06
それからは噂が噂を呼ぶのか、怪我や病を患ったひとびとが癒しを求めて私の元へとやって来るようになった。私は私を頼りにやってくるひとを決して拒まないようにしていた。自分なりに自分の限界を知りたくもあった。目に見える怪我を癒すのはそこまで難しくないと言うか、力の消耗は少ないみたいだが、反対に病や身体の内部の異常を直すのには、力の消耗が激しいと言うことも学んだ。でも魔力が少なくなったな、というような感じ方はしなく、日常生活と同じように疲労として感じるのだ。
ふう、と息を吐く。硝子の少女の背面にある壁に凭れて座り込んだ。冷や汗がこめかみを通って、脚に落ちた。長距離を走り終えた後のように心臓が早鐘のように打っている。
今日は病を患ったひとが三人続いた。みんな癒すことはできたと思うけれど、さすがに疲れた。息を整えたら早めに部屋に戻って休もうと思っていたところだった。正面の門から脚を引き摺って入って来るひと影が見えた。迎えに行ってあげなきゃ。あんな脚じゃここまで歩いてくるのも辛いだろうに。立ち上がった私の手首を、カランバノが掴んだ。
「……なに」
「今日はもうやめておけ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫そうに見えないから言っている」
「でもあのひとを癒してあげないと」
「また倒れるぞ」
「……倒れない」
「流星!」
珍しくカランバノが声を荒げた。いつも嫌味ったらしいことや冷たいことを言うせいで意地の悪い印象があるけれど、いつも静かな口調なのだ。怒鳴られたことはまだ一度もない。
「あのひとだけ治したら今日はもう戻るから……」
カランバノの手を振り払い、脚を引き摺るひとの元へ歩み寄る。挨拶をされたが答える余裕はなかった。無言で引き摺られた脚に触れ、光を放つ。心臓が暴れ視界が霞む。立っている足元も危うくなる。それでも光を止めなかった。治してみせる。私が。
光が消える。
「……脚、動かせる?」
そのひとが私の言葉に、さきほどまで引き摺っていた脚を試すように動かすのを見届けると私の脚から力が抜けた。周りの動揺するざわめきも、聞こえていながらなにも返せない。つかれた。本当につかれた。脚が動くようになったそのひとが、私を覗きこむ。よかったね、脚が治って。今度はゆっくりお話ししたいな。
「流星! だから言っただろう……!」
カランバノ、ごめん。ああ、でも今はとっても眠いの。私は引き摺られるように眠りに落ちた。
――もう朝よ、はやく起きなさい。学校に遅れるんじゃないの?
お母さん待って。昨日は友だちと夜中まで電話してたから眠いの……。カーテン開けないでよ。眩しいな。
――お母さん今日も遅くなるから。夜はよろしくね。ごめんね。
いいよ。今更謝らなくても……。
謝らなくていいんだよ、お母さん。私もう大きくなったから。
「お母さん……」
あ、やばい。口に出してから今まで見ていた光景が夢だと気づいた。寝言を言ってしまった。恥ずかしさも相まって完全に覚醒し、目を開けた。身体を動かすと柔らかいシーツが滑り落ちる。自分の部屋のベッドに寝かしてもらっていたみたいだ。
灯りの無い部屋はすでに暗く、前回のようにプリマヴェラさんがいてくれることもなかった。カランバノも、いない。怒ってるかな。やめとけって言ってたもんね。止めてくれたのに振り切って力を使ってこのざまだもんね。呆れてるだろうな。
ベッドの上で三角座りをして、膝と膝の間に顔を埋めた。さっきまで見ていた夢が思い出される。仕事が忙しくて朝早く出ていき夜遅くに帰って来ることは珍しくないし、海外出張も多い両親。だけどそんな二人はいつも家を空けることを申し訳なく思ってくれていた。私が幼いころはもちろん、今でもだ。寂しかったけれど、お土産や海外の写真や思い出話をたくさん持って帰ってくれたし、なにより二人の仲が良いことを知っていたから大丈夫だった。
今、どうしてるのかな。急にいなくなった私を心配してくれてたりするのかな。
もう、会えないのかな。
走って部屋を出た。誰かに会いたい。プリマヴェラさんでもアルスでもカランバノでもいい。誰かに会いたい。話がしたい。そうじゃないと、この見知らぬ世界の夜の闇に私の存在が溶け出して消えてしまいそうだ。
