『鎖ノ姫』 第五章 「6」
飲めや歌えやの式は、夜が更けてもなお陰りを見せるどころか、より一層賑やかさが増している。
浮かれた気分で皆々が酒を飲み、酔って千鳥足になる男や、普段はあまり喋らないような人が饒舌になったりと、もはや誰の結婚を祝うための式なのか分からないような有り様。
僕は、会場から少し離れた場所で一人で周囲の様子を眺めていた。
今日は式の警護の仕事も忘れてはいけない。
お酒を控え、今は自分で用意した水筒を片手に周辺警護を行っている。
……と言っても、賑やかで騒がしさこそあれ、不穏な騒動などは今のところ見受けられない。
「……」
笑っている。
老若男女問わず、あそこにいる人間全ての表情は実に楽しそうで、平和で。
だからこそ、浮き彫りになってくる僕の複雑な内心。
これが終わって、後片付けをして、アズサさんと約束した契機が過ぎれば僕はここを出ていく。
まぁ、ユウキの視た未来の通りならば、僕は近いうちに死んでしまうらしいけど。
「結婚か……人生の墓場って、私は聞いたことあるね」
凛とよく通る声が脇から聞こえて、振り向いて見るとそこに意外な人物が立っていた。
「……え? わ、カンナさん!? どうして、ここに?」
いつもの豪奢な和服姿のカンナさんが、気付けば僕の隣に。
驚く僕の顔を見てか、カンナさんは少し不機嫌そうな表情を浮かべる。
「どうしてって、もちろん結婚式を見物にって来たんだよ。今日は式で男共もみんな大騒ぎで、誰もこっちに顔見せないからね。他の店の女の子も、一緒になって騒いだり、料理を手伝ったりしてるよ」
「え、そうだったん……ですか? 全然気付かなかった……」
曰く、リンリさんの料理の腕がかなりのモノだそうで、今も朝顔の厨房でアヤさんと一緒になって切り盛りしているとのこと。僕も、気付かないうちに食べていたのだろうか。
「遊女って、そういうの苦手そうな印象だけど」
「いやいや、そうでもないよ。女手一人でって生きていくために、それか、自分でお客さんに振る舞ったりするのが好きって子もいるし。見てくれからは想像できないかもだけど、【月】にアズマって子がいたでしょう? あの子はね、お菓子を作るのが得意でね」
楽しそうに語るカンナさんの唇が、ふと止まる。
「……チヒロ、あんまり楽しそうじゃないね」
「え? えぇ、まぁ……や、そんなことは」
「別にウソ吐かなくたっていいよ。気に入らない、面白くないって、ハッキリ言っちゃえばいい。……チヒロの性格じゃ、そこまで悪し様には言えない?」
「でも、オウギさんは決して悪い人じゃ……」
ない、と、この時何故か断言が出来なかった。
不意に言いかけた言葉が詰まって、カンナさんが密かに眉根を寄せる。
「前の……ユメの話、覚えてる?」
「え? えぇ、オウギさんが恐いって言ってた話ですよね。あれは」
後日、ソラちゃんから聞いた事を言おうとして、それより先にカンナさんが口を開く。
「どうもかなり本気らしくてね……今日も、私の部屋から出てないんだよ。恐いから行きたくないって。ソラは、それでも何ともないみたいで友達と一緒に向こうにいるんだけどさ」
「え……? じゃあ、今はユメちゃん一人なんですか?」
「そうなの。留守番できる、って言ってたけど少し心配でね。それで……悪いんだけど、よかったらチヒロ、少し様子を見に行ってもらえない? 私、人に呼ばれててさ」
「えぇ、それぐらいならお安い御用です。何なら、一緒に連れて戻ってきた方がいいですか?」
「そうだね、助かるよ。ユメが素直に言う事を聞いてくれないって、凄く珍しくて……もしかしたらどっか具合でも悪いのかも……チヒロ、お願いね」
「了解です」
とはいえ、黙って会場を離れるわけにもいかないので、一度詰め所に寄り道してハガネさんに事情を伝える。すんなりと承諾を得た後、僕は会場を離れ『枯山水』の【月】へと向かって歩き出す。『枯山水』へと続く門扉の前まで来て、僕の足が思わず足が止まった。
「人の気が無い遊郭って、何だか新鮮……というか」
寂しい、な。
人の気が無ければ街の明かりを灯す必要もなく、門扉は最低限の明かりだけが設えてあるだけで、街の方は完全に闇の中へ溶け込もうとしている。
消し忘れた薄明かりが点々としているだけで、今日のこの日だけ、式場と昼夜が逆転していた。
あまりにも暗いので、思わずランタンを取り出して明かりを灯す。
ユメちゃんがいるであろう【月】を見上げてみると、最上階だけ小さく明かりが灯っている。
式には行かなくとも、広縁から様子だけ見ているのかもしれない。
ひとりぼっちで、寂しくないのだろうか。
「…………」
聞こえるのは足早な靴音と、僕の息遣いだけ。
本当に、それだけしか聞こえない。
完全に眠りに落ちてしまった『枯山水』を僕は歩く。
門を越えて少し歩けば見慣れた【花】が見えてくる。
見世物小屋の中で手招く遊女の姿は一人もなく、消し忘れた行燈の明かりに小さな蛾が群がっているのが見えた。
誰もいない【花】を尻目に進み、中央の広場まで行ったところでもう一度足が止まる。【鳥】も、【風】も、同じように小屋には誰もいない。
無人の小屋は閑散としていて、ただ前を通り過ぎるだけなのに、胸が無性にざわついてしまう。
何故だろうか、寂しさとは別に、微かな不安が過ぎる。
「……そういえば、式の警護って自警団の人全員呼ばれてたんだよね。外の見張りとかって、今どうなってたっけ……」
