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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第四章
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『鎖ノ姫』  第四章 「6」

 やがて夜が明け、何処からか聞こえてくる小鳥の歌声に僕はハッと目を覚ます。

 意識が覚めると同時、僕の全身に鈍い痛みが巡っていく。

 壁際にもたれて眠っていたせいで、完全に身体が休まっていないらしい。あちこちで生じる痛みに顔をしかめながら、僕は視線を布団の方へと向ける。


「まだ……寝てる、か」


 夜の時に比べればかなり顔色も良くなっていて、今もすやすやと心地良さそうな寝息を立てている。

 怪我の具合はどうなのだろうか。

 気にこそすれ、しかし勝手に布団をめくるのもどうかと。


「ん……」

「あ、ユウキ? 起きた?」


 もそもそと布団が擦れる音が聞こえ、僕はユウキの背中を支えて身体を起こすのを手伝う。


「…………」

「お、おはよう。気分はどう? 怪我は……」

「……」


 ユウキの視線がふと真下に落ち、外套を勢いよく脱いで身体を改める。


「……治ってる」

「そ、そっか。よかった……」

「…………別に見たって、いいのに」


 身体にきっちりと染み付いてしまった条件反射で、ユウキが外套を掴んだ辺りで既に僕は背を向けていたので、ユウキはそんなことを僕の背中に向かって言ってくる。


「え、えっと……そ、そうだ。朝ごはん、食べようか」


 アヤさんから頂いた包みを開くと、中はおにぎりと少量のお漬物。

 僕が個人で使っている湯呑を鞄から出して薬缶の中身を注いでユウキに差し出す。


「…………先に、食べれば?」

「僕は、後でいいよ。残ったら、その分を僕が食べるから」

「……ふぅん」


 ユウキは枯れ枝のように細い指先をおにぎりに伸ばすと、ゆっくりと口元へ運ぶ。

 美味いとも言わず、不味いとも言わず。

 実に事務的に咀嚼を繰り返して、時々薬缶から冷たくなったお茶を湯呑に注いで、飲んで、またおにぎりに手を伸ばして、湯呑の中身を飲み干して、おにぎりに手を伸ばして…………あれ、僕の分。


「……ごちそうさま」

「あー…………うん、お粗末さま」


 僕が作ったんじゃないけど、何となくそんな言葉が唇から滑る。

 綺麗におにぎりを平らげた後、もう一杯とお茶を飲んでユウキは一息つく。


「……なに。言いたいこと、ありそうな顔」

「や、その……何でもないです」


 僕の分が無くなったことはともかく、実は死ぬ気なんて更々無いんじゃないかと思うほど見事な食べっぷりに僕は苦笑する。


「……い、一応、御礼は言う、わよ……ありがとう」

「ど、どういたしまして」

「…………じゃあ、小屋に帰るから」


 その言葉に、小さく胸が痛む。

 手当てを終え、回復したのだからユウキが帰るのは当然のこと。

 だけど、ここで帰してしまっていいのだろうか、ふと僕はそんなことを思った。

 小屋に帰れば、ユウキはまた隅で己を繋いで無為な時間の中に身を置いてしまう。

 ここまで来て、何もしないで、いいのだろうか。

 僕の外套を脱いで、ユウキは立ち上がるとやや覚束ない足取りで僕の前を素通りしていく。

 いいわけ、ない。

 その腕を、僕は咄嗟に掴んだ。


「……なに?」

「ご、ごめん……! じゃなくて、あッ、あの……さ」


 どうしよう、何をしたいのかは決まっているのに、何て言えばいいのかがわからない。

 ユウキの細い腕を掴んだまま、僕の思考回路はぐるぐると回り続け、やがて記憶の片隅にそんな意味合いの言葉を見つけ、見つけたままの言葉を口から吐き出す。


「あ、逢引…………し、しない?」

「………………はぁ?」


 逢引、という言葉自体の意味は知っている。

 世間一般で、想い合う男女が密かに会うこと。

 付け加えれば、男女二人で街を歩いたり、出掛けたりすること。少しハイカラっぽい言い方をすれば、デート、と言うらしい。その言葉は、今になって思い出した。


「つまり、私と街を、歩きたい……?」

「せ、せっかくだし、一緒に出掛けたいなって、思ったんだけど……ダメかな?」


 このまま帰してしまったら、何かが終わってしまうような、そんな漠然とした予感。

 なら少し強引にでもユウキを誘って、もう少し一緒の時間を過ごしてみたい。

 僕の申し出を受け、ユウキの顔は何ともめんどくさそうな表情になっていく。


「……この場所で、私がどういう存在か、もう知ってるでしょ?」

「うん、知ってる」

「そんな私と、アナタが、一緒に並んで歩いたら、みんなにどう思われるか、分かってるの?」

「……まぁ」


 金色神楽と寝た男が、【花】の底辺遊女と並んで歩いている。

 野郎から袋叩きにされかねないような状況だが、少なくとも僕はカンナさんにそういう気はないし、というか、僕は女であって、そもそも僕が一緒に歩きたいと思っているのはユウキだから。

