『鎖ノ姫』 第四章 「4」
【月】を出てまっすぐ、僕の足踏みに一切の迷いは無い。
真夜中になると雪は再び降り出し、遊郭の明かりに照らされこぼれていくその様はよりいっそう幻想的で、僕の胸は心なしか昂っていた。
意気揚々と広場を過ぎたところで、【風】の方から賑やかな声が聞こえてきた。
「オウギさんのトコの商人さんたちだ」
かなりの上機嫌らしく、数名の男が徒党を組みながら遊女を侍らせ大声で何かを歌っている。側にいる遊女もその賑やかさに釣られてニコニコと笑みを浮かべ、そのまま別の酒場の中へと入っていく。何ら変哲のない遊郭の情景である。
ただ、気になったことが一つ。
「……オウギさんが見当たらないな」
肝心の頭であるオウギさんの姿だけが見当たらない。
前に【風】を貸し切りにして遊んでいたと聞いていたから、てっきり一緒になって遊んでいるのかと思ったのだが何処にも見えない。既に先行してあの酒場に入ったか、もしくはオウギさんだけ別で行動しているのか。見当がつかない。
「……?」
「おや、チヒロくんじゃないの」
「え、わッ? オウギさん? えっ、どうして?」
背中から突然聞こえてきたオウギさんの声は完全に不意打ちで、吃驚する僕を見てオウギさんは快活に笑っていた。
「昼間はすまんかったねぇ。それより、どうしてって何? ウチも遊んできて、今からあの連中と合流するとこよ?」
「遊んで……? え、他のお店でですか? どうして」
「あー、その先は言わなくても分かるよ。何で連中と一緒に居ないか、ってことだろ? まぁ、人には色々な趣味嗜好ってもんがあるのよ。で、たまたま気が向いたから、ウチだけ先に別のお店でちょっと、な?」
「そう……ですか」
何も部下だからって四六時中いる必要もないでしょ、なんて言いながら背中を叩いてくる。らしいと言えばらしいのだが、昼間の件を知っていると少々不謹慎にも思えなくもない。
「安心しときな。あの二人にはキツく言っておいたから、あんな馬鹿みたいなコトはもうしないよ。そこは保証する。っていうか、ウチとしても大きな商談を控えてるってのにああいう揉め事は嬉しくなかったしね」
「商談……あぁ」
きっと前にアズサさんと話していたこと、だろう。
商談の際に不祥事があるとなれば、最悪不成立となってしまう。
「チヒロくんこそ、こんなところで棒立ちしてどうしたのさ? 今日は非番って聞いたけど?」
「えっと、今日はちょっと……遊女を、買ってみようかと、思ってて」
「ほうほう? しかし、見たところ既にどっかで飲んできたみたいじゃないの? まだ物足りないってかい?」
「ち、違いますよ。その、色々と相談に乗ってもらってただけで」
「ははは、相談ね。毎度のコトながらチヒロくんは生真面目だねぇ。そこまで生真面目が過ぎると、何だか猫でも被ってるみたいに見えるね」
「……猫?」
そんな物言いに少しばかりムッとなった僕が見上げたその先、オウギさんの細い瞳に妖しい光が奔っていた。
「あー、いや、気を悪くさせちゃったら謝るよ。けど、何ていうのかな……チヒロくん、何かを隠しながら歩いてるように見える時があるんだよね。隠してる……うぅん、表に出ないように抑えてる、って感じ?」
「……」
思わず押し黙る僕。
何か返そうかとも思ったのだが、何故かオウギさんの言葉がただの当てずっぽうや軽口で言っているように思えなくて、咄嗟には返せなかった。
正味を言えば、僕は一瞬この人を警戒してしまった。
「おろ? もしかして当たっちゃってたかな?」
「い……いえ、ほら。何も包み隠さず生きてる人なんてこの世にはいないでしょう? つまりはそういうことですよ」
「ふむ……そりゃ尤もだ」
「……お互いに、です」
無意識に小さな反骨精神が働いて、まるで負け惜しみみたいな小言が僕の口からこぼれる。
それを聞いたオウギさんは機嫌を損ねるようなこともなく、むしろカッカと大きく笑い声を上げた。
「っはは、初めて会った時よりチヒロくんも随分強かになったじゃないか。これなら『枯山水』の安全もバッチリだ。それじゃ、そろそろウチも連中と合流しようかな。またね」
「えぇ、ごゆっくり」
鶯色の背中を見送ると、僕は肩に積もった雪を払って小さく息を吐く。
「……僕も行こう」
僕の足はオウギさんとは正反対の方向、彼女がいる【花】へと向かった。
※
路地を進んでしばらく。
目的地である【花】へと辿り着くと、僕はこっそりと深呼吸をひとつしてから小屋へと視線を伸ばす。
「あれ……?」
いない。
ユウキの定位置である小屋の隅には外れた枷があるだけで無人の状態。
小屋にはランさんやリンリさんの姿もなく、まだあまり話したことのない遊女が数名居るだけ。
手持無沙汰そうに枝毛を切っていたり、柵の向こうにぼんやりと視線を送ったりと各々過ごしているのが見えるけ。
「あら、チヒロさんじゃないですか」
