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力を抜くと、右手からカランバノの剣が零れ、地面にぶつかって甲高い音がした。そして空いた手で喉に突き付けられた刀身を握った。痛みよりも冷たいものに触れたひやっとした感じがして、鳥肌が立つ。
「あなたたちの世界にも流星の伝説があるんでしょ?」
刀身をきつく握り、そして振り払う。さすがに軍を率いるような男から剣を奪うことはできなかったが、それでも切っ先を喉元から反らすことはできた。そして傷口からぼたぼたと大量の赤い雫を零す掌を金髪の男に向ける。胸の中の光を解く。身体の中で暖められていた血液が外気に触れて冷える。それがまた光によって暖められ、痛みは薄れていく。
金髪の男は瞬きも忘れ、まじまじとその光景を見つめていた。
「これでもまだ私が特別な力を持ってるんだって信じられない!?」
様々な感情が渦巻いて、昂っている。力を消耗し過ぎたせいか、それとも別に原因があるのか、気が付けば肩で息をしている。
「私ならこの力であなたたちの世界を救ってあげられる……!」
嘗て璃久がそうしたように、流星の力は個人の傷を癒す他にもきっと使い道がある。彼女が総ての力と命を以て強大な結界を生み出したように、私にだってこの世界のためにできることがあるはず。
「私を捕虜にしてくれればいい。もし……、できなかったら、そのときは私を殺してくれたっていい。だから一回だけで良いから、戦い以外の方法を試させて」
言葉を忘れたかのように黙り込んでいた金髪の男が、何度か口を開けたり閉めたりして、ようやく声を発した。
「そんなことが本当に……、出来るのだろうか」
「やってみないとわからない。でもだからこそやらせてほしい。私をあなたたちの世界へ連れて行って。さあ」
両手首をぴったりとくっ付けて、金髪の男へと差し出した。両の手首を縛り、私が彼らに仇名す手段を奪われたって構わない。邪な企みは無いのだと、意志を表明した。
すると金髪の男は力なく首を横に振った。
「いや、其の必要は無い。至急馬を用意する。我と共に来い」
限界近くまで張り詰めていた緊張が解けた。いや、これからが本番だということはわかっているのだけれど。とりあえずは戦いを一時的にでも止めることができる。
金髪の男に返事をして、それから精霊たちのほうを向いた。
「私、人間の世界に行ってくる」
「なんだと……?」
「如何いうことか、説明してくれるかい」
そこにいた三人が揃いも揃って目を見開いた。その様子が可笑しくて、場違いにも私は笑いそうになってしまった。
「流星の力を使えば、病んだ世界も治すことができるんじゃないかなーって。だって人間の世界にも同じような流星の伝説があるわけだしね」
「そんなことができるのか?」
「わかんない」
「わからないって、お前は!」
カランバノが声を荒げる。私はその潤んだ薄青色の瞳を真っ直ぐに見据える。
「やってみないとわかんないよ。だけどこのまま滅ぼされるよりはマシ、でしょ? これが私の奥の手。使ってもいいよね? アルス」
「きみと云うひとは本当に……」
アルスが笑いながら溜息を一つ吐いた。そして深緑の瞳に捕らわれる。
「許可しよう。私もきみに、……きみが信じる方法に賭けてみたくなったよ」
「ありがとう。アルス」
「だが一つだけ条件がある」
竜の王は今になってやっと執務机から離れ、一面窓へと近づいた。夕暮れの橙色の光が、作り物めいた美貌を照らしだす。
「私も共に行こう」
「え……?」
「正確に云うなら、私の背に乗って行けば良い。人の足で駆けるよりも随分と時間の短縮になると思うがね」
そうか。そういえば、忘れていたわけではないけれど、アルスの本来あるべき姿は竜なのだ。
「しかし、アルス様……っ」
意義を唱えようとしたカランバノを片手で制し、穏やかな微笑を湛えて言った。
「最期まで見届けたいんだよ。私も」
私は頷き、金髪の男にその旨を伝えようとした。
「俺も共に行く」
「カランバノ……」
「アルス様とお前を護るのが俺の任だ。護るべきふたりが敵地へと行くのに、俺だけが此処に留まるわけにはいかない」
「……わかった」
今度こそ金髪の男に精霊たちとの間で交わされた会話の内容を伝える。
「喰われたりしないだろうな」
そう毒づいては見せたものの、自分にも供を付けることを条件としてアルスとカランバノを伴うことを許してくれた。
アルスが一面窓の扉を開け、テラスへと出ていく。私、カランバノ、金髪の男、供の戦士、それからイエロが続く。そしてアルスは何の前触れもなく、手すりを乗り越えた。余りの突拍子の無さに、背後で金髪の男の付き添いの戦士が、あっ、と短く声を漏らしたのが聞こえた。
しかしそれはすぐにかき消されることになる。空を切り、風を纏う翼の音がその場を包んだ。四枚の翼はどれも大きい。アルスは前の二対を羽ばたかせ、後ろの二対をテラスへと寄せた。アルスがその背に飛び乗り、私へと手を伸ばした。その手を掴み、引っ張り上げられる。黒い竜の背は、宙に浮いているにも関わらず、案外安定していた。金髪の男と戦士が続く。
「大丈夫か?」
私だけが聞こえるような小さな声で、カランバノが呟いた。
「うん」
私も彼にだけ聞こえればいい。それくらいの声音で答えた。
「イエロ、留守を頼む」
ひとりテラスに残されたイエロは、その顔に様々な感情を滲ませながらも静かに頷くだけだ。
「……健闘を祈ります」
イエロのその声を合図にアルスは飛び立つ。雲が目にもとまらぬ速さで後方へと流れていく。時折金髪の男が方角を言い、アルスはそれに従った。この速度に耐えられるのは、カランバノが背後から抱きかかえてくれているからだ。そして彼は魔法を使って自分の身体をアルスの背に固定させている。人間の二人は苦労しながらも、それぞれ振り落とされず持ちこたえている。もちろん彼らを落としてしまった、なんて冗談でも言えない状況なのだが。その辺りはアルスが上手く調節してくれているのかもしれない。




