『鎖ノ姫』 第四章 「5」
「……少しは落ち着いた?」
誰もいない『朝顔』の中。
そんな優しい声にハッと顔を上げると、僕の鼻先に湯気の立つ湯呑。
「はい、その……すみません……」
「やっと普段の顔に戻ったわね。さっきまでのチヒロさんの顔、凄かったわよ?」
「……すみませ、わちッ」
謝罪しながら湯呑に口をつけようとするものではない。
唇に触れた熱に涙を浮かべる僕を、彼女はくすくすと小さく笑った。
「……えっと」
「そういえば、面と向かって会ったのは初めてだった? 私のコト、分かりこそすれ名前が出てこない、そんな感じ?」
「……すみません」
「素直でよろしい」
いや、本当は喉のトコロまで出掛かってるんですよ、なんて見栄張るのも恥ずかしい。
彼女は僕もよくお世話になっているこの『朝顔』の主人であり、コスズさんの母親でもあるアヤさん。
曰く、次の日の仕込みをしようと起きていたら外が騒がしく、様子を見に来たらユウキを背負った僕とばったり出くわした、というコトらしい。何度も見かけているはずの割烹着姿だったのに、咄嗟に気付けなくて情けない。
「生憎、お医者様は昨日から宿場町の方に薬を取りに行っちゃってて不在なの。一応、私にも出来る程度の簡単な応急処置もしてあげたけど……これ以上は手の施しようがないわ」
「いえ、ありがとうございます……正直、アヤさんに会えなかったら、今頃何してたか自分でも……」
「……チヒロさんがあんなに取り乱すなんて、よっぽど大事な人なんだね」
大事な、人。
二度の応急処置を経て幾ばくか落ち着きを取り戻したユウキの姿を見て、僕はようやっと安堵に胸を撫で下ろす。
「……待ってて。おにぎりでも作ってあげるから」
「い、いやそんな。これ以上お世話になるわけには」
「いつも街を守ってくれてる用心棒さんが何言ってるの。それに、チヒロさんもお腹空いてるでしょ?」
「そ、そんなこと」
ない、と否定する前に僕の腹の虫が好機見たりと高らかに鳴き声を上げる。
どうしようもない恥ずかしさが頭の上から圧し掛かり、もはや何も言えなくなってしまう。
「出来たら呼ぶから、それまでその子の側にいてあげな」
コツ、コツ、と下駄履きの音を鳴らしながらアヤさんは厨房の方へと向かっていく。
ふと、僕は視線をお座敷の上で横たわっているユウキの方へと向ける。
少なくとも、外傷に関しては消毒や包帯などで処置出来たが、折れているらしい腕に関しては素人では大した処置が出来ない。
「……ユウキ」
「…………ば、か」
「!? き、気が付いた? よかっ……たぁ……」
うっすらと開く漆黒色の瞳に、心底安堵した僕の間抜けな顔が映る。
ユウキはよろよろと無理矢理に身体を起こそうとしてふらついて、僕は慌ててその背中に手を回して支える。
目と鼻の先に、彼女がいる。
意識してしまった所為で、心臓が早鐘を叩いて飛び出してしまいそうになる。
「き、気分はどう? 大丈夫? 他に痛いところとか」
「……私の、身体のコト、忘れた? 手当てなんて、いらない……から」
「でもさ」
僕の手から逃げるように身体を起こし、痛みに顔を歪めながら中途半端に残っていた僕の湯呑の中身を一気に飲み干して、思い切りむせて僕はすぐさまその背中を摩る。
「まだ動いちゃダメだよ。もう少し、横に」
「うる……さい。せっかく、死ねそうだった、のに……邪魔して」
「……じゃあ、どうして今お茶を飲んだの」
ぴく、とその小さな体が止まる。
左手にしっかりと握りしめた湯呑が、微かに震えているのが見える。
「……本当に死にたがってるなら、喉を潤そうとしたり、しないんじゃない? 違う……かな」
「…………関係、ないでしょ……」
「……もう一杯、貰おうか?」
「…………いい」
そう言いながら、ユウキは湯呑をひっくり返して最後の一滴まで飲んでから机の上に湯呑を叩きつける。