私が辿り着いたのは、アルスの部屋ではなくて中庭だった。とっくに日の沈んだこの時間帯に此処を訪れるのは初めてのことだ。月、というか空に浮かぶ月のような三つの惑星が輝き、木々の影を作っている。邪魔をする光が少ない分、綺麗な夜空だ。
「そりゃあこんな時間に、誰もいないよね……」
自分自身に嘲笑する。昼間あれだけのひとがいるのだから、だれか一人ぐらい残ってはいやしないかと思ったのだ。庭の端に一人きりで立つ硝子の女性だけが、夜の光を浴びて輝きを放っている。彼女の足元に身を横たえる。地面を覆う背の短い草の、青い匂いがした。澄んだ夜空が、歪む。涙が目尻を伝って落ちていった。なにもかもが違う。月みたいな惑星はいくつもあるし、部屋のランプは魔力が無いと点けられないから自力じゃ点けれないし、こんな世界でたったひとりで一体どうすればいいというのだろう。
「もう大丈夫なのか」
暗闇に静かで高潔な声が響いた。顔を見なくてもそれが誰のものかわかって、慌てて涙を拭いた。今、声を出したら鼻声になっていそうで返事ができない。
「そんなところで寝ているとまた体調を崩すぞ」
嘆息する音が聞こえた。もう、いい。
「もうほっといてよ……」
見事に鼻声だった。これでは顔を隠しても泣いてます、と暗に言っているようなものだ。
「俺は仮にもお前専属の騎士だ。主の面倒は嫌でも見なければいけない」
「じゃあもう辞めていいよ。私がアルスを説得するから」
私のことが嫌いなら本当に放っておいてほしい。迷惑をかけさせないでほしい。溜息を吐かれるのは、直接小言を言われるよりも辛い。
「……部屋に戻れ」
「私の勝手でしょ。電気点けらんないし、今はあんな暗い部屋にいたくないもん。ここにいる」
「灯りぐらい点けてやる」
「いい」
せっかくの申し出を断って顔をそむける私に、カランバノは押し黙った。冷たく広がる沈黙が、夜の闇が、月のような惑星の明りが、この世界のすべてが、私を責め立てているような気がする。風だけが音を立てて吹き抜けて、私の髪を揺らした。部屋からここまで走ったせいで火照った身体もだんだんと冷えてきた。春とはいえこの世界でも、夜は気温が下がる。カランバノは黙ったままだ。静かすぎて、もうそこにはいないのではないかと思うほどに。それでもまだいる。少し離れた場所にひとの気配を感じる。どっか行っちゃえばいいのに。さっさと寝ちゃえばいいのに。
誰かに会いたくてここへ来たのに、私。もうほんとにぐちゃぐちゃだ。
そう思ったら余計に泣けてきた。とっくにばれているだろうけど、泣いてると思われたくない。カランバノだけには。だからどこかに行ってほしいのに。
「……どうして」
押し殺したように少し掠れた、一切の怒気をはらまない声だった。
「あんな無理をしたんだ。自分でも限界だとわかっていたんじゃないのか」
昼間の件だとはすぐにわかった。けれどその質問の真意を掴み切れない。責めているわけでも叱ろうとするわけでもなさそうな、そんな声音だ。
「……知らない」
「どうして制止を振り切ってまで力を使ったんだ。あそこでやめていればお前は倒れることはなかった」
その言葉に横たえていた身体を起こした。背を向けたまま、顔だけで振り返る。離れた場所に居る彼の、足もとしか視界に入らない。
「怒ってる? だったら謝るよ。ごめんね。この前も力を使ってぶっ倒れて迷惑かけたもんね。呆れてるんでしょ」
責められているわけじゃないと、わかっているはずなのに。
「そんなことを言っているわけじゃない。ただどうしてそこまで無理をするんだ」
「そんなこと言われたって、責められてるような気がするんだよ! 自分の管理もできないアホなんだって!」
静かな溜息が聞こえた。どうして。叫ぶ私に怒鳴り返してくれれば、それでいいのに。
「……死に急いでいるようにも見える」
「え……?」
振り返ると、薄青色の瞳と目が合い、すぐに反らされた。氷のような冷たさを纏うその瞳は、今は私の足元あたりを見ていた。
「あまり、無理をするな」
小さな小さな声だった。私の身を案じて言ってくれたのはわかる。だけど。
