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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第五章
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『鎖ノ姫』  第五章 「4」

 二日が過ぎ、いよいよ明日はオウギさんの結婚式。

 市場の方には特設の式場が用意され、今は式の段取りをオウギさんを中心に確認を進めているらしい。

 舞台の設定やら何やらは『枯山水』の男連中はもちろん、オウギさんのところの商人さんも何名かが手伝いに名乗りを上げてくれて、総勢二十名ほどで作業が進められ完成した。

 今は各所の補強作業で人の往来が激しい。

 パッと見、結婚式というよりお祭りの準備をしているように見える。

 そんな様を、僕は作業の邪魔にならない程度に距離を離しながら見つめていた。


「……あっという間、だね」

「あ、アズサさん……」


 ぼんやりしていると、いつの間にか隣にアズサさんが立っていた。

 アズサさんも『枯山水』の代表としてここ数日はよく現場を見に来ていたが、声を交わしたのは少し久々なような気がする。


「しかしま、唐突な婚約に、唐突な式とはずいぶん大急ぎなことだね。聞いたかい? 遊郭の結婚式だから夜に式を上げたいとか抜かしてるんだよ、あの男は」

「……」

「暗い顔しなさんな。事情はどうあれ、結婚は結婚だ。そんな顔して、ユウキを見送るつもりかい?」

「…………」


 見送る。

 そう、ユウキはあと一日足らずでオウギさんの妻となる。

 僕は、あくまで旅人で、この『枯山水』の用心棒で、それ以上でもなく以下でもなく。

 ユウキの、想い人でも何でもない。

 そう言い聞かせ続けて今日まで過ごしてきたが、僕の心はそれをずっと拒否し続けている。


「……あの、アズサさん」

「なんだい?」


 このままじゃ身が持たない。

 そんな気がして、ふと、僕はこんなことを言ってしまった。


「式が終わったら……その、『枯山水』を出ていこうかと、思っています」

「……理由を、聞こうか?」

「……その」

「一応先にアタシの意見を言っておくと、駄目だね。チヒロは自分で一月の頭までって言ったんだ、自分で言った期日ぐらいは守ってもらいたいね」

「……そう、ですね」

「自分で言ったこと、今まで忘れてたかい?」

「いえ、そういうワケじゃ、なくて……」

「……」


 ここ『枯山水』は居心地のいい場所だ。

 アズサさんもハガネさんも、自警団の団員も、コウマ君やコスズさん、アヤさん、カンナさんを始めとした、花鳥風月の名を冠した店の遊女たち。

 素敵な人たちばかりいるこの遊郭を、僕はとても気に入っている。

 でも、居続けるには少し辛い場所になりつつある。


「……気持ちは分からんでもないよ。チヒロがどうしてもって言うなら、アタシも無理に引き止めはしないし、もちろん報酬も相応に上乗せして用意させてもらうよ。立派に用心棒を務めてくれてたからね。今日まで荒事も何もなくここ『枯山水』は平和だ」