そこから、無言。
普段は昼夜問わず賑わいを見せる『朝顔』も、誰もいないと無性に寂しくて、寒さも相まって身体が震えてしまう。
今だって、僕はもちろん。
ユウキの身体も小刻みに震えていて、見ているだけでも辛い。
「チヒロさん、おにぎり……あら、気が付いたんだ」
しばらくして厨房の方からアヤさんが戻ってきた。
小さなお盆の上には、つやつやと輝く白いおにぎりが乗っかっていて、温かな香りとともに僕の空きっ腹を容赦なく刺激してくる。
「す、すみません。あの、お茶をもう一杯頂いても」
「えぇ、もちろん」
「…………」
お茶を頼んでアヤさんが再び厨房へと戻っていくその矢先、不意にユウキが立ち上がり店の裏手の方へ向ってふらふらと歩きだす。
「ちょ、ちょっと!」
「…………小屋に、帰る、から……あッ」
「危ないッ!」
何もないような場所で蹴躓いた瞬間、自分でも吃驚するような速さで飛び出しユウキの身体を両腕でしっかりと受け止める。見るからに顔色も悪く、こんな小さな体に怪我だらけの状態でマトモに動けるわけがない。
何処かでユウキを休ませる必要がある。
でも、他に安全な場所があっただろうか。
「……」
ひとつ、思い当たる。
状況は芳しくない、四の五の言っている暇はない。
「チヒロさん」
優しい声が背中に響く。
振り返ってみると、小さな包みと薬缶を持ったアヤさんの微笑む姿があった。
「よかったら、持って行きなさい。食器は後で、私が取りに行くから」
「……いえ、後で僕が洗って返しに来ます。夜分に、ありがとうございました」
ユウキを抱え直し、アヤさんから包みと薬缶とを受け取ると僕はきっちりと頭を下げた。
『朝顔』の裏手に出て、僕の視線は詰め所の方へと伸びる。
「…………」
行先は一つ。
僕の部屋しかない。
※
当然ながら、詰め所は有事に備え団員が常駐しているので常に明かりが灯っている。
僕が自室として借りているのは、詰め所の二階にある一室で、この二階に上がるには、どうしても一度詰め所の中に入る必要がある。
そっと中を窺う。
奥の一室、今日の担当はハガネさんらしく、何か書類を書いている様子。
「よ、弱った」
無人の状態が最善だったがそんな可能性は最初から切り捨てていた。
コウマ君なら適当に出し抜ける自信はあったが、よりによって団長のハガネさんとなると厳しい。
僕一人でなら、全力疾走して部屋に駆け込むことも出来なくはないが、今は僕一人ではないのだ。
いや、決して疾しい気持ちは無いのだが。無いのだが……
「……」
いっそ、事情を洗い浚い全てを話してしまおうか。
ハガネさんなら口も堅そうで十二分に信用における人物。
いや、しかし非番の日に遊女を一人抱えて部屋に連れ込むだなんて一般的に考えれば破廉恥かつ非常識で、こんなことが万が一知れ渡ってしまったら自警団の沽券に関わるのではないだろうか。
「う、うぐ……」
ここ一番のタイミングに僕の良心の呵責が最大限に働いてしまった所為で、この右足が思うように動いてくれない。
「……う、ッ……」
「……」
背中越しに聞こえる、小さな呻き声。
蛍火のような、吹いたら今にも消えてしまいそうなほど小さな温もり。
躊躇している場合ではない。
「……あのッ!」
筆を進める手が止まり、ハガネさんの顔がゆっくりと持ち上がる。
僕と顔を合わせるなり、その堅い顔色に怪訝な色が浮かぶ。
「……? チヒロ……か」
「すみません! あの、これは」
寒さと緊張とで震える唇からは、たどたどしい調子でおざなりな言葉しか出てきてくれない。
端的に言ってしまえば、傷だらけの遊女を保護したということさえ伝わってくれさえすればいい。
「……チヒロ」
「は、はい!」
平時よりいくらか重たい声でハガネさんが僕の名前を呼ぶ。
その声音とは打って変わって、表情からは怪訝な色が失せている。
