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鎖ノ姫  作者: 夜斗
第二章
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『鎖ノ姫』  第二章 「4」

 熱々の湯気が立ちこめる浴場。

 曇った鏡を手で拭いて映ったのは、見慣れ過ぎて興味関心の失せた自分の身体。

 肩まで届かない短い黒髪、アズサさんに線の細い顔と評された輪郭、肉付きもほどほどで、一見すると男とも女とも見える中性的な顔立ち。

 背丈はお世辞にも高いとは言えないがかと言えば低いわけでもなく。

 剣術の稽古や道中の荒事で否応なしに引き締まった手足。

 そして誠に残念ながら、胸板はどの遊女と比べても未来永劫決して勝ることはないだろ板っきれのように薄っぺら。元々着痩せする体質も相まって、いざ服を着てしまえばたちまち霧散してしまう僕の女性としてのらしさ。これでは色香も何もへったくれもない。


「…………はぁ」


 僕があともう三人は入れそうなほど大きな檜の湯船の中。

 ふとして漏れたのは、身体の疲れがほぐれて出た吐息ではなく、溜息。


「油断したな……」


 ここがどういう場所で、遊女というものがどういう人なのかを完全に失念してしまっていた。

 よくよく考えてみれば、ただの世間話のつもりならわざわざ【月】まで出向かず、あのまま用水路の縁で話していればいいのに。カンナさんに上手いこと誘導されてしまって、そしてこの様である。


「二ヶ月くらいなら、普通に隠し通せると思ってたのに……」


 実際、普段旅をしている時の僕は基本的に“男”で通していて、女と知っている人は実質身内だけ。


 コンコン。


「……?」


 磨りガラスの戸から音が聞こえて顔を上げた瞬間、ガラガラッ、と小気味のいい音を立てて開き、その向こうから前だけをタオルで隠したカンナさんが現れる。


「え、ちょ、わああああ!?」

「もう……女同士なのに大きな声出さないで」


 流石遊郭『枯山水』における最上級の遊女。

 一糸纏わぬ彼女のプロポーションの凄さと言ったらない。

 布越しに大きく膨らんだ胸元、腕で抱えるようにしている所為で持ち上がって、ふっくらとした谷間が見え隠れしていて、一歩足を動かすだけで、たゆん、といやらしい効果音さえ聞こえてきそうなほどの暴力的とさえ言ってもいいほどの色気。

 化粧を落としているだろうにキメ細やかな素肌は瑞々しい輝きと潤いに満ち溢れていて、同じ女性でありながら目のやり場に困ってしまう。

 何ていうか、僕とは別次元の生き物のように見える。

 ふと視線が落ちて、難なく床まで届いて、涙さえ浮かんできた。


「す、すみません……その、普段お風呂に入ることもないし、入ったとしても、基本一人ですので……」

「なるほどね……つまりは、チヒロもワケありの旅人さんだったってワケだ」


 気が付けば僕の名前から“様”が消えている。……や、まぁ、それはいいんだケド。

 カンナさんは慣れた風に桶で湯をすくって身体に浴びせる。水も滴るイイ女、なんて陳腐な一言で表せるような美貌ではない。湯浴みをするためだけに、わざわざ天から舞い降りてきた天女と言うべきか。そのままごく自然に僕の側にゆっくりと浸かると、色っぽい吐息が聞こえてきた。


