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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第六章
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『鎖ノ姫』  第六章 「2」

 広場へと辿り着き、自警団員の援護に加わる傍ら、僕は『顎』の人員一人一人に視線を向ける。

 この『顎』という盗賊。

 僕の記憶している限りでは、各地を強襲し、金品の強奪や人攫いを主としている、盗賊と言うよりほとんど山賊に近いような集団。

 火矢を放ち、阿鼻叫喚の住民を獲物とし、その手にした大鉈を始めとした凶器で襲い掛かる。

 僕の故郷も、噂で聞いた通りの襲撃を受けたのだが、ここ『枯山水』に至ってはその行動が何もかもが違っている。

 真っ先に火矢を放ったのは結婚式でほぼ無人状態となっていた『枯山水』。

 厳密に言えば体調不良で休んでいたジロウさんだけが残っていたが、こうして無事に救出され、今となっては『枯山水』は完全に無人の状態。

 そんな無人の遊郭に上がる火の手。

 無慈悲に燃え広がっている様は見ていて辛い。


「うらぁッ!」


 真横からの怒声と凶刃を弾き、勢いをそのままに鳩尾に刃を突き立て、強引に蹴飛ばす。

 相当に深く入った一撃に、男は呻き声を上げたままその場に崩れる。

 弱い、というより、何かおかしい。

 未だ違和感を抱えたまま遊郭を走り、自警団員やオウギさんの援軍とが交戦しているのを見て、僕自身が援護に入って『顎』を退けていく。

 人数は徐々にではあるが確実に減っていっている。

 その証拠に『顎』の襲撃の勢いが急激に衰え始めていて、見えている何人かは既に尻込みさえしている始末。


「へっ、大したコトねえじゃねえか!」

「このまま追っ払ってやらぁ!」


 対してこちらの士気は異様なまでに高い。というか、完全に立場が逆転してしまっている。

 数の上でも、戦意でも武力でも何もかもが勝っていて、どうあってもひっくり返ることは考えられない盤石の勝利。

 毛皮を被ったその表情は、僕の位置からではやや遠く窺い知ることは出来ない。


「……?」


 一人が、不意にその顔を右に動かし、こく、と小さく頷いたように見えた。

 その小さな首肯を合図に、追い詰められていた『顎』の人員が一斉に撤退を始めた。

 しかし何故か、まるで蜘蛛の子を散らすかのようにその方向はてんでバラバラで、ここに来て一切の統制がとれていない印象が強まった。


「逃がすかよ!」


 コウマ君の怒声を切っ掛けに自警団とオウギさんの援軍と半々で追撃を仕掛けていく。ほとんど残党狩り状態。

 追手をコウマ君に任せたハガネさんは刀を収め、遊郭の消火活動の手配を始める。


「……」

「どうした、チヒロ。呆けてる時間は無いぞ」

「いや……何だか……」


 胸の内がぞわぞわとしていて落ち着かない。

 ハガネさんは既に終わったと思っているようだが僕は違う。

 予感と言うものは、得てして、嫌なモノの方がよく当たる。


「……お、おいハガネさん!? あっち、煙が……!」

「なんだと……!?」


 遊郭と正反対の方向。

 もうひとつの黒煙が、夜空に高く昇っていく。

 何があると、言わずもがな。


「まさか、陽動だったのか……!?」

「ど、どうします!? コウマ達、もう飛び出して……!」

「先、行きますよ!」


 動揺している二人を差し置いて、僕はなりふり構わず駆け出して『枯山水』の門を越える。

 最悪の状況。

 自警団のような戦力は全てこちらに集結しているということは、つまり市場を守る戦力が皆無であるということ。

 『顎』はわざと『枯山水』を最初に襲い、戦力を集中させた後、がら空きになった市場を襲う算段だったらしい。

 少し考えれば思い付きそうなこの作戦に気付けなかった体たらくに奥歯を強く噛み締める。


「……でも、なんで」


 計画性の欠片も感じられなかったような連中が突然に講じた陽動作戦に、今まで感じていた違和感が再燃する。

 今日の今日に限って、どうしてそんな作戦を?

