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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第四章
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『鎖ノ姫』  第四章 「1」

 手を伸ばせば届く距離に、彼女はいる。

 見世物小屋の柵の向こう側、彼女は真新しい着物に袖を通し、化粧を施し、髪形を整えて待ち人を待っている。

 その横顔は愁いを帯びていながら、扇情的で、蠱惑的で、他の遊女とは一線を画した妖艶な魅力がある。

 それに気づいたのは、僕だけ。

 馴染みの店の暖簾をくぐるような気安さで、柵の木目を二度叩く。

 僕と彼女だけが共有している秘密の合図。

 斜めに落ちていた視線がすぅっと持ち上がって、僕の方へと向く。

 安らいだような、困惑したような、何とも言えない表情。

 裸足が畳を滑る音。

 じゃり、と鎖が床を滑る音。

 その横顔から窺い知れなかった、右目を覆い隠す汚らしい包帯。

 数歩と歩くうち、はらりと包帯が解けて、彼女が隠していた黄昏色の瞳が露わに。

 黄昏と漆黒の双眸に映る、僕の姿。


「……」


 血に塗れ、手には鮮血が滴る刀を握り締めて。

 僕は――、


「コロシ、テ?」


 脳髄まで一気に響いて、心臓を打ち震わせる彼女のその言葉。

 痺れた右手は自由を奪われ、掌の力が失せて、指先から柄が滑り落ちる。

 そんなつもりはない。

 違う、僕は――、


 ・ ・ ・


「ま、待って……ッ!」


 何度見たか分からない、そんな夢。

 寝巻が汗でびっしょりと濡れて、重たくて、不快。

 最悪の寝覚めに顔を手で覆い、胃の腑の中身を全てぶちまけてしまいそうな大きな溜息をひとつ。


「……はぁ」


 人生初の失恋。

 あれから、もう一ヶ月経っている。


 ※


 師走。

 誰がそう言ったか、この時期になるとその字の如く()までもが年の瀬の忙しさに走り回るのだという。

 この師とは、物事に師事する者を指すのか、寺の僧を示すのか、あるいは両者なのか。

 遊郭――ここ『枯山水』も、何時にも増して賑わいを見せている。


「今日も雪……か」


 鼠色の空からは雪がこぼれ、相応に寒さも極まってきている。

 元々ここが山々に囲まれているという立地から、雪自体は珍しいものではないと自警団の同僚から教わっていたが、僕の故郷は滅多に雪が降らなかったから、しばらくの間は雪化粧が施された【森羅】の姿に密かに胸を躍らせていた。

 ……というのも、最初のうちだけ。

 実際に連日雪が降り続けて、街道の機能が止まってしまうほどの大雪に見舞われれば、自警団はもちろん、街の男衆が総出で雪かきをしなければならなくて――当然、僕も男として数えられている――大変だった。

 番傘を広げ、手持無沙汰な時間を潰すべく歩き出す。

 特にこれと言った目的地は無く、ただただ時間を潰すだけに身体を動かすという不毛な行為。剣術の稽古は、今は少し気が散ってしまって集中出来そうにないから最近はしていない。

 何となく、足が市場の方に向いたのでそのまま動かす。

 雪が降れども商人に休みなし。

 今日も何処からか仕入れて来た商品を持ち寄り、大きな声を上げて客を招いている。

 新鮮な野菜に加え、今は串焼きの屋台までも出ている。

 寒空の下、香ばしい香りは道行く人の鼻孔と食欲を刺激してバッチリの集客効果。


「……? あの人、見掛けない人だな」


 しかし、店員の着ている半纏には見覚えがある。

 鶯色の半纏、背には漢字で『扇』の文字。つまり、オウギさんの行商に所属している人だ。


「あぁ、坊主じゃないか」

「え、あ……鍛冶屋さん」


 そんな声が聞こえて振り返ってみると以前僕の刀の手入れ道具を譲ってくれたおじいさん。

 その表情は何処となく不満そうで、その視線は市場の方へと向いていた。


「美味しそうな屋台ですよね」

「まぁ、そうじゃが……」

「……?」


 どうにもハッキリとしない言葉に、白い眉はへの字に曲がっている。どうも、あのオウギさんの商人に対し何やら思うところがあるご様子。


「ちいとばかし……面白くない、と思うがの」

「面白くない……とは?」

「あそこの元締めは行商人と言っていたか。その割にはえらくこの街が気にっているようでなぁ。気がつくとああやって自分の店を連ねとる。ひとつふたつぐらいならまぁ……とは思うが、最近は連中の姿をよく見かけるようになった」


