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ともに夢見るかぐや姫  作者: 津島 誠
1/3

始まりの夜 ver.1.3

 最近の高校生は自由時間にスマホゲームとSNSばかり……。僕もゲームをやっていますが、他の人が作った世界にただ受動的になるのでは物足りないので、青二才なりに能動的になる嗜みで執筆させていただきます。


 授業を進める先生の声が、かすかに聞こえる。しかし少年は板書を取ろうともせず、依然として窓の外を眺めていた。

 彼にとって、今の座席は至高の場所である。窓側の最後列。眺めが良いし、たわいない授業をする先生は遥か彼方だ。配布物も受け取るだけで、後ろに回す必要などない。そして何より、ーー彼には隣の席がいなかった。

 クラスの人数は29人。男子15人、女子14人である。自然と男子の1人席が生まれるわけで、彼はそれを勝ち取った。クラスメイトも彼が1人席になったことに安堵していることだろう。彼にクラスメイトと呼ぶ資格があるかはわからないが。


 彼は他人と接するのが苦手であった。信用できず、警戒してしまう。皆欲深く、心の内で本当に考えていることには想像がつかない。それがひどく怖いのだ。皆自分の欲を満たすため、他人に意見を押し付ける。それが普通だ。しかし彼には何をしたいといった欲がない。生理的欲求が満たされていればそれで十分、そう考えていた。だから自己主張ができない。皆がやりたいことをすれば良い。何も関係ない。少年はそう考えていた。

意見の違いで人と争うのは嫌いであった。どちらかの欲求が満たされるまで、どちらが正しいか決めつけるまで、争いは続く。正義か悪かなんて後付けである。結局は多数派が正しい、そんな社会である。ならば自分の意見など持ちたくない。周りに望みを抱かない。皆がやりたいことをすれば良い。少年はそう考えていた。


 それで、このザマである。


 彼には友達がいない。当然だ。意見を持たない人形と喋ったところで何も面白くない。

 そのくせ彼は運動神経は良かった。短距離走なら学年1位。良い意味悪い意味両方で目立つ左利き。ルックスも悪くない。平均身長であり、顔立ちも整っている。外見・能力からして自然と一目置かれる、皮肉なものだ。

 結果、彼を不快に思う輩は多い。性能、容姿は完璧なのに中身がないからだ。しかし普段から浴びる不良品を見るような視線を、彼は気にしてなどいなかった。


 夢を持ち、自己主張するのが普通の世界。なぜ描きたい夢を持たなければいけないのだろうか。彼は普通の生活さえ送れれば満足であり、将来の夢などなかった。

 強いて言うのであれば、彼の夢は……


こんな世界から抜け出すことであった。


「ニシゾラァ!」


 突如教室中に怒声が響く。空気は一気に張り付いた。

 窓を向いて頬杖をついていた俺は、姿勢を整え前を向く。クラス中から視線が集まっているのがわかる。そして先生は激昂である。


「これで何度目の注意だ!」

 

 先生はカバのような顔にシワを寄せ、メガネを通して睨む目は大きい。怒りのあまり小刻みに震えている。


「はい。」

 対して俺の返答は極めて簡素。表情一つ変えず、何が間違っているのかわからないといった顔である。

 毎度毎度授業を聞かずに上の空の俺にこんな挑発的な態度を取られてはたまったものではない。別に挑発している訳ではないのだが。

 堪忍袋が切れたカバが吠えた。

「授業を受ける気がないなら出て行けぇ!」

「……」

 それに対してすら俺は何も喋らない。これに反応しようがしまいが結果は変わらないことを知っているからだ。教師という立場にある限り、カバの優位は変わらない。どう反応しようがカバの意のままである。

