『鎖ノ姫』 第三章 「6」
カンナさんと別れた後、僕の足は【風】でもなければ【鳥】や【月】でもない、まったくの反対方向に向かって動いていた。
その足を、止める。
今僕の目の前には、ここに来てから何度も来て見慣れたあの見世物小屋がある。
今日も数名の遊女が常駐していて、その奥に、いつもの彼女の姿も見える。
「あら、チヒロさんじゃないの」
「ど、どうも」
柵越しに僕を呼ぶ声。
すっかり顔馴染みとなったランさんの姿を見、平時なら簡単な挨拶を交わすのだが今日は少し緊張が混じる。
「そーんなとこ突っ立って、今日も仕事中に冷やかしってかい? たまにはウチの子たちと遊んでおくれな」
「え、と……今日は、その……つもり……で」
「……えぇ?」
尻すぼみになっていく僕の声が届かなかった所為か、ランさんの表情に怪訝な色が映る。
僕はといえば、今人生で最も緊張しているのではないかと思ってしまうほどに胸の動悸が激しい。
カンナさんに遊女の買い方を簡単に教わったはいいものの、いざ臨まんと辿り着いた瞬間、目の前に顔見知りが現れてしまったせいで余計に緊張し、こうして情けなく二の足を踏んでしまっている。
「あ、あの!」
「は、はい?」
緊張の糸でぐるぐる巻きになっていた喉からポンと声が飛び出し、いらぬ勢いがついてしまってランさんも思わず目を丸くする。
「その、今日はあの……」
「ど、どうしたんだいおにーさん? どっか、具合でも悪いのかい? まだ風邪が残ってるんじゃ」
「ち、違うんです! その、あのですね」
そそそ、と摺り足のような動きで柵の方へと近づき、こっそり視線を泳がせてユウキの姿を今一度確認して、ごくりと音を立てて唾を飲み込む。
「きょ、今日は遊女さん……を、か、買おうかな……って、それ、で」
「……アッハッハッハ!」
ランさんの爆笑に僕は思わずのけ反り、何事かと柵の向こう側の遊女は顔を上げ、ユウキは相変わらず。
ひとしきり笑い転げてから、ランさんは柵に身体を寄り掛からせながら、目尻に浮かんだ涙を指で払った。
「ハハ、ッハハハ。いや、こりゃ、とんだ失礼を……ぷふっ」
「そ、そんなに笑わないでくださいよ。ぼ、僕は」
「だ、だってさ。お前さん遊女を買いに来たって顔してないんだよ。そんな顔して店に来た人間、初めて見たよ」
「ど、どんな顔ですか……」
「そうさね……言うなれば、恋するオトメの顔、だねぇ」
「んな……ッ!」
ドキリとした。
ランさんにしてみれば、遊女を買おうとするオトコを相手に恋するオトメと冗談めいて口にしたのだろうが、今の僕の状況からしたら当たらずと雖も遠からず。
「顔真っ赤にして、そんなに肩肘張っちゃってさ。一世一代の告白でも控えてるような顔してたよ。『金色神楽』に抱かれたってのに、そんな顔してまで会いたい女がここにいるんだね?」
「…………あぅ」
「……当ててやろうか? 奥のユウキ、だろう?」
「……そ、そこまで分かるんですか?」
「ま……薄々気付いてたよ。仕事の時もよく声掛けてくれたけど、お前さんの目の真ん中には、アタシらじゃなくてあの子が映ってたからね」
ふ、とランさんの表情が和らいで、小さな息を吐く。
「……別に、悪いコじゃあないと思うよ。もう聞いてるかもしれないけど、確かに粗相を犯して今はあんなんになっちまってるけどさ……根っこは、良い子なんだと思う。けど……ね」
「……」
ランさんの物憂げな視線が、ユウキへと注がれる。
どこかで見覚えのあるその寂しそうな横顔は、以前にアズサさんがふっと見せたあの時によく似ている。
そういえば、前にユウキに遊女としての作法を教えた先輩遊女がいると聞いたが、もしかして。
「一筋縄じゃいかないオンナだよ。でも、そこまで真摯なお前さんなら……もしかしたら、あのコを救ってあげられるかもしれないね。……ちょっと待ってな」
「あ、あの」
訊ねてみようとしたところでランさんがくるりと背を向けてユウキの方へ向って歩き出す。その様を、横で見ていた他の遊女は眉を曲げて袖で口元を隠しながらひそひそと内緒話を始める。ユウキの側で足を止め、ランさんは表に向かって指を差した。
「ユウキ、お前さんをご指名だよ」
「…………」
膝にうずめていた顔をゆっくりと持ち上げ、そしてその視線が少し降りて僕の方へと向き直る。
あの真っ暗な瞳の中に、緊張して強張った顔をした僕の姿が映る。
「そうだ、まだ代金をもらってなかったね」
「は、はい! えっと、如何ほどで」
「ん……そうだねぇ」
徐に僕へ近づくランさん。
