『鎖ノ姫』 第三章 「3」
空いた口が塞がらない。
そんな慣用句を耳にこそすれど、目の当たりにしたのは僕も初めてかもしれない。
「…………」
丸机の上の湯呑からふわふわと湯気が上り、アズサさんは何処となくそわそわした様子で湯呑に手が伸びず、僕は僕で自分の素性をさらけ出したこと、それに加え、老人に尻を触れただけで看破されてしまったという恥ずかしさの所為で俯いてしまって、膝の上に置いた手がなかなか動かせない。
この何とも言えぬ沈黙の中、ずずずず、と何処吹く風でお茶を啜っているのはアズサさんのおじいちゃんただ一人。
「さて、落ち着いたところで儂も名乗ろうか。儂はジロウってんだ。ま、酒と女と旅が趣味の普通の老人だな。今は脚がこんなんで、旅なんて出来ないがね」
「ふ、普通の老人……」
つまり僕は車椅子に乗った普通の老人に背後を取られた挙句、お尻まで触られたということになる。
それなりに剣術や体術に自信があったのに、この一瞬でその自信にヒビが入ったような心地だ。
「驚いたよ。まさか、チヒロが女だったなんて……」
「ずっと隠すつもりは無かったんですけど……その」
「……少し前に胸を突いたってのに、全然分からなかったよ」
胸の痛い話です。
「……で、だ。お前さんが男と偽ってまで旅をする理由も面白そうじゃが……今日の本題はそこじゃないな?」
「は、はい。三日前に、アズサさんからユウキの秘密を話してやるって言われて、それで。その、ジロウさんもご存じなんですか」
「当たり前じゃ。というか……当事者というか、責任者というか……」
「……?」
やや歯切れの悪いその言葉に、僕が首を傾げると横からアズサさんが小さく身を乗り出す。
「まだここが『枯山水』と名が付く前、私らはここで働いてくれる遊女を探して旅をしてたんだ」
「あ、それは少し聞きました。カンナさんが、自分みたいな堕ちかけの人を助けてくれる……みたいな風に」
「実際そんな綺麗な理由じゃないがなぁ。ほぼほぼ儂の好みで声を掛けてたんじゃが」
カンナさんから聞いたイイ話が瓦解した瞬間。
と思いきや、アズサさんがくすくす笑いながら割って入る。
「はは、そこはカンナの言うとおりで安心していいよ。じーちゃんは年甲斐もなく捻くれた性格でねぇ。この話をすると、いつもそういう風にはぐらかすんだよ。ま、スケベなのは事実だけどね」
「……ふん」
「そうですか」
そっぽを向いて咳払いするその姿は、ジロウさんの性格が素直ではないことを如実に示している。
「……んん、話を戻すぞ。儂らの旅が終わると同時に色々あって落ち着いてな。しばらくして遊郭『枯山水』が出来あがった。最初は今ほど派手じゃなくて、もうちっと地味だったがなぁ」
まるで思い出を振り返るようにジロウさんは天井を見上げしみじみとしながら顎をしゃくる。
その手が、不意に止まった。
「それから数年……ある日突然、西南側の門の外で一人の女の子が保護された」
「ユウキ……ですよね」
「そうさ。でも、そもそも西南側から人が来るってのは珍しいことでね」
「そういえば……僕がここに来た時も、似たようなこと言ってませんでした?」
初めて【森羅】に出向いた時も、街を案内してくれたコウマ君も、僕が西南の門から来たと告げたら珍しいと言っていた。
僕もここで生活を続けていて、人の出入りに用いられているのが東側の門だと知りはしたが、ただ利用頻度が低いだけの門を使ったとて、珍しいとまで言われるものなのだろうか。
「そっか……そういや、その辺は何も説明してなかったね」
「不思議だとは思わないか? 遊郭といったら、本来は貴族や武家の遊び場で、もっと目立つ都なんかに造るものだ。何もこんな僻地に造る理由はないじゃろう?」
「……確かに」
言われてみれば、遊郭とは本来はそういった大衆娯楽の場。
それなのに、ここ『枯山水』は周囲に山々と、残りは深い森林地帯。
まるでわざと人目を避けているかのような立地で、こんな場所に遊郭があったとしても、人づてに聞いても信じられないだろう。
「カンナの話を覚えてるかい? 堕ちかけの人を……って件さ。負い目のある人間ってのは脆くて弱い存在故に、追手や妙な輩に狙われることが多いのさ。そういう連中から隠れるためにも、この遊郭は逆に人目に付かないようになってるのさ。ちと本末転倒な気もしないがね」
