『鎖ノ姫』 第三章 「1」
目の前に、ヒトの形をした赤く揺らめく影。
鞘から引き抜いた打刀を握りしめ、僕は人影に向かって一目散に突っ走る。
総勢、十一名。
手前側、二人の人影が荒れた靴音に反応して振り返る。
素早く地面を蹴飛ばす、加速した身体を捻る、白刃の一閃。
赤い人影の首が一つ、中空へと撥ねる。
間欠泉のように噴き出す飛沫。
残ったもう一人は既に片足を退いていて、何か呻き声のような声を漏らしている。
何を言っているのかは、分からない。
そもそも、何を言っていようが気に留める必要はない。
そんな価値もない、相手だから。
汚い血に濡れた視界の中、ただ相手を見据えて、姿勢を低く、駆け出すと同時に刃を水平に。
怯え竦んだ故の、鬱陶しいやぶれかぶれの斬撃。
二度三度と刃がぶつかり合い、火花が弾け、赤い影は勢いに押されじりじりと壁際へ追いやられていく。
人影の顔は見えない。
見えないのに、その歪んだ輪郭は恐怖しているということをハッキリと伝えてくる。
右脚を踏み込む、すくい上げるように斬り上げる。
赤い人影の持っていた刀が弾かれて明後日の方向へ。
間髪いれず、一度引かせた刃を真っ直ぐ胸元へ突き立てる。
刃が貫いたとて、まだ絶命に至らない。
柄まで押し込んだ後、鳩尾を蹴って強引に刀を引き抜く。
ビク、と痙攣した人影には目もくれず、そのまま血に塗れた刀を掴んだまま奥へと進んでいく。
やらなきゃいけないことがある。
そのために、此処にいる。
気配が動く。
姿が見える。
一足で跳ぶ。
完全に不意を突かれ、一人があっさりと絶命する。
突拍子もない襲撃を受けた所為か、統率というモノは既に霧散している。
烏合の衆と化した連中を一人、一人、また一人と斬る、貫く、裂く。
怒号は、やがて悲鳴に。
悲鳴は、やがて懇願に。
なおも一人、一人、斬っていく。
掌に伝う、それは刃が肉を斬り裂く感触。
刃が骨に邪魔される抵抗感。
引き抜いた刃、ヒトの脂が滴る切っ先、醜悪な匂い。
バラバラになって転がる、さっきまで人間だったモノ。
窮屈な鉱山の中、鉄とは似て非なる鉄臭さだけが充満していく。
誰もいなくなったその中で。
何も聞こえなくなったその中で。
振り返る。
紅色に染まった外套。
柄で揺れる、汚れたお守り。
あぁ、そうだ。
あの時、確かに。
僕は笑ったんだ。
笑って――、
「うわああああああああああ!?」
※
「ひゃあん!?」
「あ…………あ、れ?」
側から聞こえてきた小さな悲鳴で意識が目覚め、気が付くと僕は布団の中にいた。
何故か目元がぼんやりと熱を帯びていて、そして何故か全身が重たくて、だるくて、どうも自分の思い通りに動かし辛い。
鈍い反応の首を右に動かしてみると、そこにコスズさんの姿があった。悲鳴の正体は彼女らしく、何だか驚いたような顔を浮かべてこちらを見ている。
「び、びっくりした……! チヒロさん、うなされてましたけど……大丈夫ですか? 嫌な夢でも見てました……?」
「こ、コスズ……さん? うなされ……? って、いうか、何で僕……布団に……あ、わ?」
身体を起こそうとしたものの、思うように力が入らなくて、結局枕に逆戻り。乱れた掛け布団をコスズさんが直してくれる。
「あぁ、ダメですよ。熱でフラフラしてたんですから、すぐには」
「ね、熱……?」
言われて、僕の額に濡れた手拭いが張り付いていることに気づく。
コスズちゃんは僕の額から手拭いを剥がすと、側に置いてあった桶の水に浸して、絞って、また僕の額に乗せてくれた。冷たい感触が眠気を何処かに飛ばしてくれるのだが、肝心の記憶の方はまだおぼろげで上手く思い出せない。
「えっ、と……」
「風邪だと思います。なのに、コウマったらとんでもなく大袈裟で、朝っぱらから大騒ぎだったんですよ。チヒロさんが倒れた! 医者を呼んでくれ~、って。時間が時間だったからお医者さんは呼べなかったけど、代わりに私とお母さんとで見に来たら」
「何て事の無い……ただの風邪だった、と?」
「一応後でお医者さんも呼んでありますけど……お母さんも間違いなく風邪だって言ってました」
「……面目ないです」
「色々お仕事とかの疲れが溜まっちゃったのかもですね。じゃ、私そろそろお店に戻りますけど……後でまた、お粥とか持ってきますね」
ちょん、と小さな会釈をしてコスズさんは僕の部屋を後にする。
部屋に僕一人だけになってから思考回路だけが独り歩きして、昨夜のコトを色々と思い出す。
「……あー」
仕事の途中で、カンナさんに誘われて、僕が女とバレたこと。
その帰り道に、用水路で身体を洗うユウキと出会って、話をしたこと。
「ユウキ……」
思い出していく記憶の末端に彼女の姿を見つける。
あの後、ユウキはさも何事もなかったかのように僕から身体を離すと、びしょ濡れのぼろ布を適当に絞って縁へ上がった。
遊郭の用心棒の仕事を引き受けている以上、遊女の身の安全を守るのは僕の使命。
慌ててその後ろ姿を追いかけて、でも、何故か僕はユウキの隣を歩けなくて、彼女の斜め後ろを、ずぶ濡れのまま追いかける。……風邪の原因はこれだろう。
