第三話『先輩は不戦敗?』
「よし、これで帰りのホームルームは終わりだ、みんな気をつけて帰るように」
担任教師のあいさつが終わり、生徒達は蜘蛛の子を散らすように教室から飛び出していく。
さてと、僕も、部室に向かうとするか。
静まりかえった部室。この雰囲気が僕は嫌いじゃない。3階の一番隅に追いやられている、この部室は、外からの喧騒が届きにくく、良い作品を考えるのには、うってつけの空間だ。こうして一人でいると、校内とは思えない程に心が休まる。
しかし、静寂とは時として唐突に終わりを迎えるものである。
『ガンガンゴンゴン!』
激しいノックが、さっきまでの静けさを幻へと変える。
「どうぞー」
僕の掛け声と共に、勢いよく扉がひらく。
「先輩! お待たせしました! いや、お股でしますか?」
「黙れ、もう少し普通の登場はできないのか、年中発情女」
困ったことに、今部室に入ってきてしまったこいつが、駄洒落創作部の火曜日を担当している、識浴春乃だ。僕と優香の一つ下で、一年生の後輩だ。
「いきなりのご褒美ありがとうございます!」
満面の笑みで部室に入ってくる春乃。
「あげた覚えのない物に勝手に感謝するな」
「先輩はつれないですねー、せっかく、春乃が茶道部の休みの日に、わざわざ来ているというのに」
我らが駄洒落創作部はシフト制なのだ。うちの部員は基本的に、アルバイトや他の部活と掛け持ちしている部員ばかりで、月曜日から金曜日まで部室にいる暇人は、僕だけだ。
そして、本日、火曜日を担当するのが、茶道部員兼、駄洒落創作部員の春乃だ。
「春乃、茶道部員ならそれらしく、いや、しおらしく、わびさびの何たるかを少しは見せて貰いたいものだね」
春乃には慎みの心が足りない。それらしくもなければ、しおらしさもない。あるのはいやらしさだけだった……。
「いいですよ、今度、お茶を点ててあげますね。あ、すみません、お茶もたててあげますね?」
「おい、も、ってなんだ!」
「言わせないで下さいよ♪」
そう言ってウィンクをぶつけてくる春乃。
「ノリノリだろーが、大人しくお茶だけたてろ」
「それは無理です先輩♪」
「なんでだ?」
「私が着物をきてお茶を点てようものなら、先輩のものも自然にね♪」
「ない!」
と言っておこう。実際の所は否定しきれない僕がいた。何せ、茶道ってさ、はんなりエッチだからね! 全国の茶道を愛する皆さま、ごめんなさい、そしてありがとうございます。
「いやー、しかし、私にだけ厳しい先輩に愛を感じます、いえ、愛も感じます♪」
「あげた覚えのない物に勝手に感謝するな! それに、も、ってなんだよ」
「春乃は、愛の他にも色々と感じていますよ♪ 確認しますか?」
耳元で囁くな、確認したくなっちゃうよ?
「確認もしないし、耳元でしゃべるな」
「えー、それはお悩みですか? オナ病みですか?」
「お悩みだから、離れろ!」
「先輩は素直じゃないですね、それはそれで捗りますけどね」
春乃の瞳が怪しく光る。
「何が捗るのかだけは、黙っていてくれよ。というか、ちゃんと作品をかんがえろ」
「かんがエロだなんて先輩のスケベさん、もうちゃんと考えてあります♪」
「はやく言えよ」
「先輩は欲しがり屋さんですね、言いますよ、イキますよ? 『濡れ衣で濡れる』……どうですか?」
「冤罪をかけられて感じるのは辞めろ!」
「先輩、ボケへの感度高すぎです♪ 私開発されちゃいますね?」
もう疲れてきた……。はやく自分の作品を言ってしまおう。
「次は僕の番だ、『書く仕事なのは、隠し事』」
「なるほど、作家であることを隠しながら、活動しているのですね。何か、やましいことでも書いているのかな?」
「お前の想像力はある意味、作家向きだな」
「先輩は、マスかく仕事が隠しごとですね♪」
「黙れ……」
「はーい! 上の口は閉じます」
一体全体どういうことなのでしょう。僕の中の探求心が、この謎を解き明かすのだと囁きかけてきます。しかし、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだと、ニーチェさんが言っていました。パンドラの箱しかり、ブラックボックスしかり、男子高校生のベッドの下しかり、世の中には覗かない方が良いものがたくさんあるのです。ニーチェさん、マジ博識!
「春乃、そういうのも程々にしろよ」
「程々に折り合いをつけた状態が先輩から見えている、春乃ですよ?」
「お前のフルパワーが恐ろしいな」
「あと二回変身を残しています」
フ○ーザ様かよ……。
「そのままのお前でいてくれ」
「プロポーズですか?」
「いや、お前は僕の手に余る」
こいつはデンジャラス過ぎる。
「手に余るのでしたら、全身で春乃を愛して下さいよ。あ、これ、プロポーズです」
「言い方が悪かったな、お前は僕の手に負えないよ」
「今は、手に負えないのなら、追ってきてくださいよ、先輩が追いつくまで、春乃はここで待っていますから」
春乃は時折、どうしようもなく、寂しそうな笑顔を浮かべる。部員一のムードメーカーであり、部員一の寂しがりや。言葉の端にみせる脆さ。印象的で強い言葉を使い、自身のバランスを測ろうとする危うさ。そのような、矛盾した言葉と感情の積み重なりが、彼女であり、彼女の魅力なのかも知れない。
「俺はお前の先輩だからな、不戦敗だけはしないつもりだよ」
「先輩が勝負に出たら、負けはないですよ? 瞬く間に股を開きます」
「尻軽女」
こいつの尻は発泡スチロールで出来てんのか?