「そ、そんな。大袈裟ですよ。僕は、その」

「けど……出来るなら、もう少し考えてみちゃどうだい? チヒロは今や、単なる用心棒としてだけじゃなくて、皆からも慕われてる存在だ。多かれ少なかれ、寂しくなるよ」

「……わかりました」


 アズサさんの温かい言葉に、胸の内から何かがこみ上げてきて溢れそうになるのをぐっと堪える。

 小さく肩を叩いて、アズサさんは会場を設定している人の方へと向かい大声で激励を始めた。


「……ユウキに、会いたいな」


 ユウキの顔を見たい。

 何でもいいから話がしたい。

 でも、今は気安く話しかけられない。

 僕の足は、しばらく無意識のまま動き続けて『枯山水』を彷徨った。


 ※


 適当に歩いていれば、適当に腹が減る。

 すっかり陽が落ちた頃ともなれば、食事処『朝顔』は全席満員御礼。

 今日の仕事を終えた人たちが疲れと空腹を癒すべく、仲間と揃って宴会のような騒ぎで賑わっている。近く、結婚式を開くということもあって各々の士気は高い。

 僕はと言えば、座敷席から遠く離れた端っこで一人のんびり焼き魚を突いている。

 お腹は空いているし、好物なのだが、どうにも食事の手は遅い。

 何というか、意思と行動が噛み合っていない。


「……元気ないね、チヒロさん」


 ハッと顔を上げると、アヤさんが正面に見えた。

 何か返事をしようとして、でも上手い言葉が見つけられなくて、僕は適当にはにかんで返してみせた。

 卵焼きの乗った小皿が、ことん、と置かれる。

 オマケだよ、とアヤさんは言ってくれた。


「一部始終を見ちゃった私も、少し複雑だね。まさか、オウギさんととっくに出来てた……なんてね」

「……みたい、ですね。はは」


 箸で触れただけでふわふわと割れる卵焼きは、お菓子のように甘くて、だけど卵のコクが手伝って非常に美味しい。誰かと話をして、味わう余裕が出来たおかげだろうか。


「チヒロさんは、これで良いの?」

「良いも何も、ユウキは結婚を承諾してるってハナシですし、僕にどうこう出来る問題じゃないですよ」

「出来るとか出来ないとかじゃなくて……さ」

「……」


 何か言いたげなアヤさんを呼ぶ声が聞こえ、彼女はすぐさま向かい、そしてまた僕は一人の食事に戻る。

 アヤさんの言わんとしていることは、もちろん僕だって分かっている。

 でも、今しがた言った通り、既に僕がどうこう出来るような状況ではない。

 ユウキはオウギさんと結婚する。

 たったそれだけの、紛れもない事実。

 僕が出来る出来ないじゃない。


「…………はぁ」


 出来ることなら、オウギさんから奪ってやりたい。

 なんて、僕の性格上口から絶対に出てこない鬱憤はご飯とお茶とを一緒くたにかき込んで飲み込む。

 不意に、お店の入口辺りの騒がしさが増したような気がして振り返る。

 暖簾をくぐって現れたのは、今や時の人と化したオウギさんその人。

 周囲から囃される声に適当に手を振って往なしながら、まるで誰かを探すようなそぶりでお店をざっと見回して、目が合った。


「やぁやぁ、チヒロくん」

「……オウギ、さん」


 いつもの飄々とした体で僕の隣の席へ腰掛け、実に流暢にお酒とつまみとを注文すると頬杖をつき、僕を斜めに見つめてくる。

 朝の一件の気まずさと、僕個人のオウギさんに対する疑念とがぶつかり合って、頬が引きつっているのが分かる。


「……その、あの時は」

「あー、いいっていいって。ウチは大して気にしてないし、むしろチヒロくんこそ大丈夫だったかい? 咄嗟とはいえ突き飛ばしちゃってさ」

「いや、僕は大丈夫ですけど……」

「そっか、いやすまんね」


 気さくな謝罪を区切りに、僕とオウギさんの間に短い沈黙が割って入る。

 何とも言えない居心地の悪さを感じている僕とは違い、オウギさんは至って平常で注文した品が来るのを待っている。

 オウギさんが頼んだものが来て、少し箸を進めたところでその手が止まった。


「ところで、チヒロくん。君に二つほどハナシがあるんだけど……いいかな」

「話……ですか?」

「そ。一つはお仕事のハナシ」


 仕事、と言われ僕は首を傾げる。


「アズサから聞いたよ。チヒロくんさ、一月を過ぎたらここを出て旅に戻っちゃうんだって?」

「え? えぇ、まぁ……」

「いやね、これまで、『枯山水』の治安を自警団と一緒に守ってきてくれた君の手腕が欲しくてさ。よければ、ウチのトコで正式な護衛として働いてみちゃくれないかな?」

「手腕って、僕は大したコトはしてませんよ」

「はは、謙遜しちゃってまあ。何、もちろんタダとは言わないさ。報酬だって弾むし、別途で特典も付けるつもりさ」

「……? 特典?」

「チヒロくん、ユウキに気があるんだろう?」

「……」


 その名前が出ると、どうしても手がぴくりと止まってしまって、情けない。

 そんな僕の有り様を見てどう思ったのか、どうとも思わなかったのか、オウギさんはやや上機嫌に話を進める。


「旅に戻ったら、もう『枯山水』には簡単に来れないだろう? なら、ウチの行商の護衛に来てくれれば、ユウキの近くにいれるじゃないか。ウチとしても、妻の安全を守るためには労力やら何やらは惜しみたくないもんでね。君なら、任せられると思うんだけど」

「……それは」

「なあに、浮気相手が君ならウチも別に目くじら立てないさ」

「ふざけないでください!」


 バン、と机を叩きつける音に、食堂の喧騒が一瞬静止する。

 怪訝な視線が一斉に飛んできて、自分の迂闊さと恥ずかしさとに「すみません」と小さく言って席に縮こまる。


「……あー、その、すまないね」

「いえ……こちらこそ、すみません」

「……浮気、だなんて真剣に好いてくれてるチヒロくんに言うのは相応しくなかったね。でも、君の腕を買っているっていうのは本当なんだ。護衛の話、考えちゃくれないかい?」