 野蛮を絵にかいたような連中しかいないのを、少なくとも僕は知っている。

 結婚式の今日を見計らったかのような『顎』の奇行は、しかし今の僕たちにとっては大いに脅威であり、そして窮地に追い詰められている。

 僕の視線の先からは、既に悲鳴が響き、赤い炎の色が見えている。


「おらおらぁ!! 女子供は根こそぎ奪え! 野郎と老人は血祭りにしちまえ!」

「ひゃっはははぁ!!」


 下卑た声が耳朶を打ち、思い出したくもなかった記憶が甦っていく。

 故郷を襲撃されたあの記憶。

 同じ悲劇が、また僕の目の前で繰り広げられようとしている。


「ッ、やめろお!!」


 市場に踏み込むと同時、老人に向かって大鉈を振り上げた男に猛進するや否や、走ってきたそのままの勢いを乗せた蹴りを見舞って吹き飛ばす。

 どうにか凶刃は免れたが、眼前で燃え広がっていく市場の惨状に唖然とした。

 逃げ惑う人々。

 それを追う『顎』の男たち。

 ざっと見て、二十名弱。

 今その一人を蹴飛ばしたが、蹴った程度が致命傷になり得る訳もなく、倒れていた男は素早く立ち上がり僕を睨みつける。


「んにしてんだゴラァ!?」

「くそッ、たれ!」


 悪態を吐きながら正面へ躍り出、大鉈と刀とがぶつかり合う。

 力で押し込もうとする相手を往なし、我武者羅に鉈を振り回すその隙を低くしゃがんでかわし、頃合いを見切って刃を斜めに喉元へと突き上げる。ひゅ、と息の抜ける音が聞こえると男は絶命。

 だが、男が倒れる音を聞いても、他の連中は歯牙に掛けず略奪や襲撃に熱中するばかりで、事態に何の変化も見られない。

 僕一人が突っ込んでいっても、正直焼け石に水の状態。

 それでも、動かざるを得ない。

 腰を抜かしてしまった老人を引っ張り上げて、どうにか市場の外にまで運び出すと、僕は一言も掛けずにまた市場へと逆戻り。

 出来るだけ、一人でも多くの人を助けなくてはいけない。

 中央を突っ走って、目に付いた狼の毛皮を真上から両断して、攫われかけていた女性を救出。

 助け出してから、改めて気付く。

 女性を助けたはいいが、このまま一緒に行動するわけにもいかないし、何より言ってしまえば足手まといだ。

 市場入口に近かった先ほどの老人はともかく、ある程度踏み入ってしまうと離脱し辛い。

 うかつに背中を向けたらばっさり斬られてしまう。

 人を助ければ助けるほど、僕自身の身動きが制限されていく。

 一人一人を助けていく離脱できるのが一番の理想だが、そんなことはもう不可能。

 こうやって考えている間にも人々は悲鳴を上げ、襲われ続けている。


「……おいッ! てめえ何してやがんだ!!」


 やがて異変に気付いた『顎』の数名がこちらを捉え、毛皮の奥で潜んでいた瞳にぎらついた光が宿る。

 向かってきたのは三人。

 今しがた助けたばかりの女性は僕の背後で震え、そして僕の身体にしがみ付いてしまっている。不味い。

 三人の内、二人はそのまま正面へ。

 残ったもう一人は左手側に大きく反れながら走り、挟撃の態勢だと知れる。

 女性にしがみ付かれ、満足に身動きが取れない状態のまま二人分の刃を受け止め、その衝撃と重さとで堪え切れず片膝が地面につき、耳をつんざく悲鳴と同時、僕は精一杯身体を捻る。


