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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第六章
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『鎖ノ姫』  第六章 「3」

 真夜中の森を、歩く。

 空を見上げても、枝葉の隙間から見えるのはどうしようもなく強烈な黒、黒、黒。

 道標を求めて視線を彷徨わせて、僕の周りは、いや、気づけば何もかもが闇の中に溶けていた。

 何もかも。

 その文字通り、気が付くと僕の身体でさえこの強烈な黒の中に沈んでいて、なのに、自分の指先や足の感覚、目や鼻といった機能が辛うじて機能しているらしいのがわかる。

 手を伸ばせば、泥水のようなものに手を突っ込んでいるような感触が返ってくるし、足を動かせば、粘土のような地面を踏みしめている感覚が返ってくる。

 口を動かせば呼吸は出来るものの声は出せず、耳を澄ましてみても聞こえるのは精々耳鳴りばかりで、何度か瞬きをしても見える世界は一向に変わってはくれなかった。

 不思議な場所、としか言いようのない場所。

 自由のようで、不自由で。

 不快でもないのだが、快適とも言い難い。

 これが、死後の世界というものなのだろうか。

 苦しくもなく。

 悲しくもなく。

 ただただ何も感じず、何処ともわからぬ何処かへと向かって歩き続ける。


「……、ろ」


 不意に、何かが聞こえたような気がして僕の足が止まる。

 立ち止まって、首を回して、目を動かして。

 それら一切の感覚はないのだが、無いとわかった今でも無意識にそうしてしまう。

 一種の本能のような動作。

 声は、僕が向かっているだろう方向とは逆のほうから聞こえている。

 今も変わらず、断片的に小さく聞こえる。


「誰……だっけ……」


 聞き覚えのある声。

 聞いていると、何処からか熱を帯びてくるような。

 ずっと聞いていたい。

 傍に居たい。

 そう思わせてくる心地よい響きの声。


「……あっち、か」


 何も見えない闇の中、踵を返す。

 身体の奥底から相も変わらず熱が沸き起こって、その熱が僕の身体の隅々に行き渡っていく。

 指先、手足、身体の感触。

 いつしか闇が薄れ、僕の身体に色が宿り、やがて視界に光が満ちていく。

 夜の森の中。

 太陽に負けじと輝く場所が見える。

 行かなきゃ。

 僕を待っている人がいる。

 だから――



 ※



 重い瞼を、こじ開けるようにゆっくりと開く。

 霞んだ視界に最初に映ったのは、見覚えのない天井。

 瞼以上に重たい首を動かそうとすると、身体の至る所に激痛が奔って顔をしかめるも、それでも周囲が気になって無理矢理にでも動かした。

 診療所、だろうか。

 薬瓶のようなものが並んだ棚に、横たわっている僕の姿が映りこんでいる。それを見るまで気づかなかったが、僕は布団の中で眠っていたらしい。お世辞にも血色のいい顔色ではないのだが、何ともひ弱で間抜けな顔をしていて、自分で見てて何だか気恥ずかしくなった。

