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半生  作者: 心臓
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時代設定など設定の甘いところが多々あると思いますが沢山続きを書いていきたいと思っているので感想意見などがありましたらよろしくお願いします。

自分が人とは違う運命の道を歩く人間だと気付いたのはもうずいぶん前のことです。

暖房の効いた部屋のソファで私の隣に座る少年は、冷えた体を温めてもらおうと渡したホットココアをすすりながらそう言った。

長年児童福祉に携わり、退職後は非行や犯罪に立ち向かう子供達を支援してきた私にとって、深夜の駅前のビル街で1人ずぶ濡れになって立ち尽くしている少年を自宅に連れ帰り保護するのはそう特別なことではなかった。

しかし家に連れ帰って初めて部屋の明かりに照らされたこの少年を見て、彼が非行や家出とは全く別の理由であそこに立っていたのだと思い始めた。

彼の瞳に浮かぶ年齢に似合わない悲しさと深みに心を惹かれなかったと言ったら嘘になる。けれどもその彼の瞳に誰かに耳を傾けてもらいたい何かが映し出されている様な気がしたのもまた嘘ではない。だから彼が落ち着くと、よければなぜあんな場にいたのか教えてもらえないかと尋ねた。

彼の話すと長くなりますという返事に私は、自分の勘が間違っていなかったとわかった。

彼は私に向けていた体を正面に向けるとソファの前にあるテーブルにココアの入ったマグカップを置いてゆっくりと瞬きをすると、懐古的な優しさを含ませながら、アルバムをそっとめくるかのように話し出した。

今から126年前、当時の英国人は皆ハンチング帽を被り、クリケットの試合とハイドパークでの出会いに夢中でした。僕もそのうちの1人です。当時のイギリスは産業革命による廃棄物を処理することもなく川に流し込み、家庭のゴミや排泄物さえも家の窓から街の道路に投げ捨てていました。何より人々はそんな自分たちに疑問を持っていませんでした。そんな環境では人々の多くは感染症や病気になります。医者だった父は少しでも多くの患者を救おうと一生懸命でした。そんな優しく正しくあろうとする父を妹も僕も誇りに感じていました。

母はそんな父を支え、僕たち二人の兄妹にも惜しみない愛を与え、僕たちはとても恵まれていたと、心から思います。

突然語られる大昔のイギリスの話を、自分の事のように話す目の前の少年に幾分か戸惑いながらも、彼の瞳に嘘はなくむしろその年齢に合わない奥深さを裏付けるかのようでした。

私が本気で話を聞いてる事を察すると少年は続きを話し始めました。

僕の人生は幸福に包まれていました。素敵な家族の元に生まれた事、そして何より最愛の彼女に出会えたからです。彼女の当時の名はミラでした。その頃父の背中を追って医者をしていた僕は検診で訪れた邸宅の庭で花を見つめていた彼女に一目惚れをしました。しかし今よりもあの頃は身分による格差というものは大きく、医者の息子である僕が上流階級である彼女に恋をするなど許されませんでした。けれど月に一度訪れる検診で彼女の顔さえ見られれば幸せでした。あまりに短い時間でしたが、それでも言葉を交わせる検診の時間は幸福なものでした。しかしそんな心とは裏腹に彼女への想いは気がつけば僕の予想をはるかに超えて大きくなっていました。そうこうしているうちに彼女に結婚の申し込みが来ている事を風の噂で耳にしました。相手は立派な家柄の方で、評判も良く、身分の違いもありません。これなら彼女も幸せになれる、自分が付け入る隙間なんてどこにもない、彼女の幸せ以上に何を望むというのだ、そう自分を納得させました。

ですから結婚の噂の後に訪れた検診でついた心にもない祝福の言葉は、誰にも嘘と気付かれる事はありませんでした。

結婚式の夜に僕の失恋話を朝まで聞いてくれた友人にその時ほど感謝した事はありません。

気を遣わなくてもいいとのことで結婚後も検診を頼まれたのが全ての不幸の始まりだったと今なら思います。

そこで彼は少し悲しそうな顔をしながらココアに手を伸ばした。

私は普通の人ならまるで耳を貸さないような話にすっかり聴き入ってしまい、続きを聞きたくてしょうがなくなっていた。彼はまたゆっくりと瞬きをすると、じっと私の目を見ながら、ここから少し長いですけどいいですかと聞いてきた。私がどうぞと続けると彼は少し困ったような顔をして、それでもやっぱり誰かに聞いてもらいたかったようにして、また話し始めた。

結婚後3回目の検診でした。春が過ぎ去り夏が訪れる少し手前。僕は彼女への想いを隠しながら何気無い彼女との会話を楽しんでいました。少なくとも彼女を含めた屋敷の誰にもこの想いはばれていないと思っていました。この頃には庭で彼女が気にかけているという花を一緒に眺めながら午後のおやつを共にいただけるまでになっていました。でも彼女のそばにいたいとか、ましてや想いを打ち明けたいとは思っていませんでした。ただ心と理性とは全く別のところで彼女への想いはどんどんどんどん大きくなっていたんだと思います。もう一世紀も前の事ですが未だにあの頃の事は鮮明に思い出せます。自分でも不思議なくらいあの頃の記憶は綺麗なまま、思い出す時には陽光が照らしているかのような柔らかな光を放ちます。

彼女はいつも、甘酸っぱい香りがしました。いくつもの花が、それぞれの香りを彼女に身につけてもらいたくて身を捧げて生まれたような、そんな香りです。彼女の淡い瞳と艶やかな髪にとてもよく似合っていました。庭で彼女が動くとその香りは四方へ舞っていき、いつも僕の鼻腔をくすぐっては悪戯に僕の意識を夢中へと放り出します。だから彼女が僕のすぐ隣にいる事をつかの間意識させず、僕が次に意識した時には僕の手の甲と彼女の手の甲が触れ合っていた瞬間でした。現代ではなんて事はないのかもしれません。ですが僕にとっては長い間目の前にいながらも触れる事のかなわなかった相手との初めての触れ合いだったのです。その瞬間に彼女に夫がいるとか、ここが庭だとかは頭から転げ落ちていました。

自分に意識が戻ってとっさに手を引っ込めるまでの時間、おそらく一瞬の間に、僕は今まで自分が隠し続けてきた想いが心と、理性、何より目の前にいる彼女に流れ染み込んでいくのを感じました。

でもそれは長年我慢してきた想いが体を駆け抜け本来あるべき場所に戻った、そんな感覚でした。

その時に初めて想いを隠す為に気付いた壁越しではなく、本当の想いと共に彼女と目があったと思います。

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