『鎖ノ姫』 第一章 「4」
食事を終え、早速遊びに行くというオウギさんと別れ、僕たちは一度自警団の詰め所に戻ることに。
他に控えていた三人の団員に軽く紹介を受け、ハガネさんから今日の見回りについての指導を受ける。
やがて、ハガネさんが遊郭の全体図を広げ、その後に木で作られた小さな置物を配置していった。
置物にはそれぞれ名前が刻まれていて、要するに自警団員の配置図のようだ。僕とハガネさんともう一人が『枯山水』側に、コウマ君を含めた残りが市街地区画に割り振られる。
「チヒロは初日だからまだ街に慣れていない。困った時は俺や他の団員を遠慮なく頼ってくれ。お前らも助けてやれよ」
「うっす」
「了解です。チヒロ君、今日からよろしくな」
「こ、こちらこそ」
ハガネさんと同い年だという同僚の二人にしっかりと頭を下げ、僕は改めて遊郭の地図に視線を落とす。
四つの店を有する広大な遊郭。
巡回時間は明け方まで。
それまでの間、街を回って不審な人がいないか、揉め事が起こっていないかを見回るのが僕の役割。最初は地図通りの正規の道順を回って、それからは僕の自由に動いていいという話なので適当に見回ってみるつもりだ。
「それじゃあ、行くか」
冷たい夜気を含んだ風が吹き、僕は外套を羽織る。
他の団員たちも同様に、一枚羽織を重ね着して寒さを凌いでいた。
コウマ君たち市街地側の人と別れ、僕たちはそのまま真っ直ぐ遊郭の方へと歩いていく。
今日もまた、あの時見た金色の光が門扉の向こうから漏れている。
門一つ隔てたその先は、正しく別世界だ。
「気をつけてな」
僕たちが【花】の手前まで来たところでハガネさんたちと別れる。
僕の巡回路は、この【花】から始まって、【鳥】、【風】、【月】の三つのお店を回る基本的な順路。初日ということもあって、まだ遊郭の地形に慣れていない僕への配慮なのだろう。これからやっていくのだから、今日一日で地形と流れを頭にしっかり叩き込んでおかなければ。
意気込む僕は早速順路に向かって――数秒後、不意に足が止まる。
「……うぅ」
さらに夜も更け、言わずもがな遊郭が目を覚ます時間帯。
昼間見た落ち着きのある景観はとうに幻のように消え去り、そして今は良くも悪くも欲望が渦を巻く夜の街の顔へと移り変わっている。
昼間には見えなかった艶やかな光。
それに照らされて浮かび上がるのは、人々が常日頃隠している大っぴらに出せない裏の顔。
男も女も、化粧や色香、歯の浮くような言葉で互いを謳いながら歓楽に浸っている。
……どうも、僕は苦手だ。
単純にそういう経験が不足しているとか、僕が精神的に未熟だとか、そういう話も全部含めて、僕は少なからずの抵抗感を抱いてしまっている。
遊郭の用心棒を引き受けておきながらこの体たらく。いやはや、何とも。
「……まぁ、やってれば慣れる……よね」
ふと、僕の視線が【花】の小屋の中へと移る。
初めてここに来た時に見た遊女を含め、今日も今日とて道を行く客へ手招きしているのが見える。ざっと見て、遊女の数は十五名ほど。
あの鎖に繋がれた女の子も奥に見える。
以前と変わっていない様子に、安堵すべきなのか心配すべきなのか少し心がふらついてしまう。
「おや、おにーさん」
「あっ……ど、どうも」
そんなスキだらけの視線を、客引き目当ての遊女が黙って見過ごすわけもなく。
以前、声をかけてくれた遊女が柵越しに僕へニコリと微笑みかける。多少なりと距離があるはずなのに、化粧の臭いは相変わらず強い。
「聞いたよ。おにーさんあの時の騒ぎを鎮めたんだってね。見かけは軟な癖に、意外と頼りになるじゃないか」
「はは……まぁ、成り行きで飛び出して、そのまま勢いに流されちゃった感じですけど」
「アタシの目に狂いはなかったってワケだねぇ。どうだい、せっかくだから今夜こそ遊んで行かないかい? アタシも奮発するからさ、ね?」
「え、えっと……す、すみません。今僕仕事中で」
「なんだい、つれないねぇ……まぁ、無理にとは言わないさ。仕事が終わって疲れたら、いつでもおいでなさいな。おにーさんなら、大歓迎しようじゃないか」
ニコリ、と彼女がもう一度微笑む。