 もう少し身体を動かそうとして、ふと腕や足、身体の各部位に何かが張り付いているような感触。

 布団から抜いてみると、包帯や湿布が張り付いているのが確認できた。


「あぁ……そっか、僕は」


 ここまで確認してようやく思い出した。

 ユウキの結婚式、『枯山水』を襲撃した『顎』との攻防、それから――オウギさんを斬った記憶。

 いっぺんに思い出したせいか鈍い頭痛がして、起こしかけた身体が布団に逆戻り。


「……そう、だ。ユウキ、は」


 意志とは裏腹に身体の勝手が利かず、動かそうとしても痛みばかりが響くだけで埒が明かない。

 どうにかならないか――そう思っていた矢先、引き戸が開く音が聞こえ、僕は弾かれたように視線を動かす。


「あ……」


 そこに、小さな桶を抱えたユウキの姿があった。

 僕と目が合った途端、桶がユウキの手から滑り落ちて、派手な水音が四方八方に広がる。


「ち……チヒロ!? き、気が、付いたの!? だい、だいじょ……じゃ、じゃない! せ、先生、呼んで!」

「え、あ……待っ……」


 呼んでくる、と最後まで言い切るよりも先にユウキは部屋を飛び出して行ってしまって、僕は布団の上でポカンと呆ける羽目に。


「…………あ、あはは」


 彼女の姿を見て、僕の身体の中の何かがホッと胸を撫で下ろしたような心地がして、気が付くと僕はまた眠ってしまっていた。


 ※


「……運が良かった。その一言に尽きる」


 ユウキに引っ張られるようにして現れた医者が、僕の包帯を変えながらそう言ってくれた。

 オウギさんに撃たれた胸は幸いにも弾丸が貫通していて、心臓にも当たることなく身体を貫いただけで済んだということ。

 当たり所が悪ければ、あの時点で僕は本当に死んでいたのだろう。

 他、全身の切り傷などは軽微で、唯一脇腹の怪我だけは数針縫うような重症で、今も軽く身動ぎするとちくちくと痛む。

 かなり出血したような記憶があるのだが、医者が言うにはとんでもない形相をしたユウキが他の怪我人を突き飛ばすような勢いで詰め掛けてきて、治療をせがんだ結果大事に至らなかったらしい。

 そのユウキはといえば、床にこぼれた水を雑巾で拭いている。


「もうしばらく安静にして……そうだな、二日もすれば自由に動けるようになるだろう。それまでは、ゆっくり休んでいなさい。何かあれば、すぐに言ってくれ」


 包帯を巻き終えた医者はそう言って、そそくさと部屋を後にしていく。

 他にも診なくてはいけない怪我人が多数残っているということで、その横顔には多かれ少なかれの疲労感がうかがえた。


「えっと……ありがと。ユウキ」


 再び横になって、僕は首だけ動かしてユウキに感謝を述べる。


「……どう、いたしまして」


 吹き終えた雑巾を適当なところに放り投げて、ユウキは僕のそばにちょんと腰掛ける。

 今のユウキは、あの時のぼろ布でもなければ、僕が贈った着物でもない、ごくごく普通で飾り気のない恰好をしていた。

 ぼろ布、それから豪華な着物と、今までが両極端な格好だったせいで、普段着姿の彼女の印象も何だか不思議で、ただ見てるだけで何となく可笑しくて、それが顔に出てしまったらしくユウキにむっと睨まれてしまった。


「……なに?」

「いや、その……何でもない」


 もう隠そうともしない、二つの色の目に睨まれて、ふと思う。


「……ユウキの視た未来に、ならなかったね」

「……そうなの、かな」

「ユウキが言ったんだよ? 僕が死ぬ~ってさ。あの夜、涙たっぷり浮かべて」

「だ、だって……私には、そうとしか、視えなかったんだもの。血を流して、倒れてるのを見れば、誰だって、死んでるんじゃないかって……」


 結果としてみれば、確かにユウキの視たとおりの未来は訪れた。

 僕がオウギさんに撃たれて崩れ、あの部屋に崩れる情景は確かに的中していた。

 けれど、そこから先のことはユウキにも視えていなかった。


「まぁ、僕も生きてるし、ユウキも生きてるし……過ぎたことは、どうでもいいや」

「……うん」


 それから、僕はユウキにあれこれと尋ねてみた。

 まず、件の日から僕は丸五日ほど眠っていたということ。

 僕が決着をつけたあの後、『顎』の連中は全員が散り散りになって逃げ出してしまって、以降の音沙汰は一切ないらしい。

 それと同時に、オウギさんが寄こしていた援軍とやらも、気が付けば姿を消していた。

 自警団の人は全員無事で、『枯山水』の遊女や住人も、そのほとんど(、、、、)が軽傷で済んだとのこと。

 ほとんど――つまり、数名は死者が出てしまっている。

 割り切るには、少し辛い。

 俯きかかった僕の頭に、不意に、何か柔らかい感触が触れる。


「……え、あの、ユウキ?」


 黙ったまま、ユウキが僕の頭に腕を回して、抱き留めている。

 暖かい匂いと、心臓の鼓動が僕の額から響いて、急にくすぐったい心地に襲われる。


「頑張り、過ぎ」

「……でも、僕は生きて」

「もう起きないんじゃないかって、不安だった」


 僕を包んでる腕が、ふるふると小さく震えているのに気づく。


「あんな顔して戦って、あんな血を流して、全部終わったら、真っ白な顔して、眠ってて……本当に、本当に、死んだんじゃないかって、ずっと不安だった」

「……」

「……生きてて、よかった」

「……うん」


 少し、そのまま。

 ユウキの温もりの中でまどろんで、やがて、どちらからともなく眠ってしまっていた。


 ※


 それから、三日。

 ある程度自力で動けるようになって、今僕は復興作業真っただ中の『枯山水』を見ていた。

 復興、といえば大袈裟かもしれないが、実際市場は火事で大半が焼けてしまっていて、取り壊し、そして新しい家の建築などで街の人総出で作業をしている。

 男は材木や道具を手に手に動き回り、女は疲れた人にお茶を汲んだり差し入れしたりと大忙し。

 遊郭は、現在臨時休業中。

 市場同様に火事の被害が大きいというのもあるが、今は家を失くした人のための、緊急の家屋として開かれており、そんなことをしている場合ではないと、カンナさんがそう提案したらしい。てっきりアズサさんの言かと思っていたのに、少々驚きである。

