55
「カランバノ……?」
純白の巨躯は一陣の風となり、敵の中に突っ込んでいく。血飛沫があがり、人影が倒れる。稲妻が走る。炎が上がる。人間たちに動揺の波が広がっていく。そこに精霊たちが畳みかけた。一気に形勢が逆転していく。あっという間に中庭に侵入していた人間たちは殲滅させられ、次第に扉の向こうも静かになっていった。
「兄様!」
歪められた扉から白い影が入ってくる。声が出ない。身体が震えた。
「イセベル、此処は頼むぞ」
妹が大きく頷いたのを確認すると、私の元へ歩いてくる。
「此の姿を見せるのは初めてだな。驚かせたか」
「全然」
「そうか。人に化けるための力さえ惜しくてな。勘弁してくれ」
「平気、だってば……」
言い終わらない内に涙が出た。やっと会えた。やっと声を聞けた。やっと私を見てくれた。やっと帰って来てくれた。生きて、帰って来てくれた。
「やはり此の姿では不都合が多いな」
カランバノがぼそりと呟いた。
「とりあえず逃げるぞ」
「え?」
「お前は逃げるんだ」
「どこに?」
「アルス様の元へ。俺も共に行く。乗れ」
カランバノが足を折る。それでもまだ高い背に、私はなんとかよじ登った。
「しっかりと掴まっておけ」
そう言わるやいなや、私は風のなかにいた。風のような速さで、カランバノが天へ向かって駆けていく。魔法を使って飛んでいるのか、城の壁を伝って登っているのかわからない。理解する間もなくアルスの部屋のあるテラスへと飛び込んでいた。
白い狼の姿を確認するやいなや、イエロが一面窓に駆けよって来てドアを全開にする。その目には涙が滲んでいる。アルスは驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな笑みを湛えた。カランバノが体勢を低くし、私は半ば滑り落ちるようにその背から降りる。
「無事でよかったよ、カランバノ」
「御蔭をもちまして。長い間留守にしてすみません」
「再びこうして言葉を交わせただけで、私は嬉しいよ」
カランバノは主君に向かって、頭を下げた。
「外門が破られました。イセベルを始め数人の兵が中庭で敵を食い止めてはおりますが、いずれ登ってくるでしょう」
「そうだね。イセベルたちが本隊に先駆けて来てくれただけでも助かった。防衛の前線を後退させ、本隊もじきに此処へ戻ってくるだろう」
「此処が戦場になるのですね」
「だが心配する必要はないよ。きみたちは私が護ろう」
「何か策があるのですか?」
アルスは答える代わりに、視線を反らした。その反応を見て、私が知らない何かを悟ったのかカランバノが声を荒げる。
「なりません、アルス様! そんなことをしては……、私たちどころかこの世界のすべてが滅びかねません!」
「どういうこと?」
口を挟まずにはいられなかった。アルスが繰り返し口にしていた私たちを護るのだという方法。具体的な内容も知らなければ、それが本当に私たちを救うとも思えなかった。だけど世界を滅ぼす。そんなことを王はひとりで考えていたのだろうか。
アルスは肩を竦めた。
「本当にカランバノは優秀だね。こんなにも早く気付かれてしまうとは思ってもみなかったよ。……流星、きみには詳しく説明をしていなかったね。きみを護るための方法を。私に残された最後の策は、竜族を此処へ召喚することだ」
「竜族を……?」
「そう。私と血を同じくした一族だよ。元来此の世は竜族が治める。そして王に選ばれたひとりとその妻を除いた一族は、此の世界の北の再果てにある郷で暮らしている。……郷と一言で言えど、其処は此処とは次元を隔した異なる世だけどね」
「この地上にもう一個別の世界があるってこと?」
「そういうことになるね。退位した私の父と母も其処で暮らしている」
「どうして竜族に助けを求めることが世界の終わりになるの?」
「そもそも竜族は強力過ぎる。一個体だけでも世界に致命的な影響を及ぼしかねない。だから此の世を愛し慈しんだ私の先祖は、自らが住まう場所を此の世界から隔離したのだ。……竜族を召喚すれば、此の世を荒らす人間たちを滅ぼすことができるだろう。しかしそれと共に此の世も滅びるかもしれない。けれど其れは人間たちの手に因って滅ぼされるより、どれ程良いか」
私だけじゃなかった。アルスもとっくにこの世界を諦めていたのだ。避けられない終焉を待つ中で、ただひたすら華麗な幕の引き方を考えていた。憎き敵に穢される前に、代々此の世を護ってきた王と血を分けた存在によって壊す。誇り高い精霊たちらしい選択だ。
ふとアルスの拳に力が込められているのが見えた。それに気が付いた瞬間に、目の奥が熱くなる。アルスだって望んでいるわけじゃない。ただ他にこの世界を敵から護る方法が無いのだ。
「折角身を粉にして戦ってくれたというのに……、カランバノ、すまないね」
「アルス様、本気なのですか?」
王はこくりと頷いた。カランバノは目を反らし、イエロも奥歯を噛み締めていた。
世界が終わってしまう。
なんて途方もないのだろう。映画やゲームの中じゃよく聞いたフレーズではあるけれど、それが目の前に迫ってもいまいち掴みきれない。なんだか妙に冷静だ。世界が終わる、そのことよりも誰よりもこの世界を愛していたアルスが、こんな選択をしなくてはならないことに胸が痛んだ。この世界を頼む。とそう言い残して消えた璃久に申し訳ない。
そうだ。璃久。約束したのだ。この世界を頼む、そう言った璃久に私は任せて、と言ったのだ。彼女の意志を受け継いだのだ。それなのにこんなに易々と破滅を受け入れていいのだろうか。彼女は身も心も何もかも捧げて、光となり、結界となってこの世を護った。だったら私もこの身を捨てるぐらいの覚悟があれば、何かできることがあるのではないか。仮にも璃久と同じ力を与えられたのだから。
「アルス、竜族を召喚するのはちょっとだけ待ってほしい」
私の言葉にそこにいた全員が揃って顔を挙げた。
「私にも秘策があるの。それを試させてほしい」
「秘策……?」
「そう。少しでいいから私に時間をちょうだい。これが駄目だったら竜族を召喚すればいい」
アルスは逡巡し、それから不本意であることを滲ませつつも口を開いた。
「わかった。きみに任せよう」
「ありがとう」
私は腐っても流星なのだ。流星としてこの世に呼ばれた。私は精霊たちが暮らす世界で唯一その敵と同じである人間だ。そんな私だからこそできることが、きっとある。そうだよね、璃久。だから私を呼んだのでしょう。




