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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第三章
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『鎖ノ姫』  第三章 「5」

 暮れなずむ『枯山水』。

 アズサさんたちとの話を終え、普段そうしているようにハガネさんたちと夕食を済ませ、詰め所で今日の巡回の会議を始める。


「チヒロさん。チヒロさん? ……チヒロさんってば!」

「……えッ、あ、わッ?」


 僕を呼ぶ声にハッと意識が引っ張られ、声の方に視線を動かすとコウマ君の顔が間近に迫っていた。童顔を怪訝そうに歪め、コウマ君は唇を尖らせる。


「ボサッとしてちゃ駄目じゃないっすか。今の話、聞いてました?」

「あー……その、ごめん。もう一度いい?」

「おや、生真面目なチヒロが話の最中にボーっとするなんて珍しいな。何かあったのか?」

「いや、別に……」

「金色神楽のコトでも妄想してたんじゃないっすか? でも、今日のチヒロさんは街の方の巡回だから、サボって『枯山水』に行くのは無理でしょ?」

「あ、街の方の巡回……って、だ、だからアレはカンナさんに無理矢理……」

「あー、二人ともその辺にしておけ。コウマも、羨ましいからって突っかかるなよ」

「ちぇー」


 今の話の通り、今日の僕は『枯山水』側ではなく、市街地側の巡回に当たることになっているらしい。地図を確認すると、僕の巡回路は市街地全体、それから外周の警護となっている。そういえば、街の外を巡回するのは今日が初めてだ。


「チヒロ、大丈夫か?」

「……え?」


 そんなハガネさんの声にも、僕は一拍ほど遅れてから反応を返す。

 振り向いてみれば、眉を曲げてやや心配そうな目をしたハガネさんが僕の顔を覗き込んでいる。


「もしかして、まだ本調子じゃないのか?」

「い、いえ違います。ちょっと、考え事しちゃってて……す、すみません」

「ほら、やっぱり金色神楽のコト考えてら」

「……ふむ、まぁ、俺はとやかく言う筋合いはないが……」

「だから、違いますってば」


 詰め所の中で団員全員の朗らかな笑い声が響く中、ただ僕一人だけは上っ面だけ笑みを浮かべるばかり。

 素直に笑えるような、内心じゃなかった。


 ※


 詰め所を出、普段『枯山水』へと向かう道を反対方向に。

 今日はコウマ君と途中まで順路が一緒なので、しばらくは二人並んで歩いていく。その間、コウマ君の視線が時々僕を突いてきた。


「……その、ちらちら見られると僕も落ち着かないんだけど」

「つまりチヒロさんは、もう童貞じゃないってコトっすよね」

「ぶっ!?」


 突然飛び出したそんな言葉に僕は思わず吹き出し、そんな僕を見たコウマ君は心底羨ましそうな風なふくれっ面で僕を見上げていた。


「い、いきなり何を」

「そりゃあ、羨ましいじゃないっすか。しかも最初の相手が、この『枯山水』の最上の遊女っすよ? オレだって」


 何故かコウマ君の頭の中ではカンナさんが僕の初めての相手だということになっている。

 や、まぁ、間違ってはいないのだけれど、そもそも根幹が間違っている。

 どう転がっても僕は童貞にはなり得ない。


「……前から思ってたけど、コウマ君ってけっこう大っぴらなスケベ少年だよね」

「そ、それは否定しないっすけど……その、そうじゃなくて」

「……?」


 そんなコウマ君の横顔は何時になく真面目で、真摯で、しかし何だか無気力な風も匂わせている。


「別に、金色神楽だけに限った話じゃないっす。ランさんでも、フウさんでも……。何て、言えばいいんすかね……その、誰でもいいから、オレをオレ一人として見てほしいっていうか、その……」