「そんな短いツッコミありますかね、三文字ですよ? もっと長くツッコンで下さい♪」
一瞬見せた寂しげな横顔が嘘だったかのように、楽しそうに返してくる春乃。
「的確な三文字だったからいいだろ、余計な手間をはぶいた様式美だよ」
「誰にでも軽いわけじゃありません、優しい男性にだけです!」
「守備範囲広すぎだろ、ゴールデングラブ賞、待ったなしだな」
「春乃にとって、優しい男性は先輩だけですよ」
「俺ほどお前に厳しいやつ、他にいないだろ」
「だからですよ」
不意に真剣な表情を見せる春乃。
「ドM」
「ついに二文字ですか? はやくイクと嫌われますよ? 春乃は、そんな先輩も好きですけどね♪」
真剣な顔を見せたかと思えば、次の瞬間にはもう違う表情になっている春乃。目まぐるしい変化を見せられた僕は魅せられているのかも知れない。
「はいはい、ありがと」
「なんですか、その雑な返しは、もう一声下さい」
「そんな後輩が俺も、嫌いではないよ」
「よ、よしとしましょう……」
顔を赤らめ、床を見つめる春乃。
「お前の羞恥ポイントが、どこに潜んでいるのか、ワカラナすぎる」
「ほ、本当にもう一声あると思わなくて……」
いつもの、羞恥心を丸ごと売り払ったような春乃の姿はそこにはなく、セミロングに切り揃えてある毛先をいじりながら、困り顔の混ざった照れ笑いを浮かべている。
「お前にはもっと、恥ずかしがるべきポイントがあるはずだろ」
「いえ、春乃にとっては、これが正解です」
今日一番の笑みで力強く言い切る、春乃。
「まぁ、お前がよくわからんのは、最初からか」
「春乃はミステリアスですから」
「いや、お前は、デンジャラスだよ」
とびっきりに危険な女だと言える。
「先輩はどちらが好みですか?」
「よくよく考えると、ミステリアスもデンジャラスも危ないのは、一緒だな」
「どういうことですか?」
不思議そうに首をひねる春乃。
「未知のものには危険が潜んでいるし、最初から危ないとわかっているデンジャラスよりも、情報の少ないミステリアスの方が、その分、危ないかも知れないな」
「つまり?」
結論を察した春乃は、にやつきながら聞いてくる。
「デンジャラスも悪くない」
「素直じゃないですね♪」
「うるせ」
春乃がデンジャラスなのも、僕が素直じゃないのも、今に始まった事ではない。
「あ、もう一発思いつきました♪ イッていいですか?」
「好きにしろ」
「変態のみの編隊」
春乃の意外に綺麗な字がスケッチブックに踊る。
「お前みたいな変態ばかりで組まれた編隊とか墜落決定だな」
「いやいや、瞬く間に劣勢を優勢へと変えてみせますよ」
劣勢を優勢に変える大変優秀な変態達とか、恐ろしすぎる……。
「でも、確かに、群れをなす変態って強そうなイメージがあるな」
「逆に、孤高な変態でも強そうな感じですよ?」
「あれ、まじだ、つまり変態というワードが強いのか?」
変態ってパワーワードなのか?
「じゃあ、春乃達は最強ですね♪」
「達じゃない、最強な変態はお前だけだ!」
「えー、でも先輩、優香さんといる時、優香さんが屈むたびに、視線が胸元ロックオンじゃないですか?」
最強なのは僕達であった。
「べべべべ、べちゅに、みてないし……」
「春乃のならロックオンしてもいいですよ♪」
「あれ、照準があわない、故障かな? あ、ターゲットがいないだけか」
「どういう意味ですか先輩? この雲流れる青空となだらかな草原のような美しい胸元が見えていないと?」
「なだらかな大地をこよなく愛する、なだらか主義者も世の中にはたくさんいる。だから安心していいんだよ、春乃」
今日一番の慈愛に満ちた表情をうかべ、静かに囁く僕。
「こんな時だけ優しくしないで下さい!」
「こんな時だからこそだ。それに、お前にはまだ未来がある。成長する可能性は残されているさ、ゲームセットにはまだ早い」
「いいセリフでお茶を濁さないで下さい」
「茶道部だけにな?」
「したり顔が鼻につきますが、今日はこの辺でお開きにしましょう先輩」
「そうだな、お前と話していると時間があっという間だな」
アインシュタインも楽しい時間はあっという間って言ってるくらいだしな。
「先輩は本当にずるい人です……。じゃあ次は金曜日ですね」
そう言って、春乃は茶道部員らしく、しおらしく笑うのであった。