『鎖ノ姫』 第二章 「2」
【森羅】での雑用を終えての帰り道。
既に空には紅が差し、もう間もなくすれば街は眠りにつき、やがて『枯山水』が目を覚ます頃。
アズサさんと話をして僕が感じたことは、少なからずの違和感。
作法がなっていない、人柄も良くない、稼ぎが少なくて自分を飾る余裕も無ければ、客と揉めた経歴もある【花】で一番不人気な遊女。
そのどれもが事実なのかもしれないが、どうしても一つ腑に落ちないことがある。
そんな遊女を、どうして店に置き続けているのだろう?
例えば僕がアズサさんと同じ立場であったら、さして遊郭を知らない僕でも悪評が広がるのを嫌って彼女を解雇させようとするのが常套だと思う。
遊郭といえど立派な商売であり、稼げない人材をいつまでも抱える理由は普通思い当たらない。
それなのに、アズサさんはそんな負い目を枷まで付けて店に置いている。それが以前聞いた見せしめに繋がると思えなくもないが、どうにも引っかかる。
「……」
気になるといえば、この遊郭のことだってそうだ。
既に一週間と過ごして分かり切ったことだが、この遊郭は相当に規模が大きい。
それなのに、僕はこの遊郭『枯山水』の存在を人の話や噂に一度だって聞いたことがない。花鳥風月の名を冠する大きな店が四つ、それらを仕切る事務所が一つ、そしてそれらを囲むように広がる城下町といっても差し支えのない広大な市街地。
ここまで規模が大きければ、僕のように道に迷った人間が訪れれば、一種の話のタネにも自慢にも出来るはずなのに。旅を続けてそれなりに長いが、こんな遊郭の話は一度だって耳にしていない。
耳にしていれば、もう少し心構えが出来ていただろうに……
笑いあう街の人の顔は何処でも見かける、至って普通の日常の情景。
ただこの場所が、この遊郭が、ユウキが。
様々な要因がちぐはぐで、僕の中の好奇心を小さく突いて魅了している。
「今夜、誰かに聞いてみようかな……」
幸い、今の僕には少ないながらも知り合いがいる。
都合が合えば誰かに色々と聞いてみるのもいいかもしれない。
仕事の身支度を整えて詰め所に向かい、いつも通りの諸注意などを聞いて僕は遊郭の見回りを始めた。
※
黄金色に輝く、夜の『枯山水』。
美しさと、欲望とが混ざり合った魅惑の光。
この光の正体は街を彩る店や行燈の光だけではなく、遊郭の中を行き交う遊女の光でもある。
豪華に着飾った遊女というものは、ただ歩くだけで光に溢れていて、ほんのささやかな一挙手一投足に、男を魅了する色や香りが漂っている。
ここを訪れる男連中はこぞってその手を求めて大金を懐に潜めている。金だけで掴める遊女もあれば、求める何かを有する男だけに手を差し伸べる遊女も、万人を愛す遊女も、ただ一人を一途に想う遊女もいる。
十人十色の、生々しくも煌びやかで、艶やかな世界。
多少なりと慣れたとはいえ、未だ少なからずの抵抗感はあったが、そんな生き様を自分が守っているというある種の自信や誇りのようなモノもあった。
「今日も異常無さそうかな……?」
用心棒といっても仕事は基本的に自警団と同じ。
敷地内に不審者がいるかどうか街を見回ったりする周辺警護、僕はそれに加えて困ってる人を見つけたら相談に乗ってあげたりと慈善的な雑用もしている。というか、もうほとんどこれが主だと言っていいほど事件が起きない平和な職場。
この一週間の間に起こった事件らしい事件と言えば、路上で人が倒れていると通報を受けて実は酔っ払いでしたというコトと、遊女にフラれて泣きながら暴飲暴食を始めた人を慰めたコトぐらい。
現状、思っていた以上に楽な仕事だ。こんなことを続けているだけであんな大金を得てしまっていいのだろうかという別の不安に駆られているぐらいには。
「……どうしようかな」
今、僕は神楽広場と【花】との中間ほどにいる。