「がっあ、ッぅ……!」


 その一撃がかわし切れず、無骨な大鉈は僕の脇腹を引き裂き、凄まじい熱と痛みとで一瞬視界がぼやける。痛みの所為で腕の力が失せ、抑えていた二人分の刃が一気に圧し掛かる。


「……、っぐ、ああああッ!!」


 押し切られまいと裂帛の叫びを上げ、自分が今出せるだけの力を発揮して刃を押し退け、弾くと同時に二度三度と剣閃を浴びせ、体術とを併用して眼前の二人を退ける。

 退けただけで、解決には至らない。

 まだ左手にもう一人控えていて、正面の二人は傷こそ与えたもののまだこちらを強く睨んでいる。


「ちッ、んだコイツ……強えぞ」

「ち、チヒロさん……」

「……」


 思考しろ。

 思考しろ。

 この女性を助け、なおかつ、街の被害をこれ以上広げないために僕が取れる最善の策を。

 ひたすらに、頭を動かせ。

 頭を。

 ……あた、ま?


「……そう、か。当たり前か。頭が考えて、手足を動かすんだから」

「あぁ? 何言ってんだ?」


 脳が思考して、身体に信号を送って手足を、指先を動かす。

 これは人とて同じ。

 自警団を例に挙げてみればいい。

 団長であるオウギさんが指示を出し、部下である僕やコウマ君を動かす。

 この『顎』の連中も同じなんだ。

 彼らを従える誰かが作戦を考え、陽動として最初に遊郭を襲わせ、自警団を対処に向かわせ、手薄になった市場に急襲を仕掛ける。

 手っ取り早く言えば、彼らの頭領さえ仕留めてしまえば片付くのではないだろうか。


「おっらあああ!!」


 痺れを切らせた二人が正面から、一拍遅れて脇からもう一人が僕の背後に隠れる女性を狙って手を伸ばしてくる。

 無礼を承知で女性を反対側に突き飛ばし、痛みで軋む身体に鞭を打って僕は二人の迎撃に出る。

 手負いのまま鍔迫り合いをしても押し切られる。

 なら、最小限に受け止めて勢いを往なし、そのまま胴を一閃するほかない。

 出血して、いくらか血の気の引いた頭で導き出した行動は、自分でも拍子抜けするほどに上手くいってくれた。

 二人分の一撃を、やや左に身体を捻りながら払い、そのまま刀を振り払って一方の男の脇腹を一気に斬る。

 多量の出血に体勢を崩し、その瞬間に二の太刀を叩き込んで男は断末魔の声を上げる。

 ほんのわずかな間でも、一対一となってくれれば十分に勝機はある。

 野蛮な太刀筋は落ち着いて見切って、胸と首とに刃を二度連続で突き刺す。

 声を上げる間もなく、男はそれきりで事切れる。


「この、ガキ……!」


 仲間の二人がやられたことで残っていたもう一人の男の敵意がこちらに向き直る。

 逆に言えば、攫おうとした女性から意識が削がれたということ。

 彼女に伸びていた手はぴたりと止まり、そのまま方向転換してこちらへと凶刃を振りかざす。

 痛みで軋む身体を動かして刃を回避、すると見せかけ一足で懐に飛び込んで自らの肩を相手にぶつける。 よろめいた拍子に、真正面から胸を二度三度と横に切りつけ、血飛沫が右に左にと飛び散った後、その男の身体が崩れ落ちる。


「……あ、ありがとうございます!」

「れ、礼はいいよ。それより……走れます? 自警団の詰所の方に向かってほしいんですけど」

「は、はい……? で、でも」


 何か言いかけたその言葉を、彼女は僕の眼を見て飲み込んだように見えた。


「わ……わかり、ました」

「もし、出来たら……ハガネさんたちを呼んできてもらえると助かります。……じゃ」


 怯えたような顔をした女性を見送りもせず、僕はふらついた右足に力を込める。

 この瞬間、僕の頭の中身が切り替わっていることに気付いた。

 人を助ける、ではなくて。

 人を殺す、に。

 街の人を助けたいという気持ちまでは失くしていないが、目の前で広がりゆくこの惨状を僕一人の力で全てどうにかしようとするのは不可能だと言わずとも知れる。

 なら、僕に出来ることと言えば、可能な限り障害を排除すること。

 