「……後で職員室に来い。」

 怒りのあまり一周回って冷静になったカバは、冷たくそう告げて授業を再開した。

 当然俺はまた窓の外を眺める。

ーーこんな世界から抜け出したい

 そう思いながら。


※ ※


 授業後、昼休みも既に15分近く経過しているというのに、職員室では説教が続いていた。怒りの形相で唾を飛ばす機械に成り果てたカバはまだまだ止まらない。

 カバ。正式名称カワバタ先生。授業がつまらない、分かりづらい、そのくせキレやすいという生徒が忌み嫌う典型的なタイプの教師である。顔がカバに似ていて、かつ苗字から二文字を取って「カバ」と陰で呼ばれている。五十代後半の男性だ。

 説教の内容はこうだ。今勉強しなければ将来ろくな大人になれない。文明の急発展により、充実した生活が完全保障された現代社会において、望んだ仕事に就くのはさらに難しくなる。中学三年生は高校受験に向けて一層努力するべきだ。君は毎度毎度私以外の教師の授業も聞いていない。しっかり授業を受ければもっと試験で点数が取れるはずだ。

 もう聞き飽きた内容だ。そんなもの望んでないから授業を聞いていないのがわからないのだろうか。どうせ試験のための勉強だ。試験が終われば覚えたことを全て忘れる。試験以外では何も役に立たない内容ばかりじゃないか。入試でどう出題されるかばかり。受験ゲームをプレイするくらいなら、家で好きなゲームをプレイした方が100倍楽しい。

 

 適当に返答をして、どれだけ責められようと態度を変えなかった。そうとなれば後は根気勝負である。

 その後十分ほど説教は続き、

「……もういい。お前の担任に後は任せる。」

 狙い通り、あまりの馬耳東風ぶりにカバは匙を投げたのだった。


 カバが呼んでやってきたのは俺のクラス3Cの担任であるヤギ先生、通称「ヤギセン」だ。

「まーたニシゾラか。呼び出し今週で何回目だよ。」

 ヤギセンは呆れているような、面白いものを見ているような笑顔で近づいてきた。


 見た目からして優しそうなおっさんだ。全く手入れをしてないくしゃくしゃの髪にヨレヨレのワイシャツ。教師とは思えないほど着崩している。生徒に一番人気のある教師だ。ヤギセンの社会の授業はバラエティに富んでいて、テレビ番組を観ているように楽しめる。俺が唯一真面目に受けている科目だ。生徒に人気なもう1つの理由はその性格。優しく接しやすい人柄に、ユーモアがあり、話す内容も独特で他の先生とは明らかな違いがあった。


「さあカケル・ニシゾラ君。君の説教をしようと思うが……、午後の授業の準備をしないといけなくてね。5分後に社会科研究室に来なさい。」


 決して怒らないことで有名なヤギセンは、笑みを浮かべたままウインクをしてそう告げたのだった。


※ ※


 社会科研究室へ向かう。この合間に教室で昼食をとった。この5分の時間がカケルの昼食が栄養ドリンク1本であることを見越したヤギセンの気遣いであることぐらい、彼にはわかっていた。


「失礼します。」

 ノックして部屋に入ると、そこは相変わらずの書類の山だった。ヤギセンは頭を掻きながら必要な資料の捜索中であった。


「それで、また授業を聞いてなかったのか?」

 背を向けたままヤギセンが尋ねる。

「はい。やっぱり聞く価値のない内容だと思ったので。」

 慣れた口調で返答する。ヤギセンはカケルにとって1番友達に近い存在だった。

「古典も面白いぞ。歴史では触れないような昔の人の考え方、日常生活に触れられる。」

「川端先生がそこを重視してくれたら良いんですけどね。習うのは文法ばかりであくまで試験のための授業ですよ。あんな授業を真面目に受ける皆の考えが理解できません。」

 カケルは壁に寄りかかって答える。学校で1番落ち着く場所だ。

「皆自分の夢を叶えるために仕方なく勉強しているんだから、そう悪く言うな。」

 ようやく資料を見つけたヤギセンが振り返る。

「夢や希望を持つから人生ってのは楽しいんだと俺は思うよ。夢のために受験勉強に勤しむ彼らを、夢を持たない君が批判していいとは俺は思わん。君と彼らでは見ている景色が全く異なるからね。」

