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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第三章
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『鎖ノ姫』  第三章 「2」

 三日後、既に暦は霜月。

 僕の風邪は既に快方に向かったのに、番傘の穴から覗く曇天からは、あの日から変わらず雨模様。

 ここ『枯山水』が山々に囲まれている所為だろうか、空から降り注ぐ雨粒は氷の飛礫かのように冷たく、自警団の羽織を重ね着しないと、治りかけの風邪がぶり返してしまいそうな気がする。

 もしかしたら、来月辺りには雪が降るのかもしれない。

 雪が降ったら、ユウキは……きっと、寒いに決まっている。

 今度は僕が甘酒を差し入れしてあげようか。

 そんな物思いに耽りながら、僕はアズサさんとの約束の前に一度【森羅】に寄り道していた。ハガネさんに頼まれて、自警団の定期報告書を提出しに来たのだ。どうもハガネさんは別件で街の外へと出ていくとのことで、代わりに僕が頼まれたのである。どうせこの後もアズサさんと会う予定だし好都合だろうと僕も快諾した。

 番傘を閉じ、普段そうしているように守衛の人に挨拶。

 既にお互いに顔見知りなので、軽い世間話を挟んでから事務室へ。

 こちらも既に何度も通っているので場所は把握している。三階へ上って扉の前に立つと、アズサさんの声が聞こえた。


「……?」


 その声音が、少々穏やかではないことに気づき、失礼ながら僕は扉の側でそっと聞き耳を立てる。どうも、アズサさんと誰かと口論しているらしい。


「……何度も言ってるだろう? アタシにもそのつもりはないって」

「んな勿体ないコト言いなさんな。街の活気も経済も潤って一石二鳥。いや、やり方次第じゃもっと利益になる。悪い話じゃないんだ。それこそ、ウチらに任せてくれればさ」

「アンタもしつこいね……今日は他に予定があるんだ、そろそろお引き取り願おうか」

「確かな勝算もあるのに、じーさん共々お堅いヒトやねぇ……ま、ウチは諦めませんので。そのつもりで」

「オウギさんの声……?」


 足音が聞こえたので、僕は慌てて数歩ほど後ずさる。

 ややあってから、オウギさんが現れ後ろ手に扉を閉める。

 僕に気づくと、狐のような細い眼を曲げてニッと笑んで見せた。


「……おや? チヒロくんじゃないの」

「ど、どうも」

「ははーん? もしかして盗み聞いてた? チヒロくんもやらしいねぇ。『金色神楽』と寝てから色々と吹っ切れちゃったかい?」

「た、たまたまですよ。っていうか、カンナさんとは」

「はは、まだまだ初心だねぇチヒロくん」


 街で噂になっていれば、当然ながら商人の耳にも噂は届くというわけで。

 既にこの話はオウギさんの耳にも及んでいたようだが、他の男の人からは羨ましいだの妬ましいだの言われるのに、オウギさんはそういうことを一切口にしない。初めて見た時と同じで、飄々とした姿勢のまま僕の横腹を小脇で突いてくる。


