07
翌朝、アルスからの呼び出しを受けた。
「おはよう」
部屋に入った私をアルスが包み込むような笑顔で迎えてくれる。本当に彼の眼を見ると、不思議と安心してしまう。そんなところも彼を王たらしめる一因なのかもしれない。
「おはよう」
アルスの横には見慣れないひとがいた。カランバノと同じような服を着ている。彼も騎士なのかもしれない。そっとカランバノを盗み見ると、いつもと同じ無表情だった。考えすぎかな。だけど私の存在が無ければカランバノはきっと今でも王に最も近い場所にいれたのに。そう思うと申し訳なさも感じる。
私の視線の向く先に気がついたのか、アルスがああ、と言った。
「彼を紹介しなくてはいけないね。彼はイエロ。カランバノの後任として私の警護の任に就いてくれたんだ。イエロもカランバノと同じ狼だよ」
「はじめまして」
「はじめまして、流星様」
微笑する。その表情はあまりにも衝撃的過ぎた。なにぶん私はこの世界に来て狼と言えば、今私の後ろに控えている仏頂面のあの男しか会ったことがないのだ。だから勝手に狼はみなあんな感じなのだと思っていた。まさかこんな柔和な笑みを浮かべるひとがいたなんて。しかもイケメンだ。狼はみな、そうなのか。薄い黄色の髪と少したれ気味の瞳。とっても優しそうだ。少なくともカランバノよりは断然友達になれそうだ。仲良くなれるように努力しよう。そして仲良くなったらもふらせてもらおう。うん。
「流星、きみは毎日民の声を聞いてくれている。それどころか傷つき病んだ者たちを癒してさえくれている。彼らに代わり、礼を言おう。ありがとう」
「いやいやいいよ、そんな……。私がしたくてしてるんだし、うまくやれてない部分もあるし。お礼してもらうほどじゃないもん」
そのあたりはカランバノがいられると話しづらい部分があるのだが。
「そうだね。きみには無理をさせてしまったようだ」
「無理っていうか、私が悪いんだよ。それは」
「考えたんだ。流星、きみにはもっとこの世界を知ってもらいたい」
確かに私はこの世界のことを知らなさすぎる。情報源は主に私を訪ねてくるひとらとカランバノとプリマヴェラさんぐらいしかいないのだ。
「なるほど」
「この世界を旅してみてはどうだい」
「へ?」
「もちろん一人きりでとは言わない。カランバノとプリマヴェラを連れていけばいいさ」
「いやそれはある意味一人旅より危険っていうか……」
「ん?」
「なんでもない」
それにしても旅かあ。元の世界にいるときでさえ、国内旅行しか行ったことがないけれど。
「どうだろうか、カランバノ。良い案だとは思わないかい」
「そうですね。自分の目で見、自分の肌で感じたほうが得られるものも多いことでしょう」
そこは拒まないんだ。その旅にあなたも同行させられるんですよ。
「決定だね。それでは早速手配をしよう。準備が整い次第出発しなさい」
「はっ」
そんなにすんなり決まるものなのね。旅って。ていうか車も新幹線も飛行機も無いこの世界でどうやって旅するんだろう。
「でも旅に出てる間、皆の話を聞けなくなっちゃうよ」
「いいんだよ。皆もきっと流星さまの休暇を許してくれるだろう」
「そんなもんなのかなあ……」
「きみが心配する必要はないよ」
いつも私を訪ねてくれるひとたちの姿を思い浮かべると、急にしばらくの間いなくなるのは申し訳なく思えた。それでも旅はしてみたかった。なにもかもが私の世界と違うこの世界に興味は引かれるのだ。
「カランバノ、準備を始めてくれるかい」
「仰せのままに」
カランバノが胸に手を当て礼をして部屋を出ていく。そういうときは私どうこう言わずすっと出ていくんだね。まあここがアルスの部屋っていうこともあるのだろうけど。
「急な話で驚かせてしまったかい」
「うん……驚いたかな」
「実はね、昨晩それも真夜中にカランバノが私を訪ねて来たんだ。彼がそんな時間にここへ来るなんて滅多にないことだから余程のことかと思って驚いたよ」
