百六話 潜入と奪還
日も暗く沈んできた。混沌と化そうとしている王都には雨が降り始める。
メイドはメネアの指示に従って倉庫を監視する。
「――え」
メイドは小さな驚きをこぼした。
それは有り得ないものを目にした時に出るであろう、困惑の声。
「どうして……!?」
メイドが目撃したのはここにいるはずのない少年が降りしきる雨の中を静々と壁に背中をつけて潜むように歩いていた。
「どうしますか」
隊のリーダーに指示を仰ぐ。
「ここで出ては我々の任務に支障が出る。メネア様を優先する」
あくまでもこれは仕事。それを全うする。冷淡にリーダーは言う。
「だけど、彼はシオン様のご学友。ここから遠ざけるのは?」
意見が分かれる。どちらとも捨てがたい選択肢。
「スミス・ミルダ。倉庫へ突入します」
内輪で方針を話し合っていると周囲の監視と警戒に回っていたメイドから伝えられる。
「どうしてここに来れたのかは今はどうでもいい。我々も突入できるように備えておきなさい。少し様子を見ます」
彼は阿呆か。倉庫内部の戦力を知らないのか。
・・・
俺は魔道具を家から持ち出して姉ちゃんを攫った奴を追う。
何か嫌な予感がして姉ちゃんの跡をつけてきて正解だった。姉ちゃんは昔からそうだった。
親父の所為なのかはわからないけど、よく誘拐事件があった。
姉ちゃんに何か憑いているのかと鑑定屋に行った時もある。そこで発見したのは、姉ちゃんに魅了が付けられていた。その呪いは親父の知り合いの神官にも解くことが出来ないほどのものだった。
今回もそれなのかもしれない。だけど、俺のやることは変わらない。
姉ちゃんは俺が助け出す。
都合のいいことに入り口の見張りは1人だけ。
時間をかけてたら気づかれる。速攻で決める。
そして、スミスが物陰から飛び出す。魔道具で音を消し、一気に見張りを切り捨てる。見張りはスミスの影さえ目に入れることはなかっただろう。
「やっぱシオンに教えてもらった身体強化の魔術は良いな」
見張りの守っていた扉を息をひそめて開け、隙間を作る。
恐らく奥に見える階段に何かがある。他は……。ガードが堅いな。そこも怪しくなってきた。でも、最初は行きやすそうなあそこから。
前もって唱えていた魔術で隙間から会談とは逆方向の光源を潰す。
「なんだ!」
「蠟燭が倒れてるぞ! 水と代わりの蝋燭持ってこい」
下に伸びる階段前の護衛二人が慌てて廊下に落ちた蝋燭の火を消しに動き出した。他の奴らも蝋燭に気を取られている。
この隙に障害物を利用しながらスミスは階段まで到達した。
「ん? 上が騒がしいな」
スミスの降った先で会談に近づく声が一つ。
俺は壁に背中をぴったりと張り付かせて呼吸を抑える。躊躇うな。迷えばこっちがやられて姉ちゃんも。
声が階段に差し迫ったその時、両手に持った剣で身体を刺す。
痛みで叫ぶ声を魔道具で消す。
「おい、どうした!?」
ちっ、仲間か。
奴の仲間が近づいたところで刺したこいつの身体を押し返す。
倒れこむこいつを支えようと両手を差し出したその瞬間を狙って、スミスは斬る。
ここまで来た。
警戒心の薄い二人の見張りで助かった。死体から牢屋の鍵であろうものを拾う。
奥に歩くと牢屋らしきものが並んでいる。スミスはその中から姉を探す。
他にも誘拐にあった人がいるみたいだ。
「スミス!」
姉ちゃんの声がした。
姉ちゃんのいる牢屋の前まで行き、鍵を差し込む。
「イニシア姉ちゃんも捕まってたのか!」
「ええ、そうよ。相手の方が上手だった。毒を使われちゃったらね」
お手上げのようなポーズを取るイニシア。
「もう大丈夫なのか?」
「ええ。解毒はもらったわ。毒と言っても痺れるくらいだし。―――離れて!」
「え?」
イニシアは咄嗟に動いてスミスのカギを差し込んでいる腕を取って下へ引っ張り身体を伏せさせる。
キィキィン。
「あーあ。避けられちまったい」
甲冑を着たのがスミスの後ろに立っていた。頭の少し上を通り過ぎたのは奴の振った剣だ。
「助かったよ、イニシア姉ちゃん」
腹に痛みを感じた。さっきまで檻の前にいたのに少し離れたところに転がっていた。
そうか、蹴られたんだ。