「アズサさんと、何のお話してたんですか?」

「んー、まぁ色々とね。ウチにも街にも、双方のためになる商売のお話よ。しかしま、支配人殿は二人ともまだまだ納得してくれなくてね。話は八方塞状態さ」

「ふぅん……?」


 商売の話、となってしまうと一介の旅人である僕ではどうこう言う理由も権利もないし、そもそもよく分からない。

 僕がそうやって首を傾げていると、やがてオウギさんは小さく唸りながら顎に手を当て、何か思案しているような風で僕をしげしげと見つめてきた。


「……? 何です?」

「いやなに、用心棒の君からも口添えもらえたら、どうやろなぁと思ってな」

「僕が? いやいや、素人の見解なんかじゃ意味無いですよ」

「もちろん、タダとは言わないさ。この遊郭で、とびきりオモシロイ遊女と遊ぶ権利を与えよう! ……なんて、言ったらどうだい?」

「とびきり、オモシロイ遊女……?」


 どういう意味のオモシロイなのか見当がつかず、僕が怪訝な顔をしているとオウギさんはけらけら笑いながら僕の肩を叩いた。


「はっはは、オモシロイよあのコは。そうだな……機会があればチヒロくんにもお披露目しようじゃないか。じゃ、ウチは仕事に戻るから、またな」

「はぁ……では、また」


 何故か上機嫌なオウギさんは鼻歌を混ぜながら僕の側を通って階下へ向かっていく。

 そんな後ろ姿が何となく可笑しくて、ちょっと失礼とは思いながらも僕はクスッと微笑する。


「何ていうか……変わったヒトだよね」


 さて、僕は僕でアズサさんに色々と用がある。

 気を取り直し、僕は扉の前でアズサさんの名前を呼んだ。


「……あぁ、どうぞ」


 して、部屋に入ると頬杖をついて溜息を漏らすアズサさんの姿。

 上機嫌で出て行ったオウギさんとは対照的に、アズサさんは額に手を当て心底疲れたような顔をしている。


「あぁチヒロかい。もうそんな時間……って、どうしてここに?」

「ハガネさんに頼まれて報告書を。今日はこの後話をするって約束もしてましたから、都合がいいからって引き受けました。……どうかしたんですか?」

「いーや、何でもない。チヒロには関係の無い話さ。さて、少し片付けをするから、外で待ってておくれ」


 そう言われては長居するわけにもいかず、僕は素直に部屋を出て【森羅】の入口まで戻る。

 数分と経った頃、アズサさんと合流すると、僕たちは【月】の裏路地の方へと向かって歩き出す。そういえば、こうやってアズサさんと二人で動くのは初めてだ。


「あぁ、アズサさん!」

「今日も一段と麗しゅうございます」

「そういうのはいいって、いつも言ってるだろう?」


 路地に入る前、老若男女問わず様々な人がアズサさんへと声を掛け、或いはアズサさん自らも掛けていく。

 この『枯山水』の支配人であり、そして実質的な街のまとめ役として、アズサさんは相当な人望に恵まれているのが窺い知れる。美人で、気立ても良く、仕事も出来る。完璧な女性だ。


「この街はいい街だよ」


 不意に、アズサさんがそんな言葉を口にする。


「元々はアタシのじーちゃ……おほん。祖父が開拓して創った街なんだ。遊郭の設計や思想、その周りの街も含めてね」

「へぇ……アズサさんのおじいちゃん、ですか」


 そういえば、前にカンナさんとのお話の時に耳にしたのを覚えている。

 あの時の話や今の話からすると、アズサさんの祖父は隠居しているということだろうか。


「イイ歳のくせして、未だにここの遊女と飲んだくれるロクデナシだけど……まぁ、創設者としては尊敬してるよ。とはいえ、寄る波には敵わなくてね、今はアタシが引き継いで支配人をやってるってワケ」

「じゃあ、ご両親とかは……?」

「両親の顔は知らない。アタシは物心ついた時から、じーちゃんと一緒だったからね。だから、アタシしかいないのさ」

「……その、すみません」

「チヒロが謝る理由なんて何処にもないさ。元々知らない人間だし、アタシも気が付いたら興味も失せていたからね。じーちゃんとアタシだけが家族さ」


 胸を張ってそう言うアズサさんの背中が、僕なんかよりもずっと大きい気がして、だけど、何処となく哀愁を思わせるような気もして不思議な感覚だった。


「アズサさんは……ご結婚とか、なさらないんですか?」

「さぁねぇ……? 今はこの仕事が楽しいし忙しいしで、そんな戯言言ってるヒマはないかね。そもそも、肝心の相手がいないさ」


 そんな話をしながら、やがて裏路地を越えてあの一軒家が見えてきた。

 市街地の家々とさほど変わらない小さな一軒家は、祖父との二人暮らしにはちょうどいいのだろう。小さな庭に小さな縁側、入り口には階段とは別にちょっとした坂道。お年を召しているからだろう。足腰の弱い祖父への配慮と思われる。