左手に握りしめていた僕のお財布にちらと流し目を入れると、その中から硬貨をほんの数枚だけ抜きとると、それをそのまま自らの袖の下に仕舞いこむ。
「ま、あのコならこれぐらいが相場かね。ひとまず代わりに頂戴しとくよ」
「え、そんな、たったコレだけ……?」
「ここは『枯山水』で一番下の【花】屋、そしてあのコは一番下の遊女。子供の駄賃程度でももらえれば十分さ。……じゃ、あとはごゆっくり」
そんな話をしているうちに、いつの間にかユウキが小屋から出てきていて僕の右隣に無言で立っていた。言葉もなく小さく会釈して、黙ったまま僕を見上げている。
「……」
「……」
初めて出会う男女が見合いをしたってここまで無言にはならないだろう。
それぐらい長い沈黙のまま小屋の前で棒立ちして、それからややあってから、僕の口が先に開いた。
「……い、行こうか」
「……」
こく、と小さな首肯を見届けてから僕らは側の裏道に向かって歩き出す。
後ろの方で【花】の遊女に笑われていたような気がしたが、あまり気にならなかった。
※
行こうかと自分から口火を切った手前、目的地がすでに定まっているのかといえば答えは否。
【花】の裏手に向かったのはユウキの部屋があるから、というのもあるが、人目の無い場所で話をしたいと思ったからというのもある。
「……」
今、ユウキは僕の斜め後ろを歩いている。
裸足の足音が痛々しくて、僕は用水路の縁で足を止めてそこに腰掛けた。
ユウキは、黙ったままその場で立ち尽くしている。
「その……君も座ったら?」
「……」
返事は無い。
まぁ、そんな気はしていたので僕はそのまましばらく自分の中で言葉を探していた。
「……ね」
「な、何?」
冷たい声が僕の首筋を滑る。
「私を殺してくれるってハナシ……考えてくれた?」
「……」
そんな言葉。
何か色々を通り越して、僕は苦笑がこぼれてしまう。
「……先に言っておくね。僕は、君を殺すつもりなんてないよ。今日だって……き、君と話がしたいって来たんだから」
「……殺してくれないんなら、アナタに興味は無い」
「僕は……あるんだ。き、君にさ。でも……違う、だから、君と色々と話がしたくて」
「……」
ユウキが動き出したのが気配で分かる。
彼女が求めているのは自らの死、そして、それをもたらしてくれる存在。
興味が失せた今、彼女にとって僕は価値の無い人間。
「少し前にね、アズサさんとジロウさんと話して色々聞いたんだ。その、君のこと」
「……」
「それで……」
肝心な場所で、肝心な時に、僕は思わず言葉に詰まってしまう。
今何を言うべきなのか。
慰める言葉?
同情する言葉?
話したいという僕の気持ちに嘘や偽りは無い、じゃあいったい、僕は彼女とどんなことを話したいのか。
僕の頭の中は、アズサさんやジロウさんから聞いた彼女の経緯や、僕自身の彼女への漠然とした不定形な感情とがごちゃ混ぜになって渦を巻いてしまっていて、その中から正答を掴み取るにはどうしたって時間が掛かってしまう。
「……ごめん、先に僕から話すよ。君の言った……いや、ユウキの視た僕の過去の話」
動き出していた気配が止まったような気がして、僕はそっと空の半月を見上げる。
何処から、話そうか。
悩んで、僕は故郷の話から話し始めた。
内容そのものはアズサさんたちに話した内容と変わらない。
でも、いきなり人を斬った話をしても突拍子が無いというか、やはり物事には順序を立てる必要がある。
どうして人を斬ったのか。
……どうして、笑っていたのか。
「復讐してるその時は、確かに……愉しかった、のかもしれない。何て言葉にしていいのかわからないけど……間違いなく、あの時の僕の心は満たされてたよ。憎い仇を、自分自身の手で殺したんだから。でも……」
他に捕まっていた人を助けてすれ違ったその時、誰一人として僕と目を合わせなかった。
あの時は理由が分からなかった。
僕の性格がもっとキツければ、それこそ助けてやったのに感謝のひとつもないのかと憤慨したのかもしれない。
だけど。
「……酷い顔、だったよ。少なくとも人間の顔じゃない。例えるなら、死神……なのかな。満足に人を殺して疲れ切った、今にも心労で死にそうな死神、みたいな。こんな顔の人間に助けられたって、ありがたみなんて何もないよね……はは」
後ろに遭った気配が、ふと僕の左隣に移動する。
僕と同じように水路の縁に腰を下ろし、枷の付いた足をぶらぶらとさせて音を立てる。
話を聞いてくれている。
それだけで、今は少し嬉しかった。
側に誰かが居る息遣い。