「夢って言ったって真剣に考えている奴なんてほとんどいませんよ。どうせとりあえず有名大学まで進学できれば良いと考えてる奴がほとんどです。」

 カケルは愚弄した顔で答える。

 向き合っていたヤギセンは頭を掻きながらハアーとため息をつき、真剣な眼差しでカケルを見つめた。

「それはただの推測だろう?それに君は彼らと関わらずその気持ちを何も知らないのだから、勝手に決めつけている君の方が1万倍愚かだ。」

「あんな自分のことしか……」

「あんな自分のことしか考えてない奴らがなんだ。彼らは彼らなりの主張を持ち、世界に自分の意見を、自分という存在を肯定させようとする。それを見てそれを嫌う君はなんだ。自己主張ばかりするのは良くないという自己主張じゃないのか?君も彼らと同じ人間だ。同じように自己主張を持ち叶えたい欲がある。そんな風に冷え切った表情してないで、彼らのように正面から意見をぶつけてみなさい。そうすれば“人形”だなんてあだ名も無くなる。」

「……。いいえ、彼らは俺とは違います。同じはずがありません。」


--俺はそんなこと認めない。認められない……。


 下を向き、拳を痛いぐらいに握った。自分の考えが上手く伝わってないだけなのだ。この心の中に蠢く感情を、上手く表現できれば……


「今日の説教はここまで。」

 ヤギセンが手を鳴らして終わりを告げる。視線を床から戻して見ればヤギセンの顔には既に笑みが戻っていた。

「さあ、午後の授業に遅れないように行動しないとな。」

 カケルの肩を叩いてそう言いつつドアを開ける。カケルはまだ言い足りなくて口を開けたが、ヤギセンの発言に制された。

「若いうちにどんどん考えてどんどん悩め。壁にぶち当たってぼろぼろになって乗り越えて、振り返って初めて人は成長に気がつくんだから。」

 ドアノブに手をかけたまま振り返り、先生は言う。


 セリフを残して笑顔のまま先生はスタスタ歩いて去っていった。


※ ※


 午後の授業も終え、現在17時50分。カケル・ニシゾラは塾の教室にいた。

 本来なら塾になど入りたくなかったのだが、仕方なく通っている。


 科学技術が発達して人間が働かなくても社会が成り立つ現在、自分が望んだ職業に就くには他人よりも良い学歴が必要であり、受験戦争は加速していた。そのため生徒の学力を向上すべく、学校は生徒を成績に基づき学力別で塾に割り振ったのだった。校則として、指定された塾に通うことを強制された。例外はなく、カケルも同様であった。

 とは言うもののカケルが真面目に勉強をするわけがなく、先生の説明は聞かず宿題もやらなかった。今も隣の生徒が必死に宿題をやっているのを気にも留めず、携帯をいじっている。


 教室には20名ほどの生徒がいる。しかし誰1人机を繋げて親しげに話すことはなかった。全員がカケルと同じ人間不信……というわけではなくむしろ逆で、私語が始まると教師の手に負えないため個人個人で隔離されているのだ。このクラスには名だたる問題児たちが集められていた。勉強に臨む態度から根本的に指導するクラスである。当然この塾で最も厳しい教師たちが集められており、説教ばかりで授業はろくに進まない。

 しかし1年生の頃からの厳しい授業の成果もあり、今では真面目に授業を受ける生徒がほとんどとなっていた。皆が成績の現状から将来を危ぶんだためだ。私語がないのは自分達が崖っぷちにいることに気づいたからだとも言える。