 ……あれ。


「もしかしてユウキ、僕のこと気遣ってくれた?」

「……んなわけ、ないでしょ」


 そんな淡い期待は切り捨てられ、代わりにユウキの溜息が聞こえてくる。


「……わかった。助けてもらったお礼に、今日一日だけ、付き合ってあげる」

「え……ッ、ほ、本当? 本当に?」

「二言は、ないわよ」


 胸の内から春の風が舞い上がってくるような、温かな気持ちがこみ上げてきて僕は思わず頬が緩んでしまう。

 人生で初のデートである。

 今この瞬間から何をしようか、何処へ行こうかとあれやこれやと妄想が広がり、それはやがて現実となる。


「じゃあ、まず何処行こうか? ユウキは行きたい場所とか」

「……ない」

「う……じ、じゃあ」


 僕が全て取り仕切るしかない。

 ユウキが楽しんでくれそうな、最悪、退屈しないで済みそうな場所選びをしなくてはいけない。

 今まで考えたこともないようなことを考える。

 実に難しい。


「まずは、まずはどうしよう……甘味処? それとも、あっちの商店街とか? や、でも他に何かあったっけ……」

「……なんで、そんな顔してんの」

「え? 何か言った?」

「…………別に」


 ぷい、と背けたユウキの横顔は、さほど不機嫌ではないように見えた。


 ※


 外に出て気付いたのは、既に時刻が昼を回っていたということ。

 本日の太陽はとっくに中点を越え、『枯山水』は普段通りの賑わいを見せている。

 詰め所を出て門をくぐった途端、そんな賑わいに小さな違和感が生じる。


「……ねぇ、あれ」


 何処からか聞こえてくる潜めた声。

 通りを往く老若男女は僕たちへ――もっと言えば、ユウキの方へ――訝しげな視線を送る。

 傍から見たら、自警団に連行される遊女、のように見えるのだろうか。

 矢のように注がれる奇異の視線を周囲から浴びながら、しかし僕はちっとも気になっていなかった。


「ほら、みんな、見てるわよ」

「そりゃあ、ユウキがそんな恰好してるから」

「……いや、そうじゃな」

「そっか、服だ」


 そんなやり取りの内にひとつ行先を思いついた。

 以前、ユメちゃんと一緒に行った商店街。その中には当然衣服を扱う呉服屋もある。まずはユウキの服を揃えてあげるのはどうだろう。


「……忘れてない? 私は、そういうことを、禁止されてるのよ」

「でも、その恰好じゃ悪目立ちするし……そうだ、客の僕が着てほしいって言ったから、って言えばいいんじゃないかな」

「…………私、知らないから」


 目的地が決まったところで早速商店街の方へ。

 まばらになりつつある道を二人で進んで、やがてここで一番大きい呉服屋さんを見つける。暖簾をくぐると同時、店の人が僕を出迎える。


「いらっしゃいませ、あら……チヒロさん、と……」

「御免ください。少し、服を……えと、彼女用の服を見てもいいですか?」

「え、えぇ……どうぞ」


 ユウキを視界の端に入れた途端、その顔色に影が差し込む。僕の外套を上から羽織っているとはいえ、真昼間に、死装束もかくやといったユウキの姿を見たら誰だってそうなってしまうのだろう。

