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そうしてとうとうその日はやってきた。荒々しい音と共に、中庭の扉が開かれた。銀色の鎧を身に纏い、剣と盾を手にした戦士たちが雪崩れ込んでくる。
「急いで奥へ逃げろ! 人間たちが攻めてくる! 動ける者たちは怪我人の手助けをしろ! 早く!」
治療に当たっていたひとびとはどよめきを起こすことも無く、こうなることを想定していたように素早く怪我人の運搬を始めた。到着したばかりの戦士たちも得物を片づけ、彼女らの手伝いをした。そのなかに見覚えのある影を見つけた。
「イセベル!」
母や兄に良く似た月明かりの下の雪のような色をした髪を揺らし、振り返る。
「流星!」
彼女の身につけている鎧にも攻撃を受けた跡が複数見受けられたが、彼女自身は人型を取る程度の力を残しているらしい。こうして無事に生きている姿を見られただけでも安心した。
「もう人間たちが迫ってる! 怪我人を連れて早く下がれ!」
「でもカランバノがいるの! 狼の姿だから私の力じゃ運べない!」
イセベルは小さく舌打ちをした。
「兄様は後にしろ。先に運べる奴を運ぶんだ」
「でもっ……!」
「でもじゃねぇ! 喋ってる暇があるならさっさと動け!」
壁際で横たわる白い巨体を一瞥して、私は足もとに倒れている鷹の青年を抱え起こした。彼の左腕を肩に回し、担ぐようにして歩いた。
空いた部屋や廊下に傷病者が並べられていく。映画やテレビのなかでしか見たことがないような光景の中を走り回っている。足が竦むことはない。もうそんなところはとっくに突破しているのだ。
看病に当たっていた元使用人たちが誘導し、力のある戦士たちが怪我人を背負って運ぶ。連携が上手くいったおかげで作業は迅速に完了した。あとはカランバノを運び入れるだけだ。
「早く来い!」
イセベルが戦士たちを何人か集めてくれた。複数で力を合わせれば、なんとか持ち上がるかもしれない。しかし力の抜けた生物の身体とは、どうしてこんなに重いのだろう。身体を地面から完全に浮き上がらせることすらできない。
「くそ……っ! 早く隊長のところに戻らねぇといけねぇのによ!」
イセベルが悪態を吐いた瞬間だった。
どおんと低い音が轟き、地面も空気も揺れた。私は体勢を崩し、手を地面に付いた。
「最終戦線が突破された! 敵が来るぞ!」
誰かがどこかで叫んだ。
「流星様早く!」
その声に振り向くと共に働いた元使用人たちが、中庭から城内へと続く扉を閉めようとしているところだった。私たちを待ってくれているのだ。
「カランバノ、お願い……!」
しかしどんなに力を込めても、引き摺ることさえできない。
「くそっ!」
共にカランバノを運ぼうとしていた戦士のひとりが剣に手を掛けた。
「もう間に合わない! ここで迎え撃つしかない!」
他の戦士たちもそれに倣った。イセベルでさえ無言で剣を抜いた。
「流星様!」
扉から私を呼ぶ声がしている。戦うこともできない私がここに留まる必要はない。必死に治療を続けたけどカランバノはもう目を覚まさないかもしれない。どちらにせよ、もう彼を城内に連れて行くことはできない。私を呼ぶ声がしている。
「早く閉めて!」
私はそう叫んでいた。
「流星!」
イセベルが怒気を孕んだ声を上げる。
だけど置いていくことなんてできない。カランバノを置き去りにして私だけ逃げたら、私はきっと死を迎えるよりも苦しむだろう。
「早く閉めて! 私はいいから……っ!」
「来るぞ!」
扉に手を掛けている使用人が躊躇している間にも背後では、中庭に押し入らんとする人間と抵抗する精霊たちが争う音がする。
中庭と外を繋ぐ扉は今にも打ち壊されそうだ。ここが突破されれば次は今怪我人たちを運び込んだあの扉だ。しかし内扉は外よりも頑丈で重たい鉄扉だ。閉ざすことができれば少しは時間稼ぎになるだろう。
どおん。再び大きな音がして振り返ると、扉が変形し、隙間ができていた。そしてその数センチの穴を広げんと、攻撃が続く。
「早く……っ!」
もう一度前を向くと、そこには元使用人はいなかった。代わりに扉に手を掛けていたのは巻き毛が愛らしい、プリマヴェラさんだった。足を大きく開き、踏ん張って外開きの扉を引く。地面を引き摺る重たい音がして、ゆっくりと扉が閉まっていく。
閉まりきる直前に、目があった。いつもと変わらない可愛らしくも強い眼差しで頷いて見せた。本当に自慢のお姉ちゃんだと思う。
すぐにその姿が扉の向こうへと消えた。同時にイセベルたちが駆け出していく。振り返ると精霊たちが身につけているものとは異なる鎧を纏った男たちが、壊された扉を越えて侵入してきていた。そうはさせまいと後方から魔法や剣が飛んできて、人間が目の前で動かなくなった。
戦うこともできずにぼんやり眺めているだけの私は、まるで映画を見ているようだと思った。剣も血も悲鳴も怒声も剣戟も爆風も死も何もかも作り物みたいだ。さっきまで一緒にカランバノを運ぼうとしていた戦士のひとりが利き手に矢を受け、剣を取り落とした。好機とばかりに群がる人間の戦士たち。断末魔の声さえ上げず、一瞬で動かなくなる。リセットボタンも復活の呪文もない。それが不思議な感覚だった。剣でぶすりと一突きされたらそれで終わりなのだ。
剣を繰り出し盾で相手の攻撃を弾き、さらにその間に魔法を打ち込む。戦闘の経験はないけれど、それでもイセベルが優秀な戦士なのだということはわかった。しかしそれでも彼女は圧されている。攻撃を繰り出す回数よりも防御することが多くなった。
私を庇っているからだと、すぐに気が付いた。人間たちが私を狙わないように、多くの敵を引き付けているのだ。私は私の意志で残ったのに。覚悟を決めて残ったのに。私の選択にイセベルを巻き込むつもりはなかった。彼女の命の責任を負うつもりはなかった。私なんか護られる価値も無いのに。
「ほっといてくれていいのに……!」
「……放っておけるわけがないだろう」
背後で声がした。ずっと聞きたかった声だ。巨大な影が私の上に落ちる。恐る恐る振り返ると巨大な狼が立っていた。