 言われてみれば、オウギさんの部下と思しき人をここ最近僕もよく見かけるような気がする。

 この市場でだって件の屋台もそうだが、別のお店を出していることも見かけるし、もちろんながら『枯山水』を利用している人も多い。


「でも、それって普通じゃないですか? 各地を行商して、気に入った場所でお店を構えたりって、よくある話だと思いますけど」

「むぅ……まぁ、なぁ」


 歯切れの悪いおじいさんの反応。


「……わしはどうも、あの男が好かなくてなぁ」

「そう……ですか?」


 あの男、とはオウギさんのことだろう。

 飄々としているが隔てのない態度、嫌みのない程度の軽口に颯爽とした横顔。遊女たちからの評判も上々で、少なくとも僕も悪い印象は抱いていない。


「つまらない話をしてしまったな。それじゃ、失礼するよ」

「いえ、それじゃ」


 猫背のおじいさんは軽く手を振って僕と別れ、自分のお店の暖簾をくぐっていく。

 そんな背中を見送ると、僕は再び視線を市場の方へと戻す。


「感じ方も人それぞれ……かな」


 目に優しい色合いの鶯色。

そんな羽織の店員は威勢のいい掛け声を上げながら出来たての串焼きを振る舞っている。見ていると、僕も少しお腹が空いてきた。ひとつ貰おうか。


「そういえば……」


 お会計を済ませ、串焼きを頬張りながら歩く途中、以前にオウギさんがアズサさんと何やら揉めていたことを思い出す。

 あの時はあまり気にしなかったが、それとこれと何かしら関係があるのだろうか。


「んー、鳥の山賊焼き……美味ひ」


 焼き上がった皮がカリッと香ばしく、甘辛いタレと柔らかな鶏肉とが絶妙に合わさって大変美味。肉にかじりつきながら適当に歩き続け、やがて自然と『枯山水』の門をくぐっていく。門をくぐれば当然、最初に目につく店と言えば【花】である。


「……」


 意識しないように、なんて、どだい無理な話。

 どうしたって僕の意識や視線は彼女を求めて動いてしまう。

 小屋の隅、いつものあの場所で彼女はいつも以上に小さく蹲っている。

 雪が降るこの寒さの中、たった一枚のぼろ布だけ。

 見るだけでも痛々しくなる彼女のその姿を視界に映すたび、僕は歯痒くて、悔しくて、だけどどうにも出来なくて。

 結局【花】の見世物小屋に背を向けて歩みを再開する。

 再開、というか、無理にでも動こうとしないといつまでも未練がましく小屋の周りをうろうろしてしまいそうで、それは凄く惨めなような気がして嫌だった。

 適当に歩いて、適当に誰かと出くわして、簡単に挨拶を交わして、適当な茶店に寄ってお茶を飲んで、真っ白い吐息を吐く。


「……」


 もやもやする。

 今日の空模様の如く、黒とも白ともつかないこの感情を、あの日からずっと抱き続けている。

 死にたい。

 ユウキは何度もそう言っていたが、結局のところどうして死にたいのかは言ってくれなかった。

 理由を知れば、とも思ったが、実際に知ったところでユウキの意思は変わらないし、僕だって同じく変わらないとは思う。

 ああまでして頑なに死にたいと思う理由とは、何なのだろうか。


「……一緒に居たくない、か」


 そうやって自分なりに考え連想しようとして、ついでにしっかりと拒絶の言葉を一言一句思い出し、一瞬浮上した僕の仄明るい感情がまた一瞬にして沈んでいく。

 何度も思い返してしまう。

 僕は拒絶されたのだ。

 一度拒絶されてしまうと、再度声を掛けようとするのにどうしたって躊躇いが生じてしまう。

 これが僕の性格故なのか、人としての性なのかはわからないが、少なくとも僕はこうして一ヶ月は彼女と口を利いていない。

 声は聞きたいけど、聞けるような状況じゃあない。真っ白い溜息がもう一つこぼれた。


「……あれ?」


 溜息が晴れたその先、見覚えのある小さな子供が一人。

 買い物袋と思しき紙の袋を抱えながら、しかし何故か周囲をきょろきょろと見回していて落ち着きがない。髪に、とんぼ玉の飾りが見える。あのコ、カンナさんの禿の……えっと、たしか。


「……ユメちゃん?」


 僕がそう声を掛けると、吃驚した猫みたいに大きく肩を跳ねさせ、そして恐る恐ると言った風体でこちらにゆっくりと振り返る。小さな瞳が大きく見開かれて、目尻に溜まっていた大きな涙がひとつこぼれ落ちた。


「……わ、あ。ち……ち、チヒロ……様……」

「どうかしたの? こんなとこで、お使いの途中……?」

「あう……ひえ……っく」

「……おわっと?」


 しゃがみ込んだ僕に、ぽふ、と勢いよく飛びこむと、ユメちゃんは僕の胸の中で消え入るような声で泣き出した。

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