『鎖ノ姫』 第五章 「2」
真夜中の『枯山水』。
黄金色に輝く街々の様子を、僕は【月】の最上階から何の感慨も抱かないままぼんやりと眺めている。
「チヒロー? 落ち込み方が、女のソレじゃないよー?」
「……いいんです。僕は、男ですからー……」
解放的な広縁の柵に、まるで布団のように身体をもたれ掛けながらそんな生返事を一つ。
背中に、カンナさんの溜息が聞こえてくる。
「はー……こりゃ重症だね」
言わずもがな、ここは【月】の最上階であり、この『枯山水』で至上の遊女『金色神楽』と謳われているカンナさんの遊戯部屋。
本来、僕は巡回の仕事があるのだが、今朝の一件が現在に至るまで延々と尾を引き続け、仕事をしようなどという気に更々なれず、この場所における唯一の友人のトコロへ遊びに来たのである。
もっと単純に言えば、仕事をサボって酒を飲みに来たのである。
煌めく街の様子を見ながら酒を飲めば多少は気が紛れるのかと思ったが、そんなことは一切なく、口に含んだ梅酒の味は残念ながら全く舌に感じない。
「でもさぁチヒロ、そんな子供みたいなコトしない方が良かったんじゃない? 状況だけ聞いたら、そりゃあ惚れた女を横取りされて手を出したって風にしか見えないもの」
「……」
軽率だった、かどうかで言えば、改めて思い返してみればやはり軽率だったのだろう。
でも、僕の中では確固たる確信があっての行動で、しかしオウギさんはそれに不審な態度や挙動を見せることもなく堂々と、あまつさえ失礼極まりない僕の行動を笑い話にすり替えてしまったのである。
傍から見れば、誠実な大人の態度、不躾な子供の態度。
そうとしか捉えられなかったからこそ笑い話程度に収まったのだが、本来だったら僕は連中から袋叩きにされてもおかしくないぐらいには失礼な発言をしてしまっている。
でも、やっぱり、どう考えてもオウギさんしか考えられない。
しかし、結局のところ証拠も何もなく、あくまで僕の勝手な推察であり、あくまで僕の勝手な行動。
このやり切れない感情はどうあっても消化するコトが出来なくて、今もこうして不完全燃焼を体現するかのごとく不貞腐れている。
「ほーら、とりあえずこっちにいらっしゃいな。温かいご飯とか用意するから、一緒に食べようじゃないの」
「……食欲とか、ないです」
「酒だけお腹に突っ込んでも、後で気持ち悪くなるだけだって。それとも……もう一回、お風呂一緒に入る?」
「………………」
「もー、からかってもこんなんじゃ私だってつまんないわよー」
残ってたグラスの中身を一気に飲み干して、テーブルの上に滑らせる。
これから、どうしようか。
せっかく意思の疎通を果たして、イイ関係を築けるかもしれないと思った矢先の結婚。
ユウキはオウギさんと結ばれ、そしてやがては子を授かりこの地で幸せに暮らしていくのだろう。
その頃には、既に僕は用心棒の仕事を終えてまた無味な旅へと逆戻り。
なんだか……凄く、疲れてしまったような気がする。
「……お酒、もう一杯貰えませんか?」
「そりゃいいけど……チヒロって、あんまりお酒に強くないでしょ。そんなに飲むと、明日の朝地獄を見るよ?」
「既に地獄の真っ只中ですよ……」
冬眠明けの熊のようなのろのろとした動きで部屋へと戻り、机の上に置いてあった酒瓶を掴みグラスに向けてひっくり返す。中身が多少こぼれようがお構いなしに並々と注いで、それを一気にあおる。男の人が泣きながら飲む酒の心地が、今は十二分に理解できる。
「他の連中が見たら幻滅しかねないね……あら?」
そんなカンナさんの声に何事かと首を動かしてみると、開いた襖の側に寝間着姿のユメちゃんが立っていた。寝ぼけた目をゴシゴシしながら、ぽわーっとした調子で僕たちを見ている。
「んー…………」
「あらあら、起きちゃったの?」
「……ん」
「そう……あ、ならユメ、ひとつ仕事を頼めないかしら?」
「……お仕事……?」
ちょいちょい、とカンナさんがユメちゃんを手招き、そして何故か耳打ちをする。
まだ夢心地の所為でこっくりこっくりと頷く動作が、何処かの地方の玩具でみたいで可愛らしい。
「はい……わかりまし、た」
「……? カンナさん、ユメちゃんに何を頼んで……」
そして何故かユメちゃんはそのままとてとてと覚束ない足取りでテーブルをぐるっと回り、僕が座っている場所まで来るとちょこんと腰を下ろす。
「わ、ユメちゃん。今は、ちょっと……」
「ふふふ、子供って癒し効果があるのよ? ユメの禿として、や、遊女としての初仕事だねぇ」
「むー……」
ぽふ、とユメちゃんが僕の胸元に顔を埋めてきて、僕は妙な緊張やら何やらで酔いが一気に覚めてしまった。暖を求めて人に寄り添おうとする人懐こい猫のようなユメちゃんは、そのまま僕の中に落ち着いてしまった。
「……チヒロ様、元気ない?」
「え? そ、そんなことないよ?」
「ウソおっしゃい。今の今までフラれたからってヤケ酒してたくせに」
「ちょ、カンナさん……!」
「なーに? 子供相手に見栄張ろうって?」
「そ、そうじゃなくて。その、世の中には情操教育って言葉があってですね」
「遊女の禿相手になーに言ってんだか」
カンナさんにけらけらと笑われ、頬がカーッと熱を帯びていくのが否応なしに伝わってくる。