「じーちゃん、帰ったよー」


 結局、最初の一言以外は全部「じーちゃん」に戻っていて、アズサさんが相当なおじいちゃんっ子なのが見て知れた。まぁ、祖父とずっと二人で暮していればそうもなるか。

 意外な一面を垣間見つつ、僕は玄関で履き物を脱いで上がろうとして――ふと、視線が脇に反れる。


「……ここも坂道?」

「あぁ、じーちゃんは足腰が弱いからさ」

「ふぅん……」


 改めてアズサさんの家にお邪魔して、小さな廊下を二人で歩いていく。

 やがて見えてきたのは小さな居間と、同じく小さな台所。


「その辺で適当にくつろいでてよ。今お茶を用意するからさ」

「や、そんなお気遣いは」

「いいからいいから」


 狭過ぎず広過ぎずの居間の中央には小さな丸机があり、当然座布団は二枚。

 ほんのりと部屋が暖かいのは、西側の隅にある火鉢の温もり。

 掛け軸やそういった部屋を装飾する物が少なく、全体的に質素で簡潔な印象。何処かで覚えがあるなと思ったら、【森羅】の事務室と雰囲気がよく似ている。やはりアズサさんの性格なのだろうか。無駄なモノを置きたがらないのかもしれない。


「……ちょっと、落ち着くかも」


 腰を落ち着けるよりも先に何となく足が動いてしまって、僕はそのまま縁側の方へ向かっていく。

 小ぢんまりとした庭にはささやかな家庭菜園、すぐそばからは水路のせせらぎが聞こえてきてくる。

 この言い知れぬ癒しの空気は何だろうか。

 ここで日向ぼっこを始めたらあっという間に一日を終えてしまいそうだ。


「ほう、こりゃまた貧相な身体の女を連れて来たな」

「……ひぁッ!?」


 あまりにも唐突に、ぽふ、と僕のお尻を揉みしだく感触が襲い掛かり、全身に悪寒が奔ると同時に思わず悲鳴じみた声を上げて庭の方へ蛙のように飛び込む。

 何事かと振り返ってみると、今の今まで僕が立っていた場所に、車輪の付いた椅子に座った老人の姿があった。その手の平はちょうど、僕のお尻のあった場所辺りでわきわきしている。


「い、いい、何時の間に……!?」


 一切の気配も感じさせず背後を取られた僕としては心臓がバクバクと脈打っている。老人に背後を取られただなんて、一生の不覚。そんな言葉を本当に連想するとは思っても見なかった。


「身のこなしが遊女のソレじゃないの……何処かの武家の娘か? 凄い逸材じゃな。しかし胸が板っきれより薄いのはいただけんなぁ……」

「あ、じーちゃんそっちにいたの? その人はチヒロって言って女の子じゃないよ。ほら、前に話した用心棒の旅人さんだよ」


 騒ぎを聞いて駆けつけてくれたアズサさんの姿が見え、安堵し掛けたのもつかの間。

 車椅子の老人は僕を見ながら大きく首を傾げる。


「はぁ? 旅人ってのは男じゃろ?」

「おいおい、ボケるのは止しとくれよ。チヒロは立派な」

「アズサよ、コイツは女じゃ。長年女の尻を触ってるから儂は誤魔化されんぞ。やけに筋肉質だが、そいつは正真正銘女じゃよ」

「ははッ! 昼間っから酒でも飲んだかいじーちゃん。久しぶりのお客さんだからってからかうのはその辺にしといておくれ。なぁ、チヒロからもそう言って…………? チヒロ?」

「………………そ、その」

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