『鎖ノ姫』 第三章 「4」
僕の故郷は、独特の絹織物や染物が特産の、でもそれ以外にはあまり目立つ特徴のない小さな田舎町だった。
当時十五になったばかりの僕は、実家である呉服屋の手伝いはほとんど妹に任せて、本を読んだり道場で素振りをしているような野暮ったい生活ばかりを送っていた。
待ち針で怪我をするほど不器用な僕と違い、二つ歳が離れた妹は物心ついたころからお裁縫が得意で、この時点で既に両親と一緒に働いて、自分で独自の衣服を設計したりしていた。
この日、僕はたまたま人に頼まれてひとつ山を挟んだ隣の村までお使いに行っていた。
手紙の配達だとか、村で採れた野菜の差し入れだとか、そんな感じの。
村を訪れる時はいつも空いた時間に村長さんの家にお邪魔して、色々な本を読むのが通例で、その日も夕方まで過ごしていた。
その帰り、山道の坂道を越えた瞬間、僕の頬を火の粉が過ぎる。
視界に映ったのは、紅色の海に沈んでいく故郷の姿。
手持ちの荷物を全部投げ捨てて僕は走って、崩れる寸前の町の門をくぐって悲鳴を聞いた。
視線を走らせたその先、狼の毛皮を被った男が二人見える。
その右手には大きな鉈を握り、もう一方の手には僕の幼馴染の女の子の髪を掴んでいた。
下卑た表情、野を往く獣のように唾を垂らしながら、その連中は町を蹂躙していた。女や子供は連れ去られ、男や老人は容赦なく斬り払い、家々から金品や食料などを奪っていく。
この目に映る光景が現実のモノとは思えなくて、僕はしばらくの間呆然と立ち尽くしてしまって、ただただ惨劇を目の当たりにするばかりだった。
「ぃやあああああああああ!!」
我に返ったのは、妹の叫び声を聞いた瞬間。
今の今になってから家族が心配になって、僕は連中に見つからないよう裏道を進みながら、町の中央にある呉服屋を目指す。
扱ってるモノがモノだから、当然火の手は早い。
真っ赤に燃え上がる家屋に衝撃を受けているのも束の間、二度目の悲鳴が耳朶に響く。
いや、今にして思えばアレは悲鳴ではない。
「チハル! 無じ……ひッ!?」
お気に入りだと言っていた、桜の意匠を施した和服は無残に引き裂かれて乱れ。
僕なんかよりよっぽど手入れの行き届いていた長い髪は散らばって。
血が滲んだ爪、苦悶に歪んだ表情は、鈍器か何かで滅茶苦茶に殴られて潰れて、いて――、
「ひ、あ……ああ……!!」
アレは、断末魔だった。
※
諸々の始末を終えた頃、僕は一人で旅の支度を整えていた。
隣村に住んでいた親戚の叔父はここで過ごしてくれて構わないと言ってくれていたが、当時の僕はほとんど興味が無くて適当に断わりを入れて足早に村を出た。
改めて言えば、僕の旅の目的は復讐。
故郷の人々、僕の知り合いや家族、妹のチハルを殺した相手をこの手で殺したい。ただそれだけ。
手始めにと近隣の村や町を訪れては情報収集を重ね、道場や旅すがらに剣士に出会えば教授を願い、暇を見つけては指南書や稽古を繰り返しながら僕は旅を続けた。
そして二年前の夏、それは偶然か僥倖か。
旅の途中に立ち寄った小さな漁村の宿屋で、とある山賊の噂話を耳にした。
狼の毛皮を被り、鉈を片手に虐殺や略奪を繰り返している『顎』と呼ばれている山賊がいる。
彼らは特定の拠点を持たず、山脈伝いに転々と移動しながら今も襲撃を繰り返していて、つい最近も近くの村が襲撃を受けたと。
僕は噂話を始めた人に詰め寄って詳細を聞き出し、そして今ねぐらにしているであろう大体の場所の見当を付け宿を飛び出した。
月明かりのない、山の中腹。
小さな声が夜風に乗って聞こえてきて、僕は意識を研ぎ澄ます。
やがて鮮明に聞こえてくる、松明がパチパチと爆ぜる音、誰かの話し声。
木陰から顔だけ覗かせて――見つけた。
狼の毛皮を頭から被り、その腰には大ぶりな鉈を吊る下げている男が二人。
そのすぐ側には小さな鍾乳洞があり、『顎』の今のねぐらということらしい。
逸る気持ちを抑えつけながら音を立てないよう慎重に近づき、一言一句がはっきりと聞こえるほど迫った時だった。
故郷の名前が、その口から不意に出た。
汚い笑い声とともに二人の男は、やれ何を奪っただとか、何人殺しただとか攫っただとか、まるで蝉を捕まえて自慢する子供のような粗末な張り合いを繰り返していた。
当人してみれば、そんな程度の感慨なのだろう。
僕はといえば――限界だった。
潜んでいた木に素早く上ると同時に枝を蹴飛ばし跳躍。
枝葉が揺れる音にやおら首を持ち上げた男の正面から打刀を振り下ろし一刀のもとに斬り伏せる。