僕ではどうあっても言葉で太刀打ち出来そうにないので、結局そのまま恥ずかしさをお酒で濁そうと口を付ける。
「……チヒロ様は」
「ん?」
「カンナ様のこと、お好きですか?」
「へッ?」
完全に上ずった僕の返事に、カンナさんのニヤニヤ顔が容赦なく追い打ちを仕掛けてくる。
予想だにしなかったユメちゃんの突然の質問に、僕は鳩尾を突かれたような心地で返答に詰まり、そしてカンナさんは実に興味深そうな表情で僕を睨めている。
「え、えっと……」
「……?」
「おやおや、子供に追い込まれてるなんて、あの時のカッコいいチヒロ様は何処へ行ったのかしら?」
「う……」
「…………お嫌い、なんですか?」
「そ、そんなコトは決してないよ!? す、すす……好き、です」
絞り出すような僕の「好き」の一言を耳にした途端、部屋中に響くような大きな声でカンナさんが笑い出した。
「です、って。また子供相手に……ッハハハ!」
「い、今のは弾みで……だ、だけどす……す、好きってのは本当ですよ?」
「はは、そうかいそうかい。そりゃ嬉しいね。でも……ユメが聞きたい好きってのとは、また別の意味なんだよねぇ?」
「う……」
僕にだってそのくらいの空気ぐらいは読める。
恐らく、ユメちゃんが聞きたかった「好き」と僕の今言った「好き」は音こそ同じであれ、言葉の方向性が大きく違っている。
ユメちゃんはきっと、女性として、一人の異性として「好き」かどうかを問うたのだと思う。
それに対して僕の「好き」は一人の人間として、友人として「好き」という意味であるから、ユメちゃんの望む答えではないと思う。
「じゃあ……誰が、お好きなんですか?」
「……それは」
胸の中にいるのは今もただ一人。
でも、彼女の隣には既に相手がいる。
手を伸ばしても、今の僕では彼に払い除けられてしまうだろうし、そもそも僕にそんな資格はありはしない。
でも、僕はその二人の間柄に違和感を抱いている。
この違和感の正体は、単純な嫉妬や焦燥から来るモノだけではないような気がして、だからこそ異を唱えて嘲笑されて、不貞腐れて。
「僕の好きな人は……もう、結婚しちゃうんだよ。ほら、ここに行商に来るオウギさんって人と、ね」
僕が苦笑しながらそう答えた時、何故かユメちゃんの顔に、ふっ、と陰が落ちた。
「……あの、人」
「ん……? ほら、僕を助けてくれたあの人だよ」
「…………」
「どうしたの、ユメ?」
ユメちゃんは普段から声も小さいし、口数も少ないのだが、ここに来て急に唇をきゅっと結んでしまって、僕とカンナさんは揃って顔を見合わせる。
「あの人……恐い、です」
「恐い?」
「恐い?」
僕とカンナさんの声が思わず同時に飛び出し、再度顔を見合わせる。
オウギさんといえば、既にこの『枯山水』に生きる人々なら周知の人物であり、その飄々としながらも分け隔てのない人柄に加えて遊女からも評判の優男。
相応に人気の高い人物で、目の前のカンナさんも悪くは思っていない様子。
その一言に、僕もカンナさんも驚いていた。
アズサさんやごく一部の人間、ある種当事者の僕以外で、オウギさんの悪印象を聞いたのは初めてかもしれない。
それも、遊女の禿からの意見。
二重三重の意味で僕は驚かされていた。
「えぇ? どうしてだい? ユメもソラも、何度か会って話をしたことあるじゃない。あの時……そんな長くは話さなかったけど、変な話も何も無かったわよ?」
「それに、恐いって……?」
子供の意見だから、嘘や虚言といった類でないのは明白。
そもそも僕たちに対し嘘を吐いたりする理由なぞ無いわけだから、これは単純にユメちゃん自身の、純粋な感情ということになる。
僕も、カンナさんもいつの間にか僕の隣に寄ってきていて、二人でユメちゃんの顔を窺う。
二人分の視線が集中して、初めての境遇の所為かユメちゃんは完全に怖気づいてしまっていた。
「あ、あの……ま、前、チヒロ様が、お財布を探してくれた日……覚えて、ますか?」
「そりゃあ、もちろん」
オウギさんに助けられたあの後。
僕はお財布をユメちゃんに渡して、それから一緒に広場に戻ってソラちゃんと合流して別れた後、自警団の部屋で休んでいたところに二人から招待を受け【月】に出向いたのである。
「あの時の、帰り道で……あの人、怒鳴ってるの、見たんです」
「怒鳴ってって……そりゃあ」
自分の部下が不祥事を起こしたこと故の叱責、だろう。
あの時のオウギさんも厳しく説教するような旨を言っていたから、ユメちゃんが見たのはその現場ということだと思われる。
大人が子供に対して怒鳴るのと、大人が大人に対して怒鳴るのとでは当然迫力や威圧感といったモノは段違いだろう。ましてや、仕事の事ともなればオウギさんも部下に対する教育やある種のケジメといった側面も考えられる。
大人が本気で怒ってるのを見れば、まぁ子供なら普通に恐いと思ってしまうだろう。
「そ、そう……じゃなくて、あの、あの……」
「ユメ、今はそんな恐い話はしなくていいよ。今は、その失恋寸前のチヒロさんを癒してあげな」
「失恋、寸前……」
完全な失恋まで、あと一寸しか余裕がないと思うと一気に不安がこみ上げてくる。
まだ何か言いたげなユメちゃんの表情を見、僕は彼女の頭を撫でながら、ふと物思いに耽る。
ユメちゃんの中途半端な言葉に、僕は以前にも感じたような少々の違和感を思い出していた。




