぁ。
こんな騒ぎで私の称号も知られちゃうだろうなぁ。みんなとはお別れか。
もうなんか疲れちゃった。
……離れたくないなぁ。
摩耶は繭があったところを前に仰向けに倒れた。
・・・
「ここはどこデスネ?」
逃げた……戦略的撤退をした喚問の魔族は転移をさせた魔物を脇に置き、見慣れない景色に戸惑いを隠せない。
転移は事前に記録させた場所に飛ぶはずだ。それなのに……。
「いやいや、すまんな。お前は摩耶たちに倒させるつもりだったんだが」
「お前、……無礼者デスネ」
暗闇に隠され姿は見えないものの声でシオンと識別した。
「正解。それと疑問に思っているであろう転移については移動場所を勝手に弄らせてもらっただけ」
よくわかりました、と拍手をするシオン。
ありえない。他者の魔術に介入!? それも発動中の転移に! 脳の処理能力が追い付けるはずがない。それ以外にも条件があるはず。
「さて、お前たちの大切な魔王を相手するには俺も少しレベルが足りないのだ。ああ、逃げたければ逃げても良いぞ。俺は寛大だ。逃げ道はちゃんと用意してある。存分に抗って楽しんでくれたまえ」
喚問の魔族の全身に恐怖が巡り、本能に突き動かされる。召喚魔術を放出させ、闇魔術で魔物たちを狂化させる。
「俺のために死んでくれ」
戦いは短かった。
「ば、化け物……」
結果として残ったのは焼け爛れた地面のみ。それ以外の生物はシオン以外に存在せず、シオンの糧となった。
「すべてを頂くのはダメだな。ちゃんと報酬を与えるのが上司の役目だ」
自分に流れるレベルアップに必要な魂魄を一部摩耶たちに流す。
「よく頑張ったな」