「……認めてほしい、みたいな?」

「そ、そうっす。それっす」


 無気力、ではなく、その顔は無力を悔いる顔。

 ぽつり、ぽつり、弱い雨粒のようなゆったりとした調子でコウマ君は心の内を呟いていった。


「……前、ここが夜盗に襲われたって話覚えてます? チヒロさんが来る……一か月くらい前っすかね。オレも当然迎撃しようとしたんすけど……」


 他の団員といざ駆け出したものの、人を前に武器を構えるのが恐くなって、それがきっかけで団員の一人が怪我をしてしまった。直接的な原因ではなかったにしろ、コウマ君は気に病んで、今も人の見えないところで稽古をしているらしい。


「あ、この話はハガネさんとかに言っちゃダメっすよ? チヒロさんは、街の人間じゃないからって話しちゃったけど……けっこう、恥ずかしいんすから」

「そうだったんだ……ん、わかった。他言無用、だね」


 まっすぐな少年の、実にまっすぐな目標。

 遊女と遊んでみたいという下心もしっかり抱えながら、彼は彼なりにこの街で独り立ちしようと努力している。それは実に微笑ましい。


「……夜盗」


 狼の皮を被った連中だった。

 あの時、アズサさんはそう言っていた。

 そんな目立つような特徴を持つ連中なら否が応でも印象に残るから、アズサさんの見間違いという筋は無い。

 つまり『顎』の残党の可能性。

 僕はあくまであの鍾乳洞の中の連中だけを殺したに過ぎないから、他に仲間や、それこそ頭領の存在だってあり得る。

 僕の復讐は、既に終わったのだと思っていた。

 牙が胸に食い込んだかのような不安や不快感に、思わず顔が歪んでしまう。


「チヒロ、さん? どうしたんすか?」

「……なんでもないよ」


 今は、それ以上考えたくなかった。


 ※


 二人で市場までの巡回を済ませ、ここからは二手に分かれる。

 コウマ君は市街地の内部に、僕は外周部に。

 市場の仕入れなどに用いられる東側の門に辿り着くと守衛の人が一人見える。

 簡単な挨拶を済ませた後に門を越えると、目の前には整備された街道が見えてくる。ここをまっすぐ行けば、当初僕が目指していた都へと延びる道にぶつかるらしい。

 ……ホント、何処で道を間違えたんだか。

 そんな自嘲じみた独り言は胸の内で収め、僕は持ってきたランタンの燃料を注ぐと明かりを灯す。

 専ら用いられるという事だけあって、東側の橋は馬車が二台平行してもまだ数人分の余剰があるほどに大きく、そして堅牢であり、少しばかりの装飾も施されている。

 振り返ってみれば、市場を挟んでまっすぐに『枯山水』が見える。

 本日も黄金色の輝きは衰えを知らず、真夜中の太陽として君臨している。

 ユウキは、どうしているだろう。

 そんな光を目に捉えた所為で一瞬気が反れてしまって、僕は慌てて首を振って意識を仕事に戻す。

 今は巡回の仕事をしなくては。

 橋を渡り切り、まず周囲の確認。

 街道へ続く道は、当然だが人っ子ひとりいない無人の状態。

 しかし、整備されているお陰もあってかなり見晴らしがよく、誰かが通ってきてもすぐさま対応ができそうだ。

 僕は堀伝いに北側へぐるっと回る進路を決めると歩き出す。

 『枯山水』の北側は険しい山々と深い森林に覆われている。

 こちら側から人がやって来るということはまず間違いなくないだろう。

 獣が潜んでいそうな闇の中にランタンを向けてみたが、特に怪しい気配は感じられない。一人でぽつぽつと外壁に沿って歩いて、時々壁越しに『森羅』や【月】の建物の姿を見上げる。

 そんなこんなを繰り返し、北側の外壁を過ぎて西側へ。

 さっきと変わらない、堀と外壁とが伸びるだけの道。

 本来、この巡回路は不必要なもので、件の夜盗の襲撃があってから警備の強化の意味合いを兼ねて追加されたものだと前にハガネさんが言っていた。

 ランタンを持ち上げ、視線を西に。

 曰く、夜盗は僕が最初にやってきた西南側の門から侵入してきたとのことで、僕の意識も自然と同じ方向に向いてしまう。僕が迷い込んでしまった森の小路も、もう少し歩いていれば見えてくる。