胸元からは真っ赤な鮮血が間欠泉かのように大きく噴き出し、声を上げる間もなく絶命。
そんなものを見届ける暇すら惜しく、そのまま身体を捻って低姿勢のまま駆け出し、呆然としていた男の懐に一直線に突っ込む。鳩尾に突き刺した刃の勢いをそのまま男の身体を強引に壁際まで押し付ける。柄まで貫いた刃を引き抜くと、その男は小さな呻き声をあげて崩れる。
松明を斬って火を潰して、僕はそのまま鍾乳洞へと向かっていく。
今にして思えば、当時の僕は様々な幸運に恵まれていた。
二人の見張りを仕留めたお陰で奇襲の報せは届かず、特に目立った騒ぎも起こさないまま難なく内部へと侵入に成功。内部では焚き火を囲んで小さな宴会に興じている山賊たち。
その向こう側に、奪った金品や物資、その奥には粗末な檻に閉じ込められた女の人の姿も見えた。前回の戦果がよほど上々だったのだろう。上機嫌に踊りながら酒を飲む男も見受けられた。
それらを目の当たりにした瞬間、僕の頭の中で、何か糸のようなものが切れる音がした。
恨み辛み、怒りが全て頭の中を真っ白に染め上げ、僕は衝動のままに吠えながら走り出す。
鍾乳洞中に響くその叫び声に、素面の男は顔を上げ、踊っていた男はその足を緩慢に止める。
山賊の迎撃態勢を取らせる前にまず一人、二人と斬り付けて致命傷を与える。絶叫と血飛沫が乱闘の火蓋と化すも、先人の言にある通り先手必勝。
統制が整うまでの短い間にもう一人を斬り付け、刃に付着した血糊や、悲鳴を上げる仲間の姿を見て相手の戦意は落ちていく一方。
とはいえ、成すがままやられてくれるワケもなく。
酔いの冷めた連中が鉈を手にこちらへと襲い掛かってくる。総勢六名。
数で言えば単純に考えて僕が不利。
どんな指南書にだって、刀剣を用いての多対一の戦闘は基本的に不利であり避けるべきものと記されている。
しかし、ここに置いて戦術などという言葉は頭から捨てていた。
そもそも、僕は生きて帰ろうなどとは思っていなかった。
自分が刺し違えてでも全員を殺す。
この命は云わば、捨石に過ぎない。
鉄砲玉のように、愚直なまでに真っ直ぐに人を斬るためだけの刃と化した僕は、あっという間に二人を斬り伏せた。
倒れて呻くその様を見れば、容赦なく刃を突き立てて止めを差し切る。
それは徹底した殺人行為。
その時、残っていた誰かがこう言ったのを覚えている。
「な、何なんだコイツ……く、狂ってやがる……!!」
言っている言葉の意味は分からなかったが、構わずもう一人を斬る。
左右から繰り出される鉈の攻撃は、刀の鍔と鞘とで受け止める。しかし、長くは受け止めきれない。
故に、その間隙に男の足元を蹴り払って転ばせると同時、正面から襲い掛かってきた一撃も後方に跳んで回避。
集中力は切れるどころか鋭さを増してよりいっそう鋭利に研ぎ澄まされていく。
恐怖。
僕が奇襲を仕掛ける直前に感じていたそんな感情は完全に欠如していた。
頭の中でずっと同じ言葉が木霊となって消えない。
殺せ、殺せ、ころせ、ころせ、コロセコロセコロセ、コロセ。
腕を斬り落とす。
鮮血が跳ねる。
苦痛に歪む貌。
怒号、悲鳴、懇願。
最後の一人が視界に映った時、僕はハッキリと覚えている。
「……は、はは……ッ、はははははははは!!」
僕は、笑いながら人を殺していた。
※
気が付けば、僕の周りには山賊の死体だけが無残に転がっていた。
血と脂とで汚れた刃を握って、何処へと焦点も合わさず、虚ろなまま僕は何処かをぼんやりと見つめる。
成し遂げた。
故郷の、家族の、妹の仇は皆殺しにした。
念願を果たしたというのに、僕の心は達成感に満ちるでもなく、浸るでもなく、例えるなら夜明けの澄んだ湖面のように、怖気が奔るほどの静寂に包まれていた。
呆然とする僕の意識を現実に引き戻してくれたのは、声だった。
鍾乳洞の奥、粗末な檻に捕まっていた女性の声。
その声が耳朶に届くまで、彼女たちが捕らわれていたということをすっかり失念していて、僕は慌てて檻の鍵を壊して扉を開いた。
「…………!」
誰も、僕に何も言わないで檻から走り出していく。
僕の身体を横切っていく彼女たちの表情は、皆一様に恐怖に引き攣っていて、この時の僕は、解放されたというのにどうしてそんな顔をしているのか分からなかった。
全員が檻から抜け出して、今や無人となった鍾乳洞に長居する理由も無く。
汚れた刃を鞘に納めて、引き返す。
不思議な感覚だった。