そんな一人と目が合い、僕は手招かれるがままに小屋へと近づく。
「こんばんは。今日はどんな御用かしら? 生憎と、ランさんもリンリさんも出払ってしまっているのだけれど」
「いえ、あの……訊いてもいいですか?」
「どうぞ?」
「その、ユウキは……?」
「……あぁ」
鬱陶しげな表情を浮かべ、彼女は肩をすくめる。
「まだ帰ってきてないよ」
「帰って……って、何処に?」
「……行く先までは私らも知らない。あの子ね、時々ふらっと出て行くんだよ。自分で枷外しちゃってさ。意味無いったらありゃしない」
「……それって、何時頃です?」
「詳しい時間までは覚えてないね。でも……そうね、普段より帰りが遅いような気もするね」
「……失礼します」
怪訝そうな遊女に小さく頭を下げ足早に【花】を立ち去る僕。
足取りは勝手に、かつて彼女と過ごしたあの水路の部屋に向かっていた。
彼女が遊戯するための、座敷牢とほとんど大差のないあの場所。
水辺に近付くと冬の風はより一層の冷たさになり、僕の身体が自然と震える。
重ね着している僕でこれなら、ユウキは下手したら凍りついてしまっているんじゃないか。
脳裏に浮かんだ笑えない冗句を振り払って、僕は石段を降りていく。
足が、止まる。
「……」
鍵が、開いている。
薄く積もった雪の上に錆びた色合いの南京錠が転がり、扉は拳一つ分ほどの空白を残して半開きになっている。
風が吹けば、ぱたり、と扉が閉じ。
また風が吹けば、ぱたり、と僅かに開く。
「ユウキ……?」
胸の内から膨らんでいく、漠然とした感覚。
まだ小屋に帰っていないということは、つまり、まだユウキが客と遊戯中でこの部屋の奥にいるかもしれないということ。
万が一、情事の際に僕が踏み入ったらどうなるか――言わずもがな、無粋の極みに他ならない。
彼女が終わるまで待つべきだろうか。
上からでも声を掛けるべきか。
悴んできた指先を握り締め、僕は扉に手を掛けた。
「……ゆ、ユウキ?」
一寸先、その全てが暴力的なまでの闇に飲み込まれている。
明かりも無しにナニをするわけもない、既に客はいないと見ていいだろう。
ランタンに明かりを灯して持ち上げると、蜘蛛の子を散らすように闇が霧散していく。
土が剥き出しになった壁、粗末な階段、カビとホコリが充満した湿っぽい空気。
そして、血の臭い。
「……?」
気のせいだろうかと思いつつも、僕の胸は階段を一歩降りるごと大きく鼓動して、ざわざわと騒いで落ち着かない。
やがて辿り着く、あの狭い空間。
鉄格子の隙間から見えた光景に、我が目を疑った。
「ユウキ!!」
部屋の最奥、うつ伏せに倒れているユウキの姿を見て僕はすぐさま駆け寄るとその身体を抱え上げる。
「う……あ」
抱え上げたその瞬間、小さく呻くユウキ。
その身体の至る所には、無残な切り傷や何かで殴打されたような打撲、果ては嫌な色に変色した右腕、夥しい出血など悲惨な有様で、ぼろ布は彼女の血をたっぷりと吸って黒ずんだ赤一色に染まっていた。
「な、何で……!? ユウキ、ユウキ! しっかりして!!」
「…………放、って、おい、て、って」
「出来ない!」
そんな問答を繰り返している場合じゃない。
直ぐにでも医者に診せなくては命に関わる。
最低限の応急処置を済ませて、僕は重ね着ていた外套をユウキに巻きつけるように着せると、その身体を背負って水路に飛び出す。
「………………ば、か。いい、から……小屋……に」
「医者は確か……市場の……!」
息も絶え絶えのユウキの言葉に焦燥感が逸るばかり。
路地を全速力で突っ走り、行き交う人の奇異の視線を一身に浴びながら僕は『枯山水』の門を越える。
辻風のような速度で詰め所を過ぎ市場に辿り着くも、当然明かりが灯る家屋は既に無く、当然ながら人の気は全く無い。
以前に世話になった医者の住所を必死に思い出して駆け抜ける。
「あの、夜分にすみません! 先生! 先生!」
「だか……ら……」
無礼と承知で何度も戸を叩くがまるで反応が無い。
明かりがつくまで何度も何度も叩こうとして、もう一度と腕を振り上げたその瞬間、僕の真後ろに誰かの気配を感じた。
「誰だッ……!?」
焦りで過敏になっていた所為か、僕の口からは怒号に近い声量で声が響く。
そんな声に驚いた彼女は、手にしていた行灯を落としかけながらも、僕を真っ直ぐ見つめる。
「ち、チヒロさん……よね? 大丈夫? 何か、困ってるみたいだけど……?」
「あ、あなたは……」
突如現れたその人に、見覚えこそあれど切迫した状況の所為ですんなりと名前が出てきてくれない。
事情を察知してくれたらしい彼女は僕に躊躇することなく手招きする。
「いいから、早くこっちにいらっしゃい。話は後で」
「は……はい!」
この際、彼女が助かるなら何だっていい。
藁にも縋るような想いで、僕は彼女の後を追って『朝顔』の裏口に向かった。




