『鎖ノ姫』 序 章 「2」
「さて……まずは改めて礼を言わせてもらおうか。ウチのカンナを助けてくれて、ありがとう」
アズサさんに招かれて辿り着いたのは、街の人からは【森羅】と呼ばれている、外から見えていた大きな建物のその二階。
来賓用だという小奇麗な客間に案内されると、彼女は僕と向き合うなり三つ指ついて僕に頭を下げた。
「い、いえそんな! あの、大袈裟ですよ。僕はただ悲鳴が聞こえたから咄嗟に駆け付けただけで……それに、勝手に街に入ってしまっているのも事実で、その、だから」
「……ぷ、っふふ」
しどろもどろな僕の言い訳の所為か、顔を上げたばかりのアズサさんと、アズサさんにカンナと呼ばれていた遊女に同時に笑われてしまった。
決して口下手な方ではないはずなのだが、状況が状況で少し僕も緊張してしまっている。何処かで、気付かないうちに無礼を働いてしまっただろうか。
「っくく、アッハハハハ! ……い、いや失礼。アンタみたいな男は久々……いや、もしかしたら初めて見たかもしれないね。ここに来る男共は基本的には自己中心的で、欲にぎらついてる性分の野郎ばかりなんだけど……アンタは全然違うね。真面目で誠実、遊郭からはほど遠い性分のお人のようだ」
「は、はぁ……」
「ふふ、命の恩人なのに何だか凄く可愛い。ね、お名前を聞いても?」
「え、あ……は、はい! 申し遅れました、あの、僕はチヒロって言います。旅の途中で道に迷ってしまって、その……偶然明かりを見つけて辿ったら、ここに着いたんです」
「……へぇ? そりゃまた、運の良い御人だ」
アズサさんの瞳が、すぅっ、と細くなり、隣にいた守衛の男性と一緒に頷いて見せる。何かの、合図だろうか。
「アタシらも改めて自己紹介しようか。さっきも言ったけど、アタシはアズサ。この遊郭『枯山水』の主人なんてのをやってるしがない女さ。隣のコイツはハガネ。この街の自警団の団長をやってるよ」
「よ、よろしくおねがいします」
紅色の羽織がよく似合う美女、といった風貌のアズサさん。
遊郭の主人ということもあってか、美しさはもちろん、同時にある種やり手の雰囲気が漂ってきている。女の身でありながらこんな大きな遊郭を預かっているのだから当然かもしれない。
次いでハガネと紹介を受けた男は、なるほど自警団の団長と言うだけあって筋骨隆々で武人のような体格をしている。背丈も高く、への字口をぐっと固く結んだまま頷くその様はとても威圧感がある。白と紺色とを基調にしたその衣服は、自警団の制服だろうと思われる。
「で、チヒロが助けたそのコがカンナ。この遊郭で最も上等な【月】っていう店で働いてるコさ」
「改めまして、カンナと申します。助けてくれて本当にありがとう。あの人、前から私の姿を見る度に俺の相手してくれ~って、しつこく言い寄ってきてて困ってたの」
べーっ、と舌を出してから悪戯っぽくはにかむカンナさん。
色気もあって茶目っ気もあるとは、流石と言うべきところなのだろうか。
「い、いえ! その、どういたしまして……」
「カンナは常連の男から『金色神楽』って呼ばれててね。ここで最上級の遊女なのさ。……チヒロ、こりゃあお前さん相当ツイてるね?」
「へ? それは、どういう……?」
アッハッハッハ!