ユメちゃんを迎えに行って、カンナさんのところへ送ったら、僕一人ででも確認するべきかもしれない。
言い知れぬ焦燥感を抑え込んで、僕は坂道を一気に駆け上がる。
いつもなら守衛の人に一言声を掛けてから入るのだが、居ない人にわざわざ確認や承諾を得る道理もない。そのまま階段を一つ飛ばしに上っていって、二階、三階へとあっという間に到着。
「ユメちゃん、いる? チヒロだけど」
「…………は、はぃ」
そんな小さな声が扉の向こうから聞こえてほっとする。
万が一、何かあったらどうしようかと内心でひやひやしていたが、扉を開けたその向こうで、ユメちゃんが僕を出迎えてくれた。
「こんばんは。結婚式、見に行かなかったんだ? みんな楽しそうにしてるよ」
「え、えっと……こ、ここからでも、見えるから」
そう言ってユメちゃんは広縁の方に僕を引っ張って、そして広場の方を指差した。
なるほど、確かに。
ここ『枯山水』で一番高い建物だから、ここからでもある程度の様子は見える。用意された特設の会場はもちろん見えるし、宴会してはしゃいでいる声も風に乗って聞こえてくる。流石に人の姿はとても小さいが、楽しんでいるんだろうなと雰囲気は十分に伝わってくる。
「で、でも。どうして、チヒロ様が、ここに……?」
「カンナさんが心配しててさ、様子を見てきてくれって頼まれたんだ。一人で寂しくなかった?」
「……す、少し。でも……こ、恐くて……」
祝いの席なのに、そこまでオウギさんに怯えるものなのだろうか。
恐い、というその言葉以上にユメちゃんはオウギさんを過剰に恐れている。
妙だとは思いつつも、子供の思うところは僕にも分からない。
膝を落として視線を合わせ、僕はユメちゃんの頭に手を置く。
「大丈夫だよ。別に、オウギさんは恐くはないって。ここで一人でいてもしょうがないし、僕と一緒にカンナさんのトコ行こうよ。向こうに行けば美味しい料理もあるし、ソラちゃんとかも、お友達もいるしさ」
「は……はい、あ」
「……?」
不意に外套の端っこを摘ままれ足が止まる。
振り返ってみると、ユメちゃんが広縁の方を指差して僕にこう言った。
「あの、あの…………い、行く前に少し、景色……見ませんか?」
「え、あぁ……うん、いいよ」
そのままユメちゃんに引っ張られる形で部屋へと上がり、広縁へと向かう。
既にここからの眺めは何度も経験済みだが、式当日の景色は市場の方に明かりが集中していて、その明かりも普段の『枯山水』と趣が異なっている所為か、今夜ばかりは少々地味な印象を受ける。
それでも、ごく小さい人の影がぽつぽつと動いているのは分かる。
飲めや歌えやの宴会は、朝まで終わりそうにない。
「……ち、チヒロ……様」
「うん? なに?」
「チヒロ様は、ここが、お好きですか?」
「え……? うん、好きだよ。でも、いきなりどうしたの?」
「えッ? あ、あの……その」
「……?」
ふと、隣のユメちゃんに視線を落としてみると、いつも以上にうつ向き気味で、何かを言おうか言うまいかと迷っているのか、口元がもごもごとしている。
元々口数も少ないし、はっきりと物を言う子ではないのは重々知っているので、僕はそのままユメちゃんの言葉を待つ。
「……ん?」
不意に、風が僕の頬を撫でる。
その風の冷たさに混じった臭いと、微かな違和感に僕は自然と首を動かして市場に視線を向ける。
一見して、これといった異常は見受けられない。
微々たるものとはいえ、向こうの騒がしい声も聞こえてくるのだが、何故か僕の胸の内でざわざわと不快な感覚が蠢いて気持ちが悪い。
「なんだ……ろ?」
「チヒロ様……?」
広縁の縁まで行って、身を乗り出してまで辺りを見回す。
見える範囲に異常は見られない、と、思っていたその瞬間だった。
「…………? 何だ、明かり……?」
会場のその先、方角で言えば東側、街道へと続く道。
点々とした明かりが、まるで鬼火の行進かのようにゆっくりと近づいてくるのが辛うじて見えた。進行方向は、まっすぐ『枯山水』へ。
旅人、というより、オウギさんのような行商の小隊だろうか。
こんな真夜中に行商とも思えない。道に迷ってここに辿り着いたのだろうか。
「ち、チヒロ様」
「あ……うん? どうしたの?」
「……変な臭い、しませんか?」
ユメちゃんのその一言で、脳裏で駆け巡っていた思考が一時停止。
最初は気の所為だと思っていた異臭が、いつの間にかハッキリと感じられるようになっている。
何かが燃えているような、焦げ臭いにおいが鼻を突く。
嫌な予感が膨れ上がる。
「……行こう!」
慌ててユメちゃんの手を掴み、部屋を飛び出して一気に階段を駆け下りていく。
階段を下りれば降りるほどに、下へ行けば行くほどその臭いは強まっているような気がする。
僕の第六感がここに居てはいけないと警鐘を叩き鳴らし、暖簾を吹き飛ばすような勢いで押し退けて【月】から出ようとして――息を呑んだ。
「な……!」
「チヒロさむ、ぐ!?」
慌ててユメちゃんお口元を手で押さえて、そのまま玄関口の陰に二人して身を潜める。
僕だけ、そっと顔を覗かせ、今しがた自分が見た光景が夢であることを祈って、落胆した。
「な、何であの連中が……!?」
火の手が上がりつつある『枯山水』。
我が目を疑う光景の、その先で。
狼の毛皮を被った連中が、武器を手に手に火の粉が舞う中を歩いていた。




