『鎖ノ姫』 第五章 「1」
「あれ、どういう事なんですか……ッ!?」
アズサさんの家の居間に僕の怒声が響く。
こめかみを押さえながら、アズサさんはやれやれと辟易したような顔を浮かべている。
「いきなり結婚とはね……アタシも他の連中も、寝耳に水で驚いてるよ」
「しかも、オウギさんとって……」
あまりにも脈絡のない、唐突過ぎる結婚宣言。
結局、ユウキは無言でオウギさんに連れて行かれ、そして僕はと言えば、この状況が一切飲み込めず、それを把握すべくアズサさんへ詰め寄り、そして場所を変えてこうして話をしている。
一番混乱してるのは、昨晩ユウキと夜を過ごしたばかりの僕自身だ。
「……アイツが言うには、ユウキの承諾は既に得ているそうだ。式は準備が出来次第、最速年内に執り行うとさ」
「いくらなんでも……こんな」
「……お互い、少し冷静になろうか」
アズサさんはやおら立ち上がり、台所からお茶を持ってきて僕の前に差し出す。
湯気が立ち上るのを見ていると、自分の中でも同じように感情が湧き起こっているような気がして余計に落ち着かない。
この感情は、焦燥と、嫉妬と。
それから――
「……チヒロ、落ち着きな」
「この状況で、どうして……!」
「だからだよ。チヒロ、アンタ凄い顔してるよ。今にも人を殺しそうな顔だ」
「だ、だって僕は……! 昨日……ユウキと……」
冷静になれ、冷静になれと言い聞かせ、それが度を越えて胸の内で抑え込んでいた感情が溢れだして止まらない。
傷だらけのユウキを助けて、一日を一緒に過ごして、互いに触れ合って、愛し合って。
それが、今朝の一瞬で全てが台無しになった。
僕は、裏切られたような気持ちで、いや、本当にユウキに裏切られたのではないだろうか。
そうやって次から次へと浮上していくマイナスイメージがどう足掻いてもかき消せなくて、消せない思考が全部涙になってこぼれ落ちていく。
「……ユウキがそんなことするわけないだろう。根はイイ子だ。何かしら理由か、思惑があると見た方がいい」
「……アズサ、さん?」
ぼやけた視界のその先、アズサさんの険しい表情が見て取れる。
それはユウキの結婚に対するものではなく、何処か別の方向に向けられているような気がする。
「チヒロ、アンタにははっきり言っておく」
「え? あ……は、はい」
急にアズサさんの声音まで低く、不穏なモノになって、僕は慌てて強引に涙を拭き取ると彼女に向き直る。
「正直、アタシ個人としてはアイツを……オウギを信用していない」
「え……? そ、そうなんですか?」
行商をしているオウギさんとは懇意の関係にあるとばかり思っていたのに、突然見せたその表情と言動に僕は少なからずの衝撃を受けていた。
「……あくまで、個人の話と前置いておくよ。街の連中は、恐らく九分九厘はアイツを悪く思っていない。遊女たちからしたって優男だし、羽振りのイイ常連客だろうさ。でも、アタシとじーちゃんは、少し違う」
ここ『枯山水』において、オウギさんを邪険に扱う人間をほとんど見たことがないというのもひとつの理由。
街の人々からも、遊女からも、僕がお世話になっている自警団の人も、以前に武器や身の回りの物など様々な物品を融通してくれたという話も記憶に残っている。
しかし、ふと一人だけ。
不満や不平とも違う、漠然とした抵抗感を持っている人物のことを思い出した。
「アイツがここに来たのは……ユウキがここに来て一年くらいした後。チヒロみたいに道に迷って、偶然見つけた明かりを頼りにって、ここに十人くらいの商隊を引き連れてやって来たんだ。よく覚えてるよ。『枯山水』の店の説明をして、ウチらには【鳥】屋くらいがちょうどいいって、その日一日店を貸し切って遊んでたんだ。それから、ここが気に入ったからって贔屓にするようになったんだ」
「……その時って、ユウキは?」
「ちょうど【花】屋に落ちて間もない頃だね。そこが腑に落ちないというか、思えばアイツは【花】屋にはあまり近付いていなかったんだよ。そういう意味じゃ二人の接点がまるで浮かんでこない。二人とも、多少なりの面識があるらしいのは確かだけどね」
「……」
以前、ユウキと話した時の言葉を改めて思い出してみる。
初めて会った時、ユウキはこう言っていた。
――一日に二人も相手をするのも。
この“二人”という言葉が差す一人は紛れもなく僕である。
となると、僕と会う以前に別の人物と会っていたということになる。
僕が出会う以前から接点がある人物、ということになる。
「……チヒロ? どうしたんだい?」
ユウキが怪我を負って、水路で身体を洗っていた時のことを思い出す。
ユウキは、あの人、と誰かを示唆するようなことを言っていた。
付け加えて、それを承知でやっている、という言も。
これは、単なる予感に過ぎない。
しかし何故か、胸の内からざわざわと不安が騒ぎ出していて、それを助長するかのように、僕の頭の中という井戸から記憶という名の水を無意識に汲み取り始めていく。
「チヒロ……? チヒロ、おいって!」
「えッ、あ……? え?」
「急に真っ青な顔して……どうしたんだい? 具合が悪いとか」
「そ……そういうんじゃ、なくて」
