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静寂が流れる。人間たちは整った隊列を組んで銃を構え、引き金に指を掛けてはいるもの、どうするべきかと悩んでいる様子だ。
大きく息を吸う。この世界で父のように思えた男の後ろ姿を思い出す。あのときだって通じた。きっとできる。私にはできる。今この場所で、多勢に無勢の状況でこの背の後ろにいる皆を護れるのは私だけだ。やるしかない。
「攻撃を、やめてください。私たちにはもう戦う意思はありません。あなたがたの……、指揮を取る人と話をさせてください」
人間の戦士たちが微かにざわめく。敵の中に理解できる言葉を話す者がいたことに少なからず衝撃を受けているようだ。
「私は……、私は人間です。あなたたちと同じ。停戦を申し込みます。私を捕虜にしてくれたっていい。だから……、この戦いの指揮を執る人に、あなたたちの世界を治める人にどうか会わせてください!」
頭を下げる。勢いを付け過ぎてくらっと来た。それでも足に力を入れて踏ん張る。人間たちはざわめくばかりで動かない。前線に出る戦士たちだけでは判断しかねるということだろうか。
頭に血が登りかけたころ、唐突に事態は動きだした。
「何をしている? さっさと魔物の王の首を刎ねよと申したはずだが」
私たちに銃を向ける戦士たちとは明らかに違う。風格と権威を可視化したような銀色の甲冑を纏った金髪の男が、室内の森の奥から姿を現した。
そして私を一瞥し、吐き捨てるように言った。
「魔物も他人を護ろうとするのだな。こんなことで一々剣を止めるな。所詮魔物だ。さっさと撃ち滅ぼせ」
金髪の男の言葉に、銃を降ろしていた何人かが構え直す。そして男はまるで興味などないというかのように、背を向けようとした。
「待ってください」
金髪の男の動きが止まる。そして声の主を探るように、ゆっくりとこちらを振り替えった。
「あなたが人間軍の指揮を執る方ですか?」
「お前……、人間の言葉を解するのか?」
どくんどくん。胸が音を立てる。緊張している。彼の言葉一つで、私は命を落としかねない。私だけじゃない。ここに居る皆がだ。一言一言、噛みしめるように口にする。
「私は人間です。私は精霊たちと一緒に暮らしてるけど、あなたたちと同じ、人間です。だから言葉も分かります」
「ほう……」
金髪の男は顎に指を当てる。
「魔物に心を売った女か」
「私はなんて言われたって構いません。だけど、その代わり、……私の話を聞いてください」
「お前の話を聞いて何になる? 今すぐお前たちを殺すことなど造作も無いのだぞ」
「あなたたちのためにもなります。絶対」
金髪の男は意表を突かれたように目を見開き、それから大きな口を開けて笑った。
「――はっはっは! お前のその自信は何処から来るのだ? よもや自分の危機を理解できないほどの愚か者ではあるまいな」
「見ててください」
カランバノのほうを振り返る。いつでも駆けだせるように剣を構えている。そうだ。此の三人は私と金髪の男との会話の内容を知る由もないのだから、何がどうなっているのかわからないだろう。
「ごめん、それ貸してほしい」
「なっ……」
カランバノが強く握る剣に手を添えるが、なかなか渡そうとしない。
「なにをするつもりだ」
「私にしか、できないことを。こんなこと言うの、恥ずかしいしおこがましいかもしれないけど、……私を信じてほしい」
薄青色の瞳が私を覗きこんでくる。私の瞳の中に答えを探すかのように。そうして諦めたかのように、剣を握る力が緩んだ。
「……ありがとう」
そうして今度は金髪の男に向き直り、左手で拳を作り、指が上になるように腕を真っ直ぐに伸ばした。右手で握ったカランバノの剣をそっと左腕に近付ける。
金髪の男は無言だが、確かに剣の先を見ている。それを自分の左腕に当てがい、すっと引いた。その後をなぞるように赤い線が生まれ、足もとを濡らす。
「見ててください」
改めてそう言った。私は左胸に渦巻く光を解く。幾人も治療したせいで、いつもよりも集中を要したが順調に解れて行く。やがて粒子となった光は血を流す左手首へと流れ、集まっていく。そして赤い線は薄れ、その後には傷跡一つ残ることは無い。
「……それを見せられて、お前を人間だと信用する方が難しいな」
「私は人間で、……そして別の世界から来た流星です」
金髪の男が動きを止め、私を凝視する。その後ろでは銃を降ろした戦士たちが再びざわめいている。流星と言う単語が異口同音に幾重にも重なって聞こえた。
「流星……だと? お前がか?」
「はい。私は前にも一度だけ人間の男性に会ったことがあります。彼が言っていました。流星の伝説は精霊の世だけじゃなくて、あなたたち人間の世界にもあるって。この力とこの髪が証明です」
金髪の男は再び顎先を指でつまむようにし、何を言うべきか思案している。
「仮にお前が流星だとして、それが我らにとって何の得になると云うのだ?」
温かく熱を持つ左胸に手を添える。今でも鮮明に思い出すことができる。茶色の髪。優しい目。その瞳が娘と生まれてくる赤ん坊を慈しみ、そして将来を憂いていた姿。その背に父の姿を重ねたこと。私を連れ出してくれようとしたこと。それから、彼に聞いた人間の世界に纏わる話。
「私はあなたたちの世界について聞きました。人間の世界はもうすぐ滅びるのだと」
金髪の男は眉間に思い切り皺を寄せ、そして一思いに腰に提げていた剣を抜いた。切っ先が喉元に突き付けられる。唾を飲み込むことさえできない距離だ。
「ならば話は早いな。我らは滅びゆく世界より救いを求めて此の地へやってきた。新たなる土地を求めて、な」
「天災が続き国土は荒れ、その上子どもが生まれてこない病が流行っているのだと聞きました。だから緩やかな速度で、でも確実に世界は死に向かってるんだって」
「ああ。そうだ。お前が聞いた話に間違いは無い」
「だけどそれは、精霊たちのせいじゃないんです。彼らは何もしてない。慎ましく生きていただけ。あなたたちとは隔たった世界で……」
金髪の男は目を見張り、それから噴き出した。
「はははっ、なんだお前が云いたかったことはそんなことか」
「そんなこと……?」
「そんなことは如何でも良いのだ。魔物や魔界が関係していようがいまいが、そんなことは最早如何でも良い。我らはただ死にゆく世界の代わりに新たに世界を開拓しに来ただけだと、云っただろう。……お前の話はもう終わりか?」
ちくり、と小さな痛みが走り、冷たいものが静かに首筋を伝っていく。目の前の男が、私の喉に剣先を突き付けた。金髪の男の目には侮蔑が籠っている。精霊たちもそして私も、対等な生命だとは全く思って居ない。私たちを殺すことなど、足もとを歩く蟻に気づかす、偶然にも踏みつぶしてしまうのと同じことだ。私はそう思われたって構わない。この世界に来る前からずっとどこにでもいる、普通の、もしくはそれ以下のとるに足らない存在だった。もしかしたら蟻のほうがずっと精いっぱい生きていたぐらいかもしれない。だけど。
だけど精霊たちを馬鹿にすることだけは許せない。