前述の通り、達成感も無ければ充実感も無い。
疲労や空腹といった類のものもなければ、何かをしたいという願望も気力もない。
言葉にしようの無い、空っぽな気持ちのまま外に出て、歩き出す。
僕の足は、無意識に漁村から遠ざかるように動いて、山の奥へ奥へと向かっていく。
自分の靴が土を蹴る音、草木をかけ分ける音、一定の間隔で吸って吐くだけの呼吸音。
ふと、急に喉が渇いた。
湧水でも、この際泥水でも何でもいい、とにかく喉を潤したい。
行動の目的が決まった途端、喉の渇きが異常なまでに感じるようになって、僕の足が早足に、やがては掛け足になって水を求めて動き出す。
せせらぎの音が聞こえた途端足を止め、音の出所に向かって走り出す。
木々の中間を肩を当てるように強引に突き進んで、その先で小さな湖を見つけた。
ほとんど飛び込むような勢いで湖面に顔を叩きつけ、求めていた水を口に含もうとして――違和感を覚えて顔を上げる。
舌に触れた、思わず顔を顰めてしまうような嫌な味。
水は清潔であるはずなのに、口に含んだ途端、酸っぱいような生臭いような匂いが鼻をつき通って、あまりの不快感に飲み込むことが出来ず含んだ水は全て吐き出した。
水を求める自分の意思とは裏腹に、自分の身体が抵抗して拒んでいる。
理由が分からず困惑する僕の正面に、ふと、人の影がゆらゆらと浮かぶ。
乱れて揺れる湖面がだんだんと静まり、月の光も手伝って煌めき、そして鏡のようにその姿を反射する。
「……!!」
ぼさぼさに乱れた黒髪、血を吸ってべっとりと滲んだ愛用の外套。
夜闇の暗さよりもなお暗い、完全に光を失った自分の双眸。
その姿を視認した瞬間、頬に、腕に、掌に、血が滴る匂いが急に漂って、僕は短い悲鳴を上げながらその場で崩れた。
この瞬間、僕は自分の犯した行為の恐ろしさを痛感した。
人を殺した感触。
自分と同じ人間の肉を斬った手応え、骨に触れた抵抗感、悲鳴を上げて崩れたあの時の表情、止めを刺す瞬間の、息が絶える瞬間の残滓、その全てがいっぺんに脳裏に甦っていく。
不意に空が唸り、雷鳴を響かせ、激しい雨粒が湖面に落ちていく。
人を殺したという事実。
あの山賊たちと、何ら変わりない。
僕は、人殺しだ。
※
初めて知った。
自分の過去を誰かに包み隠さず話すということは、心も体も思った以上に疲れるという事を。
「……その後しばらくは、呆然自失のまま旅を続けていました。適当な村々を転々として、路銀に乏しくなったら旅の剣士を名乗って護衛や獣狩りを引き受けて稼いだりして凌いでいました。もう剣は振れないんじゃないかって思ってましたけど、全然。むしろ以前より腕は冴えたようで、護衛した商人によく褒められたりもしました。……この頃から、僕は自分が何なのかよく分からなくなってきていて、何時だったか、他の商人の人から兄ちゃんって呼ばれて、そこからしばらくはずっと男でいいやって、僕は僕の中で男として振る舞うような癖が付いたんです。…………その、結局、そういう話題は苦手だったんで、それはそれで敬遠してましたけど」
そんな生活が一年も経つと僕の心にも幾ばくかの余裕が生まれて、荒んでいた当時に比べればいくらか人間性や社交性を取り戻して、一般的な旅人として各地を放浪し、そして……現在の僕に至る。
全部を話し終えると、アズサさんもジロウさんも気まずそうに俯いてしまった。
「……お前さんの見てくれに似合わない、悲惨な話じゃな。話してくれて、ありがとうよ」
「いえ、そんな……」
御礼を言われるようなことでは決してないので、僕は首を振って返す。
「しかし、人を斬った……か。なるほど、道に迷ってここに辿り着いたと言っていたが、チヒロにもここの遊女同様に負い目があったってワケか。それは縁か因果か……ねぇ?」
「あのさ、チヒロ。ひとつ聞いてもいいかい?」
「……? 何ですか?」
普段の姿からは想像も出来ないような、おずおずと遠慮がちにアズサさんが僕を呼ぶ。何故かジロウさんと一度顔を見合わせて、それから改めて僕へと向き直る。
「今言った、山賊の話なんだけど……狼の皮を被った、って言ってたね?」
「え、はい。それが……?」
何か、言い難そうに顔を顰めるアズサさん。
「……もうどっかで聞いたかとは思うけど、『枯山水』も前に一度夜盗の襲撃があったんだ。その連中ってのがね……」
次に彼女が口にした言葉を耳にした瞬間、僕の目が驚きで見開いていく。
「今、アンタが言ってた……狼の皮を被った連中だったんだよ」