 しかも、彼女は彼女で今市場で他の女性同様に作業を手伝っている。


「あぁチヒロ! もう動けるようになったんだ?」


 汗水垂らす遊女の眩しい笑顔は、何時にも増して輝いているようにさえ見えた。


「か、カンナさん……! い、いいんですか、そんなことしてて」

「街がこんなだってのに、ボケっとしてるのが嫌でさ。やれるんなら、私だってあっちに混ざりたいくらいだよ」


 顎で示したその先で、大工道具を使いこなす男性の勇姿が見える。

 とてつもなく精力的で、その存在感は流石『金色神楽』……と、言っていいのだろうか。

 この『枯山水』における、遊女として至高の称号なのだけれど。


「チヒロ」

「何です?」

「ありがとね、この街を守ってくれて」


 突然そんなことをカンナさんに言われ、僕は思わず面食らう。


「あの子から……いや、ユウキから色々聞いたんだ。街を守るために、戦ってくれたってさ」

「そ、そりゃあ、僕は用心棒で」

「そうじゃなくて、ね」

「え……あぁ」


 何時になく真摯な表情をしたカンナさんの顔を見て、察する。

 ユウキがどう彼女に話したのかはわからないが、カンナさんは事の顛末をある程度知っているらしい。


「チヒロがいなかったら、この街は終わってたかもしれない。でも、チヒロはそれを守ったんだ。ちゃんと礼を言わなきゃダメでしょ?」

「……僕は、僕に出来ることをしただけですよ」

「ユウキのために?」

「え、や……そ、それは」

「あっはは、冗談冗談」

「もう……」


 ホントに冗談で言ったのだろうか。

 それから、二言三言と適当な雑談をして、カンナさんはお手伝いの方に戻ってしまった。

 僕はまた街を歩いて見て回ることを決めて、市場から詰め所に寄って、そのまま『枯山水』の門へと抜けていく。

 見慣れた街並みは、残念ながら所々に焼けた跡が見受けられて、胸が痛む。

 しかし、そんな街並みとは対照的に街を往く人の姿は明るい。

 というか、前向きというか。

 僕のように思い悩む人の姿は少なくて、皆それぞれで協力して生活しているのが見て取れる。

 客を招くための見世物小屋は、今は布で遮られていて簡易な宿泊施設となっている。

 女性や子供が優先で利用できるらしい旨を書き記した張り紙もしてある。

 広場周辺は比較的被害が大きい区画で、市場同様に復興作業に勤しんでいる姿が見える。

 花鳥風月の名を関する『風』や『月』も同様の施設となっていて、その管理などを『森羅』で執り行っているらしい。

 ふと、『森羅』の暖簾からちょうどアズサさんが姿を見せて、僕の顔を見るなり大きく手を振って見せた。


「チヒロ! もう動いて大丈夫なのかい?」

「えぇ、お陰様で」


 お見舞いに一番最初に来てくれたのもアズサさんで、あの時は用意できる限りの薬湯だとか湿布だとか色々持ってきてくれて、あんまりにも騒ぐものだからユウキに追い出されてしまった。


「用心棒どころか、ほとんど救世主じゃないか。報酬は……はてさて、こりゃ何倍にしたものかね?」

「そ、そんな。僕は出来ることをしただけで」

「その出来ることで、大勢の人やこの街がこうして在るんだ。こればっかりは謙遜するもんじゃない。むしろ誇るべきだよ。……じーちゃんに代わって礼を言うよ。ありがとう、チヒロ」

「……いえ」


 人を斬ったことを誇るのは、今の僕とて難しい。

 それでも、胸を張っていないと、そろそろアズサさんや他の人から背中を叩かれそうだ。


「……なぁ、チヒロ」

「なんです?」


 ふと名前を呼ばれて、首を動かしてみれば神妙な面持ちのアズサさんが僕を見ていた。


「街は復興してる最中。とはいえ、街としての機能も当然あるし、今この『枯山水』に訪れる人も、もしかしたらいるかもしれない。自警団も被害は軽微で済んだけど、今も人手が欲しいかもしれない。もし、チヒロさえよければ……なんだけど」