「薬箱は、あるか?」
「え……? あ、は、はいッ。自分のがまだ少し」
「そうか……わかった。他に何か足りない物があれば遠慮なく言ってくれ。可能な限り融通しよう」
「あ……ありがとうございます!」
それ以上言及することはなく、ハガネさんはまるで僕たちを見なかったかのように黙々と仕事に戻ってしまった。
深く頭を下げ、僕はそそくさと自室へと向かって駆けていく。
戸を閉め、敷きっぱなしの蒲団の上にユウキを乗せ、血だらけになってしまった包帯を変えたり、額に浮かんでいた汗を拭いて、それから、慌てて火鉢に火を入れて部屋を暖かくする。
「……よし」
いくらか落ち着きを取り戻したらしく、ユウキの顔色も少しずつ良くなっている。
峠は、越えたかな。
押し入れの戸に背中を預け、胸の中で蟠っていた息を一気に吐き出す。
「何か、他に出来ることないかな……」
自分も落ち着いたかと思ったら、ユウキの寝顔を見てまた要らぬ不安が押し寄せて戻ってきた落ち着きがまた何処かへと飛んでいく。
このまま、起きなかったら?
そわそわと、背中に虫が這ってるような感が現れ、僕はユウキの顔を覗き込んでしまう。
「……」
思わず見惚れてしまう、白磁のように純白な頬。
化粧や着飾ることを許されていないという話だが、間近で見てみるとそんな必要が無いほどに整った姿容をしている。
規則正しい寝息を立てる胸元も僕に比べたらずっと大きいし、今でこそ血に汚れたあのぼろ布を着ているが、アズサさんが言っていた通り、ちゃんと化粧をして上等な服を着せたら、【風】の遊女と同等か、もしくは【月】でも通るほどの美麗な遊女になるのかもしれない。
綺麗だ。
花のようにだとか、不必要に飾る言葉なんていらない。
そんなユウキの頬に、無意識のうちに指先が伸びる。
「……ん……」
僕の冷えた指先が当たった所為か、ユウキは小さく身動ぎする。
無防備な子供のような寝顔がほんの少し傾いて、僕はと言えば身動ぎした瞬間に驚いて手を引っ込めていた。
「……ッ、……ッ」
ね、寝込みの相手に何やってんだ……僕は。
本能では求めていながら、そんな背徳的な感情とがぶつかり合って今この一時だけ理性が勝ってくれた。
起きていればいいという問題でもなくて、本人の許可もなく勝手に頬に触れるなんて違反行為ではないだろうか。
いや、何に対する違反なのかはわからないというか、お陰で胸の内で心臓が暴れ出していて正常な思考能力が消失してしまっているというか。や、でも凄くスベスベしてて、柔らかくてもうちょっと触ってみたいというか何というか。
「……すけべ」
「ご、ごめんなさ…………!? え、ゆッ、ユウキ!?」
三つ指ついて頭を下げようとして、下げかけた頭をハッと持ち上げるとユウキが身体を起こしていた。
何処となく不機嫌そうな顔を浮かべて、今しがた僕が触れた頬を自らの手を当てている。
「ユウキ! お、起きても大丈夫なの!? け、怪我は」
ば、っさり。
そんな擬音こそが相応しいと言わんばかりの豪快な衣擦れの音と共にユウキはぼろ布を脱ぎ捨て自分の怪我の具合を調べ始める。
「……まだ少し痛いけど、別に。…………何、してるの?」
「み、見てない! 見てないからね!?」
僕はと言えば脱兎の勢いで身体を正反対に反らし、しっかりと顔を覆って何も見ないようにと努めた。
……努めたけど、ほんの若干映ったユウキの肢体は瞼の裏にきっちりと焼き付いてしまっていた。
やっぱり、僕より大きい。
「寝てる私の、頬っぺた触った癖に、何をいまさら。……ほら、こんなカラダで、良ければ、好きなだけ見れば?」
「う……あ! そ、そうだ! 服、なな、何か代わりの服を!」
そう言って、極力視線を戻さないようにと壁伝いに動いて押し入れを漁るも衣服の代わりになるような代物は見当たらない。