なんだか狙い澄まされたような気がするけど。
「か、考えときます」
「アタシはランってんだ。この【花】屋でアタシの名前を出してくれればすぐ顔出すからさ。待ってるよ」
前ほど強引に誘われはしなかったので、僕はそのまま軽く頭を下げて【花】を後にする。
本当はあの鎖の女の子のことを聞こうかと思っていたのだが、場の雰囲気のせいだろうか。何となく話題にするのは憚られた。単純に僕の性格の所為かもしれない。
とはいえ、今は僕も仕事中。
初仕事中にサボるわけにはいかない。
気を取り直して僕は遊郭の巡回に戻る。
この【花】を過ぎて、周囲に意識を向けながらしばらく歩く。
今のところ不審な人物は見当たらない。
それに関して言えば、ほんの少し安堵している自分がいる。
というか、この街だとイマイチ不審人物の基準がわからない。
路上で客を引く男性も怪しく見えるといえば見えるし、野良猫が好みそうな細い裏路地に視線を向ければ、その闇の中で口づけし合う遊女と男性の姿をうっかり見つけてしまって睨まれたり。
このまま挙動不審に街の巡回をしていると、逆に自分が通報されそうな気がする。もう少し自信を持たなくては。
そうこうしているうちに【鳥】と【風】のある中央の広場に辿り着く。
ここには遊女の店だけでなく、茶店や貴金属の類のお店もあるためか他より人の出入りが多い。
そして、そのほとんどが男女の組み合わせで、男一人、女一人で歩く人間は僕を除いて一切見かけない。
そんな中で一人で歩いていれば、時折お店の方から声が飛んでくる。
無論、見慣れぬ僕を客だと思って声をかけてくる人もいれば、先日の騒動を知っている人なら小さな称賛の声も飛んでくる。で、実はそれは声をかける口実に過ぎなくてしっかりと口説かれたり。
今にも火を噴き出しそうなくらいに頬を熱くしながらそれらをどうにか往なして、命からがら仕事に戻って、ほとんど逃げるように走り出す。
気がつくと、僕は見知らぬ場所に立っていた。
「……あ、あれ? ここ何処だ? えっと、地図は……」
既に人気は完全に失せていて、目の前には外の堀に繋がっていると思われる用水路が見える。
つまり、ここは遊郭の端っこ。
位置で言えば、【月】と【風】の間の裏手で、地図によると一部の遊女の住居などもあるらしい。少し見回してみて、【月】の方に小さな建物が見えた。きっと、誰かのお住まいなのだろう。
担当している巡回の道とは大きく外れてしまっていたが、逆に考えてみればここはあまり自警団が見に来ない場所、と思っていいだろう。
少し無理やりに自分を納得させ、敢えて“道に迷った”などという情けない発想は切り捨てる。
……いや、やっぱり、僕は方向音痴なんだろうなぁ。
用水路伝いの細い道を、流れる水音としばし一緒に歩く。
自分の靴が砂を蹴る音、小さなせせらぎの音。
それ以外の音が一切聞こえない。
遊女の甘い声も、あの煌びやかな黄金の光も、何もない。
まるで、ここだけがあの世界からスッパリと切り離されているかのように、暴力的なまでの静寂に包まれている。
そんな静寂の中を、ぽつん、ぽつん、と僕は歩く。
「…………」
あまりの静けさに、耳が痛くなりそうだ。
遊女が歩く表通りのあの喧騒が既に恋しくなりつつさえある。
とはいえ、ここまで来てしまったのだから仕事は全うすべき。
ランタンの明かりを灯し、水路伝いの道を再びゆっくりと歩き出す。
途中に用水路側に降りられる小さな階段を見つけたり、その先に小さな扉も見えた。
何かの用具入れか、倉庫だろう。
何となしに近づいてみると、小さな南京錠がかかっている。引き返して、そのまま歩みを続ける。
誰にも会わない。誰の声も聞こえない。
本当に、今自分が遊郭の中にいるのだろうかと不安になる。
突き当たりまで進んで、残る道は左手に細く伸びているだけ。そのまま道に従って歩き続けていると、いつの間にか僕は【花】のすぐ側に戻ってきていた。どうも、用水路伝いにぐるっと一周したらしい。元の煌びやかさ、遊女の声が遠くから聞こえてきて安堵していると、ふと、視線が彷徨う。
「…………あ」
鎖に繋がれた、あの少女を見つけた。