僕の勝手な妄想に過ぎない。
けど、胸の内の何処からか叫ぶ声が頭に鳴り響いて止まない。
もしそうだとして、いや、そうだとしたら。
「す、すみません!」
「え? な、ちょっと、チヒロ!?」
制止の声が届くよりも先に僕はアズサさんの家から飛び出し市場の方へ向かって一目散に走り出していた。
※
市場の広場から少し北に寄った場所に、小さな商店が一つ点在している。
軒先には鶯色の暖簾。
オウギさんが行商に訪れる際、事務所や休憩所として利用しているお店である。
僕も何度か足を運んだことはあるが、今は普段以上に人の往来があって、その中心に小さな杯を手にしたオウギさんの姿が窺える。隣には、着飾ったままのユウキが、まるで雛人形のように行儀よく鎮座している。
「驚いたよ、まさかオウギさんが結婚だなんて」
「しかもこんな綺麗な遊女とねぇ……いやぁめでたい」
「はは、まぁ色々と縁あって、一目惚れしちゃってねぇ。何度か通ってるうちに、こうして結婚と相成ったワケで」
「しかし、あの【花】屋にこんなべっぴんさんがいるとはねぇ……」
周囲から次々と飛んでくる祝福の声を、オウギさんはやんわりとした態度で応じている。この場にいる誰もは、心の底から結婚を祝福しているのだろうが、僕はもちろん違う。
集まった人の波を強引にかき分け、やがてオウギさんの正面に躍り出る。
オウギさんは少々面食らったような顔をして、それから細い目をにっこりと曲げて見せた。
「やぁやぁチヒロくん。その節はどうも」
「……? その節って……?」
「いやぁ、この服のコトさ。ウチも用意しようとしてたんだけど、彼女を迎えに行ったら上等な服を仕立ててもらってるじゃないかってね。君が色々と良くしてくれてたみたいで、ウチもありがたいよ」
「……」
そんな軽い口調で、平然と。
無意識に右手が震えて、それを抑えようと握り拳を作っても震えは止まってくれない。
むしろこのまま殴り掛かってしまいそうなるのを抑えようと二重苦に苛まれる始末。
「……? どうしたんだい? チヒロくん? おっかない顔しちゃってさ」
「あの……お訊ねしても、いいですか?」
「んー? なんだい?」
歯に衣着せるような言い方は僕には出来ない。
大勢の観衆のど真ん中、僕は意を決してこう訊ねた。
「ユウキを傷付けたのは……あなた、ですか?」
僕のその言葉に、一瞬の沈黙が生じる。
周囲からは小川のせせらぎのようなごく小さいどよめきが生まれ、僕に向かって奇異の視線を向けている。
ユウキは俯いたまま無言。
そして、オウギさんと言えば――、
「……? 傷付け、た? ん? どういうこと?」
柳眉を小さく歪め、小首を傾げた。
白々しいとしか言いようのないその所作に、僕の中で塞き止めていた感情がほんの僅かに溢れる。
「惚けないでください。どう考えたって、ユウキを傷付けたのはあなたしか」
「ちょちょ、待った待った! チヒロくん落ち着いて? 何かいつもと様子が変だよ? 冷静に」
「至って冷静です!」
叫ぶと同時に、我慢の限界を突破した感情が暴れ出して咄嗟に右拳が飛び出す。
馬鹿正直にまっすぐ突き出した拳は、いとも容易くオウギさんに受け止められ、あろうことかそのまま掴まれ突き放されてしまった。
「い、いきなり何してんだチヒロさん!?」
「吃驚した……ど、どうしちゃったんだいチヒロくん?」
「ッ……」
無様に尻餅をつき、僕の奇行としか思えない好意を見た周囲の野次と、オウギさんの訝しげな視線とが矢のように注がれる。
不意に、オウギさんがぽんと手を打ち、そしてわざわざ僕の元へしゃがみ込んで視線を合わせて来た。
「もしかして、チヒロくんが気になってた女の子って……ユウキだった?」
「そッ、それ……は……」
オウギさんのその一言が、僕が原因で作り上げていた奇妙な雰囲気を明るい方向へねじ曲げた。
「何だぁ、チヒロさんもあの遊女に惚れてたんかい?」
「あぁー、なるほどなぁ。結婚が決まったもんでって、恋敵にひと泡吹かせようとってか……かーっ、健気だねぇ」
「ち、違ッ……!」
「でもなぁチヒロさんよ。人の恋路を邪魔するとな、馬にも蹴られて死んじまうんだぜ?」
「気持ちはわからんでもないが……まぁアレだ。男なら黙って見送ってやれな。何せ相手はオウギさんだ。立派に守って幸せにしてくれるさ」
「当たり前だろう? ウチからきちんと結婚を申し込んだんだし、それについての決意表明も、式の最中に改めてビシッと決めて見せるさ」
「よっ、旦那! 豪華な披露宴を期待してますぜ!」
「何ー? お前は豪華な飯にしか興味ないだろうが」
「それを言ったらお前、お終いってもんじゃないか」
どっと湧き起こる笑い声。
僕の行為は、オウギさんの一言で一瞬にして陳腐な小芝居のような扱いへと変わり、これで大団円とばかりに全員が揃って笑顔を浮かべている。
その真ん中で、僕は唖然としていた。
頭をぐしゃぐしゃと撫でられる乱暴な感触と、若さ故の過ちだから笑って許してやろう見たいな雰囲気と、大口を開けて笑い続けるオウギさんの顔が気に入らなくて、僕は商店を逃げるように出ていった。
ユウキは、欠片も笑っていなかった。