アルスが大きな執務机に両腕を付いて指を組み、その上に顎を掛けた。
「きみの話だったよ」
「私の?」
思い当たるのは昨晩の件しかなかった。あの無様な姿をまじまじと見せつけたあれだ。私の中でもう完全に黒歴史と化し始めている。
「きみをこの城の外に出してやりたいと、彼が言ったんだ。その気はなくとも結果的に此処にきみを閉じ込めてしまえば、きみは私たちこの世界に住む者たちに利用されていると考えるのではないかと」
「それは……」
あのあと、カランバノはここにきてアルスに話をしてくれたんだ。私にはなにも言わなかったくせに。
「確かにそうだと思ったよ。私たちはきみの流星の力を利用したいがために此処に置いているんじゃない。きみにもこの世界を愛してほしいと思ったからこそ、旅をして学んできてほしいと思ったんだ」
「……ありがとう」
素直に嬉しいと思った。城での暮らしはとても快適だ。生活面では何一つ困ることは無い。だけど言われるがままに繰り返す毎日に、息苦しさを感じていないわけではなかった。
「お礼ならカランバノに言ってやっておくれ」
「……うん」
そう返事をしながらも、実際に彼を目の前にすると言えなくなることは目に見えていた。
それから一週間も経たないうちに旅の支度が出来たとアルスに言われた。そして私には兼ねてから疑問に思っていることがある。この世界には元の世界のような交通手段がない。元の世界では自動車や電車と言った交通手段が発明される前、馬に乗っての移動だったようだが、この世界ではそういうわけにもいかないだろう。というより私は技術的なことは除くとして馬に乗ることは問題ないが、狼であるカランバノが乗馬してもいいものなのだろうか。そんな私の疑問は、旅立ちの朝に解消された。
その日カランバノに連れられ、初めて城門を潜った。アルスとイエロが見送りに来てくれている。そこで私が目にしたものは、五頭の狼だった。人型ではなく、本来の姿をした狼である。気高い瞳と輝く毛並みが美しい誇り高い獣だ。ただ彼らは私が日本の動物園で見た様な狼よりも、とにかく大きかった。そんな気高い獣に、手綱が付けられている。
「ねえ、もしかしてとは思うけど」
「これに乗っていく」
狼は馬じゃなく狼に乗るらしい。
「それってありなの……?」
「こいつらは精霊の力を持たない獣だ。人型を取ることもできない」
「でも同じ狼でしょ?」
「だからこそ俺はこいつらの言わんとすることが理解できるし、俺の意思もこいつらに通じる」
「……なるほど」
と言いつつも実際は腑に落ちていなかった。て言うかさっきから五頭のうちの一頭がやたらとプリマヴェラさんを凝視しているのだが、大丈夫なのだろうか。その、いろいろと。
「さあそろそろ行くぞ」
使用人たちが二頭の背に荷物を括りつけ終わると、カランバノが言った。
「うん」
頷いて狼たちに近寄る。不思議と恐ろしいとは思わなかった。見れば見るほど美しい生き物だ。一頭の狼が私に鼻づらを寄せた。くんくん、と匂いを嗅ぐその姿は犬を思い起こさせる。思わず頭を撫でたくなったが、さすがに侮辱になってしまう気がしてやめた。
「よろしくね」
私の言葉が通じたのか、狼は身を低くし私がその背に乗りやすいようにしてくれた。今日もいつもと同じくワンピースを着ている私は、必然的に横を向いて座るかたちになる。私がしっかりと座ると、狼は身体を起こした。
「わっ」
振動に慌てて狼の首元にしがみつく形になった。もふっと肌触りのいい毛並みが肌に触れる。どうしよう、わしゃわしゃしたい……。
私が己の欲と戦っている間に二人も無事に狼の背に跨った。私は顔だけでアルスを振り返る。
「いってきまーす!」
「気を付けて行っておいで」
いってきます、という言葉は行って帰って来るという意味だということを聞いたことがある。私は旅をして、またここに帰って来る。帰る場所があるということに胸が温かくなるのを感じながら、狼の背で揺られていた。