「そういうことですか……」
「元々ここは砦の跡地でな。当時も東側の門を主に用いてたらしくて、西南側の門は逃走用の経路だったそうじゃよ。門を出てすぐに森林地帯ともなれば、追手を撒くのにうってつけだったのかもしれんな。そんな名残の所為か、東側の門は街道近くまで開拓されているが、西南側は何も手つかずの獣道状態じゃ」
「……まぁ、よっぽど道に迷ったかでもしない限り、西南側からは人が来ることはないのさ」
僕が生粋の迷子であると証明された瞬間である。
「だから、ユウキが流れ着いた時は驚いたもんさ。あの森の中を一人で進んでここまで辿り着いたってワケだからね。外傷はほとんどなかったけど酷く衰弱してて、もちろんアタシら全員で手厚く手当てしたんだよ。数日でどうにか喋れるくらいにまで回復はしたんだけど……」
「……アイツ、起きて早々何て言ったと思う?」
「……」
初めて会った時、最後に聞いたユウキの言葉が脳裏に過ぎる。
「自分を殺してほしい、ってな」
「…………」
「……驚かねえんだな?」
「僕も一度……言われてますから」
「アタシらも、その時手当てに手伝ってくれた他の遊女も、言葉が出なかったよ。中には恩知らずだって怒ったヤツもいたけど、他は皆気味悪がってね……」
「当然の反応だろうよ。手当てして、意識が戻ったら殺してくれだと言われれば誰だってそう思うさ。だが……儂は逆に気になった。どうして死にたいか……ってね」
「……」
同じだ。
僕も、どうして死にたいのかとユウキに問うた。
「……あれやこれやと聞いたが、結局その時は詳しい身の上は語らなかった。ただアイツは、儂らの前で見せたのさ。自分の身体のことをな」
二人の目の前で、ユウキは自分の腕を短刀で斬りつけて見せたという。
一文字に斬り裂かれた傷からは当然鮮血が滴り、そしてその傷は、見る見るうちに塞がっていった。
「当然驚いたが……ひとつ、思い当たる節があってな。儂は思い切ってある事を尋ねたんだ。……ところで、ユウキの左眼を見たか?」
「え……? え、えぇ。何だか、濃い夕焼けみたいな色の……」
「視た人間の過去や未来を視ることの出来る異能の瞳……そんな伝承が残る秘境がここから西に在ってな。もう遠の昔に滅んだという話だと聞いていたのだが……調べてみたら、僅かばかりの生き残りが細々と暮らしていたらしい」
「じゃあ、ユウキはその秘境の……」
「最後の生き残り、じゃな」
「……!」
当時、既に足が満足に動かせなくなったジロウさんはアズサさんや他の人伝に、秘境についての調査を進めていた。
ユウキが目を覚まして数日後、雇っていた調査員が崩壊した秘境の跡地を発見し、これをジロウさんに報告したそうだ。
「内戦……か、もしくは襲撃か。詳細は不明だが派手に戦闘した跡が見受けられたそうだ。女子供も見境なく、あちこち死体だらけだったそうだ。ただ、ごく一部の兵士の死体が点々と位置を変えて転がっていたそうだ。その方角にまっすぐ線を伸ばすとここに繋がった」
「じゃあ……ユウキは、その秘境から逃げて、ここに辿り着いたってことですか?」
「ああ。儂も確認がてらに尋ねて、アイツもそれは認めた。自分はその秘境の巫女で、異能の瞳を受け継いだ者だってな。ただ……」
それ以上は何も教えてくれなかった、とジロウさんが続ける。
やがて、追求するのも野暮だと思ったジロウさんは以降その話をするのを止めて、未来の話を彼女に持ちかけるようになった。
具体的に言えば、ここで生活すればいいと。
最初のうちはこの家で普通に暮らして、元気になったら何か適当な仕事でも見繕って、無難な生活を送れればいいと思っていた。当初は、遊女にしようとは思っていなかったそうだ。
では、何故ユウキが遊女として【花】にいるのか。
きっかけは、彼女自らの志願だったとジロウさんは語る。
「寝耳に水、正しく突然だ。突然アイツから遊女になりたいと言い出した。儂もアズサも目を丸くして、どういう心境の変化かって聞いたが結局何も言いやしない。真剣に悩んだ結果、儂もアズサもそれを了承して、衣装や化粧の手解きなんかを教えてやったんじゃ」
「あのコ……なかなかどうして、化粧をして着飾るととんでもない美少女になるんだよ」