「……はは」


 ふと、渇いた笑いがこぼれる。

 自分でも、何が可笑しいのか分からなかったが、そんな瑣末なコトを考える気も更々無かった。

 斬られた傷も、動けばある程度傷むが、傷とは得てしてそういうもの。

 痛いと感じる今は、まだ生きているんだと奇妙な実感すら覚える。

 舞い上がった火の粉が頬を焼き、熱の感触が僕を現実に引き戻す。


「探そう……『顎』の、頭領を」


 思うよりも先に、動く。

 思考するなら動きながらでも可能だし、止まっていては時間の無駄。

 右手に握った刀を引きずるようにして下段に構えたまま、僕は火の手の中へと飛び込んでいく。

 大昔の武将じゃあるまいし、野蛮な『顎』の頭領ともなれば仲間とともに襲撃に加担している可能性がある。

 敢えて渦中へ飛び込み、僕は頭領と思しき人物の姿を探す。

 手負いのまま、走る度に脇腹が痛む。

 応急処置をしようとは、考えもしない。

 轟々と燃え上がる炎の音、建物が崩れる音に悲鳴が混じって、その都度僕は方向転換して、声の出所を求め視線を彷徨わせる。

 その先、既に事切れた女性の亡骸が転がっているのが見えた。

 激しく抵抗したからだろうか、怖気が奔るほどの苦悶の形相を浮かべ、狼の毛皮を被った男を今もなお睨んでいる。


「ちッ……手間掛けさせやがって。儲けにならねえじゃ、あ」


 自らの手で殺めた女を忌々しく睨める男は、僕の存在に気付いていなかった。

 これ幸いと飛び込み、背後から一気に胸を貫く。

 男がよろよろと振り返った瞬間、止めと大きく袈裟切りして、僕の目の前で死体がひとつ出来上がる。


「……はぁ、ッ、はぁ……」


 刀の血を払った瞬間、一瞬だけ視界がぼやけて、思わず建物の壁に身体をもたれ掛ける。

 べちゃ、と嫌な音がしたような気がして、無意識に僕の手は脇腹へと伸びる。


「……思ったより、深かった……んだ……」


 左手の腹に伝わった生温かい感触に、顔を顰める。

 斬られた直後はさして意識しなかったのだが、いざ触れて、傷の痛みや不快感を意識してしまうと、自然と胃の腑から吐き気がこみ上げてくる。


「…………もう少し、動いてよ……」


 今死んでしまっては元も子もない。

 僕の命が尽きてしまうその前に、『顎』の頭領を探し出し、刺し違えてでも殺して、事態を終息へと向かわせなくてはいけない。

 一歩、一歩、一気に重くなった足取りで地面を踏み締めるたび、脇腹の痛みが全身に奔って喉の奥から嫌な味が伝ってくる。

 ふと、僕の視線が持ち上がる。

 気付けば市場の北側にと向かっていたらしく、僕の目の前にはオウギさんが使っているあの小さな商店がある。

 既にこの一帯にも火の手は上がっており、鶯色の暖簾が燃え上がって散っていく様を見て、ふと脳裏にユウキのことが思い浮かんだ。


「そう……だ、ユウキは……!」


 式の途中で具合が悪くなったとオウギさんから聞いていたが、それっきり姿を見ていない。

 誰かが介抱しているという話をもちろん覚えてはいるのだが、自分の目で確かめないと、この一抹の不安はどうしても消えてくれそうになかった。

 落ちた暖簾を踏みつけ、建物の中へと踏み込む。

 以前ここに立ち入った時と何も変わらない。強いて言うなら、内部も外と同様に火の勢いが強いこと。

 万が一、まだユウキが中で休んでいて、閉じ込められていたら――

 そうであってほしくない。

 だから、それを確認するためにここに来たんだ。

 小さな商店だが二階建てで、一階はもぬけの殻状態。

 となれば、向かうべくは二階。

 幸いにも階段はまだ使えるようで、僕は土足のまま、自分に出来うる限りの最大速度で階段を上っていく。