 それもたった一人を除いてだが……。


「ニシゾラァ!」


 18時00分。授業開始とともに怒声が鳴り響いた。いつも通りの光景の始まりである。


※ ※


 21時00分。授業終了。力任せに扉を開けて不機嫌な先生が立ち去る。


 次々と生徒が教室を出て帰り始める中、カケルはまだ教科書もしまわずにいた。もちろん使った形跡など微塵もなかったが。

 休憩無しの60分×3科目。いつも通りどの科目も冒頭10分はカケルの説教に消費された。残りの時間は講義だったが、相変わらずカケルは夢の世界の冒険であった。


 そんなカケルを機嫌が悪いのが明らかな男子3人が取り囲む。どれも柄が悪く、一癖ありそうな奴らである。

「お前さあ、いい加減授業の邪魔しないで欲しいんだわ」

 カケルの左側に立った1人がいかにもイラついた表情で話しかける。存在を強調する黄色の毛髪、性格をそのまま表しているかのような荒れた髪型。ワックスで髪を雑にオールバックにしている。目つきは鋭く、カケルを刺すかのようだ。

「……」

「シカトしてんじゃねーよッ!」

 無反応の“人形”への苛立ちのままに、カケルの机を力任せに蹴り飛ばした。教科書・筆箱は宙を舞い、机は大きくズレる。残りの2人が避難するほどの威力の蹴りであった。

 しかしカケルは依然として目線をを伏せたままである。表情も何一つ変わっていない。

「テメエは何のためにここに来てんだよ。俺ら受験生の邪魔するならさっさと消えろ。」

 3人はカケルに憎悪の目線を浴びせる。彼らが正義でありカケルが悪であるのは明らかである。

「……ぷっ」

 重々しい空気の中、カケルは笑いを堪えきれずに吹き出した。


 彼ら3人全員学校のクラスメイトであった。机を蹴飛ばしたリーダー格の男は、短気な乱暴者として有名なヒデキ・タカダである。他の2人はその子分のタナカとクリモト。学校では不真面目で内申の低い連中で、この最下位クラスに入れられるほどである。

 そんな連中が「俺たち勉強したいんだよ!」とか……。なんて笑える話だ。大方内申が低いから出来るだけ学力をあげて良い高校に行こうと焦っているのだろう。


 そんなことを考えているうちに、気づけばカケルは襟元を掴まれ無理やり立たされていた。

「オイ、脳のない人形ごときが何調子に乗ってんだよ。」

 自分たちが損なわれたらすぐに手を出す連中だ。暴力沙汰になるに決まっている。しかしその暴力こそが自身の受験において首を絞めることに彼らは気がつかないのだろうか。まあ気がつかないような連中だからこのクラスにいるのだろうが。


 タカダが拳を振り上げる。

ーーその時だった。


「先生こっちです!生徒が喧嘩しています。」

 廊下から先生を呼ぶ女子の声が聞こえた。その澄んだ声は、生徒の帰った無人の廊下に、教室に端から端まで響いた。


 その声を聞いた途端タカダたちの動きをぴたりと止まる。


 彼らにとって塾にまで暴力沙汰で目を背けられるのには思うところがあるのだろう。その表情からは既に余裕が消え、襟元を掴んでいた手を乱暴に離した。

「チッ、次邪魔したら容赦しないからな。」

 捨て台詞を吐き捨て3人は急いで退散する。その速度は慣れているだけあって達者なものだった。


「ハァ……」

 カケルはため息をついて床に落ちた物を拾い始める。アニメでよくありそうな展開だ。まあフィクションとは違って自分1人でも対応可能だったが。


 こうやって奴らに絡まれるのは何度目だろうか。タカダは事あるたびにカケルに暴言を吐くのだ。今回はともかく、その暴言は言いがかりも良いところだ。体育で球技のゲームに負ければ、敗因はカケルが同じチームにいたからだと言う。俺のような空っぽの器に人並みより優れた能力があることを許せないのだ。見た目は中学生、中身は小学生低学年レベルのバカな男だ。カケルはそう考えていた。