ちらっと隣を盗み見ると、興味無さそうな瞳が、何処か適当な方を見つめている。
その横顔は物憂げで、薄幸の少女と言った風体。
アズサさんの言うとおり、ちゃんと着飾ったらもっと綺麗なのかもしれない。ユウキなら、何色が似合うのだろう。赤とか黄色みたいな明るい色は少し違う、青や黒のような暗色だろうか。
「……」
「……そ、それで、っと……その日から、僕はずっと放浪の旅を続けて、それで道に迷ってここに辿り着いて、紆余曲折あって用心棒になって、君に、その……」
出会って、一目見て、胸打たれてしまった。
なんてセリフが綺麗に言えるわけも無くて、僕が口にしたい言葉は空気となって夜風の中に消えていく。
「……ねぇ」
「は、はい」
ユウキの声に心臓が鼓動を打ち、思わず半音上ずった声が喉から飛び出る。
「……アナタは、私をどうしたいの?」
「どう……って?」
「最初に会った時もそう、アナタの意図が分からない。私は、死にたいの。私は、アナタに殺してくれと頼んだの。それを、アナタは断って、私のコトを知って、それでもなお会いに来て。アナタは結局、私をどうしたいの?」
女の言葉は鋭利な刃物。
以前自分でそう例えたが、あながち間違っていないと改めて思う。
振り向く。
夜の闇に溶けてしまいそうな漆黒色の瞳が、僕を見つめていて胸がドキッ、と跳ねる。その実、見ているというよりかは睨んでいる、と表した方が正しい様な気もする。
あまりにも僕がハッキリとしない所為で、もしかしたら少し怒っているのかもしれない。
「……僕は、その……君と、居たい……んだと、思う」
結局ハッキリしない言葉が出て、ユウキの眉間にしわが寄ったように見えた。
「ごめん……僕も、こんなの初めてで上手く言葉に出来ないんだ。でも、今もそう。君と一緒にいるとドキドキして……さ。だけど、別に居心地が悪いとかじゃなくて、むしろ良くて、だから一緒にいたいって言うか……その……」
しどろもどろな言葉を口にするたび、恥ずかしさと少々の情けなさとで自分の身体が熱を帯びていくのがよくわかる。年頃の子供の方がもう少しマシな言い方が出来そうなくらいに、あまりに稚拙で、だけどこれは、正真正銘の僕の気持ち。
「僕は……君の側に居たい。ユウキを、守りたい」
稚拙であるが故、こぼれてしまった僕のユウキへ対する真意。
向き直って、胸を張って。
瞳は逸らさず、真っ直ぐに見据える。
ユウキの表情は――、
「…………フ」
歪んだ。
ユウキの歪んだ唇から、酷く暗鬱な微笑が漏れて、ゾッと背筋に悪寒が奔る。
あの時見た、あの表情。
触れれば破滅に落ちてしまいそうな、どうしようもなく暗く、恐ろしささえ感じる艶美な貌。
その頬に、ほんの小さく、月の光に当てられて何かがキラリと輝いた。
「…………言った、でしょ? 私はね、死にたいの。もう生きていたくないの。それなのに……私を、守る? 守りたい? 散々人を殺したアナタが、私を?」
「ユウ……キ?」
彼女の言葉の一つ一つに、突如として今まで見られなかったような感情の発露。
肩を震わせ、両手を固く握りしめて、彼女は――笑って、
「フフ…………フフッ、滑稽、ね。なに? こんな私を守って、罪滅ぼしのつもり? アナタ……馬鹿じゃない? 私は死にたいって何度も言ってるでしょ?」
「……じゃあ、どうして」
君は泣いている。
目を真っ赤に腫らして、笑ったまま、ユウキの瞳からは涙が溢れている。
悲痛なその表情が見ていられなくて、無意識のうちに、僕の手がユウキの頬へと伸びて――、
パチン……ッ。
それは、明確な拒絶の音。
「……触らないで。私は、死にたいの。死にたいって人間を、守るだなんて、馬鹿なことはやめて。側に居たい? 一緒に居たい? 迷惑よ。私は、アナタとなんか……居たくない」
震える声音のまま一気に捲し立てると、ユウキは徐に立ち上がって踵を返す。
「ま……ま、待って!」
「殺してくれないなら……もう、関わらないで」
ユウキの小さ過ぎる背中に伸ばしていた指先が、まるで冷気を帯びる壁に触れたかのような鋭い痛みに苛まれ、僕はただその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「……ウソだよ」
死にたいなんて、ウソに決まっている。
死にたい人間が涙なんか流して、声を震わせて、あんなに感情をぶちまけたりなんてするわけない。
「ユウキ……なんで……」
今ここに残ったのは、胸の中に鉛が抉り込んだような、吐き気さえ覚えるこの不快感。
誰かに拒絶されるということ。
僕はユウキに、拒絶されたんだ。




