さいしょのひとり
ある、貧しい村での話。
その村のある国では、こんな決まりがあります。
働けなくなった年寄りは山に捨てなくてはならない。
いつ、その決まりができたのか分からないほど昔から、たくさんの年寄りが山へと捨てられていきました。
今日もまた、一人のおばあさんが息子に背負われて山へ向かいます。
おばあさんも、昔はこうやってお父さん、お母さんと別れました。今日は自分の番が来た、ただそれだけの事とおばあさんの心は落ち着いています。
一方、捨てる側の息子はそうもいきません。これから初めて、親を捨てにいくのです。
お母さんと過ごした、これまでの事が息子の頭に浮かびます。
転んで痛い思いをした時、なぐさめてもらったこと。手をつないで歩いた、家への帰り道。
息子の中で浮かぶ思い出の温かさとは反対に、道には冷たい風が吹いていました。
息子の心を鏡のように映したのか、空はどんよりと曇っています。
日が沈んで暗くなれば、もっと寒くなる。山へ置き去りにされたお母さんがどうなるのか、思い浮かべるのは簡単です。
このまま、お母さんを連れて帰ってしまいたい。
けれど、そんなことをすれば二人とも死んでしまいます。決まりを破った罰を受けて、というだけではありません。
この国は、税がとても重いのです。ここでお母さんを連れて帰っても、食べるものがなければ生きてはいけません。
決まりをか、破ってしまうか。悩み続けても答えが出ることはありません。ついに息子は、親を捨てる場所についてしまいました。
一本の大きな枯れ木の根元。目印になるその木以外に何もない、とても寂しいところ。
辛い息子の気もちのわかるお母さんは、言葉を口に出すことはなく地面にゴザをしき、そこに座り手をあわせます。
あとは、その時を待つだけ。そして息子は、ここを離れる。ただそれだけなのに、息子の足は動きません。
これが、本当に最後の時間。ここに来るまでも迷い続けた息子は、家への一歩を踏み出せないのです。
「そろそろ、おかえり」
長くここにいれば、いるほどに辛くなる。
お母さんの言葉を聞いた息子は、とうとう家に向けて走りだしました。目からこぼれ落ちるものも、胸の痛みも、その全てを振り切るように。
そうして息子が走り去り、ひとり残されたおばあさんに姿の見えない『なにか』が話しかけます。
「お前は死ぬことを受け入れているというのに、その一方で心残りがある。いったい何が、お前をこの世に引き止める?」
それがあの世からのお迎えだと思ったおばあさんは、この言葉に答えました。
「私も昔、親をここに送りました」
おばあさんの親をここに送ったのは、病気で先だったおじいさん。
おばあさん自身がそれをした訳ではありません。けれど、その時おじいさんがどうなったかは、よく覚えています。
「あの子を一人、置いていかなければならない、それが辛いのです」
「ならば、帰ればいいだろう」
その『なにか』にとって、なぜおばあさんがここから離れないのかは不思議な事でした。
「同じようにここへきた人間を、大勢見てきた。なぜだ?」
「ここに留まっても、あの子のもとへ帰っても、私が行くところは変わりません」
二人揃って死ぬか、息子だけ生きるか。年を取って体の弱ったおばあさんは、どんな道を選んでも生きていくことは出来ないのです。
「もし、元気に働くことができて、年寄り見えなくなれば、お前は帰るのか」
それならば、こうすればいい。
へとへとになりながら、息子は一人で家に帰って来ました。今日の朝まで二人で住んでいた、大きくも広くもないはずの家。今はとても、寂しいところのように思えます。
「……寝よう」
息子は明日も、働かなければなりません。悲しいからと泣いている暇も、貧しいこの村の人には無いのです。
なんのために、お母さんをあそこに置いてきたのか。自分も山に行くその日まで、生きるため。
頭の中を空っぽにして、彼は眠りました。
翌朝、物音に気がついて、息子は目を覚まします。
今はもう、この家には自分以外に誰もいないはず。それなのに、音がするのはなぜか。
顔を上げ、起きあがった彼の目に映ったのは、とても懐かしい姿。小さなころに見た、とても若いお母さん。
「お、おっかさん!?」
「ええ、そうですよ」
水仕事をしたからなのか、息子が触ったお母さんの手は冷えていました。けれど、だからこそ彼には、目の前にいるお母さんが、夢や幻だとは思えません。
「いったい、どうしてこんな事が?」
「山の神様に、怒られてしまったんだよ。『要らん物を捨てにくるな』ってね」
「これでいいだろう」
『なにか』の力で若い姿に戻ったお母さんへ、それは満足したように言いました。
一方、自分の姿を変えられたお母さんは、何が起こったのかわかりません。
「これは・・・?」
「早く帰れ。そして、他の人間にも伝えるんだ」
『なにか』はこの山を、自分の物だと思っています。
食べる物を取りに入るのはかまわない。山で死んでしまうのも仕方がない。けれど、要らない物を捨てにこられるのは、もう我慢できない。
「次からは、捨てに来てもこうして帰ってもらう。要らないものをここに捨てることは、もう許さない」
「できるなら、私も家に帰りたいのですが・・・」
辺りはもう、暗くなっています。今すぐ家に帰ろうとしても、無事にたどり着けるかはわかりません。
「本当に、世話の焼ける……」
お母さんの目に、家までの道がとても明るく見えるようになりました。周囲から聞こえていたざわざわとした音も静まり、まわりには獣の気配もありません。
「道は用意してやった。今度こそ帰るんだ」
「その道を通って、夜遅くに帰ってきたんだ」
とても信じられない出来事。けれど、若くなって帰ってきたお母さんという証拠があり、息子は信じない訳にはいきません。
「こんな事が、本当にあるなんて……」
「さ、朝ご飯を用意したよ」
もう食べられないと思っていた、お母さんの作った食事。はしをつけた息子の目からは、また涙が零れてきました。
こうして村の人たちは、悲しい思いをする事がなくなりました。けれど、めでたしめでたしとはいきません。