豪快で快活なアズサさんの笑い声が再び響き、僕は僕でどういう意味なのか、どうして笑われたのかサッパリ見当もつかないから冷や汗流して困惑することしか出来ない。
「お前さんってば、何にも知らないんだね? 遊女にも色々あってだね、ただ金を払えば相手をしてくれるヤツももちろんいるけど、カンナみたいに特上な娘はただ大金を積めばお相手仕る、って風にはいかないもんなのさ。相手になる男の方にも、それなりに求めるモノがあるからね」
「えぇ、っと……」
「要するに、ね」
不意にカンナさんが僕の側へと寄ると、僕の右腕をその身体全体で包むように抱きしめてくる。至近距離から香る、とても上品な香水の香りと着物越しにでも十二分に伝わる豊満な膨らみとに挟まれ、紅を差した唇が頬をかすめて甘い囁きが耳朶に滑る。
「この命を助けてもらったとなれば、私としてもしっかりと恩を返さなきゃいけない。つまり私は、チヒロ様のお相手を仕るべき義理が在るというワケ。よろしければ、今晩ご一泊如何かしら? たっぷり、ご奉仕させていただきますわ」
「…………むぁ!?」
人生で一番の奇声を発し、僕は脱兎の如き速度でカンナさんの腕から逃れると、モノの弾みで部屋の隅まで猫のように飛んでしまった。
「ま、っまままま、待ってください!? ぼ、僕は……えと、そ、そうだ……お、お金! 今僕全然お金持ってないし、っていうか、そういう作法も何も、わからない、ですし、ですから、だからその、あの……ど、どうかそういうのは、ご、ご勘弁を」
「……まぁ!」
さっきからアズサさんの笑い声が止まらない。
むしろ勢いが増しているような気がするし、あまつさえ、隣のハガネさんにすら、くっくっく、と押し殺そうと努力したけど漏れ出てしまった、みたいな声で笑われてしまっている。
僕を誘ってくれたカンナさんも、一瞬驚いたような顔をして、やがて二人と同じように笑いだした。
「これはこれは、とんでもない大物だ。世の男なら全財産を投げてでも、喉から手を伸ばしてだって手に入れたい『金色神楽』のお誘いを、しかもまた、ずいぶんとお粗末な理由で突っぱねてしまうとは……いやいや、愉快だねぇ」
「す、すみません……その、本当に」
何か、ここに来てから恐縮しっ放しで謝ってばかりだ。
「男の人にお誘いを断られたなんて……生まれてから今日が初めて……なんか、ちょっと悔しいわ」
「ハッハッハ! いや、これはこれでむしろ面白いかもしれないね。それに、こっちとしても都合が良い」
「都合が良い……? それは、どういう意味です?」
不意に話の趣向が変わったような気がして、僕はいそいそと部屋の隅から元居た場所に移動する。
気づけば、既にアズサさんの表情も引き締められていて、僕の目をまっすぐ見据えていた。
「カンナを助けてもらったお礼ももちろん本意だけど、アタシとしての本題はこっち。実は、チヒロの腕を見込んで一つ頼みがあってね」
「頼み……ですか? それはどういった内容で?」
淀みなく僕へと伸びる、一直線の眼差し。
旅の途中で見た、大きな商談を始めようとする時の商人の目によく似ている気がした。
「ちょいとばかり恥ずかしい話だが、実は今、自警団の人手が不足していてね。本来なら、さっきの騒動だってウチで始末をつけたかったんだが……対応が遅れて、このザマと言うワケ」
「……面目ない限りだ」
ここにきて、初めてハガネさんが声を発した。
どすん、と胃の腑に響くような低音だが、今は何処となくしおらしく感じる。自警団の団長故、責務を感じているのだろう。視線も、俯きがちだ。
「そこで丁度よく現れたのが、腕の立つ放浪の旅人さん。……アタシの言いたいこと、だいたい察しがついたかね?」
「……何となく。僕に、自警団に入ってほしい、ってトコですか?」
「旅の人に自警団に入れとまでは流石に高望みはしないが……まぁ、要するに用心棒を依頼したいのさ。酔っ払い相手とはいえ、さっきお前さんはしっかりと加減をしていたね? 技量と経験のある証拠だ」
「か、買い被りですよ。僕はそんなに器用じゃ」
「今時にしては珍しいほどに奥ゆかしい男だねぇ。無論報酬にはしっかりと色を付けるよ。それに、さっきお金がないと口走ってた辺り、今は路銀が乏しいんじゃないかい?」
そう言ってアズサさんは懐から小さな算盤を取り出すとパチパチと軽やかに弾いて、件の報酬の金額を僕に示してくれた。
「……ッ」
優に、半年は路銀に困らなそうな金額に思わず生唾を飲み込む。
今までは商人の護衛や獣狩りで稼いでいたが、そんな稼ぎがはした金に思えるくらいには魅力的な報酬だ。
「ま、無理にとは言わないさ。旅をしてるってコトは要するに何か理由があるんだろう? それを阻んでまで依頼しようとは思えないからね」
「でも、チヒロ様が用心棒になってくれたら私も嬉しいわ。夜に出歩いても、悪い男から守ってくれるんでしょう?」
「金銭が気に入らないってんなら別の報酬だって用意出来るよ。ここは遊郭だからね。仕事中に気になった女の子がいれば、アタシを介して格安で紹介してあげることも出来るよ?」
「もちろん、私もチヒロ様から言伝いただければ一肌脱ぎますし」
「そ、それは……」
カンナさんのその物言いはまず間違いなく“二重”の意味で本気だろう。
たじろぐ僕の脳裏に、ふと、鎖に繋がれたあの少女の事が過ぎった。
提示された報酬の額は十二分に魅力的。
自分でも不思議なくらい気になっている、鎖に繋がれたあの少女の存在。
旅だって、僕の個人的な理由のものであって特別急いでいるということもない。
断る理由を探すほうが、難しかった。
「…………わかりました。僕でよければその仕事、お引き受けします」
「よく言ってくれた。感謝するよチヒロ。早速細かな話に……と、言いたいトコだけど、旅の途中で荒事をやってのけたばっかでチヒロも疲れてるだろう。宿を用意させるから、今日はもう休んでおくれ。続きはまた明日にしようじゃないか」
「えぇ、了解です」
こうして、遊郭『枯山水』での僕の生活が始まる。
……微かな下心を、意識の水面下に潜めながら。