「やっぱ奇襲は騎士のプライドに障るってか? てか?」
スミスも振り向き、剣を中段に構え、お互いに顔を視認する。騎士の顔は嗤い、スミスは息を吐いて落ち着きながらも血気を孕んだ顔つきになる。
目を合わせれば自然と剣が振られている。
一撃目は互いに剣を合わせるのみとなった。
身体強化で大人である騎士とも力を拮抗させていた。
「俺がいることなんでわかったんだ?」
倉庫に入り込むんでからは特に大きな音を出すこともなかったスミスは見つかった理由がわからない。
どうあっても時間を稼ぐ。答えてくれないなら別にいい。その時は俺が剣で押し返せば、姉ちゃんたちが逃げる時間は稼げる。
その間にスミスがイニシアに渡した鍵で牢屋から出る。
「魔力反応があればわかるべ。このくらい出来ねぇと戦士はやってきねぇやなぁ。けっけっけ」
疑問はあった。
見張りの感じで『この程度で姉ちゃんを攫えたのか』。姉ちゃんはエチゴヤ商会で働いてる。手紙には鍛えてもらっていると綴られていた。見学に行った冒険者から聞いた話だけど、厳しい訓練をやっていたらしい。
姉ちゃんには辛いことかもしれないから引き取りにいこうとしたけど、親父に止められた。あそこに居た方が安全だからって。
ともかく、姉ちゃんを攫ったのはたぶんこの人。
この人は他とは違う。
スミスの予感は的中し、この騎士のステータスはレベル50の騎士職に相応の値だ。この世界の騎士の水準からは少し上の実力だ。
レベルだけで言えば国に仕える騎士でも通じるほどだ。ただ匹敵するのは腕だけ。中身の性格は悪く、騎士に格段に劣る。そもそも職業が闇『騎士』で一応属してはいるが、言動が騎士らしくない。こんなところで誘拐やら過去に殺しやらやっていれば当然だが。
彼の闇騎士という職業は本来なら戦士職から騎士職になり、そこから騎士、フォートレス、闇騎士と職業進化をしないとなれない。彼もまた先天性の才能の持ち主。スキルではなく、彼にもたらされたのは職業だった。
「エース、騒がしいぞ! どうした!」
こいつの仲間が呼ぶ声が聞こえる。長居はできない。
「ネズミがいたぞぉ!!」
こいつはこいつで俺たちを前にしても慢心しないでいる。
「ふっ、すぐに仲間を呼ぶんだな」
挑発をして油断を誘う。
「圧倒的な力の差で叩き潰す。これがうちの方針なんでな」
油断はせず安全圏で確実に倒すと宣う闇騎士がスミスは窮地に焦らせる。
スミスと闇騎士エースが剣を打ち合わせ、火花が散る。激しい金属の音が鳴り響く。
時期にこいつの仲間が増援に来る。姉ちゃんたちも距離は取った。
「くっ!」
剣だけじゃ、長引きそうだな。離れさせてはくれねぇし。
こうして剣を打ち合っている間にこいつの仲間が来ても良いだけの時間が経ったのに一向に来ない。何かトラブルでもあったのかもしれない。
これはチャンスだ。こいつさえどうにかできれば逃げ切れる。
「……【風魔術 風の矢】」
背後から魔術が飛んでくる。風で紡がれたは俺を避けて闇騎士に直撃する。イニシア姉ちゃんがやってくれたのか。
スミスは背中でイニシアの援護を感じているが、そのイニシアは隣で驚いた表情で魔術を撃ったアリアを見る。
「ぬおおぉぉ! オラッ!」
闇騎士エースは全身に力を入れて体重を剣に乗せ、スミスを剣圧だけで吹き飛ばす。
そして、風の魔術に剣を合わせて打ち払う。
「あらら、どっか行っちまって」
被害はなかったが、結果はスミスたちを逃すこととなった。
「逃げられると良いな」
闇騎士エースはスミスのいる方向に確実に近づく。
「この後はどうする? 他の人でも助ける?」
牢番の武器庫に隠れ、服とそこにあった武器を頂戴する。イニシア姉ちゃんが聞いてきた。
「いや、まずは外に出よう。それで助けを呼ぶんだ」
「そうね。私も同意見だわ」
外に出るためには上に登らないといけない。上にさえ行けば、姉ちゃんたちの魔術で壁を壊せる。
「あらよっと」
簡単には開かないように扉に背中を預け、座って休憩していたのだが、その扉に剣の刃が生える。
いや、あいつが扉に剣を刺したんだ。
他にも部屋はあったはずだ。こんなに早く居場所がバレたのか!?