「いい。……これ、少し借りる、から」
「え……あ」
何かあっただろうかと恐る恐ると僕が振り返ってみると、ユウキは僕の外套を肩から羽織っていた。
裸の上に袖を通しているだけだから前は全開状態だが、隠すべき部分はどうにか隠れている。ユウキが一寸でも腕を動かせば色々露わになってしまうが。
ユウキは外套の襟首をそっと寄せ、顔を埋める。
「……変なの。オトコの、匂いがしない」
「え、そりゃ……」
ユウキに会う前はカンナさんと一緒に居たのだから、きっと彼女の使っている香水の匂いが染み付いてしまっているのだろう。
そう弁解しようとして、けど、僕が口を開くより先にユウキが別の言葉を口にした。
「…………知ってる? 遊郭ってね、浮気は厳禁……なんだよ?」
「へッ?」
あまりにも唐突なその言葉に、ドキリとしてしまった拍子で、半音上ずった声が僕の喉から飛び出す。
「一人の客につき、遊べる遊女も、また一人。常連になったのに、他の店の女に手を出すと……ね」
「……ど、どう……なるの」
ニィ、と口の端がつり上がり、あの真っ暗な瞳が僕の事を、じぃーッ、と見据える。
「遊郭中の女に知れ渡ったが最期……明日の朝日が拝めないような、酷い目が……待ってるんだよ?」
「ち……ちち、違! う、浮気なんかじゃ」
「……ふふ」
「……え」
ユウキが、笑っている。
暗い闇を湛えたような、あの陰湿な笑い方ではなくて。
僕をからかって、純粋に楽しんでいるような明るい調子の声で。
くすくすと、年頃の少女のように笑顔で、笑っている。
「ふふ、ふふふ……」
「ゆ、ユウ……キ……?」
「本気で、狼狽えてる。……図星、なんだ?」
「だ、だから! 違うって」
「……で、ここは何処? 見たことない、場所だけど」
「……僕が借りてる部屋だよ。他に、休めそうな場所を思い付かなくて」
「ふーん……」
そう言って、ユウキは僕の部屋をぐるりと見回し始める。
と言っても、荷物を押し入れにしまって、それ以外には小さな文机と箪笥があるだけで特別面白いモノがあるわけじゃない。
その視線が部屋を一周して、やがて僕の方へと戻る。
無言で見つめられて、自分の頬が焼けるような感覚を覚える。
「な、何かな……」
「………………」
ユウキも僕も黙ったまま。
ややあって、ユウキは左眼を覆っていた包帯を解いていく。
色濃い夕焼けのように染まった、視た人の過去や未来が見れるという異能の瞳。
二つの色の瞳が、僕をまっすぐに見つめる。
「視た人の、過去や未来を見れる……眼、だよね」
「今は、ほとんど過去しか見えない。未来なんてね……視ても、意味無いの」
「……」
「私を、殺してくれって話……覚えてる?」
「忘れろって方が、難しいかな」
「そ……」
「先に言っておくけど、その気はないよ。僕は……君を殺すなんて、絶対にしない」
「…………」
ふーっ、とユウキは細い溜息を吐く。
華奢な身体を、華奢な腕でそっと抱きしめ、彼女は蹲ってしまう。
「……どうして、死にたいのかって……訊いてもいいのかな」
「……」
「仮に理由を知っても、僕の気持ちは変わらない。けど……」
失礼かとは思ったが、僕も思っている事をユウキにぶちまけてみようと決めた。
「前から気になってたんだ。君は、死にたいって言っている割に、自分で死のうとしていないんだ。だから、ずっと引っ掛かってた。こう言うのも変な話だけど……ただ単純に死にたいなら、他にいくらでもやりようがあるのに、ユウキは……自分で死ぬのが恐いから、誰かに終わらせてほしいって風に見えるんだ」
死にたいのなら、命を絶ちたいのなら。
極端な話、自分で喉首を掻き切ってしまえばいい。
食事を放棄して飢えで力尽きても、何処かで首を吊ったっていい。
死を願う人間が、わざわざ水路で身体を清めるだろうか。
死を乞う人間が、喉の渇きを潤すために湯呑に手を伸ばすだろうか。