「ぼ、ぼぼ、僕そろそろ出ま」

「だーかーら。女同士なんだからいいじゃないの」

「いや、あの」

「ダメ、私がイイっていうまで出させない」

「……わ、わかりました」


 何を言っても引き止められそうなカンナさんの剣幕に負け、僕は浮きかけた腰を湯船に戻す。至近距離で触れ合う裸体。僕の視線は虚空を彷徨って天井へと辿り着く。


「色々、聞いてもいい?」

「……どうぞ」


 僕とカンナさんの背中がぶつかって、湯船の湯が、ちゃぷ、と揺れる。

 この状況下、僕に拒否権は無い。


「どうして、男のフリをしてたの?」

「…………それは」


 僕が旅をする理由にも繋がっている。


「……お、男って言っておいた方が色々と便利なんですよ。旅の途中で路銀を稼ぐのに、女の剣士じゃ信用されないから、男だって偽って、それで」


 完全な嘘ではないが、かと言えば、完璧な真実でもないその言葉。

 背中合わせのおかげで、僕の表情がカンナさんに見えていないのが救いだ。


「ふーん……そ。まぁ、確かに女の剣士よりかは男の剣士の方が信用は得られそうだね」

「まぁ……そんな感じです」

「じゃ、何でそうまでして旅をしてるの?」

「…………」


 旅の理由を尋ねられることは多かったが、僕はその都度適当なウソをついて誤魔化していた。

 出稼ぎ、帰郷、武者修行。

 僕の口から出た嘘は、大体はその場しのぎの真実になってくれる。

 今までそうやって誤魔化してきたのだから、今日だって同じように嘘をついて誤魔化す。


「…………」


 つもりだったのに、何故か今はその言葉が喉の奥で突っかかって出てこない。


「私も大概だけど……その様子じゃ、チヒロも普通じゃないみたいね。話し辛い様なコトなら、別に今は無理に聞かないけど……なら、先に私の話をしてあげる。さっき言いそびれちゃったからね。実は私は……異邦人の娘なの」

「え……?」


 思わず首だけ振り返って、湯船の中で小さな波が揺れる。

 カンナさんは自分の白金色の髪を指の隙間に滑らせ弄ぶように示す。


「この白金色の髪がその証拠。私の母親は偶然浜辺に流れ着いた異邦人で、父親は小さな港町の漁師。私の父親は人魚を娶った大バカ者、みたいに町で有名だったのよ」

「人魚って……」

「白金色の髪、目を覚ませば群青色の瞳。父親の話じゃ、それはもう大騒ぎだったそうよ。もちろんホンモノの人魚じゃないわよ? 言葉も最初は通じなくて大変だったらしいけど、私の父は懸命に話しかけて意思疎通しようと努力して、母はそんな姿に心奪われたって、毎晩のように惚気話を聞かされてたわ」

「……」


 幸せかどうかと言えば、幸せだったとカンナさんは言う。

 そんな幸せも、あまり長くは続かなかった。


「自分で言うのもなんだけど……気が付くとね、私は町の中からも外からも見合いとか求婚の話ばっかり来るぐらいの美少女に育ってたの。何処に行ってもチヤホヤされて、私を中心にいろんな人が集まったわ。……悪い人も含めてね」


 話の雲行きが怪しくなってきて、僕は冷えた肩を温めるように湯船に身体を沈める。


「……酷かったわよ。家に戻ってきたら血まみれの両親がいて、何の事情も説明されずに誘拐されて。何時だったかしつこく求婚してきた男の親が差し金で、親子そろって私を欲しがったのよ。攫ったくせに、最初の内は来賓扱いでね」


 ただただ恐ろしくて、奇妙な監禁生活。

 忌々しい記憶を吐き捨てるように、カンナさんはその美しい美貌を歪めながら言葉を紡いでいく。


「狭苦しい納屋に閉じ込める癖に、食事も衣服も上等なモノを私に寄こしたわ。食べる気なんてさらさら無かったから、私はどんどん衰弱していって、それなのに何処からか医者を呼んで診せる始末。意味が分からなかったし、気持ちが悪かった。けど、そんな生活も半年ぐらいして終わった。詳しい理由は知らないけど、その家が火事になってね。それに乗じるような形で私は逃げ出したわ。けど……」


 いざ外に飛び出して獣道を往けども、見た覚えのある道に辿り着くことはなかった。

 途方に暮れて辿り着いたのは、吐き気を催すような汚い町。

 運命は、彼女を見捨ててはいなかった。


「寄る辺もない私は成り行きで小さな売春宿で働くことになった。その初日、私を買ったのは……」

「……買ったのは?」


 不意に言葉が止まって、僕が再度振り返ってみると悪戯っぽい顔を浮かべたカンナさん目があった。湯船で温まって薄く赤らんだカンナさんの頬の、何と艶めかしいことか。


「さて、誰でしょう?」

「……いや、わかるわけないじゃないですか」

「そう? 実は、チヒロもとっくに会ってるんだけどね?」

「ええ?」


 直近で会った男性と言えばハガネさんかコウマ君か、もしくは自警団の人かオウギさんくらい。

 今の話が過去の話であるからして、少なからずコウマ君の可能性はあり得ない。

 なら、消去法で考えてハガネさんかオウギさんだが……うぅん、意外とあり得るのか?


