第一話 何者でもなくなった元勇者は死を受け入れる
時間は少し遡る。
俺が魔界に封印された直後のこと。幼き魔王ちゃんとはまだ出会っていないこの時、俺は今後について悩んでいた。
「さて、どうしようかなぁ」
魔界でのんびり過ごすことは決定している。しかし、どこでどうやって暮らすのかはまだ未定である。
俺は人間なので食べ物を口に入れないと死ぬ。寝るところも必要だし、それなりに清潔な住居も欠かせない。一生魔界で野宿しろと言われても、無理だ。
できれば、誰かに頼りたい。しかしながら俺は魔族にとって天敵なので、誰にも受け入れられない可能性が高いだろう。最悪、顔を合わせた瞬間に殺されてもおかしくはなかった。
……まぁ、その時はその時でいいか。
殺されたところで困るようなことはない。俺という勇者の物語は既に閉幕している。これから始まるのは後日談と言う名の余談だ。あってもなくても大した価値はない。
そう考えると、とても気楽になれた。今後のことなんてなるようになるか……とりあえず、歩こう。まずは魔族を見つけることから始めるとするかな。
「……行くか」
そうやって俺は歩き出す。
魔界――そこは、魔族の住まう世界だ。人間界とは違って常に夜の魔界はとても薄暗い。人間界と違って人口も少ないので、灯りもかなり遠くにしか見えなかった。ここからはかなりの距離がありそうである。
とはいえ、俺は勇者……いや、勇者だった男である。体は頑丈なので、移動距離については別に問題じゃなかった。
歩くこと暫く。
ひんやりとした風を浴びながら歩いていると、不意に気配を感じた。
俺じゃなかったら気付くことが出来ないくらい、微かな気配。背後から忍び寄る何者かを知覚して、俺は咄嗟に両手を挙げた。
「抵抗はしない」
「……気付いているなら、抵抗できたと思うのですが」
喉元に刃物が触れる。同時に響いた冷ややかな声を耳にして、俺はこの声に聞き覚えがあることを思い出した。
「お前は……確か、魔王の側近だったメイドの……」
かつて、何人かぶっ殺した魔王の側近にこんな奴がいた気がする。
たくさんの魔族と出会ってきたのだが、彼女のことは印象強くて覚えていた。
男ばかりの魔族の中で唯一戦いの場に出てきた女性であり、死ぬことを恐れない魔族の中で唯一俺に命乞いしてきた興味深い魔族である。
「覚えていましたか……久しぶりですね。できれば、もう二度とお会いたくなんてありませんでしたが」
顔見知りと分かったところで警戒は解かれていないのだろう。喉元のナイフはぴくりとも動かず、俺をけん制していた。
「何をしに来たのですか? いえ、聞くのも無粋ですね……私たちを、殺しに来たのでしょう?」
「……そのように命令はされているな」
「では、死んでください」
「あ、待って! まだ話は終わってないから!! まだ殺すのは早い、落ち着けっ」
ナイフが俺の喉を裂く寸前。慌てて声を上げると、彼女は動きを止めてくれた。危ない……わずかだけど、刃物が俺の皮膚を裂いていた。あと一瞬でも声を上げるのが遅れていたら間違いなく死んでたと思う。
「何か、話があるのですか?」
「ああ。俺は確かに魔族を殲滅してこいと命令はされている。だけど、その命令を聞き入れるつもりはないんだよっ。俺はお前らに危害を加えるつもりはない」
はっきりとそう宣言しておく。まぁ、今まで敵だったのだからそう簡単に信じてはくれないだろう――と、思っていたのだが。
「……なるほど。だからあなたは抵抗しないのですね? 私程度の拘束、あの勇者であれば簡単に逃れられるはずと違和感を覚えておりました。そういうわけですか」
意外にも、彼女はすんなりと信じてくれた。
だが、その上で……ナイフは、喉元からぴくりとも動かなかった。俺の言葉を理解しようとも、警戒を解くつもりはないということである。
「何か事情はあるようですが……そんなこと、どうでもいいです。あなたは……勇者は、私たち魔族にとって天敵でした。たくさんの同胞があなたの手によって葬られてきました。そんなあなたを、生かすと思いますか? また同胞が殺されるかもしれないのですよ?」
無感動なその声に、俺は苦笑する。
確かにその通りだ。俺は彼女の仲間をたくさん殺してきた。今更、ここで穏やかに暮らしたいというのは、いくらなんでも都合が良すぎるだろう。
「……そうだな。じゃあ、殺してくれ」
仕方ないことだ。
できれば、のんびりと余生を過ごしたかったのだが……こんな終わり方も一興だ。
「言い訳を言うつもりはないよ。お前が殺すべきだと判断したのなら、そうしてくれて構わない。さっきから言ってるけど、抵抗するつもりはないんだ。俺の物語はもう、終わってるから」
かつて、人間界を守り続けた立派な勇者はもういない。
ここにいるのは、勇者と言う役割を終えた抜け殻だ。
「――では、遠慮なく」
言葉の直後、ナイフが喉の皮膚に食い込んできた。
……振り返ってみると、大して価値のない人生だった気がする。多くの命を救ったので立派だったとは思うが、幸せはどこもない空虚な人生だった。
虚しい末路だが、これもまた俺らしいと言えば俺らしい。たくさん殺してきた魔族に殺されれば、少しは気が楽になるのだ。それだけで良しとしておこう。
「ありがとう。殺してくれて」
そして俺は、死んでいく――
「……本当に、抵抗しないのですね」
――死んだと、思ったのに。
喉元に食い込んだナイフは、しかしそれ以上皮膚を切り裂くことはなかった。致命傷のギリギリ寸前で、ナイフは静止している。
「殺してもいいんだぞ? 遠慮しなくてもいいんだけど」
「いえ、気が変わりました。あなたが私を騙そうとしているのではないかと、そう思っていたので……どうやら、私たちに危害を加えるつもりはないというのは本当みたいですね」
おっと。どうやら彼女は警戒を解いたらしい。喉元のナイフもなくなっていた。
「そういうことであれば、あなたには利用価値があります……本当はあなたを殺すべきなのかもしれませんが、私たちにその余裕はありません。こちらも、色々と切羽詰まっているので」
「そうなのか? うん、じゃあ俺を遠慮なく利用してくれ。そうしてくれると色々ありがたいかもしれない」
ともあれ、生きることができるのなら、それは良いことだ。いくらでも利用してくれて構わない。むしろそうしてくれた方が衣食住について心配せずに済みそうなので、俺としては都合が良かった。
「……前からずっと思っていましたが、あなたは不思議な方ですね」
「そうか? 別に普通だと思うけど」
「普通ではないと思いますが……とにかく、あなたには今から『魔王様』に会ってもらいます。その上で、色々と話をしましょう」
そう言って彼女は歩き出す。
「お、おう……分かった」
今後、どうなるかは分からないが、とにかく俺はその後ろをついて行くのだった――
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