 小さな廊下と、突き当りに襖が二つ。


「……、ユウキ!」


 声を出すだけで身体中に響いて、痛みで身体が軋む。

 反応は無く、僕はそのまま手前の襖を一気に開く。


「ユウキ!」

「あ……! ち、チヒロ……?」


 小さな部屋の真ん中。

 窓の向こうが紅に染まり、炎が爆ぜる音や熱気がここまで伝わってくるだろうに、ユウキは蹲ったまま僕を小さく見上げた。


「どうして、まだ逃げて、な……え……?」


 そんなユウキの姿を見、口にしかけた言葉が詰まる。


「ユウキ、その恰好……どうして?」

「……これ、は」


 僕が仕立てた濃紺の着物ではなく、ユウキは初めて出会った時と同じ、あのほとんどボロ布と言って差し支えのない汚らしい衣服を纏っていた。

 そしてよく見れば、何故かユウキの口元には血を拭った後のような赤い痕が見える。


「って、そんなことはどうでもいいよ。早く、ここから逃げないと」

「……大丈夫だよ。私は別に、死なないんだから。それに」

「え……」


 ユウキがそっと身動ぎした時、じゃり、と小さな金属音が聞こえて、僕の視線が音の出所へと伸びる。

 彼女の両足に、小さな枷。

 鎖は部屋の支柱の方へと向かって伸びていて、つまりユウキは、この部屋に繋がれているということ。


「ど、どういうこと? だって、オウギさんは具合が悪いから休んでるって」

「……チヒロ、今からでも、遅くないよ。ここから逃げて。でないと……」

「でも……」


 火の手がここに到達するのも時間の問題。

 それなのに、ユウキをここに置いて自分だけ逃げるなんて、今の僕には絶対できない。

 ユウキの言いたいことも分からなくはない。

 けど、まだ撲はこうして生きているのだから、僕がどうしようと何をしようと僕の自由で勝手だ。

 急いで支柱のほうへ回り込んでユウキを縛っている枷を調べる。

 【花】でユウキを拘束していたものとは違い、やや真新しい光を放つ黒い鉄。多少なりと錆びていれば刀で叩くかして壊せなくもないが、この状態だと物理的な力で壊すのは難しいか。


「鍵……そうだ、この建物の何処かにあるの?」

「鍵は……」

「鍵なら、ウチが持っとるよ」


 不意にそんな声が聞こえ、無意識に鯉口を切って振り返る。


「オウギ……さん……」


 現れたのはこの建物の主で、ユウキの夫となったばかりのオウギさんだった。

 いつもと何ら変わらない、飄々とした様子で襖に寄り掛かったまま、あの細い糸目で僕を見ている。


「いやいや、困ったもんだね。大事な商品だからって人を付けてたはずなのに、我が身可愛さ優先して逃げちゃうとはさ」

「……」


 そうやって勝手に語りだしながら、オウギさんは一歩、二歩、部屋に踏み入ってくる。


「いくら楽に死ねない身体らしいとはいえさ、火傷はちょっと痕が残っちゃうでしょ? 不安になって見に来て正解だったかな。……予想外の来客もあるけど、ね」

「……大事な商品、ですか」


 誰が、と言わずもがな。

 いつでも抜刀できるようにと低く、右足を後ろに引きつつ僕は、至って平静を装ってオウギさんの出方をうかがう。


「チヒロくん、この遊郭を見てどう思った? 『枯山水』なんて名前の通り、ぶっちゃけて言えば地味で遊女の質もまちまちでさ、隠れ遊郭としちゃ上等かもしれないけど正直もったいないよね。もっと面白い遊女とか、変わった遊女とか、上手いこと改変していけばもっとイイ場所になるってのに、支配人のお二人とも現状で十分だって取り付く島もないわけでさ。交渉には自信があったんだけどねぇ……」


