『鎖ノ姫』 第二章 「1」
僕が用心棒の仕事を始めて、一週間。
仕事にもこの場所にも徐々に慣れてきた所為か、当初抱いていた遊郭への抵抗感も徐々に薄れ、見回りの傍ら自分から遊女へ挨拶することも少なくなかった。
「チヒロさーん、よかったら寄ってらっしゃいな~」
「あはは……ま、また今度にしときます」
その逆もまた然りで、仕事中に僕が声を掛けられることも多くなっていた。
しかし、それは前のような完全な勧誘ではなくて、ちょっとした冗談交じりの親しみのある交友関係のようでほんの少し心地が良かった。睦月の初頭までとアズサさんと契約したわけだが、この分なら滞りなく契機を全うできそうだ。
霜月を目前に控えた夜空。
ふと、道端で僕は凍えた半月を見上げる。
――私を、殺してくれない?
頭の中で、彼女の言葉が離れないでいた。
・ ・ ・
あの日ユウキが口にした、最後の言葉。
返答に困っている僕を知ってか知らぬか、いや、完全に無視して、ユウキは無言のまま立ち上がり、乱れた衣服を戻して、それから、最初の時のように僕を引っ張って外へと出て行く。
戸締りを済ませると、ユウキは僕の手から鍵を奪って、そのまま【花】の小屋に戻って、自分で枷をつけて隅で蹲ってしまった。
そこで、終わり。
あれから彼女とは一度も話をしていない。
僕としてはその言葉の真意も知りたかったし、まだまだ話したいこと、聞いてみたいことが山のようにあって、だけど仕事の合間に【花】を覗いてみても、あの時のようなユウキ以外無人の状況ということが一切無くて、話しかけるきっかけも無かった。
小屋には誰かしら遊女が一人二人は休んでいたりしていて、例えば僕が顔を覗かせると揃って誘ってくる。そうなってしまうとユウキと話をするどころでなくなってしまって、結局僕は適当な言葉でその場を濁してそそくさとお店を離れてしまう。
そんなことを何度か繰り返しているうち、あっという間に一週間が経過してしまった。
「……チヒロさんって、道場とか通ってたんすか?」
本日の太陽が中点を過ぎたころ。
詰所の裏手にある小さな道場で、僕はコウマ君と一緒に剣の稽古をしていた。
何度かの打ち合いを繰り返して、僕から一本も取れないコウマ君がふと休憩中にそんなことを尋ねてきた。
「え……? まぁ少しくらいは。でも、僕の剣術はほとんど我流だけど」
「我流……どーりで。チヒロさんって剣の腕もすげぇっすけど、体さばきが凄いっすよね。やっぱ旅をしてると、そういうのって身に付くんすか?」
「身に付くっていうか、身に付けないとやってられないっていうか……」
苦笑交じりに僕は答える。
実を言えば、旅に出る前は故郷の道場で稽古を積んでいる。
しかし、それは例えば基本的な構えとか振り方だけで、残りに関しては旅の道中で指南書を読んだり、他の旅人に指南してもらったり、実際に対人戦闘を繰り返して半ば自動的に会得したものだ。
「天才ってヤツっすね……でも、回し蹴りとか普通反則だと思うんすけど」
「ご、ごめん……でも、ハガネさんが、コウマ君が死なない程度に本気を出してくれ、って言ったからさ。つい……」
脇腹を押えながら言うコウマくんに、僕は苦笑を漏らす。
他にも体当たりとか足払いとか、色々やってしまって少々反省している。
剣道の試合だったら、まず間違いなく失格判定だろう。
「別に俺は剣道が見たかったわけではないからな。……しかしチヒロ、面白いものを見せてもらった」
「いえ……それほどでも」
「よし、じゃあ次は俺とやるか。俺に勝ったら、昼飯を奢ってやろう」
「あっはは、お手柔らかに頼みますよ」
汗ばんだ額を腕で拭いて清々しい顔を浮かべると、僕は遠慮なくハガネさんの木刀を場外に吹っ飛ばしてみせた。
昼飯代が、ちょこっと浮いた。
※
僕の仕事は遊郭『枯山水』の用心棒。
当然ながら仕事の主な時間帯は夜であって、実は昼を過ぎた辺りは意外とすることがなくて手持無沙汰である。
たまたま雑用で【森羅】に出向いたとき、入り口で偶然アズサさんに出くわしたので、何か他にも出来ることはないかと進言してみたら、彼女は突然噴き出して大笑いした。
「そこまで律義に考えなさんな。仕事の無い残りの時間はチヒロの好きなように過ごしてくれてかまわないよ。自警団の連中と一緒に見回りしてくれたっていいし、もし困ってる人でも見つけたら助けてやってくれたっていい。悪事以外なら、何をするも自由さ。もちろん、ウチの遊郭で遊ぶのだってかまわないんだよ? お前さんならどこの店だって歓迎してくれるだろうし、一声かけてやればカンナの奴もすっ飛んでくるだろうよ。あのコもあのコで義理堅いコだから、その気になれば何だって……ねぇ?」