【花】の小屋へ戻り、水をぽたぽたと滴らせながら定位置に座り込んで、それっきり。
何を言わず、何も言えず。
そのまま僕は『枯山水』の門を後にして、詰所で僕用にと宛がわれたこの部屋に戻った。
そして普段通りに着替えて、コウマ君と出くわしたところで――限界に達してしまっったわけだ。
……そういえば、コウマ君の絶叫がやけに頭に響いていたのを思い出した。
「しかし、風邪とは情けないなぁ……」
一人になった途端、誰にも聞かれていないと分かったからこそ、漏れてくるのが独り言というわけで。
寝起きの時よりかは動くようになった身体をどうにか動かして、僕は南側に面している小窓を開く。
「……雨」
ここ『枯山水』に来て、初めての雨。
旅の途中で、何度も雨降りの日を迎えたことがある。
雨は嫌いではないけれど、特別好きでもない。
俳句ともなれば季語にもなって風情もあるけど、水溜りの上を歩けば泥も跳ねるし滑るし、何より不便もある。
田畑を潤す天の恵みともなれば、僕のように、嫌な記憶を連想させるときもある。
あの日だって……
トン、トントントン――
「ああ!! チヒロさん!? もう起きてて大丈夫なんですか!?」
「うわ、わッ! こ、コウマ君……?」
ピシャン! と勢いよく戸が開いたかと思えば、凄い血相のコウマ君が現れる。何故かその手にはネギやらミカンやらを抱えている。
「まだフラつくけど……まぁ、大丈夫かな」
「よ、よかった……オレ、マジびっくりしたんすよ!? 朝会った瞬間に、おはようも無しにいきなりぶっ倒れて……心配で心配んでッ!?」
「おい、病人の前で大声を出すんじゃない」
「あ、ハガネさん」
その後ろからハガネさんがのっそりと現れ、ネギやらミカンやらが畳の上で大運動会。
ご丁寧に全部を拾い上げてから、ハガネさんはそれらを抱えたままどっかと胡坐をかく。何というか、近くで見ると迫力がある。
「驚いたぞ。朝、コウマが豆鉄砲食らったような顔で走り回ってて何事かと思ったら」
「す、すみません……」
「まぁ、今日明日の仕事はしょうがないだろう。ゆっくり養生して、それからたっぷりと質問攻めに遭ってもらうんだからな」
「……? 質問、攻め?」
「そうっす!!」
何の質問をと問いかけようとしたところでコウマ君が復活して、鬼気迫る表情で僕に肉薄。
「聞いたっすよ! 昨日、チヒロさんが『金色神楽』と一緒に【月】屋に行ったって話!」
「…………あー」
しかも仕事中に、である。
恐る恐るとハガネさんの方へ首を動かすと、ほんの少し口の端が上がっているような。お前も男なんだなぁ、みたいなニュアンスだろうか。いや、僕は女なんだけど。
「まぁ……俺は特にあれやこれとは言わんがね。まぁ、他の隊員や一部の遊女の耳にも行っててな。復帰したら、根掘り葉掘り聞かれるかもしれんな」
「詳しい話、俺も絶対聞かせてもらいますからね! だから早く元気になって、仕事に戻ってくださいね!」
「あぁ……はは。うん、善処するよ」
ハガネさんからネギとミカンとを受け取ると、二人は僕の部屋を出ていく。
再度一人になると、不意に身体に悪寒が奔って僕はそそくさと布団に戻る。
「……ってことは、つまり」
既にカンナさんとの逢瀬はこの『枯山水』中の噂になっている、というコトである。
何だか急に恥ずかしくなって、僕は布団に潜り込むと頭の上まで掛け布団を被った。
※
お見舞いで騒がしかった午前中も過ぎ、午後は医者の診察を受けて薬を処方してもらったり、コスズさんのお粥を食べたりと養生に徹した。
そうこうしているうちに夜も更けてきて、本を読むために部屋の明かりを灯そうとした時だった。
「……チヒロ、今いいかい?」
ふと、戸の向こうからアズサさんの声が聞こえた。
予想外の訪問者に驚きつつ「はい、どうぞ」と短く僕が返事をすると、いつもの紅色の羽織姿のアズサさんが顔を見せた。
「や、具合はどうだい?」
「アズサさん? あの、お仕事の方は」
「あぁ、仕事の方は気にしなさんな。ひと段落して手が空いてから来たからね。むしろ、こんな時間で私の方が申し訳ないよ」
「いや、そんな」
「……にしても、風邪を拗らせるまでカンナと何をやってたんだい?」
お忙しい中、わざわざ見舞いに来た理由はそれか。
というか、部屋に入った時からアズサさんは僕をにやにやしながら見ていたので、何となくそういうコトを言われるんじゃないかなぁと思っていたら案の定である。
「そ、そうじゃなくてですね……」
「しかも用心棒の仕事の最中に逢引とは、顔に似合わずなかなか肝が据わってるじゃないか」
「そ、それは……その、すみません……」
「んなコトはどうでもいいんだよ。で、カンナと過ごした夜はどうだった? アイツなかなか乳がデカくて、あと背中が弱点でね……」
美人な顔してるのにスケベなオッサンみたいな発言に僕は僕でただただ苦笑して頬が引きつる。
そりゃまあ、実際大きかったけど。
というか、何故アズサさんがカンナさんの弱点まで知っているんだろう。
「あぁ、と。アタシとしたことが。せっかく用意してきたモノを下に置いてきちまったか。ちょっと待ってな」
「はぁ……?」
用意したモノ?