「今、男の人だけで考えたでしょ? 違うわよ。私を買ったのはね、アズサさんなの」

「えっ、アズサさん!? 何でまた……」

「正確に言えば、アズサさんとそのお祖父さん。さっき途中で話したことを覚えてる? この業界に入った時からお世話になってる人が、っていうハナシ。あれ、アズサさんのお祖父さんのことなの」

「じゃあ、あの家はアズサさんの家なんですか……?」


 てっきり、誰か他の遊女のお住まいかと思っていたのに大ハズレだ。


「そうよ、今もお祖父さんと一緒に暮らしてるの。……と、話を少し戻すわね。あの時は私も驚いたわ。まさか二人で、しかも孫娘を連れたお祖父さん相手に処女を散らそうだなんて想像だにもしなかったから」

「しょ、処女……て……」

「もう、本当に免疫ないのねぇ。別に口から出したくらいで強張らないでよ。実際散らしてもないし」

「…………すみません」


 慣れないモノは慣れないのである。


「たまたま旅をしてる最中に寄っただけ、ってあの人は言ってたわ。そうして遊戯をするでもなく、あの人は私の前にどすって腰を下ろして勝手に話し込み始めたの。話の内容は、この遊郭『枯山水』のことだったわ。ここで働いてくれる遊女を探している。君さえよければどうだ、ってね」


 面喰って、首を傾げて、それでもカンナさんはその話に耳を傾けた。

 遊郭と言っても、普通の遊郭とは異なる趣を重視しているということ。

 性交渉の類は各自のさじ加減でという諸注意、花鳥風月の名を冠した四つの店があり、カンナさんは最初は【風】に属するカタチで、他は衣食住、給料や待遇のことなどなど。

 言ってしまえば、勧誘だ。

 狭苦しい遊戯部屋に、わざわざ孫娘と一緒に遊女を勧誘に来るとはずいぶん酔狂な人間に見えた、とカンナさんは続ける。


「でも、少なくとも悪人には見えなかった。何ていうか……凄く目の綺麗な人でね。金儲けだとか、私利私欲の光じゃなくて、崖っぷちの人間に手を差し伸べる純粋な人助け、って感じの目をしてた。一日だけ猶予をもらって、その間に考えて私は……それに応じたの」


 アズサさんのお祖父さんは当時の支配人に相応の額を払ってカンナさんを買い取り、そして三日三晩ほどの旅路を経て『枯山水』にやってきた。山々に囲まれ、遊郭でありながら人目から遠ざかるような立地にカンナさんも驚いていたそうだ。


「そこから私の人生は再出発したの。でも、最初は色々と困ったのよ? 何せ、実際に遊女として働くのは『枯山水』が初めてで、最初のお客さんにもずいぶん緊張してるって笑われたもの。それが何だか悔しくって、私は色々勉強したわ。立ち振る舞い、着飾り方、男を誘う文句に、あれやこれやと。もちろん、男と寝る方法も色々と模索したのよ」

「…………」

「絶句してるけど、いつかチヒロも誰かと寝るのよ?」

「もういいです……」


 慣れてしまっているからこそ、そのあまりにもサラッと飛び出る奔放な性の話題に僕は半ばついていくのを諦めていた。そんな気はないし、そんなコトもないだろうと高を括っている。


「で、巡り巡って、私はこの『枯山水』で最も上等な遊女にのし上がれた、ってわけ。最初は遊女なんてって思ってたけど、実際素養があったからここまで続いたのかもね。何というか……美しいって、罪ねぇ」


 そんなおどけるような言葉の後、カンナさんの背中がふわりと僕の背中にもたれてきた。なめらかな感触が肩甲骨辺りに触れて変な動悸が起こる。


「……後から知ったわ。あの人はね、私みたいな落ちかけの人間を助けてくれる人なのよ。他の遊女の子も、経緯を聞いたら私と似たり寄ったりの子が多かったの。冤罪に巻き込まれた子、駆け落ちして裏切られた子、村が襲われて路頭に迷った子……ここ『枯山水』は、そういう子のための密かな駆け込み寺なの。私だって、あのままあの場所で遊女を続けてたら……きっと、今みたいな幸せな生活は送れていないでしょうね」

「幸せ……ですか?」

「えぇ、胸を張って言えるわ。今の私は幸せよ。この仕事に、地位に誇りをもっているもの。何せ、『枯山水』の最上の遊女ですもの。これで不満を唱えてたら、他の遊女に示しが付かないでしょう?」

「……」


 力強い、カンナさんの言葉。

 ……凄い、と思った。

 今の僕に比べたら何もかもに芯があって、後ろめたさも何もない、まっすぐに前を向いて生きている。

 遊女という生業は自分の身体を売り物にしたあさましい(、、、、、)モノだと僕は今まで思っていた。

 でも、カンナさんの話や他の遊女たちの姿を見てきて、それが間違いだと気付いた。

 あさましい(、、、、、)のは、どっちだろう。


「……チヒロ? どうしたの? もしかしてのぼせちゃった?」

「いえ……」


 短く言って、立ち上がる。

 ほんの少しふらついて、余計に恥ずかしくなった。

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