「さてと、鬼ごっこは終わりだな」
「く、来るな!」
イニシアはアリアを背中に回して隠し、さっき拝借した短剣を構える。
それを見て闇騎士はおどけた様子を見せた。
「うぉぉお!」
スミス渾身の一撃は闇騎士の剣に阻まれて防がれた。
「おうおう、怖いねぇ。どうした、さっきまでの方が強かったぞ」
「うるさい!」
スミスは闇騎士と戦っている最中ずっと身体強化の魔術を使っていた。もう魔力がほとんどない状態なのだ。
反撃を受け、スミスは床に転がる。
イニシアは少女らしからぬ鋭い短剣捌きを見せる。
スミスには警戒を示していたが、イニシアとアリアには油断していた闇騎士は咄嗟に下がる。短剣は闇騎士に当たらず、空を切る。
「ちっ、クソガキが。今すぐその短剣を置け。そうすれば命だけは助けてやるぞ?」
「あんたらのボスは姉ちゃんたちを人質にするんじゃないのか」
「それもそうだな。……じゃあ、切り刻んでやろう。生きてさえいれば問題ねぇやなぁ」
時に殺されないということは死ぬよりも辛い。それを匂わせる。
「嫌!」
アリアはイニシアの犠牲の覚悟を否定する。それはとても理性的と呼べるものではない。感情面のみで否定した言葉。
「お友達はそう言ってるぞ?」
「アリアはあんたたちとは違って優しい子なのよ!」
闇騎士がイニシアの間合いへと入ってくると、イニシアは先ほどと同じように攻撃する。しかし、闇騎士は短剣のリーチを見て知っていた。少し下がるだけでそれを避けると迎撃して隙が出来ているイニシアを思いっきり蹴り飛ばした。
メネアに鍛えられ、レベルの上げていたお陰でこのくらいじゃ死にはしない。子供の身には辛い痛みは身体に走るだけ。
それでもイニシアの立ち上がろうとする姿を観察する闇騎士。
「もうフラフラなのに深い友情だねぇ。反吐が出るほどに」
誰も死なないようにしたいと理想を掲げるアリアに闇騎士は吐き気を催す。
「うっさい」
「そんなことで人生を棒に振るのかよ。ぬくぬく育てられたお貴族様は大変でごぜぇますね」
吐き捨てるように闇騎士は言うが、そんな男を残されたアリアは睨みつける。
「さて、悪者らしくしようか。こいつ、お前の弟なんだろう。なら、こいつを甚振れば戦意も失われるか」
スミスの胸ぐらを掴み上げる。
「で、優しいお前はどうするんだ?」
こう闇騎士は舐め腐ったことを言っているが、油断はしていない。いつ短剣が飛び出てきても反応できるように意識を向けている。
それでも世界は予想の行かないことを時に起こしてくる。
突如地価の武器庫に雨が降りかかる。
雨漏りならわかる。隙間から流れることがあるからだ。
だが、こんな外と同じように雨が入り込むなんてことは絶対にありえない。
その原因はすぐに姿を現した。
無くなった天井から獰猛に嗤う鼠の魔物。
他の奴らはどうした。ここには他にも部下たちやジョーカーがいたはずだ。
鼠が新たな獲物を見つけ、今しがたかじっていた男の腕を口から落として闇騎士に襲い掛かる。
エースはその落ちる腕を見てしまった。
「うわぁぁぁ」
自分を鼓舞するように叫び声を上げる。
確信はないが、最初に思ったのはジョーカー。こいつがジョーカーを食い散らかしたってことだ。
さっきまで冷静に事に対処していたエースは目の前の脅威に一心不乱に剣を振り、自分の死が近づく前に鼠の魔物を殺す。
エースは見落としていた。この程度の魔物が彼らのリーダーであったジョーカーを仕留めることはできない。
「どうだ! 見たか、この野郎。これは俺のちか…ら……」
魔物は一体だけじゃない。無数の魔物が一つの肉に殺到する。
「ぐあ! いだい!! ――」
程なくして苦悶に満ちた言葉は止み、静かになる。
魔物の視線は次の餌に向く。
「アリア、逃げて!」
スミスはエースとの戦いで立てるだけの力を失い、イニシアもまたエースに蹴られた痛みに襲われて動きが鈍い。