部屋に来たばかりだというのに、アズサさんはそそくさと部屋を出て、かと思えばヤカンと湯呑を二つ持って戻ってきた。
薬湯、だろうか。
何だか覚えのある匂いが鼻を突っついてくる。湯呑を手渡され、ヤカンからは乳白色の液体が注がれていく。
「……甘酒?」
「風邪を引いた時はコレよ。まぁ、単純にアタシの大好物でもあるんだけどさ」
湯気の立つ甘酒の芳醇な香り。
一口付けようとして、あまりの熱さに舌を火傷しそうになるも、ふうふうと息を吹きかけて冷ましつつちびちびと飲んでいく。砂糖の甘さとは違う、少々癖のある麹由来のやわらかな甘み。熱と甘みが僕の胃の腑に染み込んでいって、何となく元気になったような気さえしてくる。
「美味しいですね……」
「で、カンナとはどうだったのよ?」
「まだ聞きますか……」
「当然。それを聞くために見舞いに来たようなもんだしね」
「……」
この短い沈黙は、アズサさんの野次馬根性に呆れたから、ではなくて。
言うなればこれは、小さな逡巡。
この機会に、もう一度ユウキのことを尋ねようかと悩んだから。
「……?」
不思議そうなアズサさんの表情。
手にしていた湯呑が、ぴた、と止まり、アズサさんは僕の顔を心配そうに覗きこんでくる。
「何かあったのかい?」
「……その」
悩んだ末、僕はアズサさんに昨日のことを話すことにした。
カンナさんとのことはもちろん、ユウキのことも。
自分が女だということは……この時は言い出せなかった。
「……そうしたら言ったんです彼女。自分には、人と鬼の血が流れてる……って」
「……!」
その瞬間、アズサさんの表情に不穏な色がサッと浮かび上がる。
まだ甘酒の残っている湯呑をゆっくりと畳の上に置いて、彼女は顎に指を当てながら、僕をじっと見つめた。
「…………チヒロ、そういえばお前さんユウキに気があるみたいだったね」
「え、それは……あの」
呆れたような溜息を一つこぼすと、不意にアズサさんは僕の胸を指でつつく。
「まったく……いい加減認めちまいなっての。もうお前さんの胸の真ん中にはユウキが居るんだよ。想う人がここにいるってこと、人はこれを恋って言うんだよ」
「こ、ここ、恋って……そ、そんな」
自分には縁遠いと思っていた言葉に全身から火が迸りそうな心地であたふたしていると、僕の胸を突いていた指先が急に広がって胸ぐらを強引に掴まれる。
猛禽類のように鋭いアズサさんの眼差しが、僕の眼前に迫る。
「……本気だね?」
「え、えっ……?」
「その気持ちが本気かどうかって聞いてるんだ。答えは二つに一つ。否か、応かだ」
返答次第ではこの場で殺されてしまいそうな、そんな凄まじい眼力と迫力に僕は思わず生唾を飲み込む。
アズサさんの言葉の真意は分からない。
ただ、何となく分かるのは、彼女は今僕を試しているということ。
ユウキへのこの気持ちが、ただの興味本位や好奇心か、庇護の気持ちか気まぐれなのか、それとも、アズサさんの言うとおり正真正銘の恋心なのかどうか。
正直、まだ自分でもよく分かっていない。
だからこそ、僕は意を決した。
「ほ……本気、です」
「二言はないね。ちと不安がないわけでもないけど……いいだろう」
そう言うと、僕を掴んでいた手が離れ、アズサさんの表情がフッと柔らかくほぐれる。
畳の上に置きっぱなしだった甘酒をグッと飲み干して片付けを済ませると、アズサさんは立ち上がり部屋を出ようとして、止まる。
「……三日後、アタシの家に来な。ユウキの秘密、話してやるよ」