僕は途中から、半信半疑の目でユウキを見ていた。
本当に、心の底から死を願っているのかもしれない。
けど、本当は心の何処かで死を恐れているのかもしれない。
僕の言葉を聞いたユウキの瞳が、驚きで見開かれていく。
「…………凄い、ね。大して、会ってもないのに、そこまで妄想、するんだ?」
「妄想……まぁ、そうだね。ユウキに出会ってから、僕の頭の中は良くも悪くも君でいっぱいだったからね」
「………………ばっかじゃ、ないの」
「かもね」
これは否定しようがないかも。
恥も相まって苦笑する僕が馬鹿馬鹿しくて見てられないと言った風に、ユウキは明後日の方向に顔を背ける。
「……嫌に、なったから」
「嫌に……なった? 何が?」
「何もかも、全部」
「それだけじゃ、まだわからないよ」
「…………私が、巫女って話……聞いた?」
「……少しだけ」
ユウキは大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。
今から、自分の事を話そうとしているのがわかる。
「……マトモな名前も無いような、小さな里。
私は、代々里を治めている巫女の家系に、七代目の巫女として生まれた。
この家は、女の子が生まれると、門外不出の秘術として伝わっている鬼の血を身体に与えて、特別な瞳を授かっていた。
視た人の、未来を視る、異能の力。
視える力や視え方は、巫女によって様々だけど、基本的に視た人の、近しい未来を覗く事が出来た。
あの人は、里を出ると出世する。
春を待ち、大雨が過ぎると同時に里を旅立ちなさい。
この人は、結婚して子宝に恵まれる。
けれど、今好いている人はダメ。
その人は、重い病気にかかってしまう。
日々体を清めなさい、偏食はしないように。
……だいたい、こんな感じ。
巫女は、視えた未来に近付くように、あるいは、近付かないように、そうやって助言をする。
代々伝わってる所為か、信憑性も高くて、でも、変な野心を抱く人間もいないような小さな里だったから、祭事の時に聞ける、有り難い祝詞みたいな、扱いだった。
けど、何時……だったか。
偶然、里の外から知らない人間が傷だらけで迷い込んできて、介抱のついでにと、おみくじを引くような軽い気持ちで未来を視て助言をしてしまった。
それが、結果的に言えば、大失敗。
その日を境に、見知らぬ人間が、巫女の力を目当てに、里に出入りすることが多くなった。
手に手に金品や、上等な反物を抱えて、それらを奉納と言う体で私たちに押しつけて、未来を視ることを依頼した。
半信半疑、信じる人もいれば、首を傾げて、出てく人もいた。
……そうやっていくうちに、一人の男が里に来た」
語り続けるユウキの背中を、僕はいつの間にか膝の上に握り拳をつくって、固唾を飲んで見守っていた。
「言っちゃえば……狂ってた。
未来を視てほしいと、ある日突然に、何度も何度も家に押し掛けてきて、その度に何がしかを奉納して、週に一度、三日に一度、あまつさえ、毎日通うように。
日に日に変化する未来をその都度伝えて、それを聞いて上機嫌で男は帰って、そして次の日も、また次の日も……
そんな日が続いたある日、男は最初から上機嫌なままやってきて、私たちに向かって謝辞と、それから唐突な演説を始めた。
里へ向かってのお世辞、未来を知ることの出来る素晴らしさ、ついでみたいに付け加えた、巫女の美しさへの賛辞。そして最後に、私を指差してこう締め括った。
結婚してほしい、って」
当時を思い出したかのようにユウキは身震いし、そして僕も釣られて身震いする。
一人の女として、いきなりそんな狂信的な男からいきなり求婚をされたら、おぞましくて僕なら事次第によっては刀を抜くかもしれない。
「でも、その時の男を視て、視えた未来は、確かに輝かしい未来だった。