「そッ、そうなん……ですか」
わざわざ耳打ちで教えてくれなくてもいいのに。
おかげで真面目な話の途中なのに一瞬想像してしまって、そんな場違いな妄想を慌ててかき消す。
「最初は【鳥】屋に入れたんだ。作法とか言葉もバッチリだったんだけどね……その初日にアイツはやらかしたんだ」
「……あ、それって」
「察しの通りさ。ずっと前に説明した見せしめって話がこれに直結するんだ。あろうことか、ユウキは初日に客と揉めて傷害沙汰にまで発展したのさ」
「な……!」
客をもてなす側のユウキが客をからかって、挙句に逆上させてしまって大騒ぎ。
その全ての非がユウキ側にあり、アズサさんを始めとした責任者側にまで波紋は広がり、謝罪や慰謝料だけでは収まりが付かないほどに事態は苛烈に。
「……ユウキは【花】屋に移動して、化粧や着飾ることも許されない最底辺の遊女に落ちた。アタシらも、遊女の手解きをしてくれた先輩遊女も驚いて、落胆したよ」
「…………」
「その後、しばらくの間は噂を聞きつけてユウキを指名する風変わりもいたんだよ。だけど、不思議なことにそういう連中相手には大人しかったそうだ。普通に酒を楽しみ、普通に花札やら何やらで遊んだとさ」
「……わざと、ですよね?」
「アタシもそう思うよ。ただ、どうしてそうしたか……チヒロ、お前さんならもしかして分かるんじゃないかい?」
「……」
二人の視線がまっすぐ僕へと突き刺さり、僕は言葉に詰まる。
はっきりと分かるわけではないにしろ、それとなくの見当はつく。
ユウキが求めている人は、人を殺めた経験のあるの人間。
自分を殺してくれるかもしれない人間。
「……まぁ、結局はそれっきりでユウキを指名する人間はぱったりと減った。その頃からアイツはロクに飯も食わないで痩せ細って、今に至るんだがね」
「……ところで、どうして僕にそんな話をしてくれるんですか? その、僕は」
「あぁ、それか。アズサが儂に言ったんだ。ユウキを救ってくれるかもしれない男が来た、ってな」
「え……!?」
咄嗟に弾くような勢いでアズサさんに視線を送ると、彼女は小さく肩をすくめた。女だったけどね、みないなニュアンスだろう。
「アタシ達は、あの時から今までずっとあの子を助けてあげたいと思ってる。色々と手を尽くしてるけど、今じゃじーちゃんも満足に動けないし、アタシはアタシで『枯山水』の支配人って立場。他の遊女を預かる以上、個人の私情を持ち込むわけには……というより、ここ最近持ち込む余裕がなくなってるのさ。だから……と、言い訳がましいけど、チヒロに頼んでみたらどうかなってアタシがじーちゃんに相談したのさ。チヒロは……あのコを見て、どう思った?」
「どう……って」
初めて見たあの瞬間。
初めて声を掛けたあの瞬間。
衝撃に胸を打たれ、涙をこぼし、僕は何を思ったか。
純粋な好奇の意思、半信半疑の慕情、傷ついたユウキを守ってあげたい、側にいてあげたいという身勝手な庇護の欲。
それは“恋”という一文字では到底収まらりそうにない数多の感情。
口に出そうとして、しかし、絡まった糸のように複雑なこの感情をどう言葉に表せばいいのか分からず、ただただアズサさんを見返すばかりしか出来ない。
「……アタシは、チヒロになら任せていいと思ってる。じーちゃんは?」
「条件が一つ、だな」
「……条件?」
渋ったような声でジロウさんが呟く。
「アズサはともかく、儂はまだ完全に信用したわけじゃないからな。お前さん、アズサにまだ話していないコトがあるじゃろう?」
「……」
湯気の失せた湯呑を机の上に置き、ジロウさんは淀みのない視線を僕へと突き刺している。
その目に映った僕の表情が揺れる。
隠し事をしている人間相手に、全幅の信頼を寄せろというのはどだい無理な話。
「……わかりました。少し長くなりますけど……いい、ですか」
ジロウさんの無言の首肯。
今まで誰にだって話していない、僕が今日まで旅を続けてきた理由を話す時が来た。
全て話し終わったら、二人に何と思われるだろうか。
恐いけど、いつまでも胸の内に抱え続けるのも苦しい。
「旅に出たきっかけは四年前。……故郷が襲撃を受け、僕以外の人間が皆殺しにされた日まで遡ります」