 ユウキの表情がみるみる青ざめていく。

 きっと今、彼女が視たというあの光景と状況が酷似しているのだろう。

 つまり、僕は今この場でオウギさんに殺されてしまう。


「……それなりに長い時間掛けてたけど、埒が明かないからね。こうやって強硬手段に出てみたけど……なかなかどうして、頭の悪い部下は役に立ってくれないね。ウチの思惑の半分も達成出来てないときた」

「……『顎』の頭領は……オウギさん、なんですか」

「厳密にいうとちょっと違うね。ウチの兄貴が頭領さ。兄貴が死んだ今は頭領代理とでも言うべきかねぇ……」


 顎をしゃくりながら、さも平然とそんなことを言ってのける。


「一種の役割分担さ。兄貴が色々持ってきて、それを弟のウチが捌いて利益にする。今までそれでやってきたんだけどね、まぁ……色々あったのさ。突然襲撃されて、売る予定だった連中に逃げられたり。変な里の噂話を耳にして、部下に調べさせたり一芝居させたり。まさに、波乱万丈ってやつさ」


 そうやってオウギさんは、まるで一押しの商品を披露するかのような饒舌さであれやこれやと語りだす。


「自警団の連中も団長以外は大したことないって見てたんだけど、そこにまさかの旅の剣士様の登場ときて、なんだか物語みたいな展開で面白いなぁとは思ってたけど、その腕も頭も切れるし度胸もある……いやいや、凄いねぇチヒロくん。ウチは心の底から君を評価しているよ」

「……そりゃ、どうも」


 この状況下、褒められて嬉しいわけもなく。

 加えて、オウギさんは上機嫌な風で僕にこんな不愉快な提案をしてきた。


「どうだい? よければチヒロくんもウチのトコで働いてみるってのは。その腕っぷしと器量があれば」

「お断り、しますよ。悪党になるつもりもないし、僕は……アンタの敵ですから」

「そっか、そりゃ残念だ」


 そんな即断即決の、ごく短いやり取り。

 しょうがないか、みたにオウギさんは肩を小さくすくめると、徐に懐に手を伸ばす。

 一瞬。

 ユウキが視たというあの光景がここだと悟った僕はオウギさんに斬り掛かろうと踏み込んで――不意に、僕の視界がわずかに薄暗くなって、踏み込んだ足と思考とが思わず止まってしまう。

 血を、流し過ぎたらしい。


「チヒロ!」


 立ち眩みでふらついた意識を呼び覚ましたのはユウキの声。

 だが、遅かった。


 パンッ――!