里は大きく発展して、小国のような活気を見せ、彼は何か事業の主となっていて、その未来の中で一瞬垣間見えた私の姿も、少なくとも幸せそうには視えた。
でも、それは、あくまで男の視点から見た幸せの光景。
私は、気持ち悪くて絶句していたし、側に居た母も青ざめた表情をしていた。
……結婚の申し出は、断った。
それどころか、私たちは男を危険視するあまり里への出入りを禁止した。
元々小さくて、少し閉鎖的な里だったから、誰の反対もなく男は追放された。でも……」
尻すぼみになっていくユウキの声。
話していて過去を思い出して、辛いのかもしれない。
無理しなくてもと僕が声を掛けようとして、ユウキは再び唇を開く。
「その日の夜に、男は戻ってきた。
武器を持った連中と徒党を組んで、やってきて、突然に里を襲ってきた。
結婚を断られたことを理由に、かと思ったけど、どうも最初から襲撃を計画してた、みたいで、元々小さい里ってこともあって、あっという間に火の手が上がって、連中は私たちの家まで押し掛けて来た。
巫女以外は、殺して構わない。
最悪、眼だけでも奪えれば、とか、滅茶苦茶なことも言ってた。
私は、守衛の人とか母に助けられて、里を逃げた。けど……」
同情、と軽々しく言っていいのだろうか。
僕と似た過去を語るユウキの姿を見ていると、胸が苦しくなってくる。
「一人で隠れて、ほとぼりが冷めたと思って顔を出して、唖然とした。
里があった場所は、何もなかった。
駄目だと思ったけど、身体が勝手に動いて、里に戻った。
残ってたのは、見知った顔した死体の山、焼け崩れた家々、むせ返るような血の臭い。
里は、私以外の何もかもが壊れてた。
私は…………ずっと、叫んでた。
喉が潰れるまで、声が枯れるまで、息が出来なくなるまで、叫んでた。
結局、全部、私の所為、だったから、ね」
「…………そ、それ、は……」
違う、と言い出せない。
今にも泣き出してしまいそうなユウキの横顔を見てしまった所為で、喉に出掛かっていた言葉が引っ込んでしまう。
「もし、あの時私が、男との結婚を承諾、してたなら、こうはならなかった。
視えてたのよ、あの男の、幸せな未来が。
幸せの中で生きる、私や里の、人の姿を。
それを、私の勝手な理由で突っぱねて、結果私以外の人間が全員死んだ。
これを、私の所為と言わないで、何と言えば、いいのかしらね?」
「…………」
皮肉な笑みを浮かべても、その表情からはユウキの本心が滲み出ている。
大きな後悔、自責の念。
「…………こんな喉に、なるまで叫んで、それから私は里を出た。
もしかしたら、私も同じように死ねないかって、私は里の外に転がっていた守衛の死体を追っかけて、歩いた。
歩いて、歩き続けて、気が付いたら森を出てて、意識が無くなって。
目を覚ましたら、ここの宿だった。
色んな人に、気を遣われたけど、どうでもよかった。
私は、生きることに気力がなかったから。
だから、私は…………私を、殺してくれる人を探した。
遊女になりたいって言って、適当な男の過去を覗いて、それをからかって、ってさ。
でもね、その時は死ねずじまい。
結局、私は怒られて、【風】から最低の【花】の遊女になって、同時に、この身体が楽に死ねない身体だったって、気付かされただけ、だった」
「……え? それ、って」
気になって僕が訊ねようとしたところで、ユウキは布団にぱたりと仰向けに倒れる。
「…………話して、疲れた。もう、寝るから」
「う、うん……おやすみ」
「起きたら、小屋に帰るから……ね」
布団を掛けて、それからあっという間にユウキは寝息を立てて眠ってしまった。
今の話を聞いた僕は、言葉の端々に引っかかりを覚えていて物思いに耽っていた。
「…………」
ユウキが死を望む理由。
それは過去じゃなくて、現在にあるような気がする。