 そして、ふと足が止まる。


「……」


 僕の視線は、前方の木々の奥の闇の中へと伸びる。

 墨を注いだような濃厚な黒が広がっていて、ここからではランタンの明かりさえも届かない。

 そんな闇の向こう側から、視線のようなものを感じる。

 単純に僕の気のせいなのかもしれないし、その闇の中に何かが潜んでいるような気もする。

 それが例えば飢えた野犬かもしれないし、夜盗の誰かがこちらの様子をうかがっているのかもしれない。

 その視線は僕を視ている、ようにも思えるし、僕越しに『枯山水』の様子を見ているようにも感じる。

 考え過ぎ、だろうか。

 僕の足が自然と森の方へと向かい、無意識のうちに左手が柄に触れる。

 右手でランタンを顔の側まで持ち上げる。

 明かりが森の闇をゆっくりと払いのけて明瞭になっていく視界。

 潜んでいるモノは――――――――いなかった。


「……ふぅ」


 万が一に備えて鯉口を切って臨戦態勢を取っていたが、結局何もないと分かって緊張の糸が解れて気の抜けた吐息が漏れる。

 気の所為か、もしくは光を嫌って獣が逃げたのかもしれない。

 踵を返し、念のためと周囲を見回してから改めて巡回路へ。

 やや懐かしくもある西南側の門を少し歩いて市街地を進んでいくと、道の先にハガネさんの姿が見えた。


「あれ、ハガネさん?」

「外の方は異常無かったか?」

「はい。……でも、どうしてここに? ハガネさん、『枯山水』の巡回じゃ?」

「いや、お前がボーっとしてたから少し心配になってな」

「あはは……ご心配どうも。でも、僕なら大丈夫ですよ」

「……そうか、ならひとつ頼まれてくれないか? 『枯山水』に行った一人が体調が悪いと今詰め所に戻っててな。向こうの見回りをチヒロに頼みたいんだ。外の巡回は俺が代わる」

「えぇ、わかりました」


 僕の風邪でも移ってしまったのだろうか。

 そんな短いやり取りの後、ハガネさんは西南側の門へと向かい、僕は『枯山水』の門をくぐった。


 ※


「え、体調不良? いやー、俺はこの通りぴんぴんしてるけど?」


 もう一人の団員も健在で、話を持ちかけた僕も二人も首を傾げる。

 が、やがて一人の団員がポンと手を打ち、何故か途端にニヤニヤ顔を浮かべる。


「ははぁ、もしかしてチヒロのためにワザとかもなぁ」

「僕のため? ワザと?」


 ハガネさんが嘘をついてまで僕を『枯山水』側の巡回に回す理由がいまいちピンと来なくて、僕はただただ首を傾げるばかり。


「まぁ、こっちに人が多くても問題は無いだろ。俺らはまた別の道行くからさ、んじゃチヒロは……そうだな、神楽広場辺り見て回ってくれないか? あとは適当に動いてくれてていいからさ」