「うッ、あ……?」


 何かが小さく爆ぜる音が聞こえると同時、僕の左胸に小さな衝撃と熱とが貫いてきて意識と痛覚とを焼く。

 薄っすらとぼやけていく僕の視界のその中で、オウギさんは手に拳銃を握りしめていた。


「じゃあしょうがない。チヒロくんはここで死んでもらうことにしよう。アズサや他の人には……そうだな、火事で焼け死んだとでも伝えればいいか」


 体が震え始め、それと同時に全身から力が抜けていく。

 まだ立って、やらなきゃいけないことがあるのに。

 僕の意思とは裏腹に、指先や関節が思い通りに動かせなくなって、そのまま膝を落とし、うつ伏せになって倒れてしまう。

 ユウキが視た、あの光景通りに。

 ユウキの悲鳴が僕の頭の上で延々と響き続けて、その声が、何故かとても甘美に聞こえてしまって、抗い難いほどの眠気が襲ってくる。

 声は、まだ薄っすらと聞こえている。

 自分の意識は、まるで霧に包まれていくかのように明瞭になってくれない。

 死に、近づいていく感覚。

 今際の際、というヤツらしい。

 墨のように黒い海の中に沈んでいくように、自分の意識が遠く、遠く、誰の手も届きそうにない場所へと沈んでいくのがわかる。

 このまま落ちて、落ち続けて、自分の意識が無くなったが最後、僕は死んでしまうのだろう。

 底はきっと、怖気が立つほど心地よい空間。

 本能を司る自分の中の何かが、それを求めて今手を伸ばしている。

 その指先が、ぴく、と小さく痙攣してそれを否定する。

 落ちるには、まだ早い。

 落ちたいと思う意識に反する意思のようなものが、落ちていこうとする身体に無理やり歯止めをかける。

 こんなあっさり死んでしまって、いいものか。

 胸の奥底で小さな火が灯る。

 それは種火のようなとても小さな火だったが、僕の意識を動かしてくれるには十分な火だった。

 まだ死ねない。

 そんな簡単に死んでたまるか。

 好きな人の前であっさり死んでしまうなんて、最高に格好が悪いじゃないか。

 動く。

 いや、動かす。

 落ちかけていた意識がゆっくりと目を覚まし、そして気づけば、指先の感覚がじわじわと戻ってきている。

 右指に伝う、愛用した刀の柄の感触。

 今までこれで何人もの人を斬ってきた、良し悪しのつかない思い出と一緒に内側から意志の力がふつふつと湧いてくる。

 真っ暗になっていた視界に、赤い光が差し込む。

 その果てで、オウギさんに引っ張られていくユウキの姿が見えた。

 僕が死んで、商品であるユウキを回収してそそくさと逃げていくその背中。

 身体は、歪にではあるが動いてくれるらしい。

 指先に、手の平に、力を込めて柄を握りしめる。

 畳に刃を突き立て、それを支えにしてゆらりと立ち上がる。


「……!」


 振り返ったユウキの視線が交差して、二人の動きが数秒の間止まる。

 全てを賭ける、最後の瞬間。


「おい、何してんだ。早く」


 ユウキの足が止まって苛立った声を上げたオウギさんが振り返ると同時に、僕は今出せる限りの力を全て振り絞って刀を構えて畳みを蹴飛ばす。

 明確な言葉ではない、ただの音のような叫び声をあげながら肉薄。

 驚いたオウギさんが慌てて懐の銃に手を伸ばすよりも先に、僕は下から突き上げるようにして胸の中点を一気に貫く。

 小さな断末魔と、息遣いだけが、僕の耳朶を静かに打つ。


「……がッ、は……は、はは……おかしいな……心臓、狙ったはずなんだけど……」

「……」


 何を言わず、刃をより強く押し付けるとオウギさんの口から鮮血が滴っていく。

 手には力がこもったまま、僕を動かした衝動は今もなお止まず、僕は全身をオウギさんに圧し掛からせるように思い切り身体を当てる。


「――ッ、ああああああ!!」


 開きかけた襖を吹き飛ばし、そのまま一直線に突っ込んで廊下の壁に二人で激突。

 パキ、と小さな金属音。

 壁にぶち当たった衝撃で刀が折れ、それでもなお、僕は刃を突き立てるのを止めない。

 否、止められなかった。

 衝動のまま力任せに全身を強く押し付け、既に事切れているその身体を無理やりに潰そうと体が前へ前へとのめり込んでいく。

 力を込めるたび、刃が肉を潰して貫く音が響いて、それでも、止められない。

 このまま、自分も破滅してしまいそうなほどの衝動。


「チヒロ! もういい!」


 熱の塊のような心地の身体を、誰かがそう叫んで抱き締める。