既に見回りの順路は二周ほど回っていて、ちょうど暇を持て余している状況。誰かに話をするなら今がちょうどいい時間だ。
道すがら遊女の姿を見つけるも、当然ながらそのほとんどが男の人と一緒で話しかけづらい。話す機会を窺いながら歩いていたら、結局そのまま【花】の前まで来てしまった。
「あーら、チヒロさん。遊びに来てくれたんですか?」
「あはは……や、まだ仕事中ですよ。でもちょっと暇が出来ちゃって」
「なぁんだ、じゃあ私と一緒に遊びましょ」
「だから仕事中ですってば」
けらけら笑う姿が印象的な彼女はリンリさんといって、この【花】でランさんと同じ時期に遊女を始めて現在にまで至る熟練の遊女。
菜の花を模したかんざしがよく似合う女性で、男女問わず色々と面倒見のいい遊女として街の人からも知られている。
「そうだ、リンリさんってここ長いんですよね?」
「そうだね……もう、かれこれ十年続けてるね。最初は似合わない仕事なんじゃないかって思ってたけど、案外楽しいもんだよ」
「その……ちょっと質問しても?」
「なあに? 私の好みかい?」
「いえ、他の遊女のコトで……」
少し、リンリさんの顔が不機嫌になったような気がする。
「なあんだ……で、他の遊女って誰のこと? つっても、この【花】以外の人間じゃ私もあんまり詳しく知らないよ?」
「……前から気になってるんですが、あの……」
「ん……?」
僕の視線を追ったリンリさんの横顔が、不機嫌を通り越して歪む。
見世物小屋の隅に蹲る、薄汚れたユウキの姿は今日も今日とて変わらない。
リンリさんはすぐさま視線を僕へと戻して、柵越しに僕へ上目使いを寄こした。
「まぁ……そうだよねぇ。嫌でも目につくってもんだ。チヒロさん、すまないね」
「え、いや、いきなり謝られても……というか、どうして謝るんですか」
「そりゃあ、あんな汚い奴が【花】にいるからさ。チヒロさんも気味が悪いだろう? 私たちも同じなのさ」
「…………」
リンリさんは肩をすくめる。
「私がここに来て……何年かしたらアズサさんに連れられて来たんだよ。でも……私たちみたいに遊女として働くでもなく、ただただああしてボーっとしちゃってさ……気がつくとフラッと姿を消して、またフラッと戻ってきてさ……素性も何も話もしないし、他の遊女とも口きかないし……」
「あぁリンリさん。それに、チヒロ様も? 何のお話をしてたんです?」
リンリさんと話をしていると、外から戻ってきた【花】の遊女が何人か寄ってきて僕らの話に顔を突っ込んでくる。基本、遊女はおしゃべりが大好きで、おしゃべりに過敏で、こういう風にしているとよく割って入ってくることが多い。
リンリさんは声を潜めるでもなく、むしろユウキに聞こえるようなやや大きめの声量で話を広げる。
「ほら、あの隅の奴の話よ。チヒロさんが気味悪がっちゃって」
「え、いや僕は」
「まぁ……ごめんなさいねチヒロさん。私らもよくアズサさんに申し付けてるんだけど、何故かこれだけは全然聞いてくれなくてねぇ」
「チヒロさん、知ってます? アレ、実は妖怪なんじゃないかってハナシもあるんですよ?」
「妖怪じゃ無ければ貧乏神か何かよ。男を呼び掛けても、アレの所為で男が寄りつかなくなっちゃうんだもの」
「それって、アンタの化粧の所為でもあるんじゃないの? 化粧が濃いと、【鳥】屋の誰かさんみたいに水をぶっかけられるわよ?」
「そうそう、そういえば聞いた? またオウギさんが【風】屋を貸し切りにしてたんですって。同僚と一緒に飲んで遊んでのまぁ大騒ぎで。ウチらの店でもやってくれないかしらねぇ」
「無理よぉ。ウチらの店にはアレがいるんだから。いっくそアレが死んでさえくれりゃ」
「ねぇ? 何で生きてんだか……」
「ぼ、僕……仕事に戻りますね」
女三人で姦しい。もっと多ければ、なおのこと。
彼女たちの口から飛び出る容赦のない悪意に耐えかねて、僕はその場からさっさと立ち去ってしまった。




