第四話『逆さジーンズの遺伝』
「ただいまー」
僕が帰宅を告げたと同時に、どたどたどた、という音とともに逆さになったジーンズがひとりでに走ってきた。
「おかえり、お兄ちゃん!」
足をはやした逆さのジーンズが話しかけてきた。ちょっとしたホラーだ。
「ゆず、ズボンは下にはくもので、かぶるものじゃないよ。それに身体がすっぽり隠れるから前が見えないだろ?」
僕は優しい声音を意識して妹に語りかける。
「うん! 見えない! お兄ちゃんのズボンでかい!」
楽しそうに嬉々として語るゆず。
「いいかい? パンツもズボンもかぶってはいけないよ、はくものだからね?」
今日も今日とて絶好調な妹に根気強く諭す僕。
「わかった!」
相変わらず、僕を不安にさせる返事のはやさだった。
リビングに入り、今日は先に帰宅していた母親に声をかける。
「母さん、いたなら、ゆずを止めてあげてよ」
母親なら娘の暴走を止めて欲しいものだ。
「あら、可愛いからいいじゃない、それに母さんも、あのくらいの時には、ああやってお父さんのズボンをかぶっていたものよ」
DNAの恐怖。僕には遺伝されていないことを祈るばかり。
「あのくらいっていうけれど、ゆずも今年で小6だよ? 戦国時代なら政略結婚している歳だよ」
「平和な時代で良かったわよね、こんな年齢で妹がお嫁さんになるなんて寂しいでしょ?」
「母さん、何わけのわからないことを言っているのさ、ゆずは一生結婚しないよ?」
まったく、いい加減にしてほしい。こんなに馬鹿可愛い、略して、ばかわいい妹が嫁にいくなど間違っている。お天道様が許してもお兄ちゃんが許しません!
「あんたも、そうとうあれよね」
母の冷たい視線が刺さる。
「母親のあれな部分が遺伝したのかも」
「母胎のせいにしないでよ、教育がそうさせたのかしら?」
首を傾げながら、母がそう言う。
「どちらにせよ、責任転嫁に失敗しているよ……」
世間からみれば我が家全体があれなのかも知れない。
19世紀のロシア文学を代表する巨匠、トルストイは、自身の著書で言った。幸福な家庭はすべて互いに似通ったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものであると。
僕は、自分の家が幸福であると感じているが、我が家に似通った家庭が、他のあちこちにもありふれているとは、どうにも考えにくいのだ。もし、こんな家庭がありふれていたのなら、人類の進歩はここまでの領域に足を踏み入れていなかったと思う。それどころか、うちの妹クラスのおバカさんが一家に一台、搭載されていたなら、人類滅亡も視野に入るね。ということは、我が家と似通っていない、うち以外の家庭は全て不幸なのだろうか? などというくだらない考えが頭の中をよぎった。
はい、疲れてますね、おやすみなさい。