 静かに荷物を整え、教室から出る。


 そこにはやはり1人の女子が立っていた。

 アイリ・タチバナ、タカダたち同様クラスメイトである。カケルがタカダたちに絡まれるたびに助けてくれる人物だ。青髪の、いわゆるショートボブで、顔立ちが良い。クラスの全員に優しく、おしとやかな性格の持ち主であった。

 しかしながら、カケルはこのタチバナを好まなかった。


「ニシゾラ君、大丈夫だった? 」

 心底心配した表情で、優しい声で翔に尋ねかける。頭の良いタチバナは他の教室で講義を受けて、帰り際に現場を目撃したのだろう。クラスの男子からの人気も高いであろう女子が、こうして俺を心配してくれている。


……その親切を、瞬間翔は踏みにじった。


「先生を呼んだふりとか目に余る芝居しなくて良いから。保護者面して俺を監視するのをやめてくれない?」


 その表情に感謝など無い。汚物を見るかのような目で、冷え切った言葉を吐き捨てる。

 相手の心に傷を負わせ、カケルは振り向きもせず去っていった。


 後に取り残されたタチバナは、その眦に涙を浮かべる。しかし彼女の心は傷を負ったものの、ヒビ割れてはいなかった。数多くの人達がいじめられるカケルを助けようとし、逆にその親切心を踏みにじられたことを彼女は知っている。それでもカケルを救おうとタチバナは何度も手を差し伸べる。これまでも何度も手を差し伸べてきた。そこまでしてカケルを守る理由が、彼女にはあるから。


 彼の知らないところで、いつか心を開いてくれることを願って、遠ざかる背中を見守っていた。


※ ※


 塾を後にしたカケルは、雨に濡れていた。傘は持ってきていなかった。電車で帰るのならば全く問題にならないのだが、あいにくカケルは徒歩であった。

 土砂降りの中、高層ビルの合間をカケルは歩く。車道に車は無く、歩行者も誰1人いない。雨音だけの暗闇を、ビルの灯りが照らしている。

 カケルは雨に濡れることなど気にしていなかった。風邪にかかって体調を崩そうが、心配する人はいない。雨のことよりも、頭の中は他のことでいっぱいであった。


 カケルはタチバナのことが嫌いであった。望んでもない親切をされるのが鬱陶しい。自分の力だけで解決できる。

 タチバナは誰にでも親切であった。しかしそれだけではない。カケルにだけ、より親切であった。困っていたら手を差し伸べようとするだけで無く、いつも心配そうな目を向け、常にカケルを支えようとしていた。そんな彼女をカケルには理解できなかった。不快であった。


 親切心には2種類ある。性格としての個性の飾り付けと、心からの純粋な思いやりの2つだ。また、親切心の対象にも、周囲全体と特定の相手と言った2種類がある。

 飾り付けの親切心は、自分が好む相手に働くことが多い。人間関係の向上・維持のための手段である。特定の相手に自分が優しい性格であると認知させるのだ。飾り付けの親切心が周囲全体に働くときは、誰にでも優しい性格だと特定の相手に認知させるため。所詮はイメージの装飾であり、優しさは道具だと思っている。あくまで特定の相手への親切心が土台であり、その上に周囲全体への親切心がある。

 それに対して心からの親切心は周囲全体に働くことが多い。周りに困っている人がいると助けずにはいられない。周りからどう思われるか関係なく、良心に従って行動する。この親切心が特定の相手に働くのは特別な理由があるときだ。相手がその人にとって大切な存在であるとき、相手が放って置けないような不運な人だったときなど。しかし周囲全体への親切心は変わらず、その上に特定の相手への親切心が成り立っている。


 カケルはこの考えのもとタチバナは後者であると考えた。カケルが特定の相手として見なされている以上、どうにか嫌われてこれを回避する必要がある。だからありがた迷惑であることを気がつかせようと冷たく接しているのだが、……全く効果がない。

