自称かぐや姫 ver.1.1
「私はかぐや。月から来たの」
確かに彼女はそう言った。徐々に押し寄せる火の海の中、淡黄檗色の長い髪を火の色で煌めかせて。
軽々しく人に伝えてはならない秘密を、俺が信頼するに値する人間だと評価して打ち明けたのだ。
冗談だと思いたかった。冗談だとしか思えなかった。しかし彼女の真剣な眼差しを見ると、そうとは思えない。
そんな自称かぐや姫の告白を受け、カケルは空いた口が塞がらなかった。
それもそのはず。今や月面に地球外生命体の文明が存在しないことなど疾うに証明されており、まだ世界を知らないこどもを除いた世間一般の常識である。カケルと同い年くらいの少女が自身満々にしていい発言ではない。
しかし、そんな常識外れな発言をしてしまう病気をカケルは知っている。ちょうどカケルくらいの年齢に感染者が多い、危険な病である。右手が疼いたり、怪我をしていないのに包帯を巻いたり、自分には世界を救う特別な力があるといった発言をしたりと、容姿・世界観ともに周囲から切り離される、頭脳がこどもであると周囲に認識されてしまう病である。
彼女もまたその病気を患っているのだろうとカケルは理解し、笑顔を取り繕って彼女に近づく。カプセルから頭だけ出す彼女を見下げて、
「うん、そうだったんだね。すごいね。……それで本当は何があったの? 」
親が子供の戯言に付き合うような態度で接する。
「子ども扱いしないでよね! 嘘なんかついてないんだから! 」
少女は遊ばれていると気づき頰を膨らませてプンプンである。
「そう言われてもなあ、月面人なんて有り得ないし、……お前厨二病なんだろ」
相手の心情を慮って、小声で付け足す。
「違うわよ! 私は本気で言ってるの! 」
「じゃあそのお姫様はどうしてヒーリングカプセルに入って落ちてきたんだ? 」
「それが……分からないのよ」
急に勢いを無くし、美しい顔に不安を横切らせて俯く。
「記憶喪失なのか」
「うん、多分そう……。私が覚えてるのは私の名前がかぐやってことと、月から来たから、月に帰らなくちゃいけないってことだけ。」
「……」
「だから私が月に帰るのを手伝って欲しいの」
美しい青い瞳が潤みながらカケルを見つめる。
「記憶がこんがらがってそう思い込んでるだけじゃねえの? 」
「ううん、それだけは鮮明に覚えてるの……。お願い、ただでとは言わないわ。」
「……条件は? 」
「もし私に協力してくれるのなら、お礼にあなたの夢を1つ叶えてあげましょう。」
自分はその力があると、自信を持って条件を掲げる。
人なら誰もが持つ自身の夢を叶えてやると大きく出たのだ。誰しもこの条件なら良い方向で一考するのではないか?……彼を除いて。
「俺は……」
カケルは期待して損したといった冷ややかな目をしながら、口を開くと……
「あ、Hなことはダメだよ」
瞬間少女は腕をスッとカプセルから出してバツを描く。やっぱり変態ではないかと疑いながら、腕の合間からジッとカケルを見つめている。
「別に変なこと考えてねえよ! 初対面にそんなことお願いするわけないだろ! 」
「ふーん、初対面じゃないならするんだ。」
「しねえよ! 」
どうもこの少女と話していると調子が狂ってしまう。カケルは顔をまた赤らめて参ったなと頭を掻く。
平静を保とうとため息を1度つき、続けた。
「俺には、叶えたい夢なんてないんだよ」
驚いて条件が通用しないことに悲しむかと思いきや、少女を見れば表情1つ変化が無い。
「そう。なら夢が見つかったら私が叶えてあげるわよ。」
少女は微笑み、別に急いで決めなくてもいいよと続けた。
「そうじゃねえよ。俺は他の人とは違ってなにも望もうとは思ってないんだ。」
「じゃあ私が夢を持てるようにサポートしてあげようか? 」
「だからそうじゃなくてだな……」