「…………考えて、おきます」


 ここ最近、無駄に頭に血が上りやすくなっているような気がする。

 ユウキの名前を引き合いに浮気とまで口にしたオウギさんの軽率で不埒な物言いは決して許されるようなことではないのだが、話の根幹はあくまで仕事の話。

 これまでの経緯、僕の性格も加味すると無下に断ってしまうのは僅かばかりの抵抗もある。一晩しっかり考えて、ちゃんとした答えを用意しなくてはいけない。

 勘定を済ませ、僕が席を立とうとした時。

 机の上に、オウギさんが小さな紙切れを置いた。


「……? あの、これは?」

「二つ目のハナシ」


 開けてみなさいな、とでも言いたげなにやついた視線に促され、僕は紙切れを摘まんで開く。


「……!」


 覚えのある字ではない。

 だけど、書いてある文を見て僕の胸が、ドクッ、と脈打つのを感じる。


「……あのッ、失礼します!」

「おう、行ってらっしゃいな」


 清々しい笑みに見送られ、僕は慌てて荷物を引っ掴んで『朝顔』の暖簾を脱兎の如き勢いで押し退け走り出した。


 ※


 ここ『枯山水』に来て、僕は何度この門をくぐっただろうか。

 今日も輝く黄金色の遊郭。

 遊女というモノ自体に抵抗を覚えていた頃が懐かしく、そんな感慨もおざなりに僕は一心不乱に足を動かす。

 真っ直ぐ進み、馴染んだ【花】の脇道に反れる。後ろに誰かが僕を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、今はそんなことよりも重要なことがある。

 握りしめた紙切れの内容。

 ただ一言だけ、裏手の水路で待っているという趣旨の一文。

 突き当り、曲がってすぐのところに彼女はいた。


「はぁ、はぁッ……ゆ、ユウキ……」

「よかった、来てくれたんだ」


 あの日別れた時と同じ、僕が呉服屋で見繕った濃紺で落ち着いた意匠の和服姿。

 何処となく和らいだ表情に、あの左眼は、今は小奇麗な眼帯で覆っている。オウギさんが用意したものだろうか。


「……ね、隣に、来てくれない?」

「え……う、うん」


 何時か話したときと同じように、僕とユウキは水路の縁に腰掛け、しばしの間互いに見つめ合う。

 ……急に恥ずかしくなって、僕から先に顔をそっぽに向けてしまった。


「え、えっと、その、どういう用件……かな」

「……色々。チヒロにね、言わなきゃいけないことがあるの」

「僕に……?」

「……」


 そう言って、ユウキはゆっくりと眼帯を外して、あの黄昏に染まった眼を露わにする。

 その瞳に僕の姿が映り込んで、じぃっと真っ直ぐ見つめられる。


「……あの人から、色々聞いたよ。大変だった……ね?」

「あ……あぁ、うん。いや、アレは全面的に僕が悪いわけで」

「……結婚の話、言わなくて、ごめん」

「……いいよ。別に」

「あの……あの、違う……の。そうじゃ、なくて」

「……? ユウキ?」


 しおらしい声がぽつぽつとユウキの口からこぼれて、僕はふとらしくないと思った。

 どちらかと言えばユウキは割と物事をハッキリという性質で、こうやって何か躊躇っているようなそぶりを見るのは初めてだった。

 言い淀むその様は実に新鮮な半面、何とも言い難い不安が胸の内を逆撫でしてくる。


「チヒロ」

「なに?」

「今すぐ、『枯山水』から出ていって」

「……え」


 一瞬、胸を引き裂かれるような心地に陥って、そしてユウキの表情を見て息を呑む。

 今にも泣き出してしまいそうな、大きな涙を目尻にいっぱい溜めている。

 ただならぬユウキの様子。

 その言葉以上の意図があるに違いない。

 半分開きかけた口を一度引き結び、冷静に、僕は彼女に聞き返す。


「……どう、してかな」

「時間が、ないの。私、見ちゃった……視えちゃったの。あの人を見た時、チヒロが……!」

「お、落ち着いてよユウキ。本当に、急にどうしちゃったの?」

「このままじゃ、チヒロ……ここで、死んじゃうの!」

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