 今まで自分を哀れんで親切心を向けてきた奴は一度冷たく接するだけで近づかなくなった。しかしタチバナは違った。クラス1の不審人物に特別優しく接する、それは相当勇気のいることだ。カケルに親切にすればするほどクラスメイトからの評価は下がるだろう。そこまでして特別に優しくするのは何か重大な理由があるからだ。かといって、そこまでしてカケルを守る理由が彼女にあるとは思えなかった。記憶になかった。


※ ※


 ふと足を止めて空を見上げた。気がつけばまた非日常を探していた。こんな日常に意味があるのだろうか。こんな世界から抜け出したい。心が躍るような体験をしてみたかった。

 雨に打たれながら空を見つめる。雫が頬を伝う。それに気がつかないほど、彼は強く、新たな世界を望んでいた。出身も学歴も関係ない、その場の判断が道を分ける、先の見えない新世界。そんな世界になれば、彼は変われるのだろうか。


「……ッ!」


 その時、雨雲を突き抜け、一筋の光が差した。地上に佇むカケルなど意に介さない、蒼色の矢だ。速度を落とす事なく、徐々に高度を下げて地上へ向かって伸びていく。

 行き先は、カケルが歩く大通りの、その先のその先。進行方向正面にそびえ立つ、巨大な森林公園に向かって、矢は吸い寄せられる。


 カケルは走った。

 雨音だけの薄暗い夜に、彼の息と足音が刻まれる。

 信号の色など関係ない。その世界に今は彼しか存在しない。

 その瞳に映るのは、闇で不気味さを増した森林だ。次第に蒼い光が映り出し、森林に重なり始める。


 視界が蒼で染まった。


 突風が、夜の静寂を吹き飛ばす。


 蒼に包まれた世界で、カケルは咄嗟に地面に伏せた。

 暴風が悲鳴をあげながら頭上を通り過ぎるのを肌で感じた。


 立ち上がり、辺りを見渡す。思ったよりも威力は弱く、看板が飛ぶ程度であり、信号機と電柱は少し傾いたものの機能は損なわれていない。

 ただし目の前の森林公園は例外である。大半の木々は倒れ、所々に火がついているのが見えた。


 カケルは、躊躇なく森林公園に向かって走り出した。


 今彼の心を支配するのは、日常を抜け出したいただその思い1つだけであった。


 ずぶ濡れで、息も絶え絶えになりながら、彼はその場所を目指す。


 落ちたのが隕石なのか人工物なのか……、そんな単純な探求心で四肢を動かしている訳ではない。


 こんな退屈な日常から、名義ばかりのこの世界から抜け出す“鍵”が、この先にある。そんな気がしてならなかった。


 入場ゲートは無残な姿に成り果てていた。火の集まる木々を、墜落地を、そこから探した。倒木を飛び越え、炎のトンネルをくぐり、光の正体を探した。


 いつのまにか公園外れの竹藪に入っていた。普段は閑静としたその場所も、火の手が周り地獄と化していた。

 炎を掻き分け、火傷を負いながら、突き進んだ。

 自分が馬鹿なことをしていることなど、疾っくの疾うに気づいていた。

 自分が首を突っ込む必要のないことだと十分承知している。

 ただ、そこに“何か”がある気がしたからーー。


 竹藪を超えた。いや、竹藪の中に穴があった。そこには、楕円形の人工物が外傷なく横たわっていた。


 それは、鶏卵のような形をした、現代社会の医療器具、ヒーリングカプセルであった。


 カケルは足を止めた。予想外の結末だった。

 ヒーリングカプセルとは、今や全ての病院に設置されているのみならず飛行船などにも普及が進んでいる、基本的な治療を全て自動でこなす医療用カプセルだ。大方飛行船の事故で落下でもしたのだろう。中に患者がいたとしても、カケルが外に連れ出すよりもカプセル内にいた方がよっぽど安全である。