 ユウキの細い腕が僕を包んで、ややあって、僕はゆっくりと自分を取り戻していく。


「もういい……もう、死んでる……から……!」

「…………そう、だね。ごめん……ユウキ」


 がくがくと震える両腕から力が失せて、手の平に伝わっていた感触が一気になくなっていく。

 ユウキに身体を引かれ、指先から柄が離れて、支えを失ったオウギさんの亡骸がぐったりと倒れる。

 今まで何度となく見てきた、人が死ぬ瞬間。

 いや、人を殺した瞬間――か。

 ユウキのすすり泣きを耳にしながら、僕はぼんやりとした心地でそれを眺めている。


「チヒロ、チヒロ……!」


 僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、僕の手は、無意識にユウキの髪に伸びる。


「早く……早く、逃げよう? ここも、危ない……!」

「わかってる……よ。でも、ちょっと、待って……」


 身体を動かそうとして、思うように動かなくて一瞬ふらついて、そんな背中をユウキに支えられて、視線がまたオウギさんの方へと伸びる。

 走馬燈、とは上手く言ったモノで、僕の視界の中で今思い出がくるくる回る影絵のように回想されていく。

 旅をして、復讐を遂げて、ここへ辿り着いて、アズサさんやハガネさん、カンナさんやユウキ、様々な人に出会って、様々なことがあった。

 終わったと思っていた復讐は終わっていなかった。

 けれど、今ここでハッキリと終わりを迎えた。

 あの時に比べて、あの時以上に、僕の胸は空しい感情に苛まれていた。

 人を殺したというのに。

 他人ではなくて、面識のある人間を殺したというのに。

 今は、本当に何も感じない。

 無感情に、僕はオウギさんの死体を見つめている。


「……ユウ、キ」

「な、なに?」

「…………」


 『顎』の頭領は確かに討ち取ったが、討ち取っただけでは根本的な解決にならない。

 この頭領の死を、『顎』の人間全員に分かるように示さなくてはいけない。

 そのために、何かしなければいけない。

 ……何か、なんて、ユウキに告げるのは今の僕では疲弊が勝ってしまっていて完全に億劫になっていた。


「……ほんの少し、お願いがあるんだけど……」

「なに……?」

「目を……瞑ってて、ほしい」

「えッ……? え、えぇ……」


 ユウキの腕から離れ、彼女が目を瞑ったのを確認して。

 僕はオウギさんに突き刺さっていた刀を引き抜く。

 刃は半ば程で折れていたが、幸か不幸かまだ使えそうな状態だった。


「………………」


 折れた刃をそっと首元に宛がえ、僕は――息を吸い込んだ。


 ※


 火の手が上がり続ける市場。

 下卑た声が未だなお響くこの場所に、僕は一人で歩いている。


「……あぁ?」


 男が一人、僕の足音か、それとも気配か。

 いずれにせよ僕の存在を察知し振り返った。

 毛皮で隠れているはずのその表情が、僕の姿を見て怪訝に、僕が持っているモノを見て、一気に青ざめていくのが見えた。


「あ……なッ、な……!」


 男の異変に気付いた仲間が一人、また一人と現れ、彼らも同様にわなわなと体を震わせていく。

 僕は、掴んでいたそれを無造作に放り投げる。

 どす、と重い音を響かせて転がったそれを見て、全員が悲鳴じみた声を上げる。


「……あ」


 一人が、視線を彷徨わせたその先で僕と目線が重なる。

 今の僕の顔はどんなだろうか、想像もつかないが、少なくとも男が「ヒッ」と声を漏らして尻込みするような顔をしていたのだろう。他二人も、似たような顔を浮かべて震えあがっている。


「て、てて、撤収だ! 頭領が、やられ……お、俺らも、やられる!?」

「な、何だあいつ……! やべえ!」


 散り散りになっていくその背中を見て、他の連中も異変を察知し、武器を落とし、彼ら同様に叫びながら逃げていく。


「……」


 水面を揺らす波紋のように、恐怖は伝播して広がっていく。

 これで、『枯山水』を脅かす脅威は去っていくはず。

 今の僕はもう、それを信じるしか他に出来ない。

 心も体もボロボロで、もはや立っているのだけで精一杯だった。


「…………疲れ、ちゃった、な……」


 僕の記憶は、ここで途切れた。

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