その時、カケルは迫る熱を左肩に感じ、右に飛んだ。
見れば今の今までいた場所にも火が周り、火の海はもう目と鼻の先だった。
流石にこれ以上の滞在は命に関わる。
「お前はカプセルの中にいろ。直に警察と消防隊が来るだろうから。」
手短にそう伝えるとカケルは背を向け、会話の終了を示す。
一刻も早くこの場所から離れなければならない。思いがけないタイミングで少女に出会ったとはいえ、こんな状況で長居してしまうとは明らかな判断ミスであった。
カケルは覚悟を決め、炎の森に一歩踏み出す。
……その肩を、細い腕が抑えていた。
「お願い、私も連れてって」
「俺じゃなくて警察に助けてもらえ」
カケルは腕を振りほどき、振り返らず告げる。
「警察には捕まったらダメな気がするの。あと、落下の衝撃が大き過ぎたみたいで、カプセルの制御が少しおかしいの。だから……」
「……」
無反応のまま進んで行くカケルに、かぐやは最終手段に出る。
息を大きく吸って、両手を口に添えて、力一杯叫ぶ。
「女の子にあんなことやこんなことしてぇ、裸のまま外に捨ててくんだぁー? 」
すると面白いぐらいの速さでカケルが戻ってきて、耳の端まで赤いまま早口で伝える。
「体操服貸してやるからこれで我慢しろ。泊めてやるのは今晩だけだからな。」
「あははは、やっぱりカケルってHな話題に弱いんだね」
対してかぐやはあまりの効果の高さに大笑いである。眦に涙を浮かべながら、カケルと目を合わせてまた笑い出す。
「うん、元気そうだからやっぱり置いてくね! 」
「あわわわ、ごめんなさい調子乗りました許して下さい」
「いいから、切羽詰まってんだ。さっさと体操服着てくれ。」
カケルは面倒くさそうに体操服を差し出す。
受け取るとかぐやは
「うわ、汗まみれじゃん。こんなの着ないとだめなのか……」
此の期に及んでまだ文句をいう余裕があるようだ。
「文句言うなら置いてくぞ! 炎の中を走るんだから外に出る頃には乾いてるはずだ。」
「はいはい、今着るから絶対こっち見ないでよ! 」
カケルは瞬時に回れ右し、調子狂い過ぎだろと頭を抱えるのだった。
※ ※
「ゼェ……ゼェ……」
体のあちこちに火傷を負い、服も煤まみれでズタボロになって、やっとの思いで炎の森から抜け出した。
「すごい汗かいてるけど大丈夫? 息も辛そうだし、一回上着脱いだら? 」
疲れ果てて膝をついているカケルに、かぐやが前かがみになって心配する。
見上げてみれば、サイズの合っていない服を着た彼女が、前髪をかき上げながら立っていた。
カケルの目には、彼女の煤で汚れた顔よりもブカブカの服で無防備な胸元の方が大きく映った。
「どこ見てるの、変態さん。やらしいこと考えられるんだからまだまだ余裕みたいね。」
視線に気づいたかぐやが少し恥ずかしそうに胸元を隠す。
カケルは気づいた。自分は周りの人を遠ざけ続けてきたため、女子への免疫がついていないのだ。自分に嫌悪感を向ける女子ならともかく、初対面から好意的に接してくる女子など対処法が分からない。更に相手は裸だったのだ。年頃の男子には難問である。
「ほら、立てる? 」
かぐやに手を差し出され、それに捕まりカケルは立ち上がる。
「ありがとう」
「いえいえ。お礼に家まで案内して貰うから大丈夫」
「……そうだったな。じゃあ行こうか」
フラフラと歩き出すカケル。煙を吸い込み過ぎたのか、体力の限界を迎えようとしていた。
「もう、言わんこっちゃない。右腕貸して。」
見かねたかぐやが特別だからねと肩を貸し、ヨタヨタと歩き出す。
「家まで何分かかるのっ」
重そうにカケルを担ぎながらかぐやが尋ねる。
「10分もかかんねえよ」
目を瞑りながらカケルが答える。案外良い奴かもなと、心中でちょっぴりだけかぐやの評価が変わるのだった。