「わかりました」


 そう指示を受けると二人と別れ、僕は神楽広場の方へと向かって歩き出す。途中、【花】へ視線が移りそうになって、仕事中だと自分を戒め無理矢理首を反らす。

 今日の『枯山水』も実に平和で、異常は無い。

 今日も今日とて遊女は男を誘い、男は遊女を買い、僕はこうして遊郭を歩く。

 最初の頃に比べ、僕の抱いていた抵抗感はすっかり無くなっていた。

 カンナさんと一緒に過ごしてから、遊女という生業に感じていた偏見は何処かへと消えていて、今の僕は遊女を守るという仕事に少なからずの誇りを胸に抱いてさえいる。

 『枯山水』は、イイところだ。

 カンナさんを始めとした遊女も、ハガネさんやアズサさんや、街の人々も優しい人ばかりでとても居心地がいい。

 僕も、遊女のように負い目があるからとかではなくて、この場所を守ってあげたいと思っている。


「ああ……もしかして」


 僕は、ユウキをこの手で守りたいのかもしれない。

 ユウキを守ってあげたい。

 ボロボロの姿を見たあの時の僕は、そんな庇護の情を抱いたのだろう。

 ……うーん、いや、まだ何か違う気がする。

 そんな物思いに耽る傍ら、気が付けば神楽広場の中央に辿り着く。

 風邪で休んでいた間に劇的な変化があるわけもなく、特にこれといった揉め事も見当たらず、至って問題なし。

 今日はオウギさんの行商人の集まりが遊びに来ているようで、数人で固まって【風】屋と【鳥】屋に入っていくのが見えた。『枯山水』のお得意さんだからか、出迎える遊女の表情も賑やかで活気付いている。


「……そういえば、前に言ってた面白い遊女さんってのはあのお店にいるのかな?」


 僕もそれなりに仕事を続けているとはいえ、各店の遊女まで網羅しているわけではない。そのうち紹介されるのだろうかとぼんやりしていたら、とんとん、と肩を叩かれた。


「あーら、チヒロじゃない」

「え……あ、カンナさん。それに、ソラちゃんもユメちゃんも」


 振り返ってみると、双子の禿を連れたカンナさんが側に立っていた。

 ソラちゃんもユメちゃんは相変わらず、一挙手一投足乱れの無い綺麗なお辞儀をする。

 今日のカンナさんは紫紺色の着物と金色の簪で普段以上に艶美で、思わず僕の右足が一歩後ずさってしまった。何て言うか、条件反射みたいなものである。


「ふふ、たまたま見掛けたから声掛けちゃった。ボーっとしちゃって、どうしたの?」

「いや、ちょっと考え事しちゃってて……」

「風邪が治ったばっかなのにチヒロは真面目ね。チヒロこそ、たまには息抜きが必要なんじゃない?」

「いや、僕は別に……?」


 ふと感じたのはきっちり二人分の視線。

 ソラちゃんもユメちゃんも、その小さな童顔を心底不思議そうに傾げながら、僕とカンナさんとを交互に見やっている。


「チヒロ様、カンナ様と仲良しですね」

「カンナ様、チヒロ様と仲良しですね」

「そりゃそうよ。一緒に風呂に入った仲だしね?」

「え、あ……は、はい」


 あの綺麗なカンナさんの裸体を思い出して真っ赤になりかけた僕に、追い打ちをかけるかのように、カンナさんは二歩踏み込んで僕の耳へと囁きかける。


「安心なさいな。それ以外の話はしてないよ」

「ちょっと、違う気がする? ね、ユメ?」

「……うん。違う、気がする。ソラも?」


 たぶん、二人とも僕との会話の最中の砕けたカンナさんの口調に違和感を感じているのだろう。男に媚びるような言葉ではなくて、一人の友人へと向けられた気取らない素の言葉。

 ほんの少しの優越感。

 カンナさんは、僕を友人として思ってくれている。

 思えば、故郷を出てから友人と呼べるような存在にまで至ったのは彼女だけかもしれない。


「そうだ、チヒロも遊女を買ってみたらどう?」

「え? いや、でも僕は」

「遊女って言ったって、何も身体を売るばかりじゃないんだよ? 一緒にご飯食べたり酒を飲んだりするのが好きなコもいるし、花札みたいな賭け事が得意なコもいる。そうだね……【風】屋辺りなら値段もそれなりだし、何よりチヒロはこの『枯山水』の用心棒だ。顔を出せば、みんな気前よくお相手してくれると思うよ?」

「だ、だから……!」

「せっかくだし私もお相手してあげたいけど……生憎、今日は先約があるの。それがなければ、また一緒にお風呂に入ってもよかったんだけど」

「……もう」


 からかわれてるなぁ。

 でも、さほど悪い気はしない。


「…………」


 この時。

 不意に、悪知恵が働いた。


「……じ、じゃあ、教えてくださいよ。その、遊女の……買い方、を」

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