「なんでそんなこと言うの……? 私みたいな人間が嫌いって言ったのはカランバノじゃん! 私を殺すって言ったのも、カランバノじゃん!」
「それは……」
「私だってわけわかんなかったんだよ。急にこんな世界に来て。未だにわけわかってないよ! 元の世界では私はただの女子大生だったの。スポーツは苦手だし勉強も微妙だし顔だって別に可愛くない! 友だちは少ないけどいたし彼氏はいないけど、好きな人がいたことだってあるし……、そういう普通の人だったんだよ……」
一度口を開いたら止まらなかった。押さえこんでいた感情は荒々しく箍を外し、涙も鼻水も流れた。ほんとに無様だ。そんな姿を静かに整った男に見られているのだから、余計みじめに感じて腹が立つ。
「なのに突然ここに来て……、伝説だとか言われて。みんな人間は嫌いなくせに私が流星だからって慕ってくるよね。私が流星だからみんな笑顔で話しかけてくれて、良くしてくれる。でも……、この力は私のものじゃないんだよ。元の世界にいたときは持ってなかった。私の力じゃない。流星の力だよ。もしも私が流星じゃなくてただの、本当の私として人間としてここに来てたらどうしてた……?」
「……有害であると判断されれば死刑、無害であったとしても幽閉されていただろうな」
そんなことだろうとは想像していた。私がアルスに流星であると判断されていなかったらきっと、こんな風には扱われてなかった。それが、いやなんだ。
「それが……嫌なんだよ。本当の私はただの人間で流星なんかじゃない。ひとを癒す力なんて持ってない。この世界のみんなは私を私として扱ってくれてない。流星として扱ってる。……この世界に本当の私の居場所が、見つからないんだよ」
それは紛れもない私の本音だった。アルスもプリマベヴェラさんも一応カランバノも、ひとびともみんな私に良くしてくれる。でもそれは私が流星であるからで、この世界に利を与える存在だからだ。
「流星を必要とするなら、流星として応えなきゃだめでしょ? 癒してほしいと望まれたら癒してあげるしかない。そうじゃなきゃ私がここにいる意味ないもん。力を使わない私は、この世界に必要じゃないんでしょ」
カランバノは黙ってる。ただ静かに咆哮みたいな私の声を聞いていた。
「……それに力を使って、使いまくって、使い果たして……、もし私が死んだら。……元の世界に帰れるかもしれないじゃん……」
身体が震える。確かに心の隅にその思いはあった。流星の力を回復が追いつかないほどに使い切ったらどうなるのだろう。この世界で命を落としたら、どうなるのだろう。
「お前は帰りたいのか」
質問されているのかいないのか、掴めない口調だった。帰りたい。確かに両親を始め、少ないながらに会いたい人たちはいる。だけど、そう言う意味じゃない気もするんだ。
「……本当の私として、存在してたい」
「本当の……」
カランバノが言いかけて口ごもる。さっきまでの私の声の残滓が未だに響いているような気がした。
「俺たちにとって……、少なくとも俺にとって本当のお前は今のお前だ。流星の力を含めての、お前なんだ。お前がもしも流星でなくただの人間だったとしたら、お前の言う通りこの世界の反応は違っていただろう。だけどお前は流星としてこの世界に現れた。流星の力はお前自身の力だ」
「私の力……」
流星の力は私の力。そう思ってもいいのか。自分の中にある力のはずなのに、不思議と自分のものであると思えなかった。この世界に来るときに、持たされたような、使わせてもらっているような気がするのだ。
「とにかく部屋に戻って寝ろ。灯りは点けてやるから」
それ以上はなにも言ってくれなかった。あれだけ叫んだ私が、なんか恥ずかしい。慰めてくれることも手を引いてくれることもない。ただ静かに私の前を歩いていく。部屋まで着くとどうやったかはわからないが、電気をつけてくれた。
それだけしてさっさと部屋を出て行こうとする背中に、慌てて言葉を探した。
「……おやすみ」
一瞬だけ足が止まった。
「……ああ」
パタン。軽い音を立ててドアが閉まる。私はベッドに座りこんだ。涙は止まったけれど、寝れる気はしなかった。
ありがとうもごめんねも言えなかった。そのどちらも少なからず心の中にあったのに。
鐘の音が二度聞こえた。もう真夜中の二時だ。