 当人は何処吹く風で、適当な方向に視線を泳がせている。

 綺麗な服に、あまり興味はないのだろうか。


「こんなとこ、初めて入った」

「はは……僕はちょっと、懐かしいかな」


 もう無い実家を思い出して、懐かしいような寂しいような。

 遊女が御用達の店とあって、商品である着物はどれもこれも金箔や装飾など豪華絢爛で軒先まで輝きが届きそうなほどに眩い。

 燃え上がる炎のように艶やかな赤い着物、澄みきった空のような色の着物も、どれもこれも筆舌にし尽くしがたい美しさを誇っている。

 ……と同時に、筆舌にし尽くしがたい金額も誇っている。

 これ、買ったら僕は一カ月は飲まず食わずの生活になるんじゃないか。


「ユウキって、好きな色とかある?」

「……考えたこと、ない」

「そ、そっか」


 とりあえず、僕の勝手な予想で決めてしまっていいだろうか。

 ユウキにはやはり、赤や黄といった派手な色は似合わないような気がする。

 ふと、脳裏を過ぎるカンナさんの姿。

 ここ『枯山水』の頂点に君臨するカンナさんを中点に座す太陽と例えるなら、ユウキは水面に揺れて映る月。

 思えば二人は対極に位置する遊女だ。

 そんな二人と交友関係にある、思えば僕は奇妙な縁の持ち主である。


「…………変な顔」

「し、してないよ。してない」


 ユウキに指摘され、またうっかり表情に出てしまっただろうか。

 ある程度のイメージがまとまると僕の行動は早かった。

 派手な色合いのモノは避け、暗色の着物に手を伸ばして、程よい度合いの意匠や装飾の施されたモノを探していく。


「……これなんか、どうかな」


 そして僕がお店の隅で見つけたのは、夜空を連想させるような濃紺で統一された上等な着物。

 袖を始めとした端々には白や銀の刺繍糸で装飾が施されていて、まるで星々の川を描いたかのような静かな美しさを備えている。

 金額も、これぐらいならあまり負担にはならないか。

 しかし、少し埃っぽいような気もする……見た目からして、夏をテーマに作られたものか。


「試着してみたら?」

「……着方、知らない」

「その上から羽織ればいいよ。……あ」


 まだ許可をもらってない、と視線を動かしたら既に店員さんが僕たちの側へと移動していた。


「……お手伝いいたしますよ。チヒロさんは、そちらでお待ちになってくださいな」

「す、すみません。お手数お掛けします」


 店員さんに促され、ユウキは少し離れた別室に移動して試着を始める。

 と言っても、着物の試着は襦袢(じゅばん)(着物用の肌着、といえば伝わるだろうか)を着るか着ないかして、その上から打掛(うちがけ)を羽織るだけでいい。

 だから、さして時間は掛からない。

 程なくして、ユウキが試着を終えて戻ってくる。


「あ……」


 店員さんに背中を押されながら、おずおずといった調子で歩くユウキの姿は、端的に言ってしまえば別人だった。

 羽織っただけなのに、着物が持つ雰囲気を全身に漂わせ、まるで天の川で彦星を待つ織姫のような華奢な出で立ち。

 さり気ない刺繍糸も、ユウキ自身の儚さと上手く調和して、袖が揺れるたびに仄かに輝く。

 水を得た魚、というのはおかしいか。

 言うなれば、人を得た和装。

 主を得た着物が喜びに満ちているような気さえしてくる。


「に、似合ってるよ……ユウキ」

「……そ」


 ごく短いユウキの返答。

 白い頬が、ほんの少し赤くなっていることは言わないでおくことにした。

 久々のお洒落ともなれば、緊張したり照れたりするだろう。


「えぇ、とっても。……というより、私はチヒロさんの審美眼に驚きましたよ。丈も彼女にピッタリで……」

「た、たまたまですよ。たまたま……」

「彼女のこと、よく見てらっしゃるんですね?」

「ま、まぁ……」

「…………気持ち悪」


 その顔がさらにそっぽを向く。

 店員さんに小さく笑われつつ、どうせなら全部着付けてしまいましょうかと再び別室へ。

 羽織るのと着るのとではまた印象が大きく違ってくる。

 ユウキが着替えて戻ってくるのを心待ちに、それからしばらく時間が経過。

 気が付けば、何故か店の軒先に小さな人だかりが出来ていて、興味深そうにこちらの方を覗き込んでいる。

 僕の所為だろうか。

 いらぬ注目を浴びて何だか落ち着かない。


「おお……!」


 小さなどよめき。

 人だかりの視線が僕の後ろに一気に伸びて、釣られて僕も身体ごと視線を動かす。


「……」


 一瞬、言葉が出なかった。

 羽織るのと着るのとではまた印象が大きく違ってくる。

 先刻自分でそう言った手前、ある程度の心構えはしていた。

 きっと綺麗なんだろう。

 よく似合うのだろう。

 そんな僕の普遍的な感想が、見事に瓦解した瞬間。


「…………な、なに」


 濃紺の和装は、ユウキの雰囲気にピッタリ当て嵌まっていた。

 いや、逆だ。

 和装の持つ雰囲気は既にユウキが己の物へと昇華させ、まるで最初からユウキが本当の持ち主であるかのように、一切の違和感を感じさせないまま、幻想的な美しさを放っている。

 星々の海に浮かぶ、白銀の月。


「凄く……綺麗だよ、ユウキ。何だか、遊女じゃなくて……お姫様みたい」

「……馬鹿、大袈裟……」


 ほんのりと染まっていた頬は、傍目から見ても真っ赤になっているのが分かる。


「これ、買います。お勘定をお願いしても」

「えぇ、ではこちらに」


 気が付けばしっかりお財布の紐を解いていて、僕は中身をひっくり返しそうな勢いで店員さんの元へと駆けて勘定を済ませようとする。

 この際、金額はどうでもいい。

 そう思っていた僕の前に提示された金額は、予想していたよりも遥かに安い。

 というか、当初見ていたあの着物の値段よりずっと安い。


「え、あの……? お勘定、間違えていませんか?」

「試着、着付け、それからお化粧と諸々合わせてこの金額でございます。素敵なモノを見せてもらった御礼と、お店の宣伝も諸々を込めて、この金額で結構ですよ」

「いや、でも……」

「せっかく綺麗になった彼女が、ああして待っているんですよ? 早く済ませてあげてちょうだいな」

「え……?」


 そう言われて、振り返る。

 真っ赤な顔したユウキが、店の入り口にもたれ掛かって僕を見ている。

 言いかえれば、僕を待ってくれている。

 偶然目があって、またまたそっぽを向かれてしまったが、今の仕草を見た僕の心臓は大きく跳ね上がった。


「ご、ごめん! すぐ済ませるから!」

「……ふん」


 その横顔が、何となく幸せそうに見えて、着物を買ってあげた甲斐があったなと僕は思った。

 次は、何処に行こうか。

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