 未知が既知へと変化すると同時に、カケルは我に返って、この不毛な行動を見つめ直した。

 日常に嫌気が差し過ぎて熱に当てられていたようであった。


 自ら進んで衣服を煤まみれにして火傷を負った、馬鹿な男がいる。ただそれだけである。


……カプセルが開かなければの話だが。


 カプセルが不意に開いた。カプセルの上半分が扉となって持ち上がると、湯気のような煙が立ち、清潔な白いベッドが現れた。

 ベッドには淡黄檗うすきはだ色の髪をした少女が1人。


 少女は目を開き、ベッドから体を起こす。

 服は着ていないようで、掛け布団の薄い布地で体を隠した。


 そして立ち上がる。その様子はさながらサンドロ・ボッティチェッリの作品『ヴィーナスの誕生』のようであった。


 覚醒したばかりの彼女の瞳が、自分の置かれた状況を理解しようと、少し不安を瞳に宿しつつ辺りを見渡した。

 そして、唖然として見つめるカケルと目が合った。


…… 一瞬の沈黙。お互いに何を見ているのか脳の処理が追いつかずに硬直した。


「キャッ……。何見てるのよ! 」

 途端に可愛らしい顔を羞恥に染め、カプセル内に引っ込む。首だけヒョコッと出して、カケルにあられもない格好を見られたことを抗議する。


 対してカケルは反射的に回れ右をして、

「べ、別に見たくて見た訳じゃない。急にカプセルが開くもんだから仕方なく……」

 いつもの冷徹な態度は何処へやら、年頃の男子の反応テストなら満点である。


 互いに頬を赤らめて、気不味い沈黙が流れる。

 燃え進む森林の危機的状況下のこの男女のやり取りの状況。なかなかに面白いコントラストだ。


「なんであなたはこんなところにいるの? 」

 先に話しかけたのは少女だった。少し恥じらいながら、しかし詰問口調で言う。


「空から何かが降ってくるっていう珍しいことがあったものだから、……ちょっと気になって見に来ただけだよ」

 想定外の事態に男の子心が宿った人形が答える。


「ふーん。ちょっと気になっただけならそんなにボロボロにはならないと思うけど……。あなた名前は? 」

 疑いの目を向けつつ、やり取りを続ける。この間もカケルはしっかりと少女に背中を向けていた。


「カケル・ニシゾラ。何の変哲も無いただの中3だ。」


「そう……」

 名前を聞くと少女は何やら真剣に考え始めた。

 カケルがこちらを向きそうに無いことを確認すると、また立ち上がって思考を続ける。


 そして、

「うーん、ちょっと変態さんかもしれないのが不安だけど……、良いわ、あなたを頼ってあげる! 」

 決心が着いたのかカケルに堂々と宣言する。


 発言から瞬時に、カケルの耳が①変態さん②あなたを頼るを察知。

 振り返り、

「はあ⁈ 」

 パワーワードのおかげで赤くなっていた顔が0度まで冷え切り、相手を警戒した普段のカケルが復活する。


 少女はまたカプセルにサッと隠れて顔だけ出して、続ける。己の秘密を打ち明けようとしているかのように、神妙になって言葉を紡ぐ。

「私はかぐや。月から来たの。」


「……」

 私は異星人であるという、突然の衝撃の告白。開いた口が塞がらない。


 異星人に出会あうなんて……などと感激のあまり声が出ない訳では無い。その逆だ。この文明が進んだ今の時代に、月から来たかぐや姫だなど馬鹿馬鹿しい。


 冗談だろと手を振って小馬鹿にしながら見つめるカケル。


 しかし少女の、自称かぐや姫の、瞳は笑っていなかったーー。

まだ慣れていないもので、至らない点が多々あると思います。気になった点がございましたらバシバシコメントしちゃってください。


応援よろしくお願いします!

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