「……ぼ、僕がそういうコト苦手だって、アズサさんも知ってるでしょう?」
「あぁ、知ってるよ。知ってるから言ったのさ」
「もう……」
「って割には、ここ最近は店によく顔を覗かせてるみたいじゃないか? この前ランから聞いたよ。仕事の途中によく【花】に顔を出すんだってね?」
「そ、それはっ、その……」
煙管を片手に、アズサさんはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて僕を見ている。仕事の途中、という一言の所為で、僕は蛇に睨まれた蛙のような気分である。
「ま、それはそれで安心したよ。チヒロもちゃんと男の子だって安心したからねぇ」
「……何か、微妙に含んでません? その言い方」
「初めて顔を見たときから思っちゃいたが、チヒロは男にしちゃあ線が細いのさ。遊女からお前さんがどう言われてるか知ってるかい? 可愛い用心棒と専らの評判なんだよ?」
「……あはは……」
嬉しい、と素直には頷けない評価である。
どう反応しようかと悩む僕の鼻先に、煙管からこぼれる煙の臭いが突いて、気がつくとアズサさんの横顔が僕の頬にくっつきそうなほど接近していた。
「んで? むっつりスケベのチヒロさんの好みはどちらさんだい?」
「む、むっつりスケベって……」
「【花】で上等な子か……そうさね、となれば稼ぎ頭のランかい? お前さんとはちと歳が離れているような気もするけど、姉さん女房ってのもいいかもねぇ?」
「ちょちょ、っと! 話が飛躍してません!? に、女房って」
「モノの例えさ。アンタどう贔屓目に見たって童貞だからね。こういうのは経験の豊富な年上の」
「ここ、こんな時間から、大っぴらにそういう話しないで下さい!」
「おいおい、ここは遊郭だよ? そりゃあ無い茶を沸かせってのと同じさね」
お陰で僕はつま先から耳まで燃え上がったかのように熱くなって、恥ずかしくて堪ったもんじゃない。
しかし、アズサさんの獲物を狙う蛇のようなねちっこい視線はなかなか離れてくれない。好みの遊女の名前を聞き出すまで、離してはくれなさそうだ。
観念した僕は、おとなしく彼女の名前を出すことに決めた。
「……ランさんじゃ、ないですよ。その」
「おうおう?」
しかし、いざ口にしようとするには些か勇気がいる。
僕の懸念はひとつ、あの時に見たアズサさんの横顔だ。
「……あの、ほら、お店の奥で鎖に繋がれた……ユウキって女の子……です」
真横まで肉薄していたアズサさんの息が、僕の耳元で一瞬止まる。
内心で僕は、やっぱり、と思った。
そっと僕から顔を離し、煙管に一口つけ、煙を吐いて、アズサさんは低く沈んだような声を出した。
「ユウキ……か。そいつはまた、どうして?」
「どうして、って言われても……気になるじゃないですか。他の遊女は皆綺麗にしてるのに、あの子だけ、あんな……」
「……そういえばアンタ、ここに来た時も興味があるような風だったね。仕事を引き受けるって決めたのも……」
「それは……」
話の方向が少しずれて、嫌な流れになってしまった。
アズサさんの表情は至って真剣、というか、きっちりと僕を見据えていて少々威圧しているようにさえ見える。仕事を引き受けるに際し、そんな下心があったのも事実であって、これに関しては言い逃れは出来ない。
スーッ、と煙管の煙を吐く音。
「……あの子は、あまりおススメしないね。作法もなっちゃないし、人柄も決してイイとは言えない。それに、客と揉めるような不躾な遊女だよ? お陰で【花】の中じゃ断トツの不人気遊女で、稼ぎがあんまりにも少ないから、自分を着飾る余裕もない。あの子の恰好、見ただろう? それこそ本物の幽鬼さね。あんな女、よほどの物好き以外買おうとは思わないよ」
「……じゃあ、何で」
遊郭に、と尋ねようとした矢先、何処からかアズサさんを呼ぶ声が聞こえて話の雰囲気がパッと途切れてしまう。
気がつけば、アズサさんは気の良い薄ら笑みを浮かべていて、僕の肩を二度三度優しく叩いた。
「この話はおしまい。真面目なアンタにはもっと似合いのコがいるよ。あんなヤツのことは綺麗に忘れて、仕事に励んでおくれ」
「……わかり、ました」
どうにも腑に落ちない僕を他所に、アズサさんはそそくさと【森羅】から出て行ってしまった。