「……ちょうどよかった。僕もそのことで、話があったんです」


 ※


 アズサさんと一通りの話を終えて、僕は再び『枯山水』を歩く。

 思えば、今朝から彼女の姿を見ていない。

 市場を歩いても見当たらなかったから、残るは街の外周か遊郭方面かのどちらかしかないから、僕は思い出を振り返るように、月の裏手の路地を歩いていた。

 この街の用心棒として、ランタンを片手にこの周辺一帯を警戒していたのがもう懐かしいくらいに、あっという間に時は過ぎていった。

 光陰矢の如し、なんて言葉を思い出す。

 旅の途中に見つけたこの『枯山水』の輝きから始まった僕の生活。

 今日。

 僕はそれに、区切りを付けようと思っている。


「……あ」


 用水路の縁に座る彼女の姿を見つけ、僕は小さく笑みを浮かべる。

 僕が贈った、あの着物を少し雑に着て、何時かのように足をぶらぶらさせている。

 傍に寄ってから声を掛けようと思ったのだが、彼女も僕のことに気づいてくれたらしく、偶然にも目が合った。


「……動いて、大丈夫そうね」

「うん。傷の具合も大分良いし、もう大丈夫だよ。……流石に、まだ剣を振ったりとかは出来そうにないけどね」

「……別に、無理に振り回さなくても、いいじゃない。女の子なんだから」

「生憎、僕はそれぐらいしか取り柄がないんだ」


 ユウキの隣に腰かけて、特に何を言うでもなく肩を並べてのんびりと水路の音に耳を傾ける。

 風情も情緒も欠片も存在しない辺鄙な場所だが、間違いなく二人にとって大事な場所。

 少しの間そのまま過ごして、僕から話掛けようとしたところで声が重なった。


「あのさ」

「あのね」


 二人で目を丸くして、二人で遠慮して、結局ユウキから話を始める。


「……私、遊女辞めるんだ。街の手伝いとか、アズサさんの手伝いに回ることにした」

「え? そう……なんだ。ちょっと意外」

「チヒロが寝てる間、私も色々やってたの。やってた……っていうか、やってないと、落ち着かなかった……って、いうか」


 怖さを紛らわせるため、とユウキは言った。

 最初のうちは僕が目を覚ますまで傍にいようと思っていたのだが、もし目が覚めなかったら……と考えてしまうのが怖くて、看病の傍らカンナさん達と同じように復興の手伝いの作業もしていたらしい。

 後日、僕が目を覚ました後も、精力的に炊き出しや清掃などに尽力していたとユウキは語る。


「……あれ、ちょっと酷くない?」

「全然。……あのまま一緒に居続けたら、今頃泣き疲れてたかもしれないし」

「……泣いてたの?」

「……目を、覚ます前までは、ね」

「そ、そっか」


 相当に恥ずかしい事だろうに、むしろ誇張するかのようにユウキは胸を張って、でも顔はしっかりと赤らめながらそう言った。

 色々吹っ切れて、やけっぱちになったように見えなくもないけど。


「チヒロは」

「ん?」

「チヒロは、この後どうするの? 『枯山水』、出て行っちゃうの?」

「……そのことで、さっきアズサさんと、あとハガネさんとも少し話をしてたんだ」


 僕の、用心棒としての、言わば仕事の話。

 当初、一月明けまでと契約を交わしたが、ここに来て僕の気は変わってしまった。

 結論から言えば、今の僕は『枯山水』を出て行くつもりはない。


「これ以上、旅をする理由がないから。全部終わっちゃったし、故郷に帰る気も湧かないからって、僕はここでずっと生活していこうって決めたんだ。だから、僕はずっとここに居るよ。用心棒って肩書も変わらない。それに、ほら……ユウキもいるし」

「そっか……ふふ、そうなんだ」


 そんな微笑が聞こえて、僕も笑う。

 本音を言えばずいぶん迷っていたのだけれど、あの長い夢を見たせいなのか、これが僕が一番望んでいる結末だと分かった。

 全部が終わって、だから、今日からまた新しい生活が始まる。


「そ、それでさ……その、ユウキに頼みたいこと、わ」


 不意に、僕の肩にユウキが寄り掛かってきて、僕の身体が揺れる。

 揺れた拍子、柔らかくて甘い香りが僕の鼻を突いてくる。


「いいよ。私が、ついていてあげる。怪我が治っても、酔っ払って帰ってきても、お祖母ちゃんになっても。私が、チヒロの隣に居てあげる」

「……ありがとう、助かるよ」


 僕も少しだけ、ユウキに寄り掛かって温もりを重ねる。

 一足早い、春の陽気のような温かさに。


 二